【完結】ゴリラの国に手紙を届けに行くだけの簡単なお仕事です

雪野原よる

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ゴリラ陛下と鉄の棒

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 ザッザッザッザッ……と、まるで軍隊の行進のような音が響き渡る。

 前には筋肉(小間使い)、後ろにも筋肉(小間使い)。右にも左にも筋肉(小間使いが多数)。

 四方八方を筋肉の壁に阻まれているため、私には自分がどこへ向かっているのか一切見えず分からないのだが、なんとかその場の空気を読んで、足を動かして前に進んでいる。前後の壁にぶつかったりはしない。あるいは、彼女たちが私の歩調に合わせてくれているのか?

「あの……我々は一体どこへ向かっているんです?」
「ギルメイ陛下のところである。今であれば執務室におわす」
「はっ?」

 当然のように返事が返ってきて、私はふらつきかけた。

「ま、待って下さい。一介の使節が唐突に押し掛けるなんてことが出来るわけが……それに、陛下にお目通りする準備など何も」
「到着である」

 非情な答えと共に、立ち止まった小間使いたちが左右に分かれた。自然と押し出される形になって、私は聳え立つような扉の前に立たされた。

 扉は艶消しの木材で出来ていて、精密な紋様が穿たれた表面には僅かな傷や摩耗の跡が見て取れる。ところどころ鉄で補強されていて、古めかしくもいかにも頑丈で重たそうな扉だ。私では両手でも無理かもしれないが、巨人ならば片手で開け閉めできるのだろう。この場合は巨人ではなくゴリラだが……

「……い、いや、やはり私にはこのような真似は」

 私が言いかけると、周りの小間使いたちがカッと目を見開いた。

「謙虚!」
「可憐!」
「妖精!!!」
「常に重責を担ってお疲れ気味の陛下に、貴殿の妖精の粉フェアリーダストを掛けてやって頂きたい」
「陛下は泣いて喜ばれるであろう。我々にも褒美がわんさか」

 訳が分からないことを言われた。

 あの穏やかな佇まいの国王陛下が、泣いて喜ぶなんてことがあるだろうか。

(それに、妖精の粉ってなんだ)

 当惑したまま問い掛けようとしたとき、メイド長が芋虫のような指を唇に当てて「しっ」と音を発した。


「……、………、……」


 どこからか、声が聴こえてくる。

 低く、落ち着いた男の声……誰の、と問うまでもない。勿論、ギルメイ国王陛下の声だ。

 目の前の分厚い扉が、少し傾いて開いている。その隙間から、執務室の内部で交わされている声が漏れ聴こえてくるのだ。

 ボソボソと響く声。内容は良く聞こえないのだが、何を話しているのだろう? ……と、知らぬ間に耳をそばだてている自分に気が付いて、私はハッとした。

(これでは、盗み聞きと言われても反論できない……私はまだ、スパイ容疑で討たれたくはないぞ)

 国王陛下の気配察知能力については、もう存分に見せつけられた後だ。外交の場は綺麗事では済まないが、だからといって初っ端から無意味な死を遂げたくはない。

 訴えるようにメイド長を見ると、メイド長は「ふんっ」と鼻から大きく息を吐き出しながら、重々しく頷いた。良かった、分かってくれた……と思った瞬間、彼女が重たい扉に手を掛けて、さらに隙間を大きく押し開いた。

(ち、違う! 私は何も、「もっとはっきり聞かせろ」と促したわけでは)

 私の動揺はともあれ、メイド長の行動は効果的だった。さっきまで無意味な音の連なりでしかなかった声が、はっきりとした言葉として聞こえてくるようになったのだ。






「……私一人でロスタ国に撃って出る? 確かにそれが最も効率的な解決法だろうが……議会の裁定はどうなる?」

 執務室の中には、国王陛下以外に数人の側近が詰めているようだ。聞き覚えのない生真面目な声が応えた。

「議長が今、どこでどうしておられるか、陛下はご存知で? 一ヶ月前の御前試合で陛下に敗れ去って、『勝てるまで山に籠もる』と言い残して旅立たれて以来、杳として行方が知れないのですが。無論、呼び戻すことも不可能です」
「そうだったな……」
「副議長は『究極のバナナを探してくる』と言い残して、こちらもやはり行方不明です」
「職務放棄も甚だしいな……一応、委任状ぐらいはきちんと置いていったのだろうな?」

 深い溜息の音。

 苦悩の滲んだ声音に、私は思わず「なんとお気の毒なことでしょう」と手を差し伸べて同情したくなった。

(つまり、王宮中に暗殺者が跋扈しているというのに、議会は動いてもいないわけか)

「湧いて出る刺客を潰すのは、日々の肩慣らしとしてはそれほど悪くなかったのだが……」

 ヘルグトカーンならではの、物騒な準備運動である。

「このままでは一年経っても議会は開かれまい。緊急要項として、私一人で片を付けた方が良いのかも知れんな。使者殿の話に拠れば、かの国に残された時間は長くもない。早急に憂いを払ってやらねば」
「ほう」「ほほう」「にやにや」
「何だ、お前たち。何が言いたい」

 陛下の声に、張り詰めた響きと、どこか後ろめたそうな雰囲気が混じった。ギルメイ陛下がそんな声を出されるとは。意外だ。

 私が首を傾げている間に、真面目に交わされていたはずの会話が道筋を逸れて、妙な方向に流れ始めたようだ。

「いえいえ、何でもございません」
「ただ、やけに使者殿を気に掛けられているようで」
「にやにや」「にやにや」
「お前たち、言わせておけば……当たり前だろう! 俺は自慢ではないが、色仕掛けされたこともないんだぞ。いや、あの清楚な使者殿が俺に色仕掛けするはずもないが、あんな美しい人を見て平静でいられるか」

 バキッ! と何かが折れ砕けるような音がした。

(えっ、何?!)

 私はビクッとした。

 しかし、側近たちの揶揄うような声は止まらない。むしろ、ここぞとばかりに勢いづいている。

「本音がはみ出してますよ陛下」
「本人に言って差し上げればいいのに」
「今から花を持って『妃になってくれ』と頼みに行くべき」
「き、妃……?!」

 バキッ!

「き、き、妃……妃になってくれると思うか、お前たち」
「有りじゃないですかね?」
「使者殿を伴ってロスタ国討伐に出掛けて、陛下の最強ゴリラ振りを見せ付けてやればいいんじゃないですか? 素敵……とポーッとなって承諾してくれるのでは」
「そ、そうか……」

 バキッ!

「……陛下、照れるたびに鉄の棒をへし折るのはお止め下さい。今日の分はもう残り2本しかないんですよ」
「す、すまぬ」

 陛下の声がくぐもって小さくなる。

 呆然と立ち尽くしたまま、私はそれに続く言葉を待ったが、それからはひたすら沈黙と、紙の上を滑るペンの音が響くばかりだった。

 自分の心臓の音ばかりが、耳の奥でとくとくと鳴る。

(……どういうことなんだ。なぜ、執務室に鉄の棒がある?)

 解せない。

 その棒は、国王陛下が照れ隠しでへし折るためだけに存在しているのか? 常に常備されているのか? 側近も国民も、それが普通だと思っているのか? ……常識では推し量れない。やはりヘルグトカーンは、外からは窺い知れない魔境そのものである。
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