0と1の感情

ミズイロアシ

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第二部

06 待ち人

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 十二月二十三日、良く晴れた日だ。

 ロゼにとって、待ちに待ったこの日がやって来た。

 バレエ公演「くるみ割り人形」の上演日、ポールが予約してくれたものだ。

 夜の開演に先立って、日が沈んだ街にイルミネーションが順番に灯された。

 星の化粧を施された劇場周辺には、夜会服を纏った紳士淑女がぞろぞろと集まってきていた。

 石造りの荘厳な建物は、戦前からここに建っている。戦争の傷跡は残しつつも、修復され今も人々に愛される大劇場だ。
 今日に限らず、人々に様々なショーを楽しませてきた。

 ロゼは三人で決めた新品のドレスでコーディネートし、約束の場所に一人佇んでいた。

 ここへ来るまではマキナに付き添いがあったのだが、頼み込んでロボットには帰宅してもらった。
 不安そうな顔で、ポールとおじいちゃんを待った。

 手袋を一時外し、コートのボタンを首元まで掛ける。寒さがほんの少しだけ防がれた代わりに、一人ぼっちの不安感がどことなく押し寄せてきた。



 劇場へ向かう外の石階段に、二人の姿はあった。

 一段上がる度に、履き慣れない革靴がつかつかと音を立てた。

「なあ、おい。なんでポールはー、突然バレエ見たいって言いだしたんだ?」
「……俺に言うなよ。エリオが直接誘われたんじゃなかった?」

 そう、エリオとダグラスだ。

 彼らはポールに呼び出されて公演会場へ出向いた。待ち合わせ場所へ真っ直ぐ向かっていた。

 エリオは段差にゆっくり足を掛けながら、ため息をついた。

「はぁ。あいつ、こういうの直ぐ寝るじゃん?」

「うん、それには同意見だよ。劇なんて映像で観れば十分……」
 吐いたため息が真っ白に染まった。

 エリオが最後の一段に足を乗せた時だった。彼は「あっ!!」と言って足を踏み外した。

「っ……つ――ふぃ……悪い、ダグ」
 間一髪でダグラスの肩に掴まったので事なきを得た。

「いいよ。お安い御用」

 軽めの口調で流して、その後「本当に大丈夫か?」と念を押した。

「あ、おう。今、下見てなかったから」

と言って革靴を履き直した。肩を貸してくれた彼から離れて、自分の足で立った。

 冷や汗をかいてしまったエリオは「もう一段あるかと思った」と心中で呟いて、平静を装って首を振った。目にかかる髪を指で払った。

 その様子を、隣の彼は心配そうに見つめた。
「待ち合わせ場所、こっちだから」

「お、おう」
 曖昧な返事をし、自分が行く先の石畳を見える範囲を確認してから歩き出した。

 暫くして一歩先を歩くダグラスが立ち止まった。

「な、なに?」
 エリオは急に立ち竦んだ友人の顔を見た。

「あれ……」と言って指した先に、白い人影が見える。

 石畳の広場に、ぽつんと一人の少女がいた。

 エリオは目を凝らした。

「ん? 誰? 知り合いか?」
「知り合いっていうか……」
「はあ?」

 白い少女の正体はロゼだ。
 こちらに気づいたようで、とてもおどおどしている。ふわふわのスカートが細かく揺れているのが見えた。

 ダグラスは一息、呆れのため息をつくと仕方なく「ロゼ―」と彼女に声を掛けた。

「ええ!?」エリオはその名に驚愕した。

 名前を呼ばれた少女は、手を振る青年の元へ慣れないパンプスで駆けた。

 エリオは彼女が視認できる距離になると、信じられないと目を見開いた。
 あの少女がいつもと違う格好をしていたから、尚のこと驚いた。

 白いコートと手袋、白いドレスは所々に布製の薔薇が装飾され、背中にピンクのリボンが結んである。

「なんでいんだよ」

 顔を合わせて早々、エリオはロゼに文句を言った。

「おい、エリオ」と友人を叱りつけて、ダグラスは少女にはいつもの優しそうな声色で
「こんばんは」と挨拶した。

 エリオは横目で睨み付け渋々挨拶した。
「ぐぬぅ……こんばんはー」棒読みだった。

「こ、こんばんは……」
 ロゼの挨拶も自然とぎこちなくなった。

 ダグラスは困ったような笑顔を見せた。
「誰か待ってんのかな?」

「あの、ポールを」
「えっ」

「ポール? 俺らもだけど」
 エリオは首を傾げた。

「……フッ。なるほどね」

 黒髪の青年は鼻で笑って、意味深な顔で少女を見下ろした。

 隣にいる友人は

「な、なに? どうしたんだよ。意味わかんね。変なダグー」

と言って、困惑を隠しきれていないようだ。

「劇場へ入ろうか、薔薇のお嬢さん?」

 ダグラスは左手を差し出した。

 ロゼはその手を迷わず取るが

「う、うん。でもポールを待たないと」

と不安を口にした。

「そうだなー」エリオはロゼに同調した。

 ダグラスは肩をすくめて笑った後

「ポールは来ないよ」

と二人に言った。

「はあ?」

「エリオ? どうやら俺らは、今晩はこの子の保護者らしい」
 見上げてくるロゼを左側に、友人は放置で、さっさと歩き出した。

「……どういうことだ?」
 エリオは立ちすくんだままだった。

 彼一人だけ状況を理解しているようで

「フフ、君と企んだのかな?」

とロゼを横目に言った。

「え?」
「その顔は……違うね」
「ポールとおじいちゃんは来ないの?」
「へぇ。そういうこと」

 劇場方向へ歩き始める二人に、エリオは急いで追いつこうと小走りになった。

「どういうことだよ」
 隣に追いつき、親友を問い詰めようと小声で話した。

 ダグラスは耳打ちしてくる親友に対して、ニヤニヤと口角を上げた。

「さあ? ポールのイタズラに、ハメられたんじゃない?」
「んん? なに?」
「ロゼ、そのドレス、とってもお似合いだね」

 親友は歩きながら話題を変えてきた。

「あ、ありがとう。二人も、とってもかっこいいわ」

 ダグラスは「どうも」と短くお礼を言った。
 綺麗な笑顔をつくると「慣れないけどね」と言って、ワイシャツのきっちりした首元に人差し指を入れた。

「ううん。全部真っ黒で、ダグラスに似合っているよ。大人っぽくて……素敵」

 ドレスコードの『ド』の字も先日まで知らなかった少女は、彼らのカジュアルな仕立てを褒めた。

「エリオも……なんだかぁー、王子様みたい、うふふ」

「えっ、へっ……あ、お、お前も……綺麗だよ」

 エリオはもの凄く動揺して、相手のことをよく見もしないで言った。その声はもの凄く小さかった。
 赤くなった顔を彼女に悟られぬように、親友の影に潜んでしまった。

 その隣で笑いを堪えていたのは親友だった。

「エリオも可愛いってさ。白いバラの妖精みたいだって」
「言ってねえ!」

 隣から爆音で猛反論が来た。

「……言ってないんだぁ」

 ロゼは、何故か残念がった。

「ああいやー……あーくそっ、ダグ! ややこしいことすんな!」

「アッハハハ! ごめんごめん!」
 自分の揶揄いに完全敗北なエリオと、ドレスを褒められて頬を赤らめるロゼに挟まれて、とても楽しそうに笑った。
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