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第4話:涙の処方箋、そして独り
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**【アンナの家】**
病院での騒動を終え、アンナとルーシーはアンナの家の前に立っていた。アンナは買い物袋を手に、不安と迷いが入り混じった表情をしていた。
(どうしよう……この子をずっと置いておくなんて無理なのに。私って、どうしてこう衝動的に動いちゃうんだろう……)
中に入ると、ルーシーは部屋の様子を観察した。積み上げられた段ボール、まばらな家具。アンナが最近ここに越してきたばかりだということが見て取れた。
「……何か食べようか?」アンナは努めて明るく尋ねた。
ルーシーが小さな微笑みを返すと、それだけでアンナの緊張が少し解け、軽食の準備を始めた。ルーシーはその一挙一動をじっと見つめていた。彼女にとって、アンナはすでに新しい心の拠り所となっていた。
食事中、アンナは目の前の少女を見つめ、静かに切り出した。
「……病院の人から聞いたわ。あなたの身に起きたこと。本当に、気の毒に思う」
ルーシーの手が止まった。
「でもね……話したい時に話していいのよ。いい?」
ルーシーは不思議そうに眉をひそめた。
「だから、無理に黙ってなくていいの。あんなことがあったんだもん……怖かったでしょう? きっと、心の傷(トラウマ)が深いのよね……」
「黙ってなくていい」「トラウマ」という言葉に、ルーシーは首を横に振った。
「あ……『違う』の? じゃあ、どうして……?」
ルーシーは身振り手振りで伝えようとした。口を指差し、手を握りしめ、否定のサインを送る。そして、指を一、二、三……と立てていき、六まで数えた。
「誰かに6回ぶたれたの!? それとも6回何か食べたの!? ……全然わかんない!!」
アンナはもどかしさに溜息をついた。
「……字、書ける?」
ルーシーは満面の笑みで親指を立てた。アンナは慌ててバッグを漁った。
「えーっと、どこ!? もう、バッグの中に薬がいっぱい入ってると邪魔だわ……」
大量の瓶を見てルーシーが心配そうな顔をすると、アンナは苦笑いした。
「心配しないで。私用じゃないから。……今は、ね。ただ、必要になった時にないと怖いから持ち歩いてるの。私の変な癖よ、へへ。……あった!」
アンナはノートとペンをルーシーに手渡した。ルーシーは真剣な表情で、ゆっくりと、たどたどしく書き始めた。
(……書くのがすごく遅いわね)
ようやく渡されたノートを、アンナはワクワクしながら開いた。しかし、その解読に数秒を要した。
『あたし、あかちゃんのときから、なにも、はなしたことない』
「……え? トラウマじゃなくて、赤ちゃんの時から、ずっと……?」
ルーシーは飛び跳ねるように喜び、大きく頷いた。
「でも、どうして喋れないのか、理由はわからないの?」
ルーシーは首を横に振った。
「そっか……。ねえ、ルーシー」
アンナは優しく語りかけた。
「もし、まだ泣きたい気持ちがあるなら……起きたことすべてに、涙を流してもいいのよ」
ルーシーは、アンナのまっすぐな言葉に驚いて目を見開いた。
「いつでも、何度でも。誰が何を言おうと気にしなくていい。涙はね、心の痛みを和らげる一番の薬。学び、成長しながら自分を癒す、一番美しい方法なのよ」
ルーシーはその言葉に魔法をかけられたように見入った。アンナの笑顔は、シンプルで、とても温かかった。ルーシーは我慢できず、涙を溢れさせながらアンナの胸に飛び込んだ。
(前とは違う……この子は今、私に『ありがとう』って言ってるんだ)
アンナも抱きしめ返したが、胸の奥がチクリと痛んだ。
(……いけない。こんなことしちゃ……)
その夜、二人は同じベッドで眠った。ルーシーはアンナにぴったりと寄り添っていた。
「……明日……」
アンナは眠る直前、小さく呟いた。
**【服屋にて】**
翌日、二人は服屋を訪れた。
「ルーシー、好きな服を選んでいいわよ」
その言葉を聞いた瞬間、ルーシーは以前、父と同じような会話をしたことを思い出した。一瞬だけ胸が痛んだが、アンナを見て深呼吸をし、笑顔を作った。彼女は勇気を出して、店の中へ走った。
10分後。ルーシーがアンナの足をツンツンと叩いた。アンナが振り返ると、そこには衝撃の姿があった。
「いいのが見つかっ……ええっ!?」
ルーシーは、大好きなアニメのユニコーンの着ぐるみを着ていた。
(なんて可愛いの……! でも、あれ、高いのよね……)
「ルーシー……ごめんね。その服、ちょっと高すぎて買えないわ……」
ルーシーは嫌がる素振りも見せず、すぐに着替えに戻った。その物分かりの良さが、逆にアンナを苦しくさせた。彼女は、アンナの事情を完全に理解しているようだった。
**【別れの孤児院】**
翌日。アンナはもう、先延ばしにすることはできなかった。彼女はルーシーを連れて、街から遠く離れた孤児院へと向かった。
到着すると、二人は沈黙の中で中に入った。アンナはルーシーに待つように言い、責任者と話し始めた。ルーシーは困惑しながらも、15分間じっと待っていた。なぜ新しい服まで持ってきたのか、わからなかった。
責任者の女性が近づいてきて何かを話しかけてきたが、ルーシーの耳には入らなかった。彼女の視線はただ一点、泣きながら外へ出ていくアンナの背中に釘付けだった。
ルーシーは迷わず走った。
門のところでアンナに追いつき、その足に強くしがみついた。アンナは涙で濡れた顔で振り返った。
「……ごめんなさい。お願い、許して……私、あなたを育てることはできないの……」
ルーシーはしがみつく手を離し、絶望に満ちた瞳でアンナを見上げた。
「私……別の場所に行かなきゃいけないの。私を必要としてる人が他にいるの……。あなたを連れて行くことはできない。本当に、ごめんなさい……」
ルーシーは下を向き、声を殺して泣いた。アンナは屈み込み、ルーシーの顔を上げて、震える声で精一杯微笑んだ。
「恥ずかしがらないで……泣きたい時は泣いていい。それが心にいいから。……あなたは本当にいい子よ、ルーシー。短い間だったけど……愛してるわ」
アンナは彼女の額にそっとキスをして、去っていった。
ルーシーは、また独りになった。
心の支えを、失った。
彼女は孤児院の庭を力なく歩き、花畑のそばにあるベンチを見つけて座った。そして、泣いた。
空を見上げ、何かを探すように視線を彷徨わせた。その時、過去の声が、優しいささやきのように心に届いた。
「雲のように、ただ前を向いて……」
「涙は心の痛みを和らげる薬……一番美しい方法なのよ……」
その言葉を抱きしめるように、ルーシーは顔を上げた。
涙に濡れた顔で、彼女は精一杯の微笑みを作った。
病院での騒動を終え、アンナとルーシーはアンナの家の前に立っていた。アンナは買い物袋を手に、不安と迷いが入り混じった表情をしていた。
(どうしよう……この子をずっと置いておくなんて無理なのに。私って、どうしてこう衝動的に動いちゃうんだろう……)
中に入ると、ルーシーは部屋の様子を観察した。積み上げられた段ボール、まばらな家具。アンナが最近ここに越してきたばかりだということが見て取れた。
「……何か食べようか?」アンナは努めて明るく尋ねた。
ルーシーが小さな微笑みを返すと、それだけでアンナの緊張が少し解け、軽食の準備を始めた。ルーシーはその一挙一動をじっと見つめていた。彼女にとって、アンナはすでに新しい心の拠り所となっていた。
食事中、アンナは目の前の少女を見つめ、静かに切り出した。
「……病院の人から聞いたわ。あなたの身に起きたこと。本当に、気の毒に思う」
ルーシーの手が止まった。
「でもね……話したい時に話していいのよ。いい?」
ルーシーは不思議そうに眉をひそめた。
「だから、無理に黙ってなくていいの。あんなことがあったんだもん……怖かったでしょう? きっと、心の傷(トラウマ)が深いのよね……」
「黙ってなくていい」「トラウマ」という言葉に、ルーシーは首を横に振った。
「あ……『違う』の? じゃあ、どうして……?」
ルーシーは身振り手振りで伝えようとした。口を指差し、手を握りしめ、否定のサインを送る。そして、指を一、二、三……と立てていき、六まで数えた。
「誰かに6回ぶたれたの!? それとも6回何か食べたの!? ……全然わかんない!!」
アンナはもどかしさに溜息をついた。
「……字、書ける?」
ルーシーは満面の笑みで親指を立てた。アンナは慌ててバッグを漁った。
「えーっと、どこ!? もう、バッグの中に薬がいっぱい入ってると邪魔だわ……」
大量の瓶を見てルーシーが心配そうな顔をすると、アンナは苦笑いした。
「心配しないで。私用じゃないから。……今は、ね。ただ、必要になった時にないと怖いから持ち歩いてるの。私の変な癖よ、へへ。……あった!」
アンナはノートとペンをルーシーに手渡した。ルーシーは真剣な表情で、ゆっくりと、たどたどしく書き始めた。
(……書くのがすごく遅いわね)
ようやく渡されたノートを、アンナはワクワクしながら開いた。しかし、その解読に数秒を要した。
『あたし、あかちゃんのときから、なにも、はなしたことない』
「……え? トラウマじゃなくて、赤ちゃんの時から、ずっと……?」
ルーシーは飛び跳ねるように喜び、大きく頷いた。
「でも、どうして喋れないのか、理由はわからないの?」
ルーシーは首を横に振った。
「そっか……。ねえ、ルーシー」
アンナは優しく語りかけた。
「もし、まだ泣きたい気持ちがあるなら……起きたことすべてに、涙を流してもいいのよ」
ルーシーは、アンナのまっすぐな言葉に驚いて目を見開いた。
「いつでも、何度でも。誰が何を言おうと気にしなくていい。涙はね、心の痛みを和らげる一番の薬。学び、成長しながら自分を癒す、一番美しい方法なのよ」
ルーシーはその言葉に魔法をかけられたように見入った。アンナの笑顔は、シンプルで、とても温かかった。ルーシーは我慢できず、涙を溢れさせながらアンナの胸に飛び込んだ。
(前とは違う……この子は今、私に『ありがとう』って言ってるんだ)
アンナも抱きしめ返したが、胸の奥がチクリと痛んだ。
(……いけない。こんなことしちゃ……)
その夜、二人は同じベッドで眠った。ルーシーはアンナにぴったりと寄り添っていた。
「……明日……」
アンナは眠る直前、小さく呟いた。
**【服屋にて】**
翌日、二人は服屋を訪れた。
「ルーシー、好きな服を選んでいいわよ」
その言葉を聞いた瞬間、ルーシーは以前、父と同じような会話をしたことを思い出した。一瞬だけ胸が痛んだが、アンナを見て深呼吸をし、笑顔を作った。彼女は勇気を出して、店の中へ走った。
10分後。ルーシーがアンナの足をツンツンと叩いた。アンナが振り返ると、そこには衝撃の姿があった。
「いいのが見つかっ……ええっ!?」
ルーシーは、大好きなアニメのユニコーンの着ぐるみを着ていた。
(なんて可愛いの……! でも、あれ、高いのよね……)
「ルーシー……ごめんね。その服、ちょっと高すぎて買えないわ……」
ルーシーは嫌がる素振りも見せず、すぐに着替えに戻った。その物分かりの良さが、逆にアンナを苦しくさせた。彼女は、アンナの事情を完全に理解しているようだった。
**【別れの孤児院】**
翌日。アンナはもう、先延ばしにすることはできなかった。彼女はルーシーを連れて、街から遠く離れた孤児院へと向かった。
到着すると、二人は沈黙の中で中に入った。アンナはルーシーに待つように言い、責任者と話し始めた。ルーシーは困惑しながらも、15分間じっと待っていた。なぜ新しい服まで持ってきたのか、わからなかった。
責任者の女性が近づいてきて何かを話しかけてきたが、ルーシーの耳には入らなかった。彼女の視線はただ一点、泣きながら外へ出ていくアンナの背中に釘付けだった。
ルーシーは迷わず走った。
門のところでアンナに追いつき、その足に強くしがみついた。アンナは涙で濡れた顔で振り返った。
「……ごめんなさい。お願い、許して……私、あなたを育てることはできないの……」
ルーシーはしがみつく手を離し、絶望に満ちた瞳でアンナを見上げた。
「私……別の場所に行かなきゃいけないの。私を必要としてる人が他にいるの……。あなたを連れて行くことはできない。本当に、ごめんなさい……」
ルーシーは下を向き、声を殺して泣いた。アンナは屈み込み、ルーシーの顔を上げて、震える声で精一杯微笑んだ。
「恥ずかしがらないで……泣きたい時は泣いていい。それが心にいいから。……あなたは本当にいい子よ、ルーシー。短い間だったけど……愛してるわ」
アンナは彼女の額にそっとキスをして、去っていった。
ルーシーは、また独りになった。
心の支えを、失った。
彼女は孤児院の庭を力なく歩き、花畑のそばにあるベンチを見つけて座った。そして、泣いた。
空を見上げ、何かを探すように視線を彷徨わせた。その時、過去の声が、優しいささやきのように心に届いた。
「雲のように、ただ前を向いて……」
「涙は心の痛みを和らげる薬……一番美しい方法なのよ……」
その言葉を抱きしめるように、ルーシーは顔を上げた。
涙に濡れた顔で、彼女は精一杯の微笑みを作った。
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