マンドラゴラの王様

ミドリ

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第一章 観察日記

3 観察日記を用意してみる

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 大してない脚力を駆使してノートを買いに町まで自転車で往復すると、帰宅する頃にはへとへとになった。

 秋の日は短い。空が見事な赤焼けに変わると、夕方にもう一度観察に行こうとしていた気が失せた。これは子供の頃からの悪い癖だ。日が落ちると、日中も別に活発じゃないのに、更に活動量が落ちるのだ。

 もう一度茜空を見上げる。今から向かえば、帰りはきっと闇の中だ。街灯も人家の灯りもないこの辺りは、月明かりと懐中電灯の光だけが頼りだ。

「……朝の日課にしよう」

 夜が駄目だからか、逆に朝は強い。日の出と共に目はパチリと開く。気分爽快な寝起きを毎朝迎えることが出来るから、完全な朝方人間なのだろう。

 冷凍しておいた白米とおかずを解凍し、温め食す。今夜は早々に風呂に浸かり、明るい冒険譚でも読みつつ寝よう。

「あ、その前に」

 朝バタバタと支度をするのは性に合わない。子供の時から愛用している、若干古臭い黒猫の絵が描かれた一人用のレジャーシートと、ハンドタオルをリュックに詰めた。

「……うーん、ベタだけど」

 黒い油性マジックを取り出し、キャップを取る。久々に使用する所為かキャップが固く、引っこ抜いた際に人差し指にビッと書いてしまった。

「あー」

 これは寂しいからではない。発声練習だ。

「まあいいや。『観察日記』と……」

 マジックがノートの表紙の光沢紙の上を滑ると、キュキュッと小気味いい音が出る。このマジックのシンナーの匂いを嗅いでいると、亡き父と段ボールにマジックで絵を描いたことを思い出した。段ボールを床一面に並べて、ここからここは誰のお部屋ね、なんて遊んだものだ。

 父はあまり身体が丈夫ではなく、一緒に外で遊ぶことは殆どなかった。その代わり、室内ではこうしてよく遊んでくれた。そんな優しかった父は、最期は枯れる様に萎びて死んだ。

 私が十歳の時の話だ。秋野家は代々短命らしく、そんな私の為を思ってか、「美空のお母さんは元気な人だから、きっと美空は長生きするね。ご先祖様一同、向こうで美空が長生き出来るよう祈ってるから」と言った後、静かに息を引き取ってしまった。

 そんな父の遺言は、お日様の光をいっぱい浴びること、という謎のものだった。訳が分からないままそれを今も守り続け、本を読む時も縁側で日光を浴びながら寝そべったりしている。そのお陰か、私は覇気はないものの健康だ。

 父の遺言はもう一つあり、それは土葬だった。元々この辺りは、土葬の風習が色濃く残っている。法律で火葬が義務付けられているものの、慣習を優先してもいいらしい。世間が土地が足りないと言っている中、ここは土地だけは余りまくっている。先祖代々眠る秋野家の墓地に、父は身体を持ったまま収まった。

 墓地の周りに生えている青々とした木々は、父の養分を吸い取って大きく育ったものだ。だからか、父と話せなくなったのは寂しかったけど、不思議と変わらず父がそこにいる様に思えた。

 そこでハッと気付く。また思考の沼に入り込んでいた。

「いけないいけない」

 キャップを慌ててはめると、ノートもリュックにしまい込む。筆箱と下敷きも詰めると、これで準備は万端だ。

 明日には、どれくらい成長しているだろう。ふふふ、と顔を綻ばせながら、明朝に思いを馳せた。



 翌朝、日の出と共に起きる。冷たい水で顔を洗った。これをすると頭がシャキッとし、清々しい気持ちで一日を迎えることが出来る。

 冷凍しておいた白米の上に冷凍のシラスを乗せ、温める。昨日から出汁を取っておいた鍋に野菜をドボドボ入れ火にかけて味噌を足せば、朝食の完成だ。

「あー……幸せ」

 私のこの独り言でお分かりだろうが、私はこれで十分幸せなのである。色恋やら金やら学歴やらタワマンのカースト制度やら、人々がこぞって上にあがろうとする様をネットでチラ見しているから、世の中の大半の人間が勝ち組を狙っているのは承知している。だけど、そんなことばかりじゃ疲れそうだな、というのが正直な感想だった。

 恋愛に関しては、隣に誰かいてくれたらそれは嬉しい。だけど、人と争ってまで奪いたいと思える相手にこれまで出会ったことがなく、その感覚が理解出来なかった。穏やかに隣に寄り添ってくれて、毎日縁側でお茶を一緒に飲める様な人がいい。以前、母にそう述べたところ、お前は枯れた婆さんかと言われた。あながち間違いじゃない。少なくとも、ぎらつき度に関しては母の方が上だ。

「だったら一人が気楽なんだよねえ」

 そう呟くと同時に、いつの間にか味噌汁から湯気が立ち昇っていないことに気付く。

「あ」

 またやってしまった。複数のことを同時にこなせる種類の人間は、きっと私なんかより一生の間に色んなことを経験出来るに違いない。

 まあ、知らなければ欲しいとも思わない。大学時代のあの煌びやかな世界で自分の属する世界がそこではないと理解した私は、ここでスローライフを満喫するのだ。

 口に含んだ味噌汁はぬるかったけど、野菜に味が染みていて美味しかった。

「植物くん……あ、いた!」

 昨夜用意したリュックを背負い、えっちらおっちらと山道を登った先に、彼は咲いていた。

 昨日、思い切り座り込んで昼寝を決め込んだ位置に、今日は先にレジャーシートを敷く。これで万が一うたた寝をしてしまっても、今度はお尻は濡れない。泥が染み込んでしまい、漬け込んで泥を落とすのがなかなか大変だったのだ。

 レジャーシートの外にスニーカーを脱いで揃え、日の光を浴びてテカテカ光る葉の前に正座した。さわさわと気持ちの良い秋の風が吹く。ぐるりと囲む木々の隙間から漏れる木漏れ日が時折目に眩しく差し、穏やかな気持ちになれた。

 暫くそのままこの空気感を味わっていると、肝心な観察日記を取り出してもいないことに気付く。リュックからがざごそとノートと筆記用具を取り出すと、まずは上からじっくりと観察を開始した。葉と花の様子は昨日と変わらず、瑞々しい色を惜しげもなく見せつけてくれている。虫食いもないし、弾力も問題ない。健康状態は、とりあえず葉と花を基準に書いていこう。

「健康状態、二重丸、と」

 十月二日、天気は晴れ。そう書いた下に、健康状態を記入する。葉の枚数と花の個数も数えて書き留めると、いよいよメインの時間だ。

「さあ、どこまで育ってるかな? 美空さんが見てあげようねえ……」

 どこぞの怪しい人みたいな台詞が、自然と口から飛び出す。でも、勿論この辺りに人はいない。ど田舎の中のど田舎なので、この独り言が聞かれる心配はまずなかった。怪しかろうが、問題は一切ない。
 ぺらりと葉の一部をめくると、土まみれでも分かる形のいい額が見える。ここまでは昨日と一緒だ。昨日は眉毛がほんのり見えていたけど、今日は――。

「……目っ!」

 視界に飛び込んできたのは、しっかりと閉じられた瞼が二つ。その間には、その下があるのなら高そうだな、と思えるスッとした鼻筋だ。まあ、実際は根っこが蔓延っているだけだけど。

 葉を押し上げ、顔を近付けて閉じられた瞼をじっくりと観察する。土まみれの髪は、昨日は黒に見えたけど、よく見ると深い緑色をしていた。眉毛もまつ毛もよく見ると同じ深緑で、やはりこの人は人間じゃないんだと改めて思う。だけど、植物人間と呼ぶと支障がありそうなので、やはり当面は植物くんでいくことにした。

 瞼はぴくりとも動かず、まるで彫刻だ。中にちゃんと眼球はあるのか。気になったけど、閉じているものを無理矢理開くのはいかがなものか。さすがにやり過ぎかなと思い、とりあえずはこの様子を観察日記に記していくことにした。

「ええと――昨日の昼に確認した眉毛の位置より更に伸び、今朝は瞼が確認出来た。まつ毛は長く、ここだけ見る限りは整った顔立ちが期待できる、と」

 観察日記なので、後で読み返した時に恥ずかしくならない様、出来るだけそれっぽく書くことを心がける。私情はなるべく除外し、あくまで観察者としての視点を貫くのだ。

「あ、拭いてあげようかな」

 いいアイデアに思えたけど、残念ながら今日は拭ける物を持参していない。明日は観察の後に露出した部分を拭こうと考える。観察日記を閉じるとその場に横になり、閉じられたままの瞳をうふうふと見つめ続けた。
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