マンドラゴラの王様

ミドリ

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第一章 観察日記

5 耳掻きをしてみる

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『十月四日 くもり 健康状態◎ とうとう上唇まで出てきた。鼻の穴は予想通り土で埋まっているので、ほじってあげる必要があるだろう。今日はひとまず耳の土の除去から開始することにする』

 昨日も自転車をかっ飛ばして町まで往復をしたところ、腿の筋肉が酷く痛む。毎朝体力作りの散策をしていたというのにこれだ。使用する筋肉が違うのかもしれない。

 しゃがむだけでピキッと痛む腿に耐えながら、柔らかそうな形のいい上唇を遠慮なくジロジロと眺めた。もうここまで出て来れば、一目瞭然だ。植物くんは、非常に見目麗しい顔の作りをしている。

 頬骨は出ておらず、頬はスッキリと平らに近い。真っ直ぐな鼻筋は横から見ると高く、アジア人というよりは、どちらかというと中南米の人の顔に近かった。肌色が濃いめなので、例えるならばヒスパニックかインディアンの様なエキゾチックな感じか。

 目が開いてその色を見たら、またガラリと印象は変わるのかもしれないのも楽しみだ。

「植物くん、今日はお耳のお掃除をしようね」

 顔を見る限りは成人男性の様だけど、私にとっては生まれる前段階の赤子に近い。思わず口調も子供に対するものになってしまうのは、致し方のない。

 まずは昨日購入した赤ちゃんのおしり拭きを取り出す。つるんとキレイとの謳い文句が書いてあるそれは確かに素晴らしく、昨日あんなに苦労して落とした土もスルスルと難なく落ちていった。

 耳の周辺を拭き終わると、取り出したるは日本の伝統、耳かき器。ガリッといったらまずそうなので、シリコン製のちょっとお高めの品を購入してみた。

「びっくりしないでね、大丈夫ですよ……」

 人の耳掃除なんて、生まれてこの方したことはない。さすがに知識なしで挑むのは抵抗があったので、パソコンであれこれ調べてきた。ネット情報によると、手前の大きい汚れを掻き出せば、奥のはいずれ出てくるそうだ。

 ただ、彼の場合は土が詰まっているので、ただの耳垢とは違う。結論として、まずは出来るだけ土を掻き出す。次に、耳の内部に付着した土を、綿棒をベビーオイルで浸した物でくるくると巻き取ることにした。

「いざ尋常に」

 右耳の横に寝そべると、左の頬を手で支える。しっとりと張り付く瑞々しい肌は、人の体温を保有していた。彼は植物だけど、多分男性だ。その寝ている男性の頬に堂々と触れている今の状況に、内心大いに動揺していた。

 いや、動揺とは違う。高揚という名の興奮だ。多分、未知との遭遇に近い感覚かもしれない。私にとって異性とは、それぐらい未知のものだから。

 サク、と耳掻きの先端を土の塊に差し込む。土は思ったよりもふわふわで、砂糖の様にボロボロと落下していった。これは案外簡単かもしれない。調子に乗った私は、どんどん奥へと掻き進めていく。だけど、耳の奥は暗い。懐中電灯を持ってくればよかったと思ったけど後の祭りだ。

「んー見えない……」

 顔を限界ギリギリまで近付け、中を覗き込む。内耳の奥まで掻き出すと、鼓膜を破ってしまいそうだ。手前に崩れ落ちたものを、少しずつ手前へと引き寄せては取り出すを繰り返す。よく見えないけど、耳の中に産毛の様なふわふわで透明の毛が生えており、それがあるお陰か、思ったよりも土が皮膚に付着していないので助かった。

「よしよし、じゃあ次は綿棒ね」

 綿棒を取り出す。ベビーオイルの容器を傾けて、少しずつオイルを染み込ませていった。十分ひたひたになったところで、くるくると耳の奥で転がす。綿棒を二本使い切ったところで、茶色い色が付かなくなった。

「ふふ、綺麗になったねえ」

 我ながら上出来だと喜ぶと、ふと支えている方の手に暖かいものが触れていることに気付いた。濡れている。何だろうと見ると、私の手のひらを濡らしていたのは、植物くんの目から流れ落ちてくる涙だった。

「え……」

 植物くんの瞼が、眩しそうに何度も瞬きをしては、涙を流している。

「植物……くん?」

 私の声に反応する様に、長いまつ毛がピクリと揺れた。涙で濡れる瞼を、ふるふると震わせている。植物くんの目がゆっくりと開きながら、私を探す様に眼球を横に動かした。青に近い白目の奥から瞳がこちらにやってきたかと思うと、間近にある私の目を捉える。

 それは、紫眼だった。何かで読んだことがあるけど、世の中に紫色の瞳を持つ人はかなり珍しいけど実在するそうだ。かの大女優エリザベス・テイラーがその一人なんだとか。緑色の瞳よりも更に珍しく、希少中の希少色だそうだ。

 その世にも珍しい紫色の虹彩が、熱心に私を見つめている。涙が止めどなく流れているのは、眼球が初めて外気に触れたことによる生理現象か。辛そうに目を何度も瞬いているので、慌てて正面に回る。
「あ、あの、怖くないよ!」

 彼に対する第一声が、それだった。彼は相変わらず目をぱちくりと大きく開き、真っ直ぐに私を見つめている。

「美空だよ、怖くない怖くない」

 へへ、と笑いかけると。すっと伸びた切れ長の大きな瞳が、私を見つめながらにっこりと笑い返したのだった。
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