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第二章 事件発生
18 万事休すとはこのことか
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何と言えば名雲さんは安心してくれるだろうか。考えても、答えが出てこない。
「その、大丈夫ですよ、そういうのじゃないから……」
じりじりと後退すると、トランクの荷台の縁が膝裏に当たり、膝がカクンと折れる。そのまま荷台に腰掛けてしまった。急いで立ち上がろうとすると、名雲さんが私の両手に上から固い手を重ね、押さえ込む。顔が物凄く至近距離にあり、――これはあれ? もしやまずいのでは。
名雲さんが、意を決した様な表情を浮かべた。
「秋野さん。僕、貴女のことが」
「ひえっ」
名雲さんはいきなり片膝を荷台に乗せたかと思うと、私を荷台の床に押し倒す。ゴン、と半纏が入っているであろうダンボールの角に頭をぶつけ、結構な痛みに暫し言葉を失った。その間に名雲さんは私の上に跨ると、荒い息と共に私の頬に顔を押し付ける。
ざらりとした感触に、背筋がゾクリとした。恐怖で、身体が硬直していく。
「や、やめて下さい……っ」
何とか言葉を絞り出したけど、興奮気味の名雲さんの耳には届いていない様だ。両手が徐々に私の身体に伸びてくると、大してない胸の上に乗せられた。怖い。気持ち悪くて、怖かった。
「いや……っ!」
押し返そうにも、腕が身体の間に挟まれて引っこ抜けない。力では、どう考えたって敵わない。こういうのを万事休すと言うのか。
「秋野さ……美空ちゃん、君のことは僕が守ってあげるから、貢がせる様な男はやめよう?」
「やめて下さい……貢いでなんかないですから!」
必死で抵抗するも、名雲さんの手は止まらない。首に掛かる熱い息が不快過ぎて、涙が滲み始めた。いい人だと思っていたのに、どうしてこんなことになっているのか。混乱の中、何が名雲さんをこんなアウトローな行動に移させてしまったのかを必死で考えていると、それは聞く前に本人の口から飛び出してきた。
「ずっと優しく見守っていたのに、急に男物を買い始めるからさ。俺、心配したんだよ」
「は?」
見守っていたとはどういうことか。
「暫くは、見ているだけで良かったんだ。美空ちゃんが、俺のことを信用してくれる様になるまで、じっくり待つつもりだったのに」
「あ、あの……?」
この人は一体何を言ってるのか。恐怖で閉じていた瞼を開けると、感情が読みとれない眼差しで名雲さんが私を見下ろしている。
「前までは毎朝お散歩してたのに、最近はしてないよね。縁側でお昼寝してる姿も可愛いのに、寒くなったら出てこなくなっちゃって残念に思っていたんだ」
「は? え?」
名雲さんの片方の手が、半纏の中に入り込んできた。ごそごそと腹の辺りを弄っていると思ったら、服の上下の隙間を探している様だ。
これはまずい。非常にまずい。セーターの下に着ているシャツをルームパンツにインした上に、中には更に長袖の肌着を重ねてルームパンツの下に履いているタイツの中にこれまたインしている隙間を探し当てるのは至難の技だろうけど、それも時間の問題だ。どうしよう、これは巷で聞く貞操の危機というやつじゃなかろうか。
「ここに来るルートはね、俺が独占してるんだ。だって他の奴らには君の可愛い姿を見せたくないからね」
どうしよう、どうも先程から名雲さんの言動が明らかにおかしい。道中、変なものでも食べたのかもしれない。名雲さんが、私の頬に乾燥した唇をくっつけながらにやりと笑った。
「実のところ、君を眺めてるのも好きだったけど、ちっとも気付いてくれないからそろそろ寂しくなってたんだ」
確かに全く気付いていなかった。朝の散策を見られていた上に、縁側でゴロゴロしていたところまでも見られていたなんて、一体誰が思うか。
「それなのに、男物の服を俺から受け取って、君はなんて意地悪なんだ。それとも、俺を嫉妬させてみたかったの?」
いや、意地悪と言われても。名雲さんが、ようやくシャツとタイツの境目に気が付いたらしい。これはなんだろうと思っているのか、タイツの上をゴソゴソとやっている。まさかこんなに厳重に衣服を重ね着しているとは、思ってもみなかったのだろう。古民家の寒さを侮ってもらっては困る。
「美空ちゃんなら、きっと俺を受け入れてくれるよね。君は優しくて大人しくて可憐な人だから、今の俺だけを見て受け入れてくれるよね?」
意味が分からない。でもとりあえず、名雲さんは私に何らかの幻想を抱いていることは分かってきた。
「皆して、ああしろこうしろって指図してさ。でも、美空ちゃんはそんなこときっとしない筈だ。君は純粋で優しい人だから」
どうやら、思い込みで一人の世界に入り込んでしまったらしい。名雲さんは、私を菩薩か何かと勘違いしているんじゃなかろうか。
「や、優しくなんてない……!」
「そんなことない、君は誰よりも優しくて、俺の駄目なところも全部許してくれる筈なんだ」
「そ、そんなこと……」
さて、どうすべきか。話が一切通じない。頭ではあれこれ考えられるのに、身体が硬直して動かない。そこでようやく思い出す。家にはゴラくんがいることに。前までは叫ぼうがわめこうが近くには誰もいなかったから、つい誰もいないと咄嗟に思い込んでいた。慣れというものは恐ろしい。
でも今は、聞こえる距離に彼がいる。ゴラくんがこの状況を見てお友達と遊んでいると思う可能性もなきにしもあらずだけど、助けてと言えば分かってくれるかもしれない。
「……たっ」
押されて苦しい肺に目一杯空気を吸い込み、力の限り叫んだ。
「助けて! 助けてえ!」
「美空ちゃん、誰もいないのに。そういうところ、可愛いよね」
そういうところがどういうところかも分からなかったけど、とにかく叫び続けることにした。
「その、大丈夫ですよ、そういうのじゃないから……」
じりじりと後退すると、トランクの荷台の縁が膝裏に当たり、膝がカクンと折れる。そのまま荷台に腰掛けてしまった。急いで立ち上がろうとすると、名雲さんが私の両手に上から固い手を重ね、押さえ込む。顔が物凄く至近距離にあり、――これはあれ? もしやまずいのでは。
名雲さんが、意を決した様な表情を浮かべた。
「秋野さん。僕、貴女のことが」
「ひえっ」
名雲さんはいきなり片膝を荷台に乗せたかと思うと、私を荷台の床に押し倒す。ゴン、と半纏が入っているであろうダンボールの角に頭をぶつけ、結構な痛みに暫し言葉を失った。その間に名雲さんは私の上に跨ると、荒い息と共に私の頬に顔を押し付ける。
ざらりとした感触に、背筋がゾクリとした。恐怖で、身体が硬直していく。
「や、やめて下さい……っ」
何とか言葉を絞り出したけど、興奮気味の名雲さんの耳には届いていない様だ。両手が徐々に私の身体に伸びてくると、大してない胸の上に乗せられた。怖い。気持ち悪くて、怖かった。
「いや……っ!」
押し返そうにも、腕が身体の間に挟まれて引っこ抜けない。力では、どう考えたって敵わない。こういうのを万事休すと言うのか。
「秋野さ……美空ちゃん、君のことは僕が守ってあげるから、貢がせる様な男はやめよう?」
「やめて下さい……貢いでなんかないですから!」
必死で抵抗するも、名雲さんの手は止まらない。首に掛かる熱い息が不快過ぎて、涙が滲み始めた。いい人だと思っていたのに、どうしてこんなことになっているのか。混乱の中、何が名雲さんをこんなアウトローな行動に移させてしまったのかを必死で考えていると、それは聞く前に本人の口から飛び出してきた。
「ずっと優しく見守っていたのに、急に男物を買い始めるからさ。俺、心配したんだよ」
「は?」
見守っていたとはどういうことか。
「暫くは、見ているだけで良かったんだ。美空ちゃんが、俺のことを信用してくれる様になるまで、じっくり待つつもりだったのに」
「あ、あの……?」
この人は一体何を言ってるのか。恐怖で閉じていた瞼を開けると、感情が読みとれない眼差しで名雲さんが私を見下ろしている。
「前までは毎朝お散歩してたのに、最近はしてないよね。縁側でお昼寝してる姿も可愛いのに、寒くなったら出てこなくなっちゃって残念に思っていたんだ」
「は? え?」
名雲さんの片方の手が、半纏の中に入り込んできた。ごそごそと腹の辺りを弄っていると思ったら、服の上下の隙間を探している様だ。
これはまずい。非常にまずい。セーターの下に着ているシャツをルームパンツにインした上に、中には更に長袖の肌着を重ねてルームパンツの下に履いているタイツの中にこれまたインしている隙間を探し当てるのは至難の技だろうけど、それも時間の問題だ。どうしよう、これは巷で聞く貞操の危機というやつじゃなかろうか。
「ここに来るルートはね、俺が独占してるんだ。だって他の奴らには君の可愛い姿を見せたくないからね」
どうしよう、どうも先程から名雲さんの言動が明らかにおかしい。道中、変なものでも食べたのかもしれない。名雲さんが、私の頬に乾燥した唇をくっつけながらにやりと笑った。
「実のところ、君を眺めてるのも好きだったけど、ちっとも気付いてくれないからそろそろ寂しくなってたんだ」
確かに全く気付いていなかった。朝の散策を見られていた上に、縁側でゴロゴロしていたところまでも見られていたなんて、一体誰が思うか。
「それなのに、男物の服を俺から受け取って、君はなんて意地悪なんだ。それとも、俺を嫉妬させてみたかったの?」
いや、意地悪と言われても。名雲さんが、ようやくシャツとタイツの境目に気が付いたらしい。これはなんだろうと思っているのか、タイツの上をゴソゴソとやっている。まさかこんなに厳重に衣服を重ね着しているとは、思ってもみなかったのだろう。古民家の寒さを侮ってもらっては困る。
「美空ちゃんなら、きっと俺を受け入れてくれるよね。君は優しくて大人しくて可憐な人だから、今の俺だけを見て受け入れてくれるよね?」
意味が分からない。でもとりあえず、名雲さんは私に何らかの幻想を抱いていることは分かってきた。
「皆して、ああしろこうしろって指図してさ。でも、美空ちゃんはそんなこときっとしない筈だ。君は純粋で優しい人だから」
どうやら、思い込みで一人の世界に入り込んでしまったらしい。名雲さんは、私を菩薩か何かと勘違いしているんじゃなかろうか。
「や、優しくなんてない……!」
「そんなことない、君は誰よりも優しくて、俺の駄目なところも全部許してくれる筈なんだ」
「そ、そんなこと……」
さて、どうすべきか。話が一切通じない。頭ではあれこれ考えられるのに、身体が硬直して動かない。そこでようやく思い出す。家にはゴラくんがいることに。前までは叫ぼうがわめこうが近くには誰もいなかったから、つい誰もいないと咄嗟に思い込んでいた。慣れというものは恐ろしい。
でも今は、聞こえる距離に彼がいる。ゴラくんがこの状況を見てお友達と遊んでいると思う可能性もなきにしもあらずだけど、助けてと言えば分かってくれるかもしれない。
「……たっ」
押されて苦しい肺に目一杯空気を吸い込み、力の限り叫んだ。
「助けて! 助けてえ!」
「美空ちゃん、誰もいないのに。そういうところ、可愛いよね」
そういうところがどういうところかも分からなかったけど、とにかく叫び続けることにした。
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