マンドラゴラの王様

ミドリ

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第三章 根子神様

29 ゴラくん、寂しくて泣く

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 ――運命が定めた番。それを聞いた瞬間、ああ、私ではないと即座に思った。

 何故ここまで詳しく伝承を知っているのかと山崎さんに尋ねたところ、その村長が山崎さんのご先祖様にあたるのだという。残念ながら、その根子神様の子孫は誰なのか、今もまだ血は受け継がれているかも分からなくなってしまった。だけど、山崎家先祖代々伝わる文献には、彼らはこの地からは離れないだろうと記してあったそうだ。

 だから私は思った。私はきっと、再び降臨したゴラくんという根子神様を運命の番に導く役割を担ったのだと。そう考えれば、私がこの土地に戻って来なければならないという焦燥感に追われていたことにも理由がつく。私はもしかして、根子神様の子孫なんじゃないか。母はこの土地から出ることに抵抗がない様だから、母の血ではないだろうと推測できる。とすると、父が根子神様の子孫だったんじゃ。

 そうなると、父が火葬を望まず、先祖が眠る秋野家の墓に身体を持ったまま眠ったことにも納得だ。父がこの伝承を知っていたのかは、今となっては分からない。でも、この土地で根子神様が現れるのを待たなければならないという気持ちを、ずっと抱えていたのではないか。

 残念ながら、父の代で根子神様が現れることはなかったけど、父の身体に眠っていた根子神様の血、それがゴラくん誕生の最後のひと推しになったのかもしれない。

 ゴラくんの中には、大好きだった穏やかな父の血が受け継がれているとしたら、私が感じる安堵についても納得だ。そして、この摩訶不思議な通常では容易に信じ難いことも、ゴラくんという存在の成長を目の当たりにしてきたからこそ、すんなりと理解出来た。つまり、伝承は正しかったのだ。

「――美空?」
「はっ」

 またもや、長いこと思考の中に閉じこもっていたらしい。ゴラくんが、廊下で寒そうに震えている。

「美空、美空あ……」

 ポロポロと、ゴラくんの紫眼から涙が溢れてしまった。伝承を頭の中でおさらいしている間に、ゴラくんはすっかり嫌われたと思って悲しくなってしまった様だ。

「わ……ご、ごめん! 泣かせるつもりじゃなかったの!」
「美空、美空、嫌わないでえ……っ」

 ああ、純粋なゴラくんを泣かせてしまった。先程までは頑なに部屋に入れるまいと思っていたのにも関わらず、これ以上震えるゴラくんを見ていることは出来ない。結局は障子を開けるとゴラくんを招き入れ、その肩に毛布を掛けてやった。すぐに障子を閉めたけど、部屋の気温は大分下がってしまっている。

「美空、美空……っ」

 ぴいぴいと泣く様は、餌を欲しがって泣く雛鳥にしか思えない。やめておけばいいのに、口が勝手に言葉を紡ぐ。

「……さっき山崎さんに聞いた様なことは、しないよ?」
「うん、しない、しないから……!」
「じゃあ、仕方ないからお布団に入れてあげるよ」

 苦笑いを浮かべながらゴラくんにそう伝えた瞬間、ゴラくんが毛布ごと私に飛びついてきた。

「美空! 大好き!」
「全く、淋しがりだね、ゴラくんは」

 ゴラくんの冷えてしまった身体に、腕を回す。偉そうなことを言って、必死で気持ちを誤魔化した。

 私をヒョイと横抱きにすると、ゴラくんは部屋の電気を消してそのままいそいそと布団をめくり横になる。仰向けになった彼の上に私を設置すると、そのまま手足を絡めてしまった。これは一体どういうことか。

「あの……ゴラくん、寝にくいんだけど……」
「お布団狭いから、僕がお布団になる」

 どうやらゴラくんは、自分の身体が大きい所為で布団に入れてもらえないと勘違いしてしまったらしい。その可愛らしい勘違いにもう何と反応していいか分からず、私はぽてんと頭をゴラくんの胸に置くと、無言のまま目を瞑った。



 翌朝、雨戸を開けると、外には一面の銀世界が広がっていた。山の木々に降り積もった雪に日光が反射し、目がくらむ。

 こんな雪では暫く町に出られないのではと心配したけど、今日は気温が上がるらしく、すぐに溶けるだろうと山崎さんが教えてくれた。そうでないと色々と困ってしまう私は、その言葉に安堵する。次に町に行く時は、ゴラくんを引き連れて荷物持ちになってもらう必要があった。保存食を出来る限り買い込んでおかないと、冬は雪で閉ざされることもあるからだ。

 幸い天然の冷蔵庫があるので、発泡スチロールに詰めて家の裏手に置いておけば、かなりの期間日持ちする。ゴラくんに、町というものは何かの説明をそろそろ始めなければならないと思っていた。もうそろそろ、潮時だった。

 山崎さんは、家の裏手に置いてあった、処分に困っていた不燃ゴミと粗大ゴミを山崎さんの四駆に積めるだけ積み上げると、華麗なハンドルさばきで母を乗せて颯爽と町へと戻って行った。

 山崎さんによると、時折戸籍がない人間はいるそうだ。そういう人の為に、役所では救済措置が用意されているらしい。

「今回は事情が事情だからね、多少強引になってしまうけど」

 次に来る時までには、ゴラくんにも戸籍が出来ているだろうと言った山崎さんは、「本当にこの名前でいいんだね?」と繰り返し確認していた。これまでマンドラゴラから取って「ゴラくん」と呼んでいたけど、さすがにその名前はないだろうと母に真っ向から否定されてしまったのだ。そうなると、別の名前を考える必要が出てくる。

 三人で額を寄せ合い考えに考えた結果、名字は村長の先祖だからどこかで血は繋がっているだろうという尤もらしく且つ適当な理由で「山崎」にすることにした。名前は、ゴラくんの呼び名がもうすっかり定着してしまったこともあり、似た感じの「吾郎」にする。

 山崎吾郎。この外見で、山崎吾郎。母はそのあまりのギャップに暫く床で笑い転げ、山崎さんはそんな母を見てにこにこしていた。尚、当の本人はあまり名前に拘りはないらしく、美空が付けてくれた名前なら何でも好きと言い切った。

 母が私の脇腹を肘でツンツンしてきたけど、勘弁して欲しい。昨日は、そういう関係ではないと話す余裕がなかった。次回戸籍が出来たお祝いにまた二人で遊びに来るそうなので、その際には私が昨夜悟った内容を、母と山崎さんにも伝えようと思う。

 山崎さんは、一見小さくて髪の毛もないので、道端にひっそりと立っているお地蔵様に似ていると思っていたけど、全く違った。これまでは深く会話することも殆どなかったので仕方がないのかもしれないけど、行動力も決断力もあるとても芯の強い人だった。母が再婚相手にこの人を選んだのも、何となく理解出来る。

 あっちへフラフラこっちへフラフラと楽しい方へつい行きがちな母の首根っこを緩く掴んで舵取りが出来る人は、そうはいないのだ。父は穏やかな人ではあったけど、絶対これは譲れないというものに関しては、相当な頑固さを見せていた。ただ優しいだけの人ではなかったなと、私は父をそう評価している。

「ゴラ……吾郎くん、お掃除しようか」
「うん」

 見送りが終わり家の中に戻れば、大掃除の続きが待っている。次までに裏手に積み上げておけば、またゴミを持って帰ってくれると山崎さんが言ってくれたので、遠慮なく不要な物を廃棄に回すことにしたのだ。ゴラくん、もとい吾郎くんは、昨夜は私との初喧嘩の後、私の布団代わりになるという技を繰り出しすっかり和解したと思っている様で、今朝の機嫌はすこぶるいい。

 まあ、ゴラくん、いやいや吾郎くんがご機嫌斜めになったところはほぼ見たことがないけど。

「美空、好き」
「あ、あはは……」

 そして、先程からやたらと好きを連発されている。これはどうも母が何かを吾郎くんに吹き込んだのではないか、と私は睨んでいた。そう考えないと、今日の吾郎くんの態度はおかし過ぎた。一体何を吹き込まれたのか気になるけど、吹き込まれた理由が分かってしまってもそれはそれで困ったことになりそうだ。ということで、私は極力受け流す方向でやっていくことにした。

 のらりくらりと吾郎くんの過剰にも思える好意のアピールを躱していけば、次回母達が訪れた際にきっぱりとそういうことはあり得ないと、理由と共に伝えることが出来るだろう。その内、吾郎くん自身も世の中には私以外の女性が沢山いて、私の様な覇気のない消極的な人間じゃなくて、その中にこそ運命の番がいると気付く日が来るに違いない。

 幸いにして、昨日山崎さんが手取り足取りで私が持て余していた男性の性に関するあれこれを教えてくれたし、恋愛とは何かという概念についても、私がお風呂に入っている間に説明してくれたらしい。多分理解してると思うよと言われたので、そうだと信じたかった。

「吾郎くん、じゃあ今日も片付けを頑張ろうね!」
「うん、美空好き!」
「あは、あはは……」

 一体何を吹き込んだんだ。母のほくそ笑む顔が脳裏に浮かび、私は深く長い息を吐いた。
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