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第二章 二人目の居候
10.何がどうしてこうなった
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亮太は、目の前にシャキッと立つ犬を見た。汚れていて、何犬なのかは分からないが、スッとして形のいい犬だ。洗えば更に凛として見えるに違いなかった。
とりあえず、この喋る犬をこのままここに放っていく訳にもいくまい。
後ろで視線を逸らして突っ立っているアキラは助けになりそうにもなかったので、傘を預けることにした。
「持っててくれ」
「……ん」
アキラは素直にビニール傘を二本共受け取った。
何だかよく分からないしドッキリでも仕掛けられている気分しかないが、とりあえず亮太は考えるのは後にすることにして、犬に向き直り両手を出した。
「ほれ、こい」
すると犬は素直に亮太に抱かれた。亮太は膝をきちんと曲げて立ち上がる。腰にでもきたら生活に支障をきたす。幸いぎっくり腰はこの年までやったことはないが、周りからちょいちょいヘルニアだぎっくりだ、と聞くので、コツは膝をきちんと曲げることだとも知っていた。
ぐん、と力を入れて立ち上がる。案外重い。
犬の脇に片腕を入れて、もう片方の腕でお尻を支える。喋る犬のお尻を触って文句を言われないか少しだけ不安になったが、犬は何も言わなかった。
亮太の服は、Tシャツもジーンズも犬に付着していた泥と雨であっという間に汚れてしまった。正直嫌だったが、だからといって怪我をしている犬を歩かせて平然な顔が出来る程、亮太は冷酷な人間にはなれない。
どんなに虚勢を張っていても、所詮は小心者。
自分で勝手にそう考えて、ズン、と凹んだ。
「アキラ、一回家に戻るぞ」
「……ん」
アキラは静かに亮太の後ろをついてくる。チラ、チラ、と視線を感じるが、まあとりあえず話は家に入ってからだ。
亮太は犬を抱えたまま次の角を右に曲がり、茶沢通りに出る。左右を見て車が来ていないことを確認すると、駆け足で道路を横断した。アキラもすぐ後ろをついてきている。坂道を登り、ボロアパートへと向かう。
少し息が切れてきた。原因はこの犬だ。まだ歳のせいとは思いたくなかった。きっと、まだ疲れも残っているに違いない。
「アキラ、俺のケツポケに入ってる鍵を出してくれ」
あ、合鍵作るのをまた忘れた。仕事前に作らないと、いざという時にアキラが外に出れなくなる。ああ、アキラは携帯も持ってない。勿論、家電など引いていない。
まだまだ、足りない物は多そうだった。
アキラがポケットから取り出した鍵で玄関のドアを開ける。
たたきで無理矢理靴を脱いだ。踵を踏んでしまったが、まあ今回は仕方がない。
風呂場は黴びるので、基本ドアは開けて換気をしてある。亮太は犬を抱いたまま風呂場に直行した。空っぽの風呂釜の中に犬を降ろすと、給湯器に火を点し、犬に当たらない様シャワーの水を出し始める。
お湯になるまで時間がかかる。亮太はしばらくの間待ちつつ、風呂釜の中でじっと待つ犬に声をかけた。
「洗うぞ、文句言うなよ」
「……分かりました」
犬が返事をした。やはりこいつ、普通に喋っている。
段々とシャワーの水がお湯になってきた。犬の足元からゆっくりとシャワーをかけ、こびりついた泥を少しずつ落としていく。
「痛かったら言えよ」
「はい」
しかし随分とお上品な口を聞く犬だ。まあ他の犬が喋ったことなど聞いたこともないので、比較のしようがないが。
犬に人間のシャンプーを使うのも気が引けたので、みかんの赤い網の袋に入れた固形石鹸を手で泡立てて、それをしっかりと毛の奥まで吸い込ませて洗い始めた。泡がどんどん灰色に染まっていく。この泥を落とし切るには、根気がいりそうだった。
ごしごしと指の腹で洗っていく。亮太もこんな風に頭を洗ってもらいてえなあ、と思う。絶対に気持ちいい。やってやるから亮太にもやってもらいたい。
結婚はもうほぼ諦めている。ならばせめて一緒にいてくれる相手だけでもそろそろ本腰を入れて探さないとな、と考え、いやアキラが同居して犬まで来た今の状況では無理だろう、と更に凹んだ。いやそもそもここのところしばらくそんな相手もいなかった、アキラを理由にするのはアキラとて心外だろう。
そんなことをつらつらと考えながらも手は動いていく。もう大丈夫だろう、そう思ってゆっくりとシャワーで毛の奥までお湯を含ませ石鹸を洗い流していく。よし、完了。
犬が、身体をブルブルと震わせて、水を払った。後ろを向くと、アキラがバスタオルを持って立っていた。亮太は無言でそれを受け取ると、犬を拭き始めた。あっという間にバスタオルが水を吸ってずっしりと重くなったので、絞ってまた拭くを繰り返す。しばらくしてほぼ水分が取れてきたので、犬を風呂釜から出した。今度はドライヤーのスイッチをオンにした。
朝から掃除洗濯をしてからのこれ。まだ仕事前だというのにぐったりと疲れてきた。
「ああ、合鍵……。あ、晩飯の用意も……やべえ終わんねえ……」
時刻を見ると、もう二時。あと三時間もしたら出勤である。
合鍵の作成をタケルに頼むか? いや、あいつはどうもイマイチ信用出来なくなってきた。ああ、でも犬がいることも言っておかないと大家にちくる可能性は捨てがたい。
気持ちばかりが焦る。圧倒的に人手が足りなかった。
そういえば、犬って何を食うんだろう。
「お前、何食うんだ?」
亮太は犬に尋ねた。
「普通の人間の食事と一緒で大丈夫ですよ。見ての通り普通の犬とは違いますから」
「そりゃ助かる」
ちなみに、亮太は喋る犬の存在を受け入れているのかというと、どちらかと言えば問題を先延ばしにしている方が感覚としては近かった。
よし、もう今夜は米だけ炊いて、後はお惣菜にしよう。合鍵を作ってもらっている間に、惣菜購入。アキラと犬については、話は後回し。
でないと仕事に間に合わない。
「アキラ! 俺とりあえず合鍵作って惣菜買ってくるから、留守番しててくれ。犬と二人きりにして大丈夫だよな?」
「ん、問題ない」
亮太は粗方乾いた犬の尻を軽く押して部屋に「ほれ行け」と言った後、念の為聞いた。
「おい、犬!」
「狗神です」
ちゃんと名前があるらしい。立派な名前だが、まあ喋れる犬だ、それ位は当然なのかもしれなかった。
「じゃあイヌガミ。トイレはいつもどうしてるんだ?」
「人間用で」
「そりゃよかった」
室内でビシャビシャやって匂いでも付いたら大事だ。
それだけ確認すると、涼太はほんのり湿ったコンバースをきちっと履いて、「いってくるぞ」と言い捨てて家を出て行った。
バタン、とドアが噛み合わせの悪い音を立てた。ガチャ、と外から鍵を掛ける音がする。
パタパタ、と走っていく足音が遠のき聞こえなくなった辺りで、アキラはテーブルに肘をついて不機嫌そうに狗神と名乗った犬を睨みつけた。
「アキラ様、どうかしましたか」
てとてと、とアキラの横まで来るとお座りをする狗神。
アキラははあー、と大袈裟な溜息をついてみせた。
「どうかしたの、じゃないでしょ」
「何がですか。私をこんな遠くまで呼んだのはアキラ様、貴女でしょう」
「それは悪いと思ってるけど。にしても早かったね」
「はい。走り続けましたから。お陰でこの足です」
狗神はそう言うと血が固まっている前脚を見せた。嫌味たらしく続ける。
「なんせどういう状況か分かりませんでしたので。まさかこんな呑気に過ごされているとは思いませんでしたよ」
「呑気とは失礼ね」
「あの人間はどういった者なんです? まあ随分とお人好しの世話焼きの様ですが」
「それ、多分亮太は気にするから言っちゃ駄目だよ」
「つまりお人好しで世話好きなんですね」
「否定はしない」
亮太が聞いたら凹んでしばらく自分の殻に篭りそうなことを、アキラと狗神で言い合う。
「にしても、喋っちゃ駄目でしょ」
「駄目でしたか?」
「普通、犬って喋るっけ」
「喋りませんね」
「亮太はただの人間だよ」
「でも後ろの方が大きくオッケー! てしてましたよ」
「後ろの方……あの明るそうなお婆さんね」
「随分お茶目な方ですよね。まあ、だから彼はあんな感じなんでしょうが」
「あんな感じ……一応恩人だからね」
「分かってますよ」
二人はしばし黙り込んだ。狗神がアキラの首にある絆創膏に気が付いた。
「アキラ様、それは?」
「……あいつにやられた」
あいつ、と聞いた途端、狗神の雰囲気が怒りを帯びたものとなった。
とりあえず、この喋る犬をこのままここに放っていく訳にもいくまい。
後ろで視線を逸らして突っ立っているアキラは助けになりそうにもなかったので、傘を預けることにした。
「持っててくれ」
「……ん」
アキラは素直にビニール傘を二本共受け取った。
何だかよく分からないしドッキリでも仕掛けられている気分しかないが、とりあえず亮太は考えるのは後にすることにして、犬に向き直り両手を出した。
「ほれ、こい」
すると犬は素直に亮太に抱かれた。亮太は膝をきちんと曲げて立ち上がる。腰にでもきたら生活に支障をきたす。幸いぎっくり腰はこの年までやったことはないが、周りからちょいちょいヘルニアだぎっくりだ、と聞くので、コツは膝をきちんと曲げることだとも知っていた。
ぐん、と力を入れて立ち上がる。案外重い。
犬の脇に片腕を入れて、もう片方の腕でお尻を支える。喋る犬のお尻を触って文句を言われないか少しだけ不安になったが、犬は何も言わなかった。
亮太の服は、Tシャツもジーンズも犬に付着していた泥と雨であっという間に汚れてしまった。正直嫌だったが、だからといって怪我をしている犬を歩かせて平然な顔が出来る程、亮太は冷酷な人間にはなれない。
どんなに虚勢を張っていても、所詮は小心者。
自分で勝手にそう考えて、ズン、と凹んだ。
「アキラ、一回家に戻るぞ」
「……ん」
アキラは静かに亮太の後ろをついてくる。チラ、チラ、と視線を感じるが、まあとりあえず話は家に入ってからだ。
亮太は犬を抱えたまま次の角を右に曲がり、茶沢通りに出る。左右を見て車が来ていないことを確認すると、駆け足で道路を横断した。アキラもすぐ後ろをついてきている。坂道を登り、ボロアパートへと向かう。
少し息が切れてきた。原因はこの犬だ。まだ歳のせいとは思いたくなかった。きっと、まだ疲れも残っているに違いない。
「アキラ、俺のケツポケに入ってる鍵を出してくれ」
あ、合鍵作るのをまた忘れた。仕事前に作らないと、いざという時にアキラが外に出れなくなる。ああ、アキラは携帯も持ってない。勿論、家電など引いていない。
まだまだ、足りない物は多そうだった。
アキラがポケットから取り出した鍵で玄関のドアを開ける。
たたきで無理矢理靴を脱いだ。踵を踏んでしまったが、まあ今回は仕方がない。
風呂場は黴びるので、基本ドアは開けて換気をしてある。亮太は犬を抱いたまま風呂場に直行した。空っぽの風呂釜の中に犬を降ろすと、給湯器に火を点し、犬に当たらない様シャワーの水を出し始める。
お湯になるまで時間がかかる。亮太はしばらくの間待ちつつ、風呂釜の中でじっと待つ犬に声をかけた。
「洗うぞ、文句言うなよ」
「……分かりました」
犬が返事をした。やはりこいつ、普通に喋っている。
段々とシャワーの水がお湯になってきた。犬の足元からゆっくりとシャワーをかけ、こびりついた泥を少しずつ落としていく。
「痛かったら言えよ」
「はい」
しかし随分とお上品な口を聞く犬だ。まあ他の犬が喋ったことなど聞いたこともないので、比較のしようがないが。
犬に人間のシャンプーを使うのも気が引けたので、みかんの赤い網の袋に入れた固形石鹸を手で泡立てて、それをしっかりと毛の奥まで吸い込ませて洗い始めた。泡がどんどん灰色に染まっていく。この泥を落とし切るには、根気がいりそうだった。
ごしごしと指の腹で洗っていく。亮太もこんな風に頭を洗ってもらいてえなあ、と思う。絶対に気持ちいい。やってやるから亮太にもやってもらいたい。
結婚はもうほぼ諦めている。ならばせめて一緒にいてくれる相手だけでもそろそろ本腰を入れて探さないとな、と考え、いやアキラが同居して犬まで来た今の状況では無理だろう、と更に凹んだ。いやそもそもここのところしばらくそんな相手もいなかった、アキラを理由にするのはアキラとて心外だろう。
そんなことをつらつらと考えながらも手は動いていく。もう大丈夫だろう、そう思ってゆっくりとシャワーで毛の奥までお湯を含ませ石鹸を洗い流していく。よし、完了。
犬が、身体をブルブルと震わせて、水を払った。後ろを向くと、アキラがバスタオルを持って立っていた。亮太は無言でそれを受け取ると、犬を拭き始めた。あっという間にバスタオルが水を吸ってずっしりと重くなったので、絞ってまた拭くを繰り返す。しばらくしてほぼ水分が取れてきたので、犬を風呂釜から出した。今度はドライヤーのスイッチをオンにした。
朝から掃除洗濯をしてからのこれ。まだ仕事前だというのにぐったりと疲れてきた。
「ああ、合鍵……。あ、晩飯の用意も……やべえ終わんねえ……」
時刻を見ると、もう二時。あと三時間もしたら出勤である。
合鍵の作成をタケルに頼むか? いや、あいつはどうもイマイチ信用出来なくなってきた。ああ、でも犬がいることも言っておかないと大家にちくる可能性は捨てがたい。
気持ちばかりが焦る。圧倒的に人手が足りなかった。
そういえば、犬って何を食うんだろう。
「お前、何食うんだ?」
亮太は犬に尋ねた。
「普通の人間の食事と一緒で大丈夫ですよ。見ての通り普通の犬とは違いますから」
「そりゃ助かる」
ちなみに、亮太は喋る犬の存在を受け入れているのかというと、どちらかと言えば問題を先延ばしにしている方が感覚としては近かった。
よし、もう今夜は米だけ炊いて、後はお惣菜にしよう。合鍵を作ってもらっている間に、惣菜購入。アキラと犬については、話は後回し。
でないと仕事に間に合わない。
「アキラ! 俺とりあえず合鍵作って惣菜買ってくるから、留守番しててくれ。犬と二人きりにして大丈夫だよな?」
「ん、問題ない」
亮太は粗方乾いた犬の尻を軽く押して部屋に「ほれ行け」と言った後、念の為聞いた。
「おい、犬!」
「狗神です」
ちゃんと名前があるらしい。立派な名前だが、まあ喋れる犬だ、それ位は当然なのかもしれなかった。
「じゃあイヌガミ。トイレはいつもどうしてるんだ?」
「人間用で」
「そりゃよかった」
室内でビシャビシャやって匂いでも付いたら大事だ。
それだけ確認すると、涼太はほんのり湿ったコンバースをきちっと履いて、「いってくるぞ」と言い捨てて家を出て行った。
バタン、とドアが噛み合わせの悪い音を立てた。ガチャ、と外から鍵を掛ける音がする。
パタパタ、と走っていく足音が遠のき聞こえなくなった辺りで、アキラはテーブルに肘をついて不機嫌そうに狗神と名乗った犬を睨みつけた。
「アキラ様、どうかしましたか」
てとてと、とアキラの横まで来るとお座りをする狗神。
アキラははあー、と大袈裟な溜息をついてみせた。
「どうかしたの、じゃないでしょ」
「何がですか。私をこんな遠くまで呼んだのはアキラ様、貴女でしょう」
「それは悪いと思ってるけど。にしても早かったね」
「はい。走り続けましたから。お陰でこの足です」
狗神はそう言うと血が固まっている前脚を見せた。嫌味たらしく続ける。
「なんせどういう状況か分かりませんでしたので。まさかこんな呑気に過ごされているとは思いませんでしたよ」
「呑気とは失礼ね」
「あの人間はどういった者なんです? まあ随分とお人好しの世話焼きの様ですが」
「それ、多分亮太は気にするから言っちゃ駄目だよ」
「つまりお人好しで世話好きなんですね」
「否定はしない」
亮太が聞いたら凹んでしばらく自分の殻に篭りそうなことを、アキラと狗神で言い合う。
「にしても、喋っちゃ駄目でしょ」
「駄目でしたか?」
「普通、犬って喋るっけ」
「喋りませんね」
「亮太はただの人間だよ」
「でも後ろの方が大きくオッケー! てしてましたよ」
「後ろの方……あの明るそうなお婆さんね」
「随分お茶目な方ですよね。まあ、だから彼はあんな感じなんでしょうが」
「あんな感じ……一応恩人だからね」
「分かってますよ」
二人はしばし黙り込んだ。狗神がアキラの首にある絆創膏に気が付いた。
「アキラ様、それは?」
「……あいつにやられた」
あいつ、と聞いた途端、狗神の雰囲気が怒りを帯びたものとなった。
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