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41 キラ・メイテール
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サイファが、祈りを捧ぐかの如く、切なそうな声を絞り出しながらマーリカに語りかける。
「マーリカ、頼む……! 今はまだ俺のことが好きではなくとも、必ずや大切にして貴女をどんな困難からも守り抜くと誓うから、だから……っ」
お願いだ。俺を信じて、共に来てほしい。
繰り返し、苦しそうに請われた。サイファの身体はマーリカよりもはるかに大きく立派だというのに、マーリカは自分が縋られている錯覚に陥る。それほどに今のサイファは、不安を隠さず、まるで小さな子どもの様に怯えている風に見えた。
そして、気付く。
あのサイファが、何でも出来て何も怖くないといった雰囲気を常に纏っているサイファが、マーリカひとりを失うのが怖くて小刻みに震えていると。自分の何が彼にそこまで想わせたのか、マーリカには皆目検討もつかない。マーリカだって、何故キラを好きになったのかと言われても、何となくとしか答えられはしない。ただ好きなのだ。疑いようもなく、心から。
人を好きになるのに、理由などいらない。その存在をどうしても手に入れたいと願ってしまう。理性など関係ないその感情こそが恋なのだと、マーリカはようやく知った。
だから分かった。サイファが本気だということは。どうして彼がムーンシュタイナー領にやってくることになったのかは不明だが、サイファがここにいることでマーリカを守っている、と言っていた。おそらくはあの日、船の上で抱き寄せられたあの時に、マーリカの何かが彼の琴線に触れたのだろう。
だが、マーリカの心は悲しいほどに揺り動かされなかった。
「マーリカ、愛してるんだ」
大きな腕に包まれたまま、潤んだ瞳で繰り返し愛を告げられる。サイファが自分のことを恋愛的な意味で好きだったとは青天の霹靂だったが、好意を抱かれていたことに対しては純粋に嬉しいと思った。サイファのことは頼り甲斐のある兄の様に慕っていたから、もしマーリカがキラへの恋心に気付く前だったら、サイファの包容力に身を任せていたかもしれない。
でも、マーリカはもう自覚してしまった。キラは、好いてもいない女性に軽々しくキスをする様な人間ではないと信じている。三年間傍でキラを見てきたマーリカにとって、キラの人間性は疑いようがなかった。だからきっと、――キラもマーリカのことを憎からず思ってくれているのだと、思う。キラとの将来は困難だらけで先は全く見えないが、それでも互いを思う気持ちがある限り、一緒に道を切り拓いていきたいと願う。
だから、サイファの好意には応えられない。サイファが真摯に向き合って思いをぶつけてくれているのに、マーリカがそれを蔑ろにしていい筈もないからだ。たとえキラとの道が険しく、最悪叶わないものだと判明したとしても、今それを諦めてサイファとの未来を安易に選択したくはない。
だけど、そのこと以上に引っかかったのは、サイファの「守り抜く」という言葉だった。
確かにマーリカは女性で、この国の中での立場は弱い。貴族でないキラと、どこまでこの領地を守っていけるのかは未知数だ。
――だけど、決してただ守られているだけの存在に甘んじたくはない。
マーリカはぐっと唇を噛むと、明確な意思を以てサイファを見上げた。
「サイファ、私は貴方とは行かないわ」
「――ッ」
きっぱりと言い切った瞬間、サイファの顔が悲しそうに歪んだ。もっと優しい言い方も出来ただろう。だが、自分に思いを残させる方が余程残酷だと思ったのだ。
「私はこの領地と共に生きていきたいの。お父様と、そして誰よりもキラと一緒に戦って守り抜きたいの」
「マーリカ……」
サイファの紫色の瞳から、褐色の頬に涙が伝った。
「そう……だな。それがマーリカだ。だから俺が惚れたのに、俺は分かっちゃいなかった」
どう返せばいいのか分からず黙って見上げていると、サイファはマーリカから腕を解き、手の甲でグシグシと涙を拭き取る。
「俺は隣で見守るなんてこと、きっと出来やしない。共に戦おうなんざ、怖くて出来ない」
だけど、アイツはそれが出来るんだな。ぽつりと呟くと、サイファは暫し俯いて無言になった。
マーリカは待った。本当は、今すぐキラとムーンシュタイナー卿の所に駆けていき、何が起きて何を求められているのか知りたい。だけど、ここでサイファときちんと向き合わなければ、後悔する気がしたのだ。
「……マーリカ」
「はい」
サイファが、ゆっくりと顔を上げる。
「俺は、それでもマーリカを守りたい。だから、信じてほしい。俺はマーリカの敵ではないと」
現在、国境のメイテール領を攻めているのはサイファの祖国だ。何故メイテール領を攻撃している魔物がゴルゴア王国の所為なのかは、さっぱり分からないが。
それこそ、これだけ近くで見てきたのだ。サイファの為人を。疑う必要など、どこにもない。
「ええ、信じるわ! サイファは私たちの味方よ。絶対にね!」
マーリカが笑顔で答えると、サイファの顔にもスッキリとした憂いのない笑みが浮かんだのだった。
◇
マーリカとサイファが急いで一階へと向かうと、食堂の手前に領民が固まって中を覗いているところだった。
「あっ! マーリカ様! あっちだよ!」
ショーンが食堂の方を指差したことで、キラたちがあの中にいることを知る。
「ありがとう!」
マーリカは領民の間を掻き分けて食堂に入ると、ユーリス、ムーンシュタイナー卿とキラがマーリカを振り返った。三人とも、真剣な表情だ。
「マーリカ殿。貴女に頼みがある」
ユーリスはツカツカとマーリカに近付いてくると、深々と頭を下げた。【マグナム】制作のことだろう、とマーリカは考える。だったらいくらでも協力すると即答するつもりだった。
だが、違った。
「キラを――我が弟を、メイテール領に共に連れて行かせていただきたい」
「え……」
弟とは、どういうことだろう。理解が追いついていないマーリカは、悲しそうにマーリカを見つめるキラを慌てて見たが、キラは小さく頷いただけだった。
「キラは……ユーリス様の弟、だったのですか?」
ユーリスは顔を上げると、辛そうな表情で肯定した。
「そうだ。元々キラは、寄宿学校に入学する為に王都にやってきた。キラの幼馴染みで俺の妻でもあるアリアも同時に入学したのだが、そこでアリアは女好きの公爵令息に狙われてしまった」
キラが何か言いかけたが、ユーリスはそれを手で制する。
「キラはアリアを守る為、公然と公爵と対立してしまってね。能力は十分すぎるほど高かったが、公爵家の手が回り、王都で職を得ることが出来なかった。それで卒業と同時にメイテール領に戻ってきたのだが、そこで公爵令息のお手つきで奴の種が腹に入った女を充てがわれそうになってね」
とんでもない話に、マーリカは何も言えずただ目をぱちくりとさせた。
「公爵家の圧が酷く、騎士団に既に所属していた俺の方にも嫌がらせがあったり、領の方にも外圧がかかってね。それでも、その女を娶ればキラに王都での道を用意しようと言われ、父はその話に乗ろうとした」
「そ、そんな……っ」
あまりにもあまりな話だ。その女性は了承の上だったのだろうか。否、断りたくとも断れなかったのだろう。それと同時に、子を思う父親の気持ちをうまく利用されてしまったのだ。
マーリカが蒼白になると、ユーリスは安心させる為か、笑みを浮かべた。
「だけど一番上の兄がね、父が動く前にキラを疫病神だと言って縁切りを宣言し、出奔させたんだよ。自由に生きろと言って」
だから、キラが爵位なしというのは正しい、とユーリスは淡々と語る。
何故キラが貴族しか持ち得ない様な知識や技能を身に着けていたのか。数年来の謎が、これで溶けた。そういうことだったのだ。
「キラはメイテール家とは縁を切った。だが、現在父が死の床に伏せており、魔物の猛攻の前に、このままでは長兄も失いかねない。メイテール家としては、それは絶対に避けねばならないんだ」
待て、それはどういう意味だ。マーリカの中で、静かな怒りが沸々とこみ上げてきた。
「メイテール家は、キラが魔物討伐隊の司令官を拝命することを条件に、貴族籍を復帰させることを約束した。そしてキラは、貴族籍復帰を望んだ」
何よりも、貴女との未来の為に。ユーリスは、そう言って締め括った。
マーリカは、愕然とする。
「キラ……? 待って、嘘でしょう……?」
厄災級の魔物が複数暴れているところに、キラが司令官として赴く。そんなもの、死ねと言っている様なものではないか。
「お嬢……必ずや、生きて戻るから」
ふわりとした笑顔で言われても、マーリカは納得出来る筈もなかった。
マーリカは、必死で考えた。今この場でただ頷き、キラを行かせてしまってはいけない。それだけは分かっていたから。
そして、見つけたのだ。
そう、何故そもそもサイファはこの領に来たのか。全てはそこから始まっていたのだ。
「――サイファ」
「なんでしょう、マーリカ様」
いつもの飄々とした雰囲気を取り戻したサイファが、領民の間からこちらに抜けてくる。
「……黒竜は、ゴルゴア王国が落としたものね?」
マーリカの問いに、サイファはゆっくりと頷いたのだった。
※キラ・メイテール=煌めいている
(すみません
「マーリカ、頼む……! 今はまだ俺のことが好きではなくとも、必ずや大切にして貴女をどんな困難からも守り抜くと誓うから、だから……っ」
お願いだ。俺を信じて、共に来てほしい。
繰り返し、苦しそうに請われた。サイファの身体はマーリカよりもはるかに大きく立派だというのに、マーリカは自分が縋られている錯覚に陥る。それほどに今のサイファは、不安を隠さず、まるで小さな子どもの様に怯えている風に見えた。
そして、気付く。
あのサイファが、何でも出来て何も怖くないといった雰囲気を常に纏っているサイファが、マーリカひとりを失うのが怖くて小刻みに震えていると。自分の何が彼にそこまで想わせたのか、マーリカには皆目検討もつかない。マーリカだって、何故キラを好きになったのかと言われても、何となくとしか答えられはしない。ただ好きなのだ。疑いようもなく、心から。
人を好きになるのに、理由などいらない。その存在をどうしても手に入れたいと願ってしまう。理性など関係ないその感情こそが恋なのだと、マーリカはようやく知った。
だから分かった。サイファが本気だということは。どうして彼がムーンシュタイナー領にやってくることになったのかは不明だが、サイファがここにいることでマーリカを守っている、と言っていた。おそらくはあの日、船の上で抱き寄せられたあの時に、マーリカの何かが彼の琴線に触れたのだろう。
だが、マーリカの心は悲しいほどに揺り動かされなかった。
「マーリカ、愛してるんだ」
大きな腕に包まれたまま、潤んだ瞳で繰り返し愛を告げられる。サイファが自分のことを恋愛的な意味で好きだったとは青天の霹靂だったが、好意を抱かれていたことに対しては純粋に嬉しいと思った。サイファのことは頼り甲斐のある兄の様に慕っていたから、もしマーリカがキラへの恋心に気付く前だったら、サイファの包容力に身を任せていたかもしれない。
でも、マーリカはもう自覚してしまった。キラは、好いてもいない女性に軽々しくキスをする様な人間ではないと信じている。三年間傍でキラを見てきたマーリカにとって、キラの人間性は疑いようがなかった。だからきっと、――キラもマーリカのことを憎からず思ってくれているのだと、思う。キラとの将来は困難だらけで先は全く見えないが、それでも互いを思う気持ちがある限り、一緒に道を切り拓いていきたいと願う。
だから、サイファの好意には応えられない。サイファが真摯に向き合って思いをぶつけてくれているのに、マーリカがそれを蔑ろにしていい筈もないからだ。たとえキラとの道が険しく、最悪叶わないものだと判明したとしても、今それを諦めてサイファとの未来を安易に選択したくはない。
だけど、そのこと以上に引っかかったのは、サイファの「守り抜く」という言葉だった。
確かにマーリカは女性で、この国の中での立場は弱い。貴族でないキラと、どこまでこの領地を守っていけるのかは未知数だ。
――だけど、決してただ守られているだけの存在に甘んじたくはない。
マーリカはぐっと唇を噛むと、明確な意思を以てサイファを見上げた。
「サイファ、私は貴方とは行かないわ」
「――ッ」
きっぱりと言い切った瞬間、サイファの顔が悲しそうに歪んだ。もっと優しい言い方も出来ただろう。だが、自分に思いを残させる方が余程残酷だと思ったのだ。
「私はこの領地と共に生きていきたいの。お父様と、そして誰よりもキラと一緒に戦って守り抜きたいの」
「マーリカ……」
サイファの紫色の瞳から、褐色の頬に涙が伝った。
「そう……だな。それがマーリカだ。だから俺が惚れたのに、俺は分かっちゃいなかった」
どう返せばいいのか分からず黙って見上げていると、サイファはマーリカから腕を解き、手の甲でグシグシと涙を拭き取る。
「俺は隣で見守るなんてこと、きっと出来やしない。共に戦おうなんざ、怖くて出来ない」
だけど、アイツはそれが出来るんだな。ぽつりと呟くと、サイファは暫し俯いて無言になった。
マーリカは待った。本当は、今すぐキラとムーンシュタイナー卿の所に駆けていき、何が起きて何を求められているのか知りたい。だけど、ここでサイファときちんと向き合わなければ、後悔する気がしたのだ。
「……マーリカ」
「はい」
サイファが、ゆっくりと顔を上げる。
「俺は、それでもマーリカを守りたい。だから、信じてほしい。俺はマーリカの敵ではないと」
現在、国境のメイテール領を攻めているのはサイファの祖国だ。何故メイテール領を攻撃している魔物がゴルゴア王国の所為なのかは、さっぱり分からないが。
それこそ、これだけ近くで見てきたのだ。サイファの為人を。疑う必要など、どこにもない。
「ええ、信じるわ! サイファは私たちの味方よ。絶対にね!」
マーリカが笑顔で答えると、サイファの顔にもスッキリとした憂いのない笑みが浮かんだのだった。
◇
マーリカとサイファが急いで一階へと向かうと、食堂の手前に領民が固まって中を覗いているところだった。
「あっ! マーリカ様! あっちだよ!」
ショーンが食堂の方を指差したことで、キラたちがあの中にいることを知る。
「ありがとう!」
マーリカは領民の間を掻き分けて食堂に入ると、ユーリス、ムーンシュタイナー卿とキラがマーリカを振り返った。三人とも、真剣な表情だ。
「マーリカ殿。貴女に頼みがある」
ユーリスはツカツカとマーリカに近付いてくると、深々と頭を下げた。【マグナム】制作のことだろう、とマーリカは考える。だったらいくらでも協力すると即答するつもりだった。
だが、違った。
「キラを――我が弟を、メイテール領に共に連れて行かせていただきたい」
「え……」
弟とは、どういうことだろう。理解が追いついていないマーリカは、悲しそうにマーリカを見つめるキラを慌てて見たが、キラは小さく頷いただけだった。
「キラは……ユーリス様の弟、だったのですか?」
ユーリスは顔を上げると、辛そうな表情で肯定した。
「そうだ。元々キラは、寄宿学校に入学する為に王都にやってきた。キラの幼馴染みで俺の妻でもあるアリアも同時に入学したのだが、そこでアリアは女好きの公爵令息に狙われてしまった」
キラが何か言いかけたが、ユーリスはそれを手で制する。
「キラはアリアを守る為、公然と公爵と対立してしまってね。能力は十分すぎるほど高かったが、公爵家の手が回り、王都で職を得ることが出来なかった。それで卒業と同時にメイテール領に戻ってきたのだが、そこで公爵令息のお手つきで奴の種が腹に入った女を充てがわれそうになってね」
とんでもない話に、マーリカは何も言えずただ目をぱちくりとさせた。
「公爵家の圧が酷く、騎士団に既に所属していた俺の方にも嫌がらせがあったり、領の方にも外圧がかかってね。それでも、その女を娶ればキラに王都での道を用意しようと言われ、父はその話に乗ろうとした」
「そ、そんな……っ」
あまりにもあまりな話だ。その女性は了承の上だったのだろうか。否、断りたくとも断れなかったのだろう。それと同時に、子を思う父親の気持ちをうまく利用されてしまったのだ。
マーリカが蒼白になると、ユーリスは安心させる為か、笑みを浮かべた。
「だけど一番上の兄がね、父が動く前にキラを疫病神だと言って縁切りを宣言し、出奔させたんだよ。自由に生きろと言って」
だから、キラが爵位なしというのは正しい、とユーリスは淡々と語る。
何故キラが貴族しか持ち得ない様な知識や技能を身に着けていたのか。数年来の謎が、これで溶けた。そういうことだったのだ。
「キラはメイテール家とは縁を切った。だが、現在父が死の床に伏せており、魔物の猛攻の前に、このままでは長兄も失いかねない。メイテール家としては、それは絶対に避けねばならないんだ」
待て、それはどういう意味だ。マーリカの中で、静かな怒りが沸々とこみ上げてきた。
「メイテール家は、キラが魔物討伐隊の司令官を拝命することを条件に、貴族籍を復帰させることを約束した。そしてキラは、貴族籍復帰を望んだ」
何よりも、貴女との未来の為に。ユーリスは、そう言って締め括った。
マーリカは、愕然とする。
「キラ……? 待って、嘘でしょう……?」
厄災級の魔物が複数暴れているところに、キラが司令官として赴く。そんなもの、死ねと言っている様なものではないか。
「お嬢……必ずや、生きて戻るから」
ふわりとした笑顔で言われても、マーリカは納得出来る筈もなかった。
マーリカは、必死で考えた。今この場でただ頷き、キラを行かせてしまってはいけない。それだけは分かっていたから。
そして、見つけたのだ。
そう、何故そもそもサイファはこの領に来たのか。全てはそこから始まっていたのだ。
「――サイファ」
「なんでしょう、マーリカ様」
いつもの飄々とした雰囲気を取り戻したサイファが、領民の間からこちらに抜けてくる。
「……黒竜は、ゴルゴア王国が落としたものね?」
マーリカの問いに、サイファはゆっくりと頷いたのだった。
※キラ・メイテール=煌めいている
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