生意気従者とマグナム令嬢

ミドリ

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40 サイファの正体

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 キラとのキスに息も絶え絶えになっていたマーリカが解放されたのは、マーリカの部屋の扉がドンドンと叩かれた時だった。

 顔を上げたキラが、甘い雰囲気を漂わせたまま、マーリカの唇を親指でそっと拭う。目だけで薄く笑うと、キラはすっくと立ち上がり、扉の前に向かった。

「――はい」

 小さめに扉を開けると、扉の先に立っていたのは何故か焦った様子のサイファだ。

 キラが何事か、と片目を細めると、サイファは唐突にキラに向けて怒鳴った。

「キラ! お前はすぐに一階の広間へ行け!」
「は? 落ち着けサイファ、何があった?」

 いきなり言われても、とキラが問い返す。キラが動かないのを見たサイファは、扉を引いて大きく開くと、キラの腕を掴んで部屋から引っ張り始めた。

「いいから! 俺はマーリカ様を連れて後からすぐに向かうから!」
「いや、ちょっと待て。そんなことを言われても」

 何としてでもサイファとマーリカを二人きりにしたくないのか、キラは抵抗を見せる。それにしても、サイファの様子は明らかにおかしかった。焦りというか戸惑いというか、常に落ち着き飄々としている様子からは一転、まるで何をしたらいいのか分からずに惑っているかの様だ。

「早く……っ早く、頼む……!」
「行くことは行くが、まずは理由を説明してくれ」
「早く! グズグズしている内にももっと……っ」
「はあ?」

 何故サイファは泣きそうな目でそんなことを頼むのか。サイファの様子が変なことに、当然キラも気付いているだろう。だからこそ余計に、マーリカとサイファを二人にしたくないのかもしれなかった。

「うーん」

 これは自分が部屋から出ないと、キラは梃子でも動かないだろう。そう見たマーリカは、火照った身体に鞭を打ち、必死で冷静さを装うとキラの元へと駆け寄る。

「サイファ、何があったのか説明してもらえるかしら?」

 マーリカの問いかけに、焦りを浮かべていたサイファがハッと息を呑んだ。驚いた様な表情でマーリカを見ている。もしかしたら、マーリカが声を掛けるまで、半分錯乱していたのかもしれない。

「あ……そうだ、そうだよな。……すまん」

 サイファは頭をガリガリと掻くと、扉を閉めて鍵を掛けるキラに向かい、ようやく説明を始める。

 その内容は、想像していなかったものだった。

「今、一階の広間にメイテール卿がいらしている。現在はムーンシュタイナー卿とゴーランとで応対中だ」
「は? 何故あの人がこんな時間に」

 キラは今日の日中、ユーリスと会っている。この時間に訪れたということは、キラたちが王都を後にして暫くの後、早馬にでも乗って追いかけてきたのだろう。だが一体、何の為に。

 嫌な予感がしたのか、キラが顔を歪めると、サイファがぼそりと「自領の有事だそうだ」と答えた。

「――は?」

 キラが目を瞠ると、辛そうな表情のサイファが、キラの背中を軽くポンと押す。

「……魔物が領内で暴れ回っているらしい。厄災級の奴らがボンボン現れているそうで、討伐の指揮を取っていた当主が怪我をした、と」

 本来全く関係のない筈のサイファは、何故か目線を合わせようとはせずに下ばかりを見ていた。

 メイテール領は、国境に面した国防の要である。そんな重要な場所に魔物が大量発生したとなれば、確かに物凄く大変なことが起きていると言える。だが、だからといって何故ユーリスは本来関わりのないムーンシュタイナー領にわざわざ駆け込んできたというのか。マーリカは考え、やがてひとつの答えに辿り着いた。

「あ! まさか【マグナム】を!?」

 マグナムが大蛇を一撃で倒せるのを知っているユーリスであれば、魔物が闊歩していると聞き【マグナム】を欲したとしてもおかしくはない。

「……ッ!」

 ギリ、と奥歯を噛み締めると、キラはサイファを睨みつけながら言った。

「分かった、先に向かっている。――絶対お嬢に何もするなよ、分かったな」
「こんな時に出来るかボケ」

 サイファがぼそりと返すと、キラは「今の言葉を忘れるなよ!」と捨て台詞を吐いた直後、いきなりの全速力で駆けて行く。

 揺れる銀髪を見送りながら、マーリカはぼんやりと立つサイファを見上げた。

 本当にどうしたのだろうか。いつもの快活な様子が全く見受けられない。情に厚いサイファのことだから、帆船の操縦を教わった騎士団に恩を感じ、突然沸き起こった有事を聞いて心を痛めているのかもしれなかった。

「サイファ? とにかく私たちも行きましょう」

 サイファに声を掛けると、サイファが今にも泣き出しそうな目でマーリカを見る。やはり心を痛めているのか。人を見捨てることが出来ない優しい人なのだな、とマーリカが納得していると。

「マーリカ……!」
「ひえっ!?」

 気付いた時には、マーリカはサイファの腕の中にすっぽりと収まっていた。太い腕が身体に巻き付き、後頭部を大きな手で押さえつけられてしまい、身動きすら取ることが出来ない。

「サ、サイファ!?」

 マーリカが目を白黒させていると、頭上からサイファの鼻声が降ってきた。

「信じてくれ……っ」
「え? な、何を!?」
「俺は知らなかったんだ、知っていたなら、そんな馬鹿なことはやめろと止めにいっていた……!」
「へ?」

 サイファは一体、何の話をしているのか。さっぱり分からなかったマーリカは、とりあえずこの拘束から逃れようと僅かな隙間の中で身を捩る。だけど、それは少し残されていた隙間を埋めただけだった。

 むぎゅ、と分厚い胸板に押し付けられたマーリカは、どうすべきかと考えた。

「サイファ、と、とりあえずサイファが何かしたなんてこれっぽっちも思っていないから、安心して?」

 そう伝えても、拘束は一向に緩まない。しかも、返事すらなくなってしまった。さてどうしよう。

「あのー……一階に向かいたいのだけど」

 するとマーリカの言葉をようやく聞き届けてくれたのか、サイファがゆっくりと顔を上げる。目尻には涙が滲んでおり、明らかに泣いていたと分かる顔をはたしてジロジロと見ていていいものなのか、とマーリカは戸惑った。目線を泳がせるが、やっぱり身体は動かせない。参ったわね、と本当に困り果てていると、サイファがぼそりと言った。

「マーリカ。俺は国に戻らなければいけない」
「国……ゴルゴア王国へ? え? どうしたの突然」

 何がどうすると今すぐに祖国へ戻らないとという話になるのか。

「はっ! まさかお給金に不満が……?」
「……あのなあ……」

 マーリカの言葉に、ようやくサイファが笑った。泣き笑いに近いものではあったが。

 サイファが、マーリカの額に自分の額をくっつける様にして語りかける。

「そうじゃない。俺はここにいることでマーリカを守っている気でいたが、そんなのじゃちっとも足りなかったってことに気付いたんだよ」
「へ……?」
「国に戻って、こんな馬鹿なことは力尽くでもやめさせてくる。だが、その間にマーリカがあの坊っちゃんに奪われるんじゃないかと思うと、安心して帰れねえ」

 あの坊っちゃんとは、キラのことだ。ということは、まさか。

「マーリカ。俺と一緒に来てくれないか? その……俺の伴侶として」

 マーリカはここまで言われて初めて、サイファのこれまでの態度がマーリカに対する好意からきているのだと悟った。てっきり妹的な意味合いで可愛がってくれているのだとばかり思っていたが、違ったらしい。確かにこれでは、キラが口を酸っぱくして注意する筈である。

「は、伴侶って、いやでも、私はこの領地に」
「領地経営が得意な人間を、ムーンシュタイナー卿の養子として用意出来る。何だったら、キラがムーンシュタイナー卿の養子となれば何ら問題ないだろう」
「そ、それは」

 だけど、それだと自分は。

 マーリカが口をパクパクしていると、サイファが悲しそうに笑う。

「マーリカ。今回の騒動は、ゴルゴア王国に遊学中の、俺の従兄弟で帝国メグダボルの皇子たちがやらかしているものなんだ」
「え……?」

 俺の従兄弟。帝国メグダボルの皇子が、サイファの従兄弟? 一体どういうことか、マーリカは必死で考えた。確か、メグダボルに嫁いだのはゴルゴア王国現国王の妹君だ。その子供が従兄弟、ということは、まさか。

 辿り着いた答えは、たったひとつ。

「え……サイファは、王子様なの……?」
「王位継承権のない、な」

 小さく笑ったサイファが、スウ、と息を吸った後、紫眼で射抜く様にマーリカを見つめる。

「マーリカ、好きだ。俺の妃になってくれ」

 マーリカは、思わず息を呑んだ。
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