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35 白の崩壊
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龍の目線が何かを探すように宙を彷徨った後、ゆっくりと春彦に定まる。
瞬間、これまで一度も見たことのない、大口を開ける龍の間抜け面を拝むことができた。
同時に、恐怖の黒色が龍のオーラに混じり始める。
――ああ、崩れた。ようやくあの分厚い壁が崩れた。
脱力しそうになった。
「ひ……っば、化け物……!」
龍の顔面が、蒼白に変わる。春彦を捉えた龍の目は、もう私を見ない。
「おい、化け物はお前の方だろうが」
春彦が一歩前に出る。顎をガクガク振るわせながら、龍が後退を始めた。
「うわ……く、来るな……!」
「お前さ、なに小春に手を出してんだよ」
春彦がぐいぐい詰め寄る。効果があると分かった春彦は、強気に転じていた。
いいぞ、いけいけ春彦! と、とりあえず心の中で応援してみる。応援も案外力になると、先程の春彦の応援で思ったばかりだったからだ。
「誰が手を出していいなんて言った? 俺はひと言でもそんなこと言ったか?」
「い、言ってない……ひいいっ」
私への手出しが春彦の許可制だなんて、きっと誰も知らないだろう。私だって知らなかった。
だけど、この言いっぷりがあまりにも春彦らしくて、おかしくなる。
それまで恐怖に染まっていた私の心に、ようやく温かみが差し込んできた瞬間だった。
私が窮地に陥ると、ギリギリのところで春彦が助けてくれる。
私がいつまで経っても隙だらけなのは、春彦がしっかり者すぎるせいもあるんじゃないか、なんてちょっと考えた。春彦に言ったら怒られそうだけど。
「じゃあ勝手に触るんじゃねえ!」
春彦が歯を剥きながら怒鳴ると、龍は何を思ったのか、突然春彦の顔の前で指をクロスさせた。――うん?
「あ、悪霊退散!」
膝をガクガク言わせながら、龍が叫ぶ。
「あ、もしや十字架……?」
思わず声を出してしまった。いくらなんでも都市伝説系を読みすぎだろう、とはさすがに言えなかった。
とりあえず、生き霊でキリスト教徒でもない春彦にそんなものが効く筈もない。
心底馬鹿にしたように、春彦が鼻で笑った。
「悪霊ねえ。なあ……龍」
「ひっ」
名前を呼ばれた龍は、ぶるぶる震えながら大きくした目で春彦を凝視している。
龍の目には、春彦は一体どういう風に映っているんだろう。俄然興味が湧いた。
そういえば、伊達眼鏡をしたまま春彦を見たことはなかった。眼鏡越しに春彦を見たら、もしかしたら結構なホラーの春彦が視られたのかもしれない。それか、春彦が視えなくなるか。
伊達眼鏡を置いてきてしまったことが悔やまれた。確か、龍の家のテーブルに置きっ放しにしてあった筈だ。
「龍、お前さ、小春を苛めて何喜んでんだよ」
「よ、喜んでませんっ」
龍が、敬語になった。思わず吹き出しそうになったけど、必死で耐える。和やかな雰囲気を出した途端、全ては台無しになる気がしたから。
春彦が龍に迫る。
「小春はな、生まれた時から俺が守ってきたんだよ!」
「ひっ」
龍の顔が、更に引き攣ってきた。春彦はここぞとばかりに凄む。
「お前みたいな自分勝手な奴がなあ! 横から掻っ攫っていいものじゃねえんだ、分かってんのかこらあ!」
春彦の口調が、段々とチンピラじみてきた。悪霊と思われているんだから、もう少し悪霊っぽく演技すればいいのにな、と思う。言わないけど。
龍の目が、涙で滲んできた。チンピラっぽくても効いているみたいだ。
「こ、小春ちゃんを守ってきたって……?」
ハッとした。
龍のオーラの白さがかなり消え失せてきているじゃないか。寒色系の色が、白い絵の具に混ざる様に渦巻いている。
――あった。
止まっていた涙が、再び溢れ出した。
龍の奥には、ちゃんとあったんだ。こんな時なのに嬉しくなる。こっちの方が、余程人間らしいじゃないの。
「おう、そうだよ。小春は俺が守ってんだ。俺から小春を奪おうってのはどういった了見だこら」
龍にずいっと顔を近付けて、春彦が凄んだ。わお、近い。
私から見たら、イケメン同士がキスでもしそうな距離で話している光景だ。
でも、龍にとってはそうじゃないのは分かる。カチカチカチと、龍の奥歯が鳴っているのが私の耳にも届いたから。
「気安く小春に手え出してんじゃねえよ、このコソ泥がああっ!」
春彦が、壁ドンを決めた。
瞬間、これまで一度も見たことのない、大口を開ける龍の間抜け面を拝むことができた。
同時に、恐怖の黒色が龍のオーラに混じり始める。
――ああ、崩れた。ようやくあの分厚い壁が崩れた。
脱力しそうになった。
「ひ……っば、化け物……!」
龍の顔面が、蒼白に変わる。春彦を捉えた龍の目は、もう私を見ない。
「おい、化け物はお前の方だろうが」
春彦が一歩前に出る。顎をガクガク振るわせながら、龍が後退を始めた。
「うわ……く、来るな……!」
「お前さ、なに小春に手を出してんだよ」
春彦がぐいぐい詰め寄る。効果があると分かった春彦は、強気に転じていた。
いいぞ、いけいけ春彦! と、とりあえず心の中で応援してみる。応援も案外力になると、先程の春彦の応援で思ったばかりだったからだ。
「誰が手を出していいなんて言った? 俺はひと言でもそんなこと言ったか?」
「い、言ってない……ひいいっ」
私への手出しが春彦の許可制だなんて、きっと誰も知らないだろう。私だって知らなかった。
だけど、この言いっぷりがあまりにも春彦らしくて、おかしくなる。
それまで恐怖に染まっていた私の心に、ようやく温かみが差し込んできた瞬間だった。
私が窮地に陥ると、ギリギリのところで春彦が助けてくれる。
私がいつまで経っても隙だらけなのは、春彦がしっかり者すぎるせいもあるんじゃないか、なんてちょっと考えた。春彦に言ったら怒られそうだけど。
「じゃあ勝手に触るんじゃねえ!」
春彦が歯を剥きながら怒鳴ると、龍は何を思ったのか、突然春彦の顔の前で指をクロスさせた。――うん?
「あ、悪霊退散!」
膝をガクガク言わせながら、龍が叫ぶ。
「あ、もしや十字架……?」
思わず声を出してしまった。いくらなんでも都市伝説系を読みすぎだろう、とはさすがに言えなかった。
とりあえず、生き霊でキリスト教徒でもない春彦にそんなものが効く筈もない。
心底馬鹿にしたように、春彦が鼻で笑った。
「悪霊ねえ。なあ……龍」
「ひっ」
名前を呼ばれた龍は、ぶるぶる震えながら大きくした目で春彦を凝視している。
龍の目には、春彦は一体どういう風に映っているんだろう。俄然興味が湧いた。
そういえば、伊達眼鏡をしたまま春彦を見たことはなかった。眼鏡越しに春彦を見たら、もしかしたら結構なホラーの春彦が視られたのかもしれない。それか、春彦が視えなくなるか。
伊達眼鏡を置いてきてしまったことが悔やまれた。確か、龍の家のテーブルに置きっ放しにしてあった筈だ。
「龍、お前さ、小春を苛めて何喜んでんだよ」
「よ、喜んでませんっ」
龍が、敬語になった。思わず吹き出しそうになったけど、必死で耐える。和やかな雰囲気を出した途端、全ては台無しになる気がしたから。
春彦が龍に迫る。
「小春はな、生まれた時から俺が守ってきたんだよ!」
「ひっ」
龍の顔が、更に引き攣ってきた。春彦はここぞとばかりに凄む。
「お前みたいな自分勝手な奴がなあ! 横から掻っ攫っていいものじゃねえんだ、分かってんのかこらあ!」
春彦の口調が、段々とチンピラじみてきた。悪霊と思われているんだから、もう少し悪霊っぽく演技すればいいのにな、と思う。言わないけど。
龍の目が、涙で滲んできた。チンピラっぽくても効いているみたいだ。
「こ、小春ちゃんを守ってきたって……?」
ハッとした。
龍のオーラの白さがかなり消え失せてきているじゃないか。寒色系の色が、白い絵の具に混ざる様に渦巻いている。
――あった。
止まっていた涙が、再び溢れ出した。
龍の奥には、ちゃんとあったんだ。こんな時なのに嬉しくなる。こっちの方が、余程人間らしいじゃないの。
「おう、そうだよ。小春は俺が守ってんだ。俺から小春を奪おうってのはどういった了見だこら」
龍にずいっと顔を近付けて、春彦が凄んだ。わお、近い。
私から見たら、イケメン同士がキスでもしそうな距離で話している光景だ。
でも、龍にとってはそうじゃないのは分かる。カチカチカチと、龍の奥歯が鳴っているのが私の耳にも届いたから。
「気安く小春に手え出してんじゃねえよ、このコソ泥がああっ!」
春彦が、壁ドンを決めた。
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