【第一部・完結】七龍国物語〜冷涼な青龍さまも嫁御寮には甘く情熱的〜

四片霞彩

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青龍さまの身代わり伴侶

【16】

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「そこで何をやっている」
「こっ、これは青龍さま。いえ、せっかくなので伴侶どのにご挨拶をしようかと、ええ、はい」
「それは時機を見て、いずれ紹介する。青の地の天候不順について、火急を要するのだろう。すぐにでも奥座敷で膝を突き合わせて議論をするべきだと思うが」
「いや、そうは言われましても、私ども政府にも報告する義務というものがありまして……」
「……伴侶はまだ到着していない。ここにいる者は何者でもない。そう報告しておけ」

 このまま一触即発の事態になってもおかしくない、怒りを堪えているような蛍流の低い声に海音まで身震いする。全てを拒絶する凍り付いてしまいそうな冷たい声色は、まさに和華から聞いた噂通りの「冷酷無慈悲で冷涼な青龍さま」そのものであった。これには海音も危うく悲鳴を上げてしまいそうになって、咄嗟に両手で口を押さえてしまう。
 息を止めて、その場で身体を丸めて座り込んでいると、やがて役人たちは諦めたのか「そうでしたか」と猫なで声で話し始める。

「これは大変失礼をいたしました。何分女人のものと思われる草履が玄関の沓脱石の側にありましたので、伴侶どのが到着されたとばかり……。早合点をしました」
「……用意が整い次第、すぐに本題に入ろう。お互い多忙の身、一分一秒も無駄には出来ない」

 蛍流の迫力に気圧されたのか、役人たちは渋々奥座敷へと向かったようであった。全員の足音が遠ざかり、やがて何も聞こえなくなったところで、ようやく海音は緊張を弛めて息を吐き出せたのだった。

(よっ、良かった~。蛍流さんが来てくれて……)

 あのまま部屋を覗かれていたら、好き勝手なことを役人たちに言われていただけだろう。自分のことを言われる分には耐えられるが、海音が和華の身代わりと知ってもなお、優しくしてくれる蛍流について、あること無いことを近くで言われるのは我慢できない。つい頭に血が昇って、平手打ちくらいならやっていた。そんなことをしたって、蛍流を困らせるだけだとわかっているのに……。
 一難去って気持ちが落ち着いてきたところで、気になるのは耳に留まり続ける蛍流の言葉。海音の存在を役人たちに隠すためとはいえ、どこか釈然としない。

(何者でもないか……)
 
 蛍流からしたらその通りだろう。伴侶ではない自分と青龍である蛍流との関係は文字通りの「何者でもない」関係。当然伴侶じゃなければ、友人でも、召使いでもない。強いて言うなら、ただの居候。
 伴侶に選ばれた和華の振りした割には、即日正体がバレてしまった身代わりとしても「使えない」存在。着物でさえ自力で着付けられない、この世界では全くの役立たず。
 どこに行っても居場所が無ければ、無価値な海音。家も分からず、どこで何をしたらいいのかさえ検討もつかない。

(お母さん……お父さん……)

 急に心細さが身体の奥から迫り上がってくる。この世界に来てから昨日の昼までは、和華の身代わりになるための用意と、青龍として崇め畏れられる蛍流に対する緊張でずっと気を張っていた。
 灰簾夫婦が用意してくれたマナー講師と家庭教師に朝から晩までマナーと知識を叩き込まれ、空いた時間は嫁入り道具として持参する反物選び。
 嫁入りの準備と言っても、嫁入り道具の用意は和華の母親である灰簾夫人と和華の二人が主体となってとんとん拍子で決められてしまったので、海音は口を挟む余地さえ与えられなかった。マネキンのように色んな柄や種類の反物を着せ替えられただけだったが、それでも四六時中、他人が側にいる環境というのは衆人環視のようでストレスしか感じなかった。気が休まるのは、夕餉を終えてから就寝までのほんの一時。朝が来れば、また「和華」に成るため、自分を磨かなければならない。
 そう考えると、灰簾家で海音が「海音」としていられたのは、就寝までの短い時間しか無かったことになる。
 むしろそれで良かったのかもしれない。「和華」の身代わりとして蛍流の元に嫁ぐ用意を整えている間は、あまりの目まぐるしさで他の余計なことは何も考えずにいられたのだから。

(お父さんはどうしているかな。お母さんに続いて私までいなくなったから、また塞ぎ込んでいないといいんだけど……。お母さんのお仏壇のお花も交換してくれるかな。気温が上がってきたからお花があっという間に枯れるようになって……。神社に参拝した後は、お母さんの大好きなお花を買って帰るつもりだったのに……)

 自由に外出が出来ない分、少しでも季節感を味わいたいからと、どんなに症状が悪化しても、病室には常に季節の花を飾り続けていたたおやかな母親。いつ消えてもおかしくない儚げな母親の笑顔を思い出して、海音の目からはぽろぽろと涙が零れてくる。しばらく膝を抱えて泣いていると、生前母親と交わした約束が頭の中に蘇る。

『海音、貴女は人の心や痛みを知って、思い遣れる人になりなさい。相手が何に苦しんでいるのか、自分に何が出来るかを考えて行動できる大人になって、手を差し伸べられる人に。お父さん、お友達、先生、恋人、道端で出会った人、そんなのは関係ないわ。相手のことを見た目や噂で判断しないで、その人を本当に理解した上で、相応しい行動を起こせる大人になるのよ。自分で考えて、自分で判断できる人になるの。……お母さんと約束、できるわね?』

 その時は何を言っているのかよく分かって無かった。それでも大好きな母親からのお願いだからと、約束を果たすことを誓った。
 約束の本当の意味を知ったのは、母親が亡くなってしばらく経ってから。偏見にとらわれず、自分で思考して決断を下した上で、自ら行動を起こすということが、如何に難しいかを知った。
 今だってそうだ。和華たちから聞いた「人嫌いの冷淡者」や「冷酷無慈悲な青龍さま」という信憑性が無い蛍流に関する噂話に翻弄されて、何も行動を起こせずにいる。噂通りの人なら、昨晩わざわざ夜道に取り残された海音を迎えに来て、寝ている海音を起こさないように怪我の手当てをして布団まで運んでくれるはずがない。まだ誰にも知られていない蛍流の温かな姿がきっとあるはず。
 けれどもその顔を知って良いのは、海音では無い。蛍流の本当の伴侶――和華なのだから。
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