【第一部・完結】七龍国物語〜冷涼な青龍さまも嫁御寮には甘く情熱的〜

四片霞彩

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重なる手、触れ合う唇、そして……

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「本当なら店に行って自分に合った筆を見つけるのが一番良いが、そうはいかないからな。雲嵐殿に何種類か持ってきてもらって、その中から選ぶことになる。商売人だけあって筆の種類にも詳しいから、好みを伝えれば、こちらの希望に沿った筆を揃えてくれる」
「なるほど……。書いてみましたが、これでいいですか?」

 蛍流に言われたことを頭に留めつつ大きく書いた「の」の一文字は、一人で書いていた時は幾分かまともな文字になっているように思えた。覗き込んだ蛍流も「いいんじゃないか」と返してくれる。

「曲線を書く時は、腕を動かして書くことを意識しつつ、丸みを出すと良い。平仮名は丸みを帯びた文字が多いからな。手本をよく見ながら繰り返し練習することも大切だ」
「それなら、この蛍流さんに書いてもらった『の』の紙をお手本に練習をしますね」
「……おれの文字を手本にすると、おれの癖まで真似することになる。それは良くないので、手習いの見本帖も探しておこう。捨ててなければ、昔使っていたものがどこかにあるはずだ」
「これで駄目なんですか? 蛍流さんの文字、こんなに綺麗なのに……」
「これでも随分と練習をして、ようやく人並みに書けるようになったところだ。それでも文字によっては、まだ昔の癖が残っている。師匠が作ってくれた手習いの見本帖の方がずっと綺麗だ」
「そうなんですか……。全然そんな風には見えないのに……」
「綺麗に見せたいだけなら、全体の形を整えて、文字の均衡をよく意識するといい。綺麗な文字というのは、この均衡が釣り合って、全体の調和が取れているものが多い。文字の余白、前後の文字の間隔、文字の大きさや形、上下左右、中心が真っ直ぐ揃っているかどうか……。文字によって大きさを変えるのも一つの方法だが、これは慣れてからだな。そうそう、この世界での片仮名は学問の場で使う文字とされているから、片仮名の読み書きが出来る者というのは教養がある証となる。綺麗に書けるようになって損は無いぞ」
「片仮名を書く際に、気を付けることはありますか?」
「片仮名は平仮名よりも曲線が少ない。その分、似た文字が多いので、角度に注意する。『ソ』と『ン』、『ク』と『ワ』だな。とめが多いのも特徴だな」

 饒舌に教えてくれる蛍流に『青』の文字を書くように言われて筆を握り直すと、真っ白な紙に黒い墨字を書き付ける。しかし平仮名を書いた時と違って、どこかバランスが悪いように感じられたのだった。

「なんだか、全体的に斜めに寄っているような……」
「まさかとは思うが、ずっとその書き順で書いていたのか?」
「えっ、そうですが……」

 海音は「青」の文字を書く時に、最初に上部の横線を三本引く。その三本線の中心に縦線を上から下に向かって下ろし、最期に下部分を中心に揃えて書く。下部分については『月』を書くのと同じように書いていたが、どこか間違えていたのだろうか。
 
「綺麗な文字を書くには、筆順も大切になる。筆順が悪いと、綺麗な文字が書きにくい」
「正しい書き順ですか……」
「筆順というのは時代や国によって違うが、大切なのは『書きやすさ』。ようは、流れるように書けるかどうかだ。自分が最も書きやすいと思う筆順で書く。必ずしも学校で習った筆順と同じにしなければならないというものではないが、学校で習う筆順というのが、実は一番書きやすい順番でもある」

 また手本を見せてくれるという蛍流に筆を渡すと、蛍流は最初に「十」を書いた後に、その下に「二」を書き足す。その下に海音が書いたように「月」を書いたのだった。

「『青』の文字を書く場合、上の横線三本を整えて空き揃えると、釣り合いが取れて見える。特に三本の横線内、一番下の線は他の二本よりも長めに引く。下の『月』の文字のはねも忘れずにな。慣れるまでは、とめ、はね、はらいの三点に注意を払ってゆっくりと書くようにすると良い」
「えっと……」
「口で言われても難しいだろう。……そこに座ってくれ、少し触るぞ」

 また文机に座って筆を手に取ると、海音の背中にぴったりとくっついた蛍流が腰に手を回す。筆を握る海音の手を包むようにして、蛍流も筆を掴んだのだった。

「身体と机の間には拳一つ分の空間を空ける。前かがみにならないようにして、腰と足を動かさずに左手で紙を押さえる。肩の力を抜いて、頭はわずかに傾ける。いいぞ、その調子だ……」

 耳元から聞こえてくる心地良い蛍流の澄んだ美声に、心臓が大きく跳ねる。紙を押さえる海音の左手の上から蛍流も自身の左手を添えると、蛍流の手にエスコートされるまま、筆に墨を付けていく。
 そうして蛍流の体温を背中に感じながら、紙の上に「青」の一文字を書いたのだった。
 
「横線は間延びしないように、留めるところはしっかり留める。墨の量が多くなければ、筆を持ち上げた時に墨が跳ねない。楷書の基本は『永字八法えいじはっぽう』。『永』の漢字には、ほかの文字にも応用できる八つの点画が含まれていることから、この言葉がきている。練習する際には、『永』の文字を書くと良いだろう」

 そんな解説を踏まえながら、蛍流は海音の手を取って「青」の文字を書いてくれたが、緊張して内容が頭に入ってこなかった。
 蛍流から漂う木蓮の優しい香りと海音の手を掴む温かい手。そして耳や首にかかる吐息がくすぐったくて、ますます落ち着かない気持ちにさせられる。

「筆順はこれで分かっただろう。今度は一人で書いてみろ」
「は、はいっ……」

 緊張からややぎこちない動きになりながらも、蛍流に教えてもらった通りに「青」の一文字を書いていく。やはりと言えばいいのか、どうしてもまだ手首で書いてしまっているようで、バランスが悪くなってしまう。悔しさのあまり、その後も何枚か書いたが、その度に蛍流が後ろから助言をくれた。
 海音の肩に手を置きながら身を乗り出すようにして教えてくれる蛍流に、やがて緊張で固くなっていた身体からは力が抜けて、自然な笑みを浮かべる余裕まで出てくる。
 日が傾き始めた頃になってようやく納得のいく一枚が書けると、海音は筆置きに筆を置いて、『青』の一文字が書かれた紙を興奮気味に掲げたのだった。

「書けました! 私でもこんなに綺麗な文字が書けました! 嬉しいです!!」
「良かったな」
「これも蛍流さんのおかげです! ありがとうございます! そうだ、せっかく書けたので、これを記念に飾っても……」

 いいですか、と言い掛けながら後ろを振り返ると、すぐ真横には藍色の目を大きく見開いた蛍流の顔があった。
 あっと気付いた時には既に遅く、海音の唇は蛍流の唇と重なっていたのだった。
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