死ぬまでのおしゃべり

ちゃっぷ

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第二話

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 小娘と出会ってから、何週間かが過ぎた。

 彼女と出会って、そして飛び降りることなく家に帰って……多少は死ななければいけないという気持ちが薄れたかと思った。

 けれど世界も、俺も、何も変わっていない。

 今日も俺の部屋はジメジメして薄暗いし、物の少ない部屋にはホコリがそこかしこに降り積もっているし、カーテンの隙間からは西日が突き刺さる。

 そんな現実世界に目覚めた俺は思う。

 死ななければいけない、と。

 だから風呂に入って髭を剃って、スーツを身にまとって伸び切った髪を一つに結んで、今日こそはと屋上へと向かう。

 屋上に行くと、小娘も必ずそこにいた。

 ハッチよりも少し奥の左手側で、裸足の状態で体育座りをするように座り込んでいる小娘。

 その隣には脱がれた靴が外に向けて行儀よく揃えられていて、そこには靴下が詰め込まれていた。

 そんな彼女を、俺は一旦スルーする。

 ただ小娘の側近くまで行くと煙草を吸って、吸い終わったら屋上を囲うように一段だけ高くなっている縁に乗り上げて、しばらくしてから後退りして降りる。

 それが済んだら一気に全身の力が抜けて、荒い息を整えるために小娘の隣にあぐらをかいて座り込む。

 そして、言う。

「……何か話すか」

 そういうと、小娘は必ずこう返してくる。

「……じゃあ、何か話してよ」

 これが俺と小娘の、毎週末のルーティンと化していた。

 毎週末会っていると、さすがに色々な話をするようになっていた。

 ――例えば、ゲームの話。

「俺が学生の時は、ポケ○ンをよくやってたなぁ」
「あぁ、かわいいよね。私はプレイしてないけど、Y○utubeの実況動画を見てるから知ってる」
「そ、そうか……」
「地方によって姿や色が違ったり、新作が出る度にポケモンの姿が変わる新しい要素が出てきて、面白いよね」
「……」

 ――音楽の話。

「おじさんはどんな曲聴いてるの?」
「あんまり特定の歌手とかジャンルはないな。昔から好きな曲ばかり何度も聴いてるよ」
「へぇ……新曲はチェックしないの?」
「今の曲はそんなに好きじゃなくてな」
「もったいないよ! 良い曲いっぱいあるのに! 待って! 今聴かせてあげるから」
「え……」

 ~~~~~~~~~

「どうだった!?」
「確かに良い曲もあったけれど、一時間ぶっ通しはさすがにしんどい……」
「ね! めっちゃ良いっしょ!」
「……お前は人の話を聞いてるようで、聞いてないな」

 ――学校やバイトの話。

「学校で友達とはどんな話してるんだ?」
「……学校はあんま行ってないんだよね。だからそこまで語る友達はいないかな」
「……そうか」
「不思議だよね。バイトは休まないのに、学校はどうしても行く気がしないの。バイトでお金稼いでる方が、有意義だと思わない?」
「……バイトだって学校だって……社会人になったって、疲れたときには休んでも良いんじゃないか?」
「は?仕事は休んじゃダメでしょ。生きるためにはお金が必要なんだから」
「……休まなきゃいけない時はあるぞ」
「そういうもんかなぁ~?」

 ――小娘の恋の話。

「ねぇ、聞いてよ! バイト先の人に告白されちゃった!」
「それはよかったですねー……」
「ノリが良くて可愛くてカッコよくて、マジ最高! 一回り歳が離れてるのを、全然感じさせないの!」
「……その男は、やめとけ」
「なんでよ?」
「未成年の奴に手を出すなんて、お前を大切にしてくれないぞ」
「……なにそれ」
「小娘のことが真剣に好きなら、大人なら……お前が大人になるのを待つのが筋だ。それまで待てずに手を出そうなんて、ただの遊び目的だろ」
「……別に良いよ。私だって真剣なわけじゃないもん。それに今付き合っている人もその人と同い歳だし、ちょうど乗り換えたいと思っていたとこだから」
「は……?」
「それに他にも男はいるから、良いの良いの!」
「……男遊びばかりしてると、いつか後悔する日が来るぞ」
「私は私らしく生きてるだけ。今行動しない方が、むしろ後悔するね」
「……そうか」

 ……俺の話。

「おじさん、仕事は何してるの?」
「……ただのサラリーマンだよ。仕事に疲れて、死にたい、ただのサラリーマン」
「ふーん。恋人は?」
「最後のと別れて以来、彼女はいないな」
「その人とは何で別れたの?」
「……他に好きな人ができたんだとよ」
「なんか……ごめんね」

 ――小娘の修羅場。

「どうしてご飯のおかわりは許されるのに、男のおかわりは許されないの?」
「……飯と人間は違うからだよ」
「今まで円満にいってたのに……」
「……円満にいってないから、お前は浮気してたんだろ?」
「会いたいって言うとウザがるくせに、浮気したら責めてくるとか……そんなの向こうのワガママじゃん」
「……ワガママって……」
「どうして浮気はダメなのよ……」
「不誠実だからだよ。相手のことを大切にしてない」
「大切にしてたよ。会いたいって言われたら会ったし、Hを拒否したことだってない」
「……それは大切にしてたんじゃなくて、都合の良い女になってただけだろ」
「……でも、相手はそれを求めてくるじゃん」
「相手の求める奴を演じるなよ。お前自身を愛してくれる人を探せ。じゃなきゃ、ずっと同じことの繰り返しだぞ」
「……私、変われるかな?」
「変われるさ。後悔しないように、ゆっくりで良いから変わっていこうぜ」
「……うん」

 ――小娘の本音。

「……私は小学生の時に両親が離婚してんだけど、だいぶ泥沼な別れでさ。祖父母まで巻き込んで悪口をだいぶ吹き込まれてさ、家族が『家族』じゃなくなった」
「……」
「母親について行ったら、母親はパチンコ・彼氏・飲み歩き・夜の仕事で忙しくて家に全然いなくて、高校生になったらいよいよ帰ってこなくなった」
「……」
「自動引き落としの光熱費は良いけど、食費だけは自分で稼がなきゃいけなかった。だからひたすらバイトして、誰もいない家に帰って、ご飯食べて風呂入って寝るの繰り返し」
「……」
「なんか生きてる意味あるのかなって、親に望まれない私はなんで生きてるんだろうって思うようになった。だから寄ってくる男と付き合ってみたけど、誰も愛してはくれなかった」
「……」
「週末は特に最悪。彼氏は忙しいって会ってくれないし、バイトは朝から夕方までだから、家にいる時間が長くなる。誰もいない、あの家に。それが耐えられなくて、屋上にきた」
「……」
「靴を脱いだら靴下が汚れるなと思って、なんとなく靴下も脱いじゃった」
「そんな理由だったのかよ……」
「でも、いつか愛される日が来るかも、結婚して家族ができるかも、死ななくて良かったって、生きていて良かったって思える日が来るかもって思うと、飛び降りれなかった……」
「……いつか、きっと来るよ」
「……だと良いな」

 ……俺の本音。

「……俺は無職で、昔は介護士をしてた。それなりに楽しく働いてたけど、早朝から夜勤まで毎日変わるシフト、どんどんいなくなる老人に……色々と限界を感じてた」
「……」
「そんなある日、癖強のお局様に『あなたのしてることは不快だ』って言われて、なんか心が折れてさ……何をするのも他人を不快にさせてるって不安になるようになった」
「……」
「そうしてるうちに身体が思うように動かせなくなって、『死ななきゃいけない』って思うようになった。そして出勤自体できなくなって……辞めざるを得なかった」
「……」
「うつ病だろうと思って精神科に行ったら『発達障害』だって……『生まれ持っての性質』『上手く付き合っていきましょう』って言われて、再就職も怖くなってできなくなった」
「……」
「当時付き合ってた恋人に全部打ち明けたら、一緒に住もうって、私が支えるからって言ってくれて……このマンションに越してきた」
「……そうなんだ」
「あの時は楽しかったなぁ。家具を持ち寄って、新生活で変われるかもって……期待に満ち溢れてた」
「……うん」
「でも俺はいつまでも変われなくて、家事すらままならない日もあって……彼女に金銭的・肉体的な負担をずっと強いていた。本当に申し訳なかったけど、俺は何もできなかった」
「……」
「そんな生活がいくらか続いたら、彼女が『他に好きな人ができた』って言って、その日の内にまとめておいた荷物を持って出ていった。そんな瞬間まで、俺は何も言えなかった」
「……」
「仕事ができない、支えてくれる人もいない俺は……行政の助けをできる限り借りて、貯金も使いながらほそぼそと生きることしかできなかった」
「……」
「俺は生きてるだけで、見ず知らずの誰かに、世界に常に迷惑を掛けてるんだなって思った」
「……」
「そしたらまた思ったんだ。死ななきゃいけないって。だから飛び降りようって思うのに……何もできない俺は、自分を死なすことすらできない……情けない……存在なんだ」
「……おじさんは、情けなくないよ。私に変わるチャンスをくれたもの」
「……こんな俺があんな説教がましいことを言ってたなんて、幻滅しただろ……?」
「しないよ」
「……ありがとう」

 俺たちは毎週末おしゃべりをする内に、誰にも言えなかった本音を語り合える仲になった。

 死ななければいけないという気持ちがなくなることはなかったけれど、かなり薄れたように思う。

 屋上で語り合う時間が癒やしで生きがいで、毎週末、屋上で話せる時間が楽しみになっていた。

 ……だからその日も、当たり前のように屋上で彼女に会えると思っていた。
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