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幕末の章

看板娘②

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 「なぁ、若は雛妃ちゃんの事どう思ってる?」
孝之助は雛妃が飛び出した後、酒屋の若様にニヤニヤしながら聞いた。

「あっ!それ私も気になる!あんな綺麗な子中々居ないよ!酒屋の若は縁談断りまくってんでしょ?」

「そうなんだよ時!そんな若がまさかあんな綺麗な子と俺の団子食べにくるなんてなぁ!」
孝之助と時は二人で盛り上がり始めた。

しかし、酒屋の若様は難しい顔をしたまま雛妃が出ていった甘味処の暖簾を見ていた。

「確かに雛妃ちゃんは綺麗だ………」
酒屋の若様の呟きは、勝手に盛り上がる孝之助と時には聞こえなかった。数々の縁談を断っているのは確かだ。
雛妃と会う前から断って居た。
雛妃と初めて会ったのは呉服屋、雛妃を見た時一瞬見惚れてしまった。
それからは呉服屋に通い詰めた、雛妃が笑顔で迎えてくれると非常に癒されたし、何より酒屋の若様自身が雛妃に会いたかったのだ。
今も雛妃の事を考えると、胸が苦しくなる。

「これが一目惚れなんだろうか?」

酒屋の若様自身、これが恋心だとはまだ気付いていない。


◇◇◇◇◇


 衝撃的な文久三年と聞いてから2日、まだ私は立ち直れないでいた。布団に引きこもる私を奈緒さんはそっとしておいてくれた。
でも、居候の私はこのままじゃ駄目なのは分かってる、今日はちゃんと店の手伝いをしようと準備を始めた。

「おはようございます。奈緒さん………すみませんでした、2日もお店………」
謝る私に眉を下げた奈緒さんは優しく私の頭を撫でてくれた。

「いいんだよ、気にしなくて。何かあったんだろ?」

奈緒さんに善部話してしまいたい、でも………きっと信じてはくれないだろう。

「酒屋の若様、毎日あんたの様子を聞きに来てたんだよ?今日は顔を見せてやりな。」

「はい………」

若様にも申し訳ない事をしちゃったよね?
折角街を案内してくれたのに、急に飛び出しちゃって。

気を取り直して店に向かう、今日は店の床をピカピカに磨こう。
桶を持って裏の共同井戸に水を汲みに行く。
初めて井戸を使った時は驚いた、ただ水を汲むだけなのに結構な重労働だ。
今では慣れたものだけど、昔の人は大変だったんだ。
平成の世が如何に便利だったのか、見に染みる。

「水汲みかい?」

「酒屋の若様………」
振り向くと笑顔の酒屋の若様が居た。

「女将に聞いたら雛妃ちゃんは此処だって聞いたから。」

「ごめんなさい‼」
勢い良く頭を下げた私に、若様は目を丸くした。

「この前は折角若様が街を案内してくれたのに、私途中で………」

「あぁ、そんな事か。気にしなくていいよ。」

「でも………」

「じゃあ、雛妃ちゃんが気が済まないならまた孝之助の団子を一緒に食べに行ってくれないかい?」

「勿論です!私もまた孝之助さんのお団子食べたいです!」

「なら決まりだ、さぁ店に戻ろうか?」
そう言って若様は水が入った桶をヒョイッと持ってしまった。

「若様!私が持ちます!」

「何を言ってるの?そんな細い腕にこんなに重たい物持たせられないよ。私に任せて?」

「ありがとうございます。」
若様は満足そうに笑うと私の前を歩いた。
若様はなんて優しい人なんだろう。


それから酒屋の若様は私が床を磨くのをずっと見ていた。
飽きないのかなぁ?とか思ったけど今は奈緒さんがお茶を出して話をしてるみたいだから気にせず掃除に集中する。

「若様、こんな所で油売ってていいのかい?」

「いいんだ、うちに居ても父が縁談の話ばかりするから煩くて敵わないんだ。」

「若様なら良い縁談が沢山あるだろうに、酒屋の旦那も苦労するね?」

「そう言わないでくれ女将、しかし雛妃ちゃんは良く働くな?」

「そうだろう?雛妃ちゃんが居ると本当に助かるよ。もう一噌の事、本当に私の娘にしちまうかね?そうすれば若様の願いも叶うんじゃないかい?」

「私の願い?」

「うちの娘なら酒屋の旦那も文句いわないだろ?若様は雛妃ちゃんに惚れてんじゃないのかい?」

「ゴホゴホ!なっ何を………ゴホゴホ、茶が………ゴホ‼」
若様は女将を恨めしそうに睨むと、一生懸命掃除をする雛妃を見て頬を緩めた。

ーガコッ!

「きゃぁぁぁあ!」

雛妃が足を桶に引っ掻けて、折角磨いた床を水浸しにしていた。

「雛妃ちゃんは抜けてるな?」

「そこがまた可愛いんじゃないか。さて、手伝って来ようかね。」

確かに雛妃は可愛いし気立ても良い、二日会えないだけで胸が締め付けられた。
嫁に迎えるなら雛妃の様な娘が良いと思っている酒屋の若様だったが、上手く行動に移せないでいた。
酒屋の若様がもっと早く雛妃に自分の気持ちを伝えるべきだったと思うのはもうちょっと先の話。





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