14 / 27
赤い髪の魔族1
しおりを挟む
私がお屋敷で暮らし始めてから十日が経った。それは翻弄されるばかりだった最初の二日間に比べると、驚くほど穏やかな日々だった。
朝起きて、身支度をして、ロガさんの朝ごはんを食べて学校へ向かう。家に帰ったらお風呂に入って、夕ごはんを食べて、本を読んだり宿題をしたりしてベッドに入る。
柔らかいソファに座ってお茶を飲むこともあれば、庭の手入れや料理の仕込みを手伝うこともある。休みの日は映画の配信を見たり買い物に出かけたりして、お父さんお母さんともこまめに連絡を取った。
特別なことは起こらないけれど、大切な時間が積み重なっていく平和な毎日。男の人、それも別の世界から来た人達と一緒に生活しているのにリラックスして過ごせるのは、周りが良くしてくれるからだと思う。
いつも私を気遣って、何か困ったことがないか聞いてくれるヤケイさん。相変わらず無愛想だけど親切で、最近は昼のお弁当まで持たせてくれるロガさん。
そして。
「律香ちゃん、今日ロガいないから朝飯買いに行かない?」
軽快なノックと、明るくはきはきした声。お休みをいいことにベッドでごろごろしていた私が寝癖を押さえながら扉を開くと、緩くパーマのかかった赤い髪が見えた。
「いいパン屋見つけてさ、散歩がてらどうかなって」
光に透ける茶色の瞳が、親しげに細められる。薄い唇から覗く、白く整った歯列。
気さくな笑みを浮かべて立っていたのは、ちょうど頭の中で思い浮かべていた人。私が出会った三人目の魔族、イスラさんだった。
夜の繁華街にいそう。初めて会った日にそんな印象を抱いたイスラさんは、実際のところ私の想像をはるかに超えて人間社会を満喫していた。
SNSで人気のお店から穴場みたいなところまで飲食店に詳しくて、仕事で遠出するたびにお酒と観光を楽しんで、時には夜ふらっと出て行って明け方に戻ってくる魔族。
楽しいことが好きで、だから以前から人間の世界で暮らしているのだというイスラさんは何かと私を構ってくれて、時にはこんな風に二人で出かけることもあった。
「あんなところにお店があるなんて知りませんでした」
「こっちの方は来る機会がないからね。次はもう少し向こうのほうにも行ってみない? 今日は定休日なんだけど、近くにコーヒーの専門店があるから」
「はい、ぜひ! 私も見てみたいです」
まだあたたかい袋を持って、ひと気の少ない通りを歩く。私に歩調を合わせて歩いてくれるイスラさんは、今日は私の知らないバンドのTシャツを着ていた。ふらっと見に行ったら良かったから記念に買ったらしい。
「来週は仕事で何日か空けないといけないんだけど、予定詰まってるから近く見て回ったりもできないんだよね、つまらないなあ」
「お疲れさまです。あの、気をつけてくださいね」
「ありがと、そんなこと言ってくれるの律香ちゃんだけだよ」
モデルさんみたいに整った顔に微笑まれると、なんだかくすぐったい気持ちになる。学校でもあんまり男子と話さない私にとってイスラさんの距離感は少し気後れするものだったけど、一緒に買い物に行ったり知らない場所を見たりするのは非日常感があって楽しかった。
(――ロガさんには「あいつのことは信用するな」って言われたけど)
あの日から不用意に人に触ったりはしていないし、指輪も肌身離さず身につけている。私さえ気をつけていれば、もうあんなことは起きないはず。
(思い出すと今もちょっと、かなり恥ずかしいけど、ロガさんとまた普通に話せるようになって良かった)
そんなことを考えながら横断歩道を渡って角を曲がると、お屋敷の屋根が見えてきた。いつの間にか見慣れたコウモリの風見鶏が朝の光を浴びてきらきら輝いている。
「そういえば、きみも来週テストがあるって言ってなかったっけ」
隣を歩くイスラさんが、さりげなく顔を近づけて薄い唇を開く。
「はい、数学の小テストが。苦手な科目だから頑張ります」
「人間の学校のことはよく知らないけど、結構勉強しないといけないんでしょ。えらいね、ただでさえ慣れないところに来て苦労してるのに」
「そんなこと……皆さん良くして下さるので」
優しい人ばかりで良かったです。
そう言うと、イスラさんは私が冗談でも言ったように切れ長の目を丸くして、でもすぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「僕も、律香ちゃんが来てくれて良かったと思ってるよ」
指の長い手が撫でるように背中に触れる。これからもよろしくねと細められた茶色の瞳は、明るい場所に立っているせいかいつもより赤みが強く見えた。
朝起きて、身支度をして、ロガさんの朝ごはんを食べて学校へ向かう。家に帰ったらお風呂に入って、夕ごはんを食べて、本を読んだり宿題をしたりしてベッドに入る。
柔らかいソファに座ってお茶を飲むこともあれば、庭の手入れや料理の仕込みを手伝うこともある。休みの日は映画の配信を見たり買い物に出かけたりして、お父さんお母さんともこまめに連絡を取った。
特別なことは起こらないけれど、大切な時間が積み重なっていく平和な毎日。男の人、それも別の世界から来た人達と一緒に生活しているのにリラックスして過ごせるのは、周りが良くしてくれるからだと思う。
いつも私を気遣って、何か困ったことがないか聞いてくれるヤケイさん。相変わらず無愛想だけど親切で、最近は昼のお弁当まで持たせてくれるロガさん。
そして。
「律香ちゃん、今日ロガいないから朝飯買いに行かない?」
軽快なノックと、明るくはきはきした声。お休みをいいことにベッドでごろごろしていた私が寝癖を押さえながら扉を開くと、緩くパーマのかかった赤い髪が見えた。
「いいパン屋見つけてさ、散歩がてらどうかなって」
光に透ける茶色の瞳が、親しげに細められる。薄い唇から覗く、白く整った歯列。
気さくな笑みを浮かべて立っていたのは、ちょうど頭の中で思い浮かべていた人。私が出会った三人目の魔族、イスラさんだった。
夜の繁華街にいそう。初めて会った日にそんな印象を抱いたイスラさんは、実際のところ私の想像をはるかに超えて人間社会を満喫していた。
SNSで人気のお店から穴場みたいなところまで飲食店に詳しくて、仕事で遠出するたびにお酒と観光を楽しんで、時には夜ふらっと出て行って明け方に戻ってくる魔族。
楽しいことが好きで、だから以前から人間の世界で暮らしているのだというイスラさんは何かと私を構ってくれて、時にはこんな風に二人で出かけることもあった。
「あんなところにお店があるなんて知りませんでした」
「こっちの方は来る機会がないからね。次はもう少し向こうのほうにも行ってみない? 今日は定休日なんだけど、近くにコーヒーの専門店があるから」
「はい、ぜひ! 私も見てみたいです」
まだあたたかい袋を持って、ひと気の少ない通りを歩く。私に歩調を合わせて歩いてくれるイスラさんは、今日は私の知らないバンドのTシャツを着ていた。ふらっと見に行ったら良かったから記念に買ったらしい。
「来週は仕事で何日か空けないといけないんだけど、予定詰まってるから近く見て回ったりもできないんだよね、つまらないなあ」
「お疲れさまです。あの、気をつけてくださいね」
「ありがと、そんなこと言ってくれるの律香ちゃんだけだよ」
モデルさんみたいに整った顔に微笑まれると、なんだかくすぐったい気持ちになる。学校でもあんまり男子と話さない私にとってイスラさんの距離感は少し気後れするものだったけど、一緒に買い物に行ったり知らない場所を見たりするのは非日常感があって楽しかった。
(――ロガさんには「あいつのことは信用するな」って言われたけど)
あの日から不用意に人に触ったりはしていないし、指輪も肌身離さず身につけている。私さえ気をつけていれば、もうあんなことは起きないはず。
(思い出すと今もちょっと、かなり恥ずかしいけど、ロガさんとまた普通に話せるようになって良かった)
そんなことを考えながら横断歩道を渡って角を曲がると、お屋敷の屋根が見えてきた。いつの間にか見慣れたコウモリの風見鶏が朝の光を浴びてきらきら輝いている。
「そういえば、きみも来週テストがあるって言ってなかったっけ」
隣を歩くイスラさんが、さりげなく顔を近づけて薄い唇を開く。
「はい、数学の小テストが。苦手な科目だから頑張ります」
「人間の学校のことはよく知らないけど、結構勉強しないといけないんでしょ。えらいね、ただでさえ慣れないところに来て苦労してるのに」
「そんなこと……皆さん良くして下さるので」
優しい人ばかりで良かったです。
そう言うと、イスラさんは私が冗談でも言ったように切れ長の目を丸くして、でもすぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「僕も、律香ちゃんが来てくれて良かったと思ってるよ」
指の長い手が撫でるように背中に触れる。これからもよろしくねと細められた茶色の瞳は、明るい場所に立っているせいかいつもより赤みが強く見えた。
10
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
この世界、イケメンが迫害されてるってマジ!?〜アホの子による無自覚救済物語〜
具なっしー
恋愛
※この表紙は前世基準。本編では美醜逆転してます。AIです
転生先は──美醜逆転、男女比20:1の世界!?
肌は真っ白、顔のパーツは小さければ小さいほど美しい!?
その結果、地球基準の超絶イケメンたちは “醜男(キメオ)” と呼ばれ、迫害されていた。
そんな世界に爆誕したのは、脳みそふわふわアホの子・ミーミ。
前世で「喋らなければ可愛い」と言われ続けた彼女に同情した神様は、
「この子は救済が必要だ…!」と世界一の美少女に転生させてしまった。
「ひきわり納豆顔じゃん!これが美しいの??」
己の欲望のために押せ押せ行動するアホの子が、
結果的にイケメン達を救い、世界を変えていく──!
「すきーー♡結婚してください!私が幸せにしますぅ〜♡♡♡」
でも、気づけば彼らが全方向から迫ってくる逆ハーレム状態に……!
アホの子が無自覚に世界を救う、
価値観バグりまくりご都合主義100%ファンタジーラブコメ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる