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第二章 ゆれるこころ

14話 何も無い

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 俺と福山さんは恋人同士になった。
 なんとも酷いやり方で強引に押し切った形ではあったのだが、福山さんは俺を受け入れてくれた。

 そして今、放課後の帰り道を、俺達は一緒に歩いている。
 目的通りに付き合う事が出来たわけだが、その当日にそのまま「はいさようなら」では、あまりにも味気ないだろうと思い、彼女を誘った次第だ。
 本当は寄り道なんかをして、さらに親睦を深めようと考えたりもしたのだが、福山さんは一杯一杯の様子であったし、これ以上心労を掛けるのは酷だろうと思い止めておいた。とりあえずは彼女を家まで送るという事になっている。

「……」
「…………」

 俺が黙っていれば福山さんも口を開くことは無く、彼女から話しかけてきたりはしない。
 おそらくは緊張しているのだろうと思われるが、このまま会話の一つも無く家に着いてしまうのは不味いだろう。
 ここは俺から話題を振って、多少は和やかな雰囲気を作りださないといけない。

「あのさ、福山さん」
「う、うん」

 福山さんは俺の呼びかけにビクリとして返答をした。
 声も少し上擦っていて、緊張が見て取れる。

「俺達付き合う事になったんだし、福山さんのこと名前で呼んでも良いかな?」

 何か楽しい話題をと思っても、これと言って何も浮かばないのでこんな事しか言えなかった。
 
「えと、そ、そうだね…………うん……」
「日菜子」
「は、はい」
「日菜子も俺の事、名前で呼んでよ」
「……うん」

 表情を硬くした福山さんが小さく頷く。
 ただ単に名前で呼ぶだけと言っても、彼女にとっては難しい事なのだろう。
 まあ俺も先輩の事を名前で呼ぶのは多少抵抗があったので分からないでもないが……

「…………」
「日菜子?」
「……ゆ……」
「ゆ?」
「……ゆう、と、くん」

 えらく控えめな声で俺の名をポツリと言う。
 恥ずかしいのだろうが、出来ればもう少しちゃんと言って貰いたいもんだ。

「もう一回」
「…………優人くん……」

 福山さんは明らかに照れている様子でモジモジとしている。
 それを見て俺は少し笑ってしまった。

「お、おかしかった? 私、こういうの初めてで……よく、分からなくて……」
「ううん。可愛いなって思って」
「か、か、かわいい!?」
「うん」
「えと、えっと…………ありがとう……」

 福山さんは恥ずかしがって顔を背けてしまう。
 とりあえず彼氏っぽい言動というものを俺なりに意識してみたのだが効果はあっただろうか。

「せっかくだし手もつないでみない?」
「えっ……!?」

 福山さんは目を丸くして驚いているが、俺は構うことなく手を差し出した。

「ほら」

 福山さんは俺の顔色を窺い、視線をその手に動かした。
 そして恐る恐る手を伸ばしてくる。
 俺はゆっくりと彼女の手を取り、優しく握った。
 やわらかく、さらさらとして、すこし冷たい。
 
「あ、ありがとう」

 なぜかお礼を言われ、そして静かに俺の手を握り返してきた。
 込められた力はとても控えめなものだ。
 
「もっと、しっかり握ってもいいよ」
「う、うん……」

 そう言うと握られた手に少し力が籠められる。
 お互いの体温が伝わり合う感触が、すこしだけ心地いい。

「こういうの嫌だった?」
「う、ううん! そんなこと、ない……! あの、その……すごく、嬉しい」

 途切れ途切れにそう言う彼女の手は少し震えている。
 もっとリラックスして欲しいところだが、こういった事は初めてだと言っていたし、仕方がないだろう。俺が何を言っても彼女をビクつかせてしまう気さえする。

「そっか、良かった。日菜子の手、やわらかいね」

 手を繋いで彼女に言う感想がそれかと、もっとマシなこと言えんのか! と叱責されそうではあるが、俺もこうした経験など皆無に等しいのだ。
 先輩との偽の関係の時も、ほとんどリードしてもらっていたわけだし……大目に見て欲しい。

「……あ、あの……」
「ん? なに?」
「えっと、その……ね」

 手を繋いで歩いていると、福山さんが何かを言いたそうにしている。
 ただ、モジモジとした様子で、なかなか話を切り出せないようだ。

「なんでも遠慮なく言ってよ。ね?」

 福山さんを委縮させないように、やんわりと言ってみせる。
 それでも彼女の手からは、緊張からかジワリと汗が滲んできた。

「あの……本当に私と付き合って……その……良かったの?」

 とても不安そうな声色でそう言われ、何故そんな事を聞いてくるのかと考える。

「ん~、たしかに先輩と別れたばかりだから節操ない奴とは思われちゃうかもね」

 先輩に振られてから日が浅い訳だし、周りからそう言われることは間違いない。
 福山さんもその事を心配してくれていると思ったのだが、どうやら違ったようだ。

「えと……そうじゃなくて……私、新庄先輩みたいな人とは正反対だから……地味だし……綺麗じゃない……」

 福山さんの横顔は悲しそうなものに見える。
 自分に自信が無いからと言って、そう卑下することもないだろうに……
 そんな彼女へ、どんな言葉を掛けたら傷つけずに済むだろうかと考えても、良いものは浮かばない。
 気を使わせていると思われても駄目だろうし、ほめ過ぎても社交辞令みたいになるだろうから難しいところだ。

「まあ静かなタイプだよね。日菜子は」

 そんな気の利かない言葉しか出てこなかった。

「私……明るくなれるように、頑張るからッ……!」

 すこし考えすぎじゃないかと思った。
 福山さんには福山さんの良さがあるだろうに、俺のために自分を変えるなんて馬鹿げた話だ。

「そんな必要ないよ。日菜子はそのままが良いな。」

 思っていることをそのまま伝えた。
 無理をしてくれる必要は無いんだ。

「私がこんなだと、ゆ、優人くんが悪く言われちゃうかも……」
「そんな事ないよ。あったとしても俺は気にしないから」
「で、でも――」
「逆に日菜子が色々言われちゃうかも。俺、先輩に振られたばかりの男なわけだし……結構うるさい事になって迷惑かけるかもしれない。嫌な思い、させちゃうかも……」

 それが凄く不安だった。
 今まで慎ましく学校生活を送っていたのに、俺の事情に巻き込んで、冷やかしを受ける破目になってしまえば、そういった事に不慣れな彼女にとっては苦痛になるだろう。

「私は大丈夫。……優人くんと付き合えるだけで、その……嬉しいから……」

 福山さんは繋いだ手にギュッと力を込めてきた。

「そっか、ありがと」

 そう感謝の言葉を口にしながら、胸の奥底ではチクリと痛みが走った。
 俺は福山さんからの好意を利用していて、その罪悪感が襲ってくる。
 
 福山さんは俺の事を好きだと、俺と付き合えて嬉しいと言う。
 でも、俺は彼女への恋愛感情など何も無い。
 
 申し訳なさだけが、心にとどまり続けていた。
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