元・愛玩奴隷は愛されとろけて甘く鳴き~二代目ご主人様は三兄弟~

唯月漣

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73)我が家

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 翌日午後。
 私が遅めの昼食を終えてダイニング前を通りがかると、律火様のお声が聞こえた。
 半開きの扉から中を覗くと、律火様は見慣れぬワイシャツ姿でダイニングに座られていて、珍しくお疲れのご様子だった。
 律火様付きの執事は、一言二言律火様と言葉を交わしたのち、律火様をダイニングに残して車を車庫へ戻しに行ってしまった。
 

「お帰りなさいませ、律火様」
「ああ……日和さんか。ただいま」


 静かに声をお掛けすると、律火様は私に向かっていつものようにふわりと微笑んで下さった。
 けれど、何やら様子がおかしい。

 
「――――律火様。もしや、いつもの頭痛ですか? お薬を飲まれるのでしたら、その前に何か胃に入れませんと……。良ければ何か、温かい物をお持ちします」
「――――!」


 律火様が偏頭痛をお持ちだと知ったのは、こちらへ来てすぐの頃だった。
 私の言葉に、律火様は僅かに目を見開く。


「日和さんは凄いね。一目僕の顔を見ただけで、頭痛が分かるの?」
「はい、なんとなく。のホットミルクでよろしいですか?」
「うん、ありがとう。お願い」


 頷いた私は、早速厨房に行って冷蔵庫から牛乳を選び出した。この時間は昼食と夕食の狭間の時間帯のため、厨房内は無人だ。
 私はミルクパンを手に取り、牛乳を注いで火にかける。電子レンジよりも手間がかかるけれど、こちらの方が微妙な温度調整がしやすい。
 鍋の縁がふつふつしたら火を止めて、ほんの少しのジンジャーと、ひとたらしの蜂蜜を混ぜる。
 
 これが偏頭痛時の律火様のお気に入りだった。
 牛乳をカップに注いだ後少し考えて、私はマシュマロを二つ添える。
 普段テーブルマナーをしっかり守られる律火様も、今日ばかりはテーブルに肘をついてぐったりなさっている。お盆を持った私が近づくと、律火様は気怠げに視線だけを私の方へ向けた。


「お待たせ致しました。ホットミルクとお薬、それとお薬用の白湯です」 
「ありがとう。んー……っ、いい香り。ん? これは?」
「それはマシュマロです。以前樫原さんに、『マシュマロはココアに溶かして飲むと美味しい』と教わって。ミルクにも合うと思いますので、よろしければ、溶かして飲んでみてください」
「へぇ、樫原が……。ふふ、ありがとう。頂くよ」


 私の言葉に頬を緩めた律火様は、マシュマロを一つ摘んでミルクに入れた。スプーンで軽くかき混ぜ、そっと口をつける。

  
「――美味しい。ふわふわの泡がミルクの口当たりを柔らかくして、ほんのり甘いね。凄くホッとする」
「お口に合って良かったです」

 
 律火様の優しいお声に、私の顔も自然とほころぶ。律火様はそんな私に目を細めると、傍に立つ私の指に自分のそれを絡める。

 
「味のこともそうだけどさ。最近日和さんの顔を見ると、『我が家に帰ってきた』って感じがして、安心するんだ」
「ふふ。そう言って頂けて、私も嬉しいです」


 ひやりと冷たい律火様の指先は、一瞬私の手の平を甘えるようにくすぐって、けれどもすぐに離れていく。
 律火様に、もっと触れてほしい……。
 そう思いかけて、私は下唇を軽く噛む。
 
 律火様はお優しいから、自分がどんなに疲れていようとも、従業員である私を労うことを忘れないのだ。
 
 それを『自分が主人に愛されているのではないか』などと勝手に勘違いするような事は、控えなければ。
 これは私の中の『寂しい気持ち』が、勝手に溢れただけなのだから。
 ――――ハイネックの内側で、消えかけた赤い跡がチクリと痛んだ。
 
 律火様の甘えるような上目遣いは、見惚れるほど美しい。
 けれども深く息を吐く律火様の目元には薄い隈が浮かんでおり、律火様の疲労の濃さを窺わせる。
 私は律火様に内心を悟られぬよう、別の話題を振った。


「最近お仕事はお忙しいのですか?」
「忙しいというか……ちょっと厄介な案件があってね」
「そうですか……。この後はお休みになれるのですか?」
「本当は『薬が効いたら戻る』と言いたいところだけど、ご覧の有り様だからね。残りの業務は兄さんが代わるからって、家に追い返されちゃった」
「水湊様が……」


 きっと、悔しい気持ちを抑えていらっしゃるのだろう。そう苦笑いされた律火様は、切り替えるように顔を上げ、白湯と共に頭痛薬を口に放り込む。

 
「しょうがないから今夜はゆっくり休んで、明日は早めに出社するつもり」
「では、今夜はぬるめのお風呂と、いつもの頭痛に効く薬湯をご用意いたしますね」


 律火様のお言葉で、間接的に水湊様が今夜もお戻りにならないことを知ってしまった。今は律火様の前なので顔には出さないよう平静を保ったつもりだったけれど、律火様もまた私の顔を見て何かを察したらしい。


「日和さん、最近兄さんがここに帰ってこなくて寂しい? もしかして、何か約束してたとか?」
「えっ……。いえ、そのような事は」


 慌てて否定したけれど、動揺が声に出てしまったのが自分でも分かった。


「大丈夫。あの人は約束は必ず守る人だよ。例え、自分を犠牲にしても」
「――――律火様……?」


 悲しそうに、けれど優しく微笑む律火様。
 そういえば、律火様の口からあまり水湊様のお話を聞く機会はなかった気がする。
 水湊様は『律火様は自分を恨んでいる』と仰っていた。けれど、私にはとてもそんな風には思えない。

 私はあくまでも愛玩奴隷で、主人の秘密に自ら踏み込むことはしない。
 そう、育てられてきた。
 けれど……、けれど……。
 
 私は少し考えてから、直球にならぬよう言葉を選び、意を決して口を開いた。


「律火様は……水湊様を信頼していらっしゃるんですね」


 ドキドキしながら発した私の言葉に、律火様は背もたれに寄りかかりながら私を見る。リラックスされたそのご様子に、私は内心小さく胸を撫で下ろした。

  
「うーん、信頼……か。そうだね。この東條院一族の中で一番マトモなのは、ある意味兄さんあの人とだと思ってる。じゃなかったら僕達は本来一緒になんて暮らせる立場じゃないし」
「立場……?」


 流石の私も、何か訳ありの兄弟であることは、薄々感じていた。
 けれど、律火様のお立場……とは?
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