怪異ノ語リ噺

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〜〜江戸編 『犬神』〜〜

序節 犬神家

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 ああ……またか。

 深夜の帳が江戸の町を包む頃合。この時間になると決まって男の周囲で犬が鳴く。
 場所を問わず、何処を探しても、犬などいないのに。
 ワンワン、ワンと。

 「何なんだよこれ……ッ!」

 我慢の限界だった。かれこれ二週間も続いているのだから、堪ったものではない。
 だが、いくら場所を変えても鳴き声は止まない。願っても、身に覚えのない赦しを口にしても、何をしようと鳴き声は止まない。
 無駄だろうとは理解しても布団に包まって両手で耳を塞ぐ。それでも少しも止む気配はなく
、むしろ、まるで手をすり抜けるように鳴き声が耳朶に流れ込んでくる。

 ワンワン、ワンワン、ワン、ワンッ

「……ッ」

 わんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんわんッ
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 うるさいッ!! もうやめてくれェェッッ!

 毎晩毎晩、頭がおかしくなるゥッ!

 俺が何をした?! 何もしてない!!

 ただ普通に生きて来ただけ、殺しも盗みも人生で一度もしたこたぁねぇーぞ!!!!

 犬にだって何もしてない!!

 だってのに……こんな……こんなぁぁ……

 男は堪らず泣いた。
 それはもう、滝のようにダラダラみっともなく、30になる歳であることも関係なく泣きべそを掻く。
 この鳴き声は男だけにしか聞こえず、周囲の人間は一切聞こえない。
 いくら説明しても「お前の気のせいだろ」とか、「どうせ夢でも見てたんだろ。起きろバカ」なんて揶揄われるぐらいならまだ良い方だが、何人かは男を「気狂いだ」と宣った。
 信じて貰えない。辛い。
 男の精神は限界に差し迫っていた。

 ………あれ? これって、本当に犬か?

 ここでふと、男はそう思った。

 先程から絶え間なく聞こえる犬の鳴き声。
 今まで気にしてはいなかったが、というより
今、犬の鳴き声がそうでないモノに変わった気がした。

 わんわんわんわんッッッッッッ!!!!!

 人だ。よく聞けばすぐ分かった。

 人間の子供が犬の鳴き真似をしているような、そんな声だった。

 ミシッ。

 ミシッ。

 自分の中で一つの疑問が腑に落ちた瞬間、自室と居間を繋ぐ階段から軋むような乾いた音が聞こえる。
 まるで誰かが登って来るような、そんな音だ。
 
 「……ッ……!!」

 今この家に男以外に誰もいない。
 男は独り身で、家族もいない。友人がこんな夜更けに来る予定もない。
 誰かが上がって来るなど、普通に考えて有り得ない。
 だからこそ、恐怖が男の背筋を舐め回す。
 全身鳥肌が立つ気持ちの悪い感覚に苛まれながら、男にはただ布団を深く被り、部屋の出入り口である襖を見ながら、何も起きないことを
祈るしかない。
 
 来ないでくれ。

 誰だか知らんがこれ以上あがってくるな。

 声が出ていればさぞ情けない悲鳴を上げていただろう。逃げられるのなら、とっくに逃げている。
 例え侍のように腰に差して携える刀があったとしても、男は逃げの一択を選んでいただろう

 男はただの大工だ。
 親方の指示に従ってノコギリで木材を切って
鉋で削って。一つの家を組み立てるのを生業にしている男に真っ向から立ち向かうだけの心構えは皆無だ。

 ミシッ。

 ギシッ。

 ギキッ。

 また一つ、一つと階段を上る音は鳴り止む気配がない

 同時に子供の声が紡ぐ犬の鳴き声も収まらない。というより、段々と強まって来ている気がする。
 
 バッ!

 襖が人の手もなく、勢いよく開いた。
 鋭い歯の羅列。
 まるで、目一杯開かれた獣の口のような、そんな光景を最後に男の意識はプツリと途切れた。



※  ※  ※



「聞いた? 池屋のとこ大工さん殺されたって」

「聞いた聞いた」

「あたし、知り合いに岡っ引きやってる人いるんだけどさ、そりゃあ無惨な殺され方したみたいよ。まるで犬か何かに食い散らかされたようだって……」

 ふと流し目に、耳を傾げれば、三人の家内の女性らが定番の井戸会議で盛り上がっていた。
 まぁ、場所が飯屋である点はあれど、『本質』に違いはない。
 しかし挙げている話題はかなり物騒な内容だった。

 曰く、『まるで、野犬か獣に喰い殺されたようだ』と

 
 曰く、『だが噛み跡が異様に大きく、どの遺体も胴体から腹部、時には頭半分に及ぶほど一口で喰い千切られた状態だった』と。

 曰く、『とても普通の獣のそれじゃない』と。

 そんな風に言われたことから、俗称として『人喰らい事件』あるいは『襲犬事件』とも呼ばれている。本当に凶暴な犬がやったのかどうかについては、断定できないのだが。

「あんた、見ない顔だね?」

 飯屋のおやっさんが声をかければ、流し目を引っ込め、今度はそちらへ向ける。

「まぁ、旅で来たものでね」

「そうかい。しかし旅で来るには時期が悪りぃな
あんちゃん」

 コトンと音を鳴らしながら茶を一杯置く。

「あそこで駄弁ってるお客さんたちの話聞いただろ。 事件が起きてんだよ事件が。それも人喰いだ」

「はは。そいつぁ怖いねぇ」

 単語を聞いただけで怖気そうになるものだが、『男』は軽薄に笑うだけだった。

「いやいや、笑えねぇって」

 それにおやっさんは、手をふって言う。

「だってぇ、デケぇ獣が人襲ったんならよ、どうやったって跡が出るだろ? それに人だって気付くはずだ」

「ほう。もしや、それらが無いと?」

「そうだよ! ねぇーんだよ何も」

 被害者の遺体はどれも同じ。まるで大きな獣か犬にでも一口で喰い千切られたように身体の大半を消失させている。
 もし、だ。
 それほど巨大な犬、ないし獣が出たのなら、夜間であろうと人が気付くし、何より相当暴れる筈だ。
 その痕跡が一切ないなど有り得ない。

「まるでそんな事実なかったって、感じらしいぜ
。奇妙奇天烈たぁコイツのことだよ、ほんと」

「でしょうね。僕もそう思いますよ」

 手に取った茶を一口啜る。
 緑茶特有の渋味がある旨さが口内に広がり、それをゴクリと。喉を鳴らして飲み込む。

「人間でも、ましてや普通の獣でも無理でしょう。この世の理に反するモノ、を除けば」

「? なんだいそりゃ」

「"怪異"、とかですよ」

「………お前さん、アレか? インチキ祈祷師の類か?」

「おやおや、そっちか」

 てっきり笑い飛ばされるのかと思っていたが、予想に反して返って来たのは猜疑的な視線と言葉だった。
 男は思わず苦笑する。

「人を騙してたりはしませんよ。でも、どう考えても其れ等が本当だとしたら。それって普通の獣の成せる業じゃあないと思うんですが」

 真夜中とは言え、人に気付かれず、大胆にも人の建物に侵入して身体の大半を持って行く獣が本当にいるだろうか?
 いや、いないだろう。
 人が侵入して刃物で対象を暗殺するのとは訳が違う。
 必ず荒事になって、人に気付かれる。
 そもそも人間の身体の大半を一口で持って行くような獣が小さい訳もなく、憶測で見積もっても羆の倍は大きいだろう。
 そんな獣が江戸の街の民家に入りこみ、それに誰かが全く気付かないなど、どう考えても有り得ない。
 
「そ、そりゃあそーだわな。疑って悪かったよ兄ちゃん」

「いえいえ。こんな格好してますから、変な事言ったら誤解してしまうのも無理ありませんよ」

 その通りだ。言われてみれば、男の格好は花を模ったような紋様が下半身から胴体にかけて広がり、両肩には眼紋を意識したものまである。
 明らかに奇抜で、いくら歌舞伎者でも着ないような装束だ。
 そんなものを着ていて、怪しい目で見るなと言うのは無理な話だろう。
 それを自覚しているからか、男はそう言って
また一口茶を啜る。
 湯呑みの中を見れば、だいぶ茶が減ってもう半分以下だった。

「しっかし化け物たぁ……まぁ本当にそうかは分からねぇーけど、人でも化けもんでもいいから早くお縄に付いて欲しいよ俺ぁ」

「ですよね。ご主人も餌食にならないよう気をつけて下さい」

「え、縁起でもねぇーこと言うなよぉ……」

「ふふ。すみません。お茶ありがとうございます……お代は」

 懐から出そうとしたところ、待ったをかけた。

「いやいや、いいよ。タダだ。兄ちゃんと話したくて出しただけだし」

「ありがとうございます」

 軽く会釈して、男は飯屋を後にする。
 雑多に賑わう人々の中を悠々と歩きながら、男はスンと鼻を鳴らしてソレを嗅ぎ取る。

「こいつぁ……骨が折れるかも」

 誰に言うわけでもない独り言は、賑やかな雑音の中に溶けて消えていった。



※  ※  ※



「ご親族の皆様、お集まり頂きありがとうございます」

 江戸の街にはその種別を問わず、いくつかの名家が存在する。
 その影響力と権威は計り知れず、少なくともこの江戸において名家を相手にやり合おうなどと安易に考える者はいない。
 その一つ、犬神家では親族皆が居間に集まり
、例外なく全員が喪に服していた。
 つい先日、犬神家当主『犬神佐之助』が人生の幕を下ろした。
 90歳という高齢を生きた傑物は後に残された自らの遺産と次期当主の座を考え、予め遺書を書き残していた。
 内容は佐之助の息子と娘『犬神戌亥』と『犬神澄』の二人と義理の娘『犬神珠希』の遺産相続に当たり、戌亥と澄に3割、珠希に7割を譲渡するというものだった。

「納得がいきません!!」

 当然、これに異を唱える者がいた。
 戌亥と彼を次期当主に据えんと掲げている戌亥派の面々だ。

「戌亥様は次期当主ですぞ。そのお方を差し置いて外様の娘が遺産の多くを貰うとはどういう了見なのですか!」

 戌亥派の顔役『佐賀未久蔵』がここぞとばかりに声を張り上げる。
 確かに珠希はあくまで義理の娘であって、血の繋がりはない。
 血筋を持たない外の人間に遺産を多く譲渡するのは、些か理に適っていないと言われても仕方ないだろう。
 
「しかし、遺書にはそう書いておりましょう?」

 平坦な声が久蔵の声に抑えを掛ける。
 久蔵の向かい側に位置する座にいた能面のような顔つきの男『堺鉢君蔵』。
 戌亥派と対立する"才見派"の顔役である。
 才見派は血統に基づく当主制は家そのものを破滅に導くと考え、血でなく才能に富んだ者を当主に据え置こうとする派閥で、血統を重んじる戌亥派と反りが合う筈もなく、水面下では熾烈な権威争いを何度も起こしている

 故に口論の二つや三つ起きるだろうと全員が予想してはいたが、全くその通りになってしまった。

「ならばその通りにすべきでは?」

「小賢しい。貴様らは優秀であれば当主など誰でもいいと思っておるのだろう。浅はかな。珠希の小娘をお前たちが担ぎ上げる痴れ者にあてがう腹積りだろ」

「私は貴方の物言いに対する言葉の是非を問うたのみ。話をズラしたあげく粗雑な物言いとは。感心できませんぞ」

「貴様らが腹に抱え込む企みを暴いたのが、気にでも障ったか? ふん。この程度、その辺の百姓でも分かるわ間抜け」

「……よろしい。話を戻しましょう」

 君蔵は、能面を崩しはしなかったが僅かに眉が反り上がり、眉間に微かな皺を作っていた。
 苛立っている証拠だ。
 
「遺書が現当主、佐之助様が書いたものであるのは立会人となった私、そして久蔵殿が確認しているので間違いようもありません。そうですよね?」

「確かに。それが何か?」

「ならば遺書は変更なく、その通りにするのが当然でしょう。文句など口にする余地があると?


「それは……ぐっ!」

 反論しようと出かかった言葉を無理矢理飲み込む。
 遺産相続における当人の遺書は決してただの紙切れなどではなく、それ自体に法的効果がある。
 それは現当主の座に座れた戌亥でも、覆す事が出来ない程だ。
 直情的なのが災いして口走ってしまったが、それを理解できない久蔵ではない。

「ふむ。反論しない、と言う事はご理解して頂けたかと思ってよろしいですね。では、沢城殿」

 遺書を手に、司会進行をしていた佐之助の家臣『沢城清野』はその言葉に深く頭を下げ、了解の意を伝える。

「では、この遺書通りに実行すると言うことで本日の一族の集いを解散とさせて頂きます。現当主となった戌亥様、何か一言あれば」

 親族たちの目が一斉に戌亥に向けられる。
 様々な感情、思惑が交錯する視線の嵐の中で、戌亥は立ち上がる。

「今日を持って現当主となった犬神戌亥。我が一族繁栄の為、尽力することを誓おう」

 一旦間を置き、再度紡ぎ出す。

「とは言え、まだこの身は若輩に過ぎず、発言等に至らなさがあれば迷う事なく、遠慮なしに言ってくれて構わない。私自身、引いては一族の面目に影響してしまう故、よろしく頼みたい」

 取り乱す事なく粛々と、流暢にそう締めた。







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