怪異ノ語リ噺

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〜〜江戸編 『犬神』〜〜

一節 血の開演

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 犬神家は、元を辿ればただの商人で小物屋を営む男から始まった。
 後に初代当主となる『飽之助』と言う男は犬を守り神として奉り、犬に因んだ名前の商品を販売。
 小物の品はどれも形質が良く、見栄えもさる事ながら物品としての利便性、壊れ難いといった質の良さが売れるに売れていき、大繁盛。
 今や江戸中にその影響力を持つ名家にまでのし上がった犬神家は、数ある他の名家と並んでも大きいものになった。
 特に3代目当主である佐之助の尽力が大きかっただろう。
 彼が居なければ、犬神家はそこそこ大きい程度の商業の家にしかならなかった。
 
「ほう……本当に立派な方なんですね」

「そーなんですよ!!」

 犬神家の屋敷。その裏側に位置する台所で楽しげな談笑の声が弾む。
 見えないところで男女が二人というのは些か妖しい間柄を想起させてしまうが、生憎二人の間にそんなものはなく、ただ純粋に話をしているだけだ。

「江戸内で幅を利かせられる名家って有数ですから、その中の一つに成れるって本当に凄いですよ」

 ここで奉公している女中『松葉』は犬神家で働き始めて、かれこれ半年は経つ。
 それ以前は他の所で奉公に出ていた彼女から見ても犬神家は大きいばかりか人当たりは皆良く、環境も好印象である。
 
「そんな所にお勤めになられるとは。はは、羨ましい限りで」

 そう言って笑う男を、松葉は改めて一瞥してみる。薄萌葱色の髪を長く伸ばし、左端の一房を団子のように丸めて連なる形にした独特な髪型。
 着物は橙色の生地を成し、左右、胸の上の肩に黄色い眼紋のようなモノを描き、腰から足には青い水とも花とも取れる紋様柄。
 下部の縁には炎柄が描かれているといった仕様の格好で、俗に言うところの芸者を思わせる見た目だった。
 だが男の話し方や所作、雰囲気からはそんな感じが一切せず、むしろ芸者とは違う高貴な身分を連想させた。
 
「……気になっていたんですが」

 そんな物思いに耽っていた松葉を他所に男は一つ問いを投げた。

「やたら、犬の要素を感じさせるものが多いですね。ここ」

「へ? あ、あー、それはアレですよ!」

 いきなり問いを投げられるとは思ってもいなかったらしい。
 やや慌てた様子を見せつつ、松葉はなんとか男の問い答える。

「玄関入り口の犬の像とか、犬を模った灯篭とか、屋敷の塀の壁なんか犬の足跡の紋様があるんですけど、そういうのって犬神家が犬を神聖視してるからなんですよ」

「犬を? まぁ、一部の神社とかだと犬が神の使いになってたりしますからね……由来とかは分かりますか?」

「由来ですか? たしか……犬神家の初代当主が犬に助けられて、そこから犬好きになって……っていう話でしたね」

「なるほど。しかし、ここまで犬を神聖視する割に…」

「犬は1匹もいない、ですか?」

 ふと声が掛かる。
 二人が視線を向けば、台所の出入り口に誰かが一人立っていた。
 紺色の着物に長い黒髪を真っ直ぐに伸ばした女性だ。

「来賓の方……ではありませんね。何用ですか?」

「あ、あの! この人は……」

「どうも失礼致しております。しがない旅の者なんですが、ちっとばかしここが気になってしまいましてね。つい押し掛けてしまいました」

「まぁ、それは……」

 特段責める様子はないものの、困った表情で男を見る。何の関係もない外様の人間が屋敷に入る事自体、普通に考えれば有り得ないだろう。
 これが高貴な武家の家柄なら、屯所に引き渡される間も無く手討ちになっても何らおかしくない。
 だと言うのに、男は『ついやってしまった』と言わんばかりに惚ける。
 格好もさることながら、奇妙な輩、というのが女性の見解だった。

「女中頭…女中たちを束ねる立場にある『おつね』と言う者です。松葉の勝手な判断で招いてしまったとは言え
、犬神家はどのような人間であれ無碍には致しません」

「なんと! いやはや助かりました。てっきり良くて屯所、悪くて手討ちになってしまうのかとヒヤヒヤしましたよ」

 言葉の割に焦った様子はなく、むしろ余裕だ


「とは言え、台所までです。来賓ではない方を他へ上がらせるわけには行きません。今日は現当主の大事な日ですから」

「大事な日、ですか。聞いても?」

「関係のない方に話す義理はございません。松葉
。お茶をお出し」

「へ? は、はいぃぃぃ!!」

 女性の厳格な言葉は松葉の頭の中に入っていないにも関わらず、彼女を迅速に行動させた。
 ギラリと睨んだだけなのにここまでさせるとは。
 なるほど。
 女中頭と言うだけあって其の為に培って来た重みが相当なのだろう。
 男は、内心そう思いながら慌ただしく茶の用意をする松葉から視線を逸らすと、今度は女性へ一瞥を投げ入れる。

「話す義理はないかと存じますが……今し方言った犬は1匹もいない、とは? この犬神家は犬を信奉しているんですよね?」

「………犬は犬でも、初代当主が飼わられていたとされる犬を信奉しているんです。ただ、それだけですよ」

「ほほう。詰まる所、犬神家にとっての犬とはその犬だけ。決して他の犬には目移りをしないし、してはいけないと言う事ですか?」

「そうです。神様に等しいのです。だから我々の苗字は犬神であり、相応の礼を尽くすのです」

 さほど、おかしくはない。
 神事には様々な決まり事があり、例えば病の神『稲荷』を祀っている神社なら「参拝の際に犬と一緒に入ってはいけない」と言うのがある。
 『稲荷』は狐であり、犬をかなり忌み嫌う為だ。
 犬を飼わないというのは、そういった神事の仕来たりに近いものなのだろう。

「さながら、甘えん坊で嫉妬深い貴娘を扱うかのようですね」
 
「はい、お茶ですぅ!!」

 素早い割に乱雑さが見受けられない所作で男の前に茶の入った湯呑みが置かれる。
 優しいとは言っていたが、教育に関しては厳しくされたのだろう。
 それが身に染みた賜物なのか、一切の無駄が
なかった。

「いただきます」

「それをお飲みになられたら、すぐにお引き取りを。そして松葉さん。後でお話があります故、私の部屋に。いいですね」

「は、はいぃ……」

 外部の人間を安易に招き入れてしまったのだ
。本来なら説教程度で済ましていい話ではないので、おつねの言葉は厳しくもあるが、松葉に対する温かみがあった。

「……(こいつはぁ、悪いことしましたね)」

 などと思いつつ、ゆっくりと口に茶を流し込んで行く男は至って平坦に二人を見た。



※ ※ ※



「お集まり頂き感謝する。私がこの犬神家、犬神戌亥です」

 犬神家の屋敷の中で一際大きい居間。
 そこに犬神家の親族、間接ながらも関係のある者達が一同に会していた。
 その空気は剣呑さを張り付かせ、かなり重苦しいものだった。
 早い話が就任式だ。一人息子の長男が亡き父の後を継いで犬神家の当主となる。
 それ自体に何ら問題はない。
 問題なのは遺産の相続だ。
 通常なら遺産の譲渡権を持つのは現当主となった犬神戌亥。
 しかし先代当主である『犬神佐之助』はあろうことか直接的な血の繋がりがない義理の娘『犬神珠希』に遺産を相続させたのだ。
 これには犬神戌亥を現当主と担ぎ上げている戌亥派、才能ある者こそ現当主の価値があると唱える才見派の両派閥は一切理解できないし、納得もできなかった。
 何故、当主でも無ければ血の繋がりもない一人の小娘に莫大な遺産を譲渡させるのか。
 故人となった佐之助の真意を問うことなど、もはや、できはしない。
 『現当主の遺言は妄言だッ!』
 『法的価値は一切ない!!』
 こういった具合に戌亥派は真っ向から遺言通りになどさせないと荒息を吹きまくっている。
 対する才見派は特段焦りはなかった。
 そも、小娘一人に遺産が渡るならそちらの方が御し易いからだ。
 戌亥に遺産が譲渡されたとなれば、一気に力を付けて寝首を掻かれかねない。
 おそらく既に戌亥は才見派…引いてはその頭目である堺鉢君蔵の思惑には薄々勘付いている
筈。
 少なくとも君蔵はそう見積もっている。
 だが、同時に。
 勘付いていても、どう立ち回ればいいか分かっていないし、実際やろうとしても巧くできはしないだろうとも鷹を括っていた。
 戌亥を現当主と見做さない理由がソレだ。
 戌亥派であり、顔役兼後見人である『佐賀未久蔵』の補佐があっても、それ無しではどうにもできない。
 もし勝手にやらかして、それが犬神家存続の危機を招くなどの事態が起きれば目も当てられない。
 君蔵にしてみれば、そんなもの到底容認できるものじゃない。
 だからこそ、珠希には暫く傀儡になってもらい、君蔵が当主にと認めた男を当てがう。
 もちろんその過程で戌亥を現当主の座から引き摺り下ろすことになるが、それは追々。
 今はまだ機を見計らう時期だ。

「では、継承の儀を執り行いとうございます。
皆様、儀式の間は何卒ご静粛に」

 先日の集い同様、司会進行を務める沢城清野
はゆるりと、しかし確かな厳格さをもってこの場の全員に釘を指す。
 犬神家は代々当主の座を継ぐ際に神事のような儀式をする。
 手順は四つに分けられる。
 一つ、三法に置かれた犬を模った木製の容器を用意し、その中に予め入ってある赤い液体を手に少量出してもう片方の手の平に犬と描く。
 二つ、今度は容器の中の液体を少量飲む。
 三つ、祝詞を口にする。

「"犬神様。犬神様。我、御身のお力の依代なり。どうか受け入れられよ"」

 最後の四つ。それは……。



※  ※  ※



「………!!ッ」

 男は突然目を見開く。
 
「ど、どうしました?」

 まるで何かを見て悟ったような表情をする男
。そんな姿を怪訝に思った松葉が声をかけてみるが、反応はない。

「?? いったいどうし…」

 おつねも気になり出したが、それを遮るように男は正座の姿勢から一気に立ち上がる。

「勝手上がりて、失礼する!!」

 一言、そう告げて台所から屋敷の中へと土足で上がり込む。
 おつねの静止の声も振り切り、韋駄天ばりの速度で屋敷の中を駆け巡る。

 キィンッ!

 短く、金属のような固いもの同士を合わせた音が男の耳朶に届く。

「ここか」

 男が止まったのは、犬神家親族一同が集まっているあの居間の障子だった。
 遠慮なく、男は勢いよく障子を開いた。
 
 赤色が男の視界いっぱいに広がる。
 
 居間の大部屋は畳も壁も、天井も黒混じりの真っ赤な色彩で染まり、それ以外には人影が四つ。

 一人は、犬神珠希。
 
 二人目は、堺鉢君蔵。
 
 三人目は、佐賀未久蔵。
 
 最後の四人目は……


 
 





 腑を食い千切られ、四肢を切り裂かれ、壮絶な表情を顔に張り付けて事切れている犬神戌亥だった。



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