怪異ノ語リ噺

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〜〜江戸編 『犬神』〜〜

四節 犬神ならざるモノ

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 犬神家の屋敷は静寂と薄暗い闇が支配していた。
 外から聞こえていた大通りの賑やかさは無く
、売り物をこれ見よと宣伝する商人の声や楽しそうな行き合う人々の話し声。
 果ては、ちょっとした事で起きる喧騒の声も
、何も聞こえやしない。
 本当にここは外界と隔離されてしまったのだ
。焔の言葉をより実感してしまう。
 松葉、君蔵、久蔵の三人は焔を先頭に、何もかもが聞こえない無音の世界と化した屋敷の廊下を歩いていた。
 
「しかし意外ですね。僕たちと一緒に行きたいなんて」

 いつ犬神が襲って来るか分からない状況だからか、空気が重く張り詰めていたところを、焔が沈黙を破る。
 
「松葉さん」

 名前を呼ばれて、それが自分に向けられたのだと気付いた。

「い、いやぁ~……確かにすっごい怖いんですけど。でも焔さんがいると安心できますから!」

「これ、松葉! こんな妙な男に肩入れなどする
な!」

 安易に信用するなとばかりに声を上げる久蔵は、確かに一理はある。
 怪異だなんだと胡散臭い事ばかりを語る輩を
容易に受け入れでもすれば、碌なことにならない。
 もっとも、この状況下においてそれは、意味を為さないが。

「そう食って掛からんでもいいでしょう」
 
 君蔵が、真逆の言葉で割って入る。

「この者のおかげで命拾いしたのは事実。怪しいのは否定しないが、そこだけは認めなくては」

「……ふん。勝手にせい」

 やっぱ犬猿の仲だ。この人ら。
 改めて松葉は心の内で、そう思った。
 
「信用してくれるのは、ありがたいです」

「助けてくれたんですから当然ですよ」

「……焔、殿は言いましたな。手順と要が条件だと。その…」

「万具に一番大事なのは『要』の方です」

 言いたい事を察した様子で、語り始めた。

「確かに手順も必要ではあります。名前を知れば対策の仕様はありますから。何を用意するべきか、どんな方法を使えばいいのか、それが自ずと分かります」

 口調は平淡としていたが、重みがあり、それがいかに大事かを説いている様に思えた。

「依代探しも、その一貫で?」

「左様です。依代はこの世ならざる世界にいる存在を我
々の世界に繋ぎ止める楔。あるいは、杭に近いですね」

「杭…?」

「杭は浅く打てば容易く抜かれてしまうが、深ければ深いほど固定され、そう簡単には抜けません」

「つまり、依代を壊すのは、繋ぎ止めるのを防ぐ為と?


「はい、その通りです」

 焔の流し目の視線が君蔵を見る。

「ですが、壊れたからと言ってソレで解決とは行きません。一度現世に顕現すれば荒御霊の怪異は災いを齎す」

「じゃ、じゃあ、依代探しって意味が無いんじゃ…」

「いえ、意味はあります」

 平淡な口調に僅かな力が籠る。
 その微かな機敏は分かりやすく、3人にも伝わった。

「力を著しく弱めることができますから。だから、これから我々がやる事は無駄ではないんですよ」

 振り返って、にこりと微笑む。
 改めて見ると本当に美しい。松葉は近所で有名な二枚目顔を何人か知っているし、実際に見てもいるのだが、焔の美貌はどれにも当て嵌まらない。
 あまりに浮世離れにしていて、微笑むだけで心を絡め取られてしまうかのような。
 だから、だろうか。
 信用はしているが、焔の事を恐ろしいと感じる自分がいた。
 『畏怖』、とでも言うべきだろうか。

「ここは?」

「客間だ。犬神家の屋敷は客間がいくつかあり、これはその内の一室になる」

 部屋自体は特におかしい所はなく、五畳分の広さに箪笥や丸い卓が置かれている程度の、こじんまりとした一室だ。
 焔はゆっくりと部屋を一瞥する。
 そして、一吸い。
 少し深めに鼻腔から息を吸い込む。

「に、匂いますか?」

「……いいえ。何も」

 ここではないらしい。

「ですが、微かに匂いは漂っています。近くにあるかもしれません」

 とりあえず部屋を後にし、焔の嗅覚を頼りに次へ進んで行く。

「この部屋は?」

「泊まりの部屋だ。客人を泊める場合もある故、その為の部屋が幾つかある」

「ここは?」

「金魚鉢を置く為だけの部屋だ。身罷られた先代が大層な金魚好きでな。亡くなった後は全て撤去し、金魚は知り合いの愛好家へ譲渡された」

 ざっと一通り、屋敷の内部は記憶できた。
 何処にどういった部屋があるのか。部屋一つ一つの間取りもきちんと覚えたが、肝心の依代がどうにも見つからない。
 匂いはある。
 確実にあるのは間違いないのだが、ただその形を掴めることができない。

「おい! まだ見つからんのか!」 

 当然、そうなって来ると人間の感情は焦燥に駆られてしまうもの。
 久蔵がその典型のようだ。

「そんな怒鳴らなくてもいいじゃないですか!」

「むぐっ……え、ええい! そもそもだ! もっとマシな方法はないのか?! 匂いで探すなど


「犬の様だ、と?」

 ただ、一瞥しただけ。
 それだけなのに臓の底に入り込み、鷲掴みされた嫌な気分を覚えてしまう。

「……そろそろ、話して頂けたら嬉しいんですが」

「な、何だ藪から棒に! 話す事など何も……」

「何故犬神がこの家を祟るのか。何故、江戸の町で人を喰い殺すのか。心当たりがおありなのでは?」

「……巷で人が喰い殺される事件が起きてると聞き耳に及んでいたが、まさかその下手人が犬神と?」

 江戸で起きている『襲犬事件』に関しては君蔵も一応は知っていた。
 争った形跡も、何一つの痕跡もなく、ただ人が何か大きな獣に喰い殺された状態で見つかる異様な事件。
 あくまでそれを噂程度の事だと思っていた。瓦版の人間がそう面白おかしく話を盛っただけで、実際はどうということはないと。
 そう、たかを括っていた。

「『人』じゃありませんけどね。で? 話して頂けるんですか?」

「ふざけるな! 何も話す事なぞない!!」

「……やれやれ。面倒なお人…!!ッ」

 何かに気付き、焔は背後を振り返る。
 視線の先は廊下の突き当たりを捉えていた。

「な、なんだいきなり!」

「来る! ……ヤツの足だ!」

「あ、足?」

 わん。わん。わぉぉぉぉーーーん!!

 まるで面白おかしく、犬の鳴き真似をする子供の声が廊下中に響き渡る。
 奇怪なのは、その声が一つだけではなく無数に。それも壁や天井と四方八方から聞こえて来るのだ。

「な、なになに?! 何なのぉぉ?!!」

「子供の声? しかし……」

「あぁぁ……お、?」

 声は止まらない。ひっきりなしにわんわんと
犬の鳴き真似が響く中、ふと、声がより大きくなるのを全員が感じ取った。

「来る! ハァァァッ!!」

 自身の両手を前へ翳す焔。すると手の平から一つの火が溢れ、そこから無数の礫が飛び出す。
 礫はピタリと宙に止まり、三重の円を描きながら不可思議な淡い黄色の光を放つ。
 よく見れば、それは勾玉だ。
 あの橙の勾玉とは違う、黄色の勾玉。
 刹那。勾玉の幾つかが弾け飛ぶ。
 早く、鋭く、しなやかに自在に伸びる犬の前足のようなものが四つ。
 三重の勾玉の障壁と何度もぶつかり合い、その都度勾玉が一つ、また一つと欠けていく。
 
「予想よりも強い……かッ!!」

 瞬間。勾玉の光が一際強くなる。
 その眩さに耐え切れないとばかりに突き当たりの奥の方へと引っ込んで行く。

「追い払ったのか?!」

「まだだ!」

 犬神は諦めてなどいない。
 この程度で退く程度であれば、とっくに祓えている。
 焔の言葉通り、今度は脚だけではなく、頭と体を出して来た。
 褐色を帯びた黒い身体は液体かと思うほど不定形にうねり、蠢き、かがち色の悍ましい目がある頭部にはずらりと並んだ鋭く象牙色の歯が顔を覗かせる。
 まさに異形の獣。
 これが呪術の化身たる怪異『犬神』の姿。

「こ、こ、これが……」

「犬神ぃぃッ?!!」

「拙いな。もう見えている!」

 怪異は顕現するに当たり、完全ではない場合、目や鼻、耳といった感覚や部位の欠損など、何処かが欠けている状態になる。
 犬神も、そうだった。
 かがち色の目はあっても、見えてはおらず、
だから焔が使用した橙の勾玉の力で隠すことが出来た。
 橙の勾玉は人の体臭と気配、それらを一時的に消すことで怪異から人を隠すことができる。
 だから、あの時は上手く行った。
 尤も見えてしまえれば、意味はないが。

「逃げろォォォォ!!!!」

 焔の怒号が3人の耳朶を叩き、鼓膜を揺らす。
 一目散に駆け出した。
 後ろへ身を返し、恐怖で引きずる筈の足を無理矢理にでも動かして駆け抜ける。
 ほぼ無意識だった。
 何処を目指す訳でもなく、ただ駆けるしかない。

「どぉぉぉするのぉぉぉぉコレェェェェッッッ!!」

「その部屋へ!!」

 遅れて焔が合流する。背後からはわんわんと
子供の声と獣の様な唸り声が響く。
 おそらく、あの三重の勾玉が進路を塞いでいてくれているのだろう。
 だが良くて塞ぐだけ。祓うことは叶わない。
 その内全て弾けて砕けて、すぐに追って来る。
 だからこそ、焔は3人をすぐ目の前にある部屋へ誘導した。
 
 バッ! ダァンッ!!

 即座に襖を開け、間髪入れず閉じる。
 だがこれだけでは意味がないので、焔は次の手を講じる。

「失礼」

 そう言って懐から取り出したのは一本の筆。
 毛先には何も付けていない為、純白のままだ。
 何も付けない筆では、何も書く事などできない筈。
 なのに、焔がそれを取り出したのには理由があった。

「『結』、『封』!!」

 なんと、書けたのだ。
 『結』と『封』の二文字を唱えた直後、筆の毛先が朱色に染まり、文字を描いた。
 『結』と『封』の朱い線で描かれた二文字は淡い光を伴い、うっすらと輝く。
 直後。襖を叩きつける音と同時に部屋全体が揺らぐ。犬神がこの襖を打ち破ろうとしている
のだろう。
 苛立しい。
 そんな思いを込めた様な獣の咆哮が絶えず襖の向こう側から聞こえて来る。
 
「焔さん!」

「待つしかない! 奴が諦めるのを!!」

 松葉が何を言いたいのか。それを悟ってか簡潔に言う
。耐えるしかないと。
 万具の力を解き放てない以上、怪異を祓い滅することはできない。
 要を揃えるまでは。こうして時間稼ぎをしていく以外にないのだ。

 早く! 早く! 諦めろ!!

 おそらくその思いはこの場にいる全員が一致している心境だろう。
 そして、叶った。
 次第に音が弱くっていき、唸り声も細くなる。そうして音と揺れが収まりを見せ、今までが嘘の様な静寂が訪れた。

「た、助かった…の?」

「ええ。気配は去りました」

 焔の言葉に松葉、久蔵、君蔵は堪らず安堵の息を溢す

 生きた心地がしないとは、この事だろうか。
 それでも犬神の餌食にならず、生き延びることができたのは幸いだった。
 しかし、焔だけは違った。
 一息つく暇もなく久蔵の下へ歩み寄るな否や、言い逃れなど許さないとばかりに睨みを利かせて来た。

「久蔵殿。知っている事を包み隠さず、曝け出して欲しい」

「ま、まだ言っているのかお前は!! わしは…」

「""と申されましたよね?」

 その言葉に心臓が掴まれた様な錯覚を感じる久蔵だが、それでも知らないと抗議する。

「し、知らん! あんな状況だったのだ! よ、世迷言の類だ!!」

「確かに。人は極限の状況下では乱心し、根も葉もない戯言を口にする場合はあります。それは認めます。が……この万具と僕の勘が違うと言っているのですよ」

 万具を取り出してみれば、太極図を形成する勾玉の内、赤い部分に金色の波打つ線が現れ、揺ら揺らと小さく動いている。
 線は赤い部分の中にある黒い点へと集中しており、薄らとだが、点の中に文字の様なモノが見える。

「反応しているんです。理由に。何故現れ、人を襲うのか。その理由を、貴方が知っているとコレは示している」

「ッ……出まかせを言うなァ!!」

「では、このままで良いと? 犬神という怪異の腹の内に収まっても問題ないと語るか?」

 両者は一歩も引かない。引く気など更々ないと、口に出さなくてもそう語っていた。
 するとその沈黙を破るものがあった。

 ダッ、ダッ、ダッ、ダッ!!

 天井から聞こえて来たのは、何かが飛び跳ねて周っている音だった。
 鼠じゃない。鼠にしては音が大き過ぎるし、それは鼠や鼬といった小動物より、むしろ人に近かった。
 人が飛び跳ね、駆け回っている音の様に思えた。
 
「ひ、人がいる?!」

「バカな!! 天井裏は低い! 子供でも駆け回るなどできん!!」

 犬神屋敷の天井裏は低く、3歳の子供でも屈んでしまうほどの尺だ。
 自由に走り回って、など到底できない。
 それを知っているからこそ久蔵は松葉の予想を否定したが、焔は違った。

「確かに人は無理です。人、は!!」

 筆を構え、宙に『封』の文字を描く。
 書かれた瞬間、封の文字は勢いよく天井に張り付くが一足遅かった。

 ぶぉぉんッ!!

 重く低い妙な音と共に天井に穴が開く。
 しかし不思議なことに穴が開いても壊れた音は一切聞こえず、それどころか木片やら瓦礫の
一欠片もない。
 開いた穴からは、何も見えなかった。
 漆黒の闇が無間地獄のように延々と広がっているだけで、何もありはしない。
 この暗闇から何かが出て来そうな……そんな不安と恐怖が心中をじわりと染めて、身体の芯をも冷やしていく。

「い、犬神が天井裏から!!」

 ぐちょり。
 濡れた布を叩きつけ、動かすような湿り気を帯びた音

 穴の奥から聞こえて来る。
 ゆっくりと、何かが出て来る。
 
「違う……犬神じゃない!!」

 頭だった。
 白粉でも塗りたくったような白い肌をした、小さな歳の子供の首。
 だが、目は穴と同じで真っ黒で、何をも映さない。映すことすら拒絶する漆黒の両目は彼等を捉えて離さない。
 
「ーー、ーーーー」

 声にならない。だが、それはこちらに何かを伝えようと口を開け、動かす。
 喋っている。語り掛けている。
 だが、何を言っているのか分からなかった。
 瞬間。赤黒い液体が穴から零れ落ちる。
 ビチャビチャと垂れ落ちる液体は……血。
 鉄臭い異臭と色合いがそれを証拠として示していた。
 

 ドチャアァ……
 

 やがて、そうこうしている内に子供の頭部は床へと落ちる。
 水々しい音を立てて、もぞりと。
 子供の頭部と繋がっていた"身体の部位"がふらりと
覚束ない足取りで起き上がり始めた。

「あれは……人、なの?」

「……前までは、そうでしょうね」

 真っ赤に染まった赤い血肉を露出させた小さい体はやはりソレが子供である事を示していたが、異様な姿が人ではないと語っていた。
 
「白い顔の妖……"白稚子"か」
 



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