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●三ペエジ
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その日は小春日和ともいえる暖かな日だった。風もなく日当りの良い場所なら、外でも暖かい。寒い冬がやってくる前の、最後の穏やかな陽気だった。
「旦那様。今日は暖かいですし、たまには庭でお茶を召し上がりますか?」
旦那様の顔をしっかり見て、私は言った。この所仕事が忙しいのか、夜遅くまで書斎で書き物をされていて、お疲れのように見えたから。少しでも気晴らしになればと思って。
しかし旦那様は首を横に振った。
「私は太陽の日差しが嫌いだ。私から生気を奪っていくようで、忌々しい」
その言葉を聞いて、ふいに御坊ちゃまの冗談を思い出した。太陽の光が嫌いな吸血鬼。その姿と旦那様が被って見えたのだ。
「美佐。何かあったのか?」
言われてどきりとした。御坊ちゃまとのあの時の会話も日誌に書いたし、それを旦那様にも見せた。告げ口のようで御坊ちゃまに申し訳ないのだが、それが私の仕事だから仕方が無い。
旦那様の静かな瞳に、じっと見つめられると、嘘も隠し事もできなかった。恐る恐る……と重い口を開く。
「御坊ちゃまが言っていた、吸血鬼の話を、思い出してしまって……」
旦那様を吸血鬼のようだと思ったなどと、気を悪くされないだろうかと怯えたが、旦那様は微動だにせずにあっさりと言い放った。
「なんだ。その事か。安心しなさい、美佐。私は吸血鬼だが、お前の血を吸う事は無い」
思わず驚きの声をあげそうになって、慌てて手で口を塞いだ。
今まで旦那様の冗談を聞いた事も無いし、冗談を言ってるようにも見えない。
私が驚くさまを見て、旦那様は眉をひそめ、眼鏡のつるを押し上げる。
「善吉から聞いているかと思っていたが。知らなかったのか?」
祖父はそんな話を一度としてしなかった。こくりと頷くと、旦那様は、ほう……と溜息をひとつ零した。
「吸血鬼といっても、私の祖母がその家系であったというだけで、非常に血は薄い。だから日の光を浴びても死ぬ事は無いし、大蒜も十字架も嫌いだが、特に問題は無い」
開いていた帳面をぱたりと閉じ、机の上に両肘をつき、手を組んでその上に顎を乗せる。私の顔をじっと見た。
旦那様は興味が無いときは、まったく話を聞かないが、何かを話すときは、相手の顔をいつもじっと見ている。いつも通りの旦那様だからこそ、違和感しかなかった。
「摂取しなければいけない血の量も少ない。それも大替品があるし、二十年以上、生きた人間に噛み付いて、血を吸っていない。だから安心しなさい」
二度目の安心しなさいという言葉だったが、安心できるわけがない。
二十年以上吸ってないというが、逆に言えば以前は生きた人間に噛み付いて吸っていた。旦那様が化物だという話になる。
私が動揺から立ち直れないから、何を言っても無駄だと思ったのか、旦那様はこめかみをひくひくと引きつらせ、重々しく告げた。
「美佐。下がりなさい。夕食の時間まで休んでいて良い」
その言葉に縋るように私は部屋を飛び出した。
その日の夕食も、いつものように旦那様は食後のデザートを食べた。思い返して見ると、毎食だされるデザートの種類は色々だが、どれも赤みを帯びていた。
「今日もバタークリームに混ぜたのか。乳臭さでごまかしても、元の臭みは消えない」
「申し訳ございません、旦那様。近頃質の良い材料が手に入りませんので」
寺田さんは申し訳なさそうに頭を下げた。『材料』が何を意味するのかやっとわかった。人間の血液だ。旦那様は甘味好きなのではなく、血の味を楽しんでいたのだと、その時やっとわかった。
問題はその『材料』をどうやって手に入れたのか。まさか人を殺して……そう考えただけで、血の気が引きそうでガタガタと震えた。
「美佐。大丈夫か?」
御坊ちゃまが私を気遣うように、そっと声をかけてくださった。いつもは悪戯っ子のように笑っているのに、今日は珍しく真剣な顔。本気で私を心配してくださっているのだろう。
「美佐は私が吸血鬼だと知らなかったそうだ」
旦那様がそう言うと、御坊ちゃまはとても痛まし気に私を見つめた。
「美佐。前に揶揄って悪かったね。怖がらなくても大丈夫だよ。父上は人を殺したり、酷いことはしない。……売血行為は褒められたことではないが、それでも誰も傷つくことではないし、気に病むことはない」
「売血……行為?」
聞き慣れない単語に戸惑うと、御坊ちゃまは丁寧に説明してくれた。
自分の身体以外に財産を持たない貧しい人々がいる。彼らは生きる上で問題ない程度に血を抜かれ、その報酬として金をもらって、日々を生き抜く。
まだ研究中であるが、輸血という医療行為があって、その実験の為にそうやって血を集めているのだとか。
「研究に使うはずの血液を、密かに横流ししてもらっている。違法ではあるが、報酬は支払っている。私の支払った金で、貧しいもの達が生きていけるのであるし、誰も困らないのだから問題ない」
旦那様はそう言った。売血という自分の身を切り売りし、生きる人がいる事も知らなかったし、それを裏取引で売り買いするというのがおぞましい。
祖父が言っていた、桐之院家の闇とはこの事かと気づいて、目眩がしそうだ。
ーーこの時の私は、さらに深い闇が、この家に存在する事を知らなかった。
「旦那様。今日は暖かいですし、たまには庭でお茶を召し上がりますか?」
旦那様の顔をしっかり見て、私は言った。この所仕事が忙しいのか、夜遅くまで書斎で書き物をされていて、お疲れのように見えたから。少しでも気晴らしになればと思って。
しかし旦那様は首を横に振った。
「私は太陽の日差しが嫌いだ。私から生気を奪っていくようで、忌々しい」
その言葉を聞いて、ふいに御坊ちゃまの冗談を思い出した。太陽の光が嫌いな吸血鬼。その姿と旦那様が被って見えたのだ。
「美佐。何かあったのか?」
言われてどきりとした。御坊ちゃまとのあの時の会話も日誌に書いたし、それを旦那様にも見せた。告げ口のようで御坊ちゃまに申し訳ないのだが、それが私の仕事だから仕方が無い。
旦那様の静かな瞳に、じっと見つめられると、嘘も隠し事もできなかった。恐る恐る……と重い口を開く。
「御坊ちゃまが言っていた、吸血鬼の話を、思い出してしまって……」
旦那様を吸血鬼のようだと思ったなどと、気を悪くされないだろうかと怯えたが、旦那様は微動だにせずにあっさりと言い放った。
「なんだ。その事か。安心しなさい、美佐。私は吸血鬼だが、お前の血を吸う事は無い」
思わず驚きの声をあげそうになって、慌てて手で口を塞いだ。
今まで旦那様の冗談を聞いた事も無いし、冗談を言ってるようにも見えない。
私が驚くさまを見て、旦那様は眉をひそめ、眼鏡のつるを押し上げる。
「善吉から聞いているかと思っていたが。知らなかったのか?」
祖父はそんな話を一度としてしなかった。こくりと頷くと、旦那様は、ほう……と溜息をひとつ零した。
「吸血鬼といっても、私の祖母がその家系であったというだけで、非常に血は薄い。だから日の光を浴びても死ぬ事は無いし、大蒜も十字架も嫌いだが、特に問題は無い」
開いていた帳面をぱたりと閉じ、机の上に両肘をつき、手を組んでその上に顎を乗せる。私の顔をじっと見た。
旦那様は興味が無いときは、まったく話を聞かないが、何かを話すときは、相手の顔をいつもじっと見ている。いつも通りの旦那様だからこそ、違和感しかなかった。
「摂取しなければいけない血の量も少ない。それも大替品があるし、二十年以上、生きた人間に噛み付いて、血を吸っていない。だから安心しなさい」
二度目の安心しなさいという言葉だったが、安心できるわけがない。
二十年以上吸ってないというが、逆に言えば以前は生きた人間に噛み付いて吸っていた。旦那様が化物だという話になる。
私が動揺から立ち直れないから、何を言っても無駄だと思ったのか、旦那様はこめかみをひくひくと引きつらせ、重々しく告げた。
「美佐。下がりなさい。夕食の時間まで休んでいて良い」
その言葉に縋るように私は部屋を飛び出した。
その日の夕食も、いつものように旦那様は食後のデザートを食べた。思い返して見ると、毎食だされるデザートの種類は色々だが、どれも赤みを帯びていた。
「今日もバタークリームに混ぜたのか。乳臭さでごまかしても、元の臭みは消えない」
「申し訳ございません、旦那様。近頃質の良い材料が手に入りませんので」
寺田さんは申し訳なさそうに頭を下げた。『材料』が何を意味するのかやっとわかった。人間の血液だ。旦那様は甘味好きなのではなく、血の味を楽しんでいたのだと、その時やっとわかった。
問題はその『材料』をどうやって手に入れたのか。まさか人を殺して……そう考えただけで、血の気が引きそうでガタガタと震えた。
「美佐。大丈夫か?」
御坊ちゃまが私を気遣うように、そっと声をかけてくださった。いつもは悪戯っ子のように笑っているのに、今日は珍しく真剣な顔。本気で私を心配してくださっているのだろう。
「美佐は私が吸血鬼だと知らなかったそうだ」
旦那様がそう言うと、御坊ちゃまはとても痛まし気に私を見つめた。
「美佐。前に揶揄って悪かったね。怖がらなくても大丈夫だよ。父上は人を殺したり、酷いことはしない。……売血行為は褒められたことではないが、それでも誰も傷つくことではないし、気に病むことはない」
「売血……行為?」
聞き慣れない単語に戸惑うと、御坊ちゃまは丁寧に説明してくれた。
自分の身体以外に財産を持たない貧しい人々がいる。彼らは生きる上で問題ない程度に血を抜かれ、その報酬として金をもらって、日々を生き抜く。
まだ研究中であるが、輸血という医療行為があって、その実験の為にそうやって血を集めているのだとか。
「研究に使うはずの血液を、密かに横流ししてもらっている。違法ではあるが、報酬は支払っている。私の支払った金で、貧しいもの達が生きていけるのであるし、誰も困らないのだから問題ない」
旦那様はそう言った。売血という自分の身を切り売りし、生きる人がいる事も知らなかったし、それを裏取引で売り買いするというのがおぞましい。
祖父が言っていた、桐之院家の闇とはこの事かと気づいて、目眩がしそうだ。
ーーこの時の私は、さらに深い闇が、この家に存在する事を知らなかった。
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