妖狐

ねこ沢ふたよ

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1 白金狐

狐竜<こりゅう>

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 黄は、久しぶりに狐の姿になって山を走る。
 普通の野狐と同じ大きさの狐だが、見た目は違う。金の毛並みに二本の尾。人間に見つかれば、騒ぎになってしまうだろう。

 妖力をもう少しコントロール出来たならば、尾を一本だけにすることで、妖だとは分かりにくく出来るのだろうが、どうも白金のいう『器の穴』という物が邪魔をしているようで、黄は、妖力のコントロールがうまくいかない。

 体内の妖力を貯めておく器のようなものが、黄の場合は穴が開いてしまっているのと、白金は言っていた。
 なぜ穴が開いてしまったのか、何度聞いても、白金は教えてくれなかった。ならば、自分で調べるしかない。
 山猫の蒼月は、事情を知っていそうだったけれども、きっと白金の許可なく何かを話すことはないだろう。だから、山を越えて狐の里に行き、そこの長老の狐に聞いてみようと思ったのだ。

「黄……」

白金の管狐が、黄を追ってくる。スズメほどの大きさの小さな管狐。きっと、たくさんの管狐を飛ばして、黄を探すために、こんなにも小さな管狐を作ったのだろう。

「帰りませんよ。放っておいてください」

心配そうに並走する管狐に、ベッと舌を出して、黄はそっぽ向く。このまま白金の管狐が一緒では、狐の里に行っても、誰も何も語ってはくれまい。

「一人にして下さい。狐の里に行くだけです。これ以上くっついて来るなら、白金様のお食事には、ゼンマイをまぜますから」

 黄の言葉に、白金に管狐が、悲しそうにキュウと鳴く。

 白金の分身である管狐に、ホロホロと涙をこぼされては、黄の心は締め付けられる。子狐を想う母狐のように、いつまでも過保護に黄につきまとう。

 早く一人前の妖狐になって、白金と大人として並びたい。
 そう想う心に、白金は、少しも気づかない。
 白金とはずいぶんと仲が良さそうな蒼月と会って、ますます焦ってしまう黄の心を、白金は少しも分からない。

「もう、白金様が悪いんですからね。いつまでも『器の穴』の事情を教えて下さらないから」

 黄は、止まって人間の姿に転じる。
 白金に泣かれてしまっては、黄は弱い。
 管狐が、黄の肩に乗って、嬉しそうに頬に擦り寄る。
 黄の複雑な心境なんて、少しも理解してくれないくせに。

「黄よ。そんな風に言わないでくれ。私にも、言えない事情というのもがあって」

「だから、自分で調べようとしているのです。白金様以外から聞けば、良いでしょう?」

 黄の言葉に、白金の管狐が耳を伏せて考え込む。

「では、この管狐を傍に居させてはくれまいか? 心配なのだよ」

「白金様の管狐がいれば、皆、恐れをなして、本当のことを教えてはくれないでしょう?」

白銀の九尾狐、白金。稲荷神が殊の外お気に入りで、多少の我儘も許されてしまうほど。それに甘えて、仕事をサボりがちだが、妖力は恐ろしく高い。

 妖狐の中で白金を知らない者はいない。妖狐の長である九尾狐の中でも、良くも悪くも一目を置かれ、尊敬と畏怖の念をもって妖狐達は、白金を見る。

「うう……では、隠れて姿を現さないようにするから」

 その誰もが恐れる大妖怪の白金が、黄に懇願する。金の目に涙を浮かべて、黄を見る。
 母狐のつもりなのだろうな……。
 自分の欲しい感情とは違う物なのは、悲しい。だけれども、この妖狐の心を自分が独占しているのは、嬉しい。黄は、複雑でどうにも処理しきれない想いを抱えていた。

「仕方ないですね。絶対表に出ないで下さい。口出しも駄目ですよ」

黄が、そう言えば、白金の管狐がコクコクと首を縦に振った。


 妖狐の里は、もうすぐそば。
 妖狐にしか分からない狐火を辿り歩けば、目の前に急に現れる里。

「久しぶりです。黄様。今日は、白金様は一緒にいらっしゃらないのですか?」

 見張り小屋に居た狐が、そう声を掛けてきた。
 七尾の狐。すでに成人した妖狐。見た目も黄よりずっと年上に見えるが、黄よりも五十年は年若い狐。産まれた時のことも知っている。

「はい。一人で長老様の家に向かいます」

 黄は、そう言って道を急ぐ。
 他の狐と話したくはない。
 いつまでも子狐姿で尻尾も二尾しかない黄は、引け目を感じている。狐にとって、尾の数は力の象徴。馬鹿にされるのも癪だし、同情されるのは、もっと嫌だ。

 長老の家は、白金と一緒に尋ねたことがあるから知っている。里の一番端の小さな庵。そこでひっそりと暮らしている黒い狐。

「長老様」

外から戸口に声を掛ければ、

「おう。入れ。黄よ」

と、陽気な声が聞こえる。どうやら、今日も酔っていらっしゃるようだ。

 それでも、戸を開ける前に、一声で訪問者が黄だと分かるのは、流石というところだろう。
 部屋に、黒い毛並み、赤い目の九尾狐が、酒を飲んでいる。

「白金と喧嘩したか? また、だらしないことでもしたのだろう?」

長老狐が、自分の酩酊している姿を棚に上げてゲラゲラと笑う。

「いえ。違います。今日は、『器の穴』について教えていただこうと思って伺いました」

「『器の穴』だぁ?」

盃を傾けながら、黒狐は聞き返す。

「そろそろ、限界なのです。この姿で居続けること。私も、妖狐として一人前になりたいです。」

 黄の言葉を、長老は酒を飲みながら聞く。
 子狐の姿のままではどのように不便なのか、成長したくとも『器の穴』とやらの出来た理由が分からなければどうしようもないこと、切々と黄は長老に訴える。

「ふうん。そう言っているが、白金、いいのか?」

黄に言われた通りに姿を消して押し黙っていた白金に長老が話しかける。

「お気付きでしたか。長老様」

すうっと、結界から白金の管狐が姿を現して、長老に一礼する。

「お前の結界の匂いなんて、すぐ分かる。馬鹿にするな。それよりも、こちらへ来て酌をいたせ」

 白金の管狐が人間の形になって長老の横に座る。
 徳利をとって、盃に酒を注ぐ。それを、長老がうまそうに飲む。

「艶やかな美人に入れてもらった酒は美味いわ」

 長老が、満足そうに眼を細める。
 長老が、隣に座る白金の管狐の腰を抱きこんだまま、酒盛りを続ける。

「長老様。黄の言葉に答えてあげて下さい」

白金が、酒盛りをしたまま黄に答えようとしない長老に、文句を言う。

「なんじゃ、せっかく可愛いお前に会えたのに。相変わらず、つれない」

 長老は、クフン、と鼻を鳴らす。白金をぎゅっと抱きしめて、頬ずりをする。
 白金は、ご冗談を、と笑う。笑って、長老を押し返す。
 白金が黄に両手を広げる。
 黄は、白金の管狐の膝に載り、頭を撫でられる。愛しそうに黄の髪を梳く白金の管狐。その様子を見て、長老が、ケッと眉間に皺を寄せる。

「黄よ。子狐の姿でいるからこその事もあるのだぞ? 白金は、成人した狐とは暮らしてくれないぞ?」

長老が黄に聞く。

「ですが、一人前の狐として、白金様に見てもらいたいのです」

「膝に載せてもらって生意気な。なら代わってくれ。儂が載りたいわ」

長老が笑う。

「膝に載ってあげないと、白金様がお泣きになるでしょう?」

「言いおるわ」

カラカラを大きな声で、長老狐が笑う。

「黄よ、『器の穴』の原因とな?」

「はい。長老様ならご存知でしょう? 何せ、千年近く生きていらっしゃる」

「もうそんなになるか。……ふむ。まあ、そのことは良い。『器の穴』のこと、確かに知っておる」

長老狐が考え込む。

「大きな力を使うには、制約があるのは、黄も知っているな?」

「はい。件という妖に会った時、予言が出来る代わりに嘘がつけないと」

「そう。河童の薬は、何でも治す代わりに河童に嘘をついた者に塗れば、毒になる。件は、予言が出来る代わりに、嘘がつけない。では、妖狐は?」

「妖狐は、烏天狗の妖力には敵わない」

黄の答えに、長老狐が首を縦に振って賛同してくれる。

「……では、『器の穴』は、烏天狗の妖力によってあけられたのですか?」

「そう。だが、烏天狗が、妖狐を落とし入れるようなことはしない。烏天狗は、悪事をなした妖狐のみを攻撃することになっている」

「では、誰かが、烏天狗を騙したのですか?」

過去の記憶はない。だから、黄が過去に悪事をなしたかどうかは知らない。だが、長老狐や白金の普段の様子から考えて、黄が悪事をなした狐である可能性は低いだろう。

「ふふ。考えれば、ちゃんと自分で分かるではないか」

 長老狐は、白金に催促して酒を注いでもらって、盃を傾ける。
 喉を鳴らして、うまそうに眼を細めて飲む。

「では、『器の穴』は、誰かが烏天狗をだまして、その妖力であけられたということ」

「先ほど、自分で言ったではないか」

長老狐は、黄に微笑む。

「誰でしょう?」

「さあてな。誰が考えられる?」

「分かりません。人間か妖怪かすら断定できません」

「そう。つまり、まだ、その時期ではない」

また、はぐらかされてしまう。黄は、焦る。

「黄よ。それは、自分で見つけるまで誰も教えてはならない」

「なぜ?」

「ふふ。そうだな。穴のあいたバケツ。中の水はどうなる?」

「こぼれて無くなってしまいます」

「そうならない為には?」

「穴をふさぐか、水を注ぎ続けるか」

何の話だろう?

「では、器に穴があいているのに、なぜ黄は妖力が無くなって死んでしま わない?」

「それは、……。まさか」

 白金をみれば、困ったような顔を微笑んでいる。
 これは、白金の分身である管狐。だが、白金本人の心をそのまま反映しているはず。

「白金様が、妖力を注ぎ続けてくださっている?」

「そう。そして、大きな力を使う時には、必ず制約がかかる。……黄よ。時間だ」

長老狐が、すくっと立ち上がる。

「満願おめでとうございます」

白金がそう言って、長老に頭を下げる。

「少しも思っていないくせに。面倒な役を担うことになったと憐れんでいるだろう?」

「何のことやら。それも九尾狐の定めでございましょう?」

自分は九尾狐の仕事は二の次にしているのに、白金がシレッと言ってのける。

「お前はまだ百年ちょいか……嫁にするには、あと九百年ほどかかるか」

「九百年も生きているとは限りません」

つれない、と長老狐がため息をつく。

「では」

長老狐は、そう言って小屋の表に出る。


 ゴウッと大きな風が吹いたと思うと、長老狐は、黒い竜に変じて天に昇っていってしまった。
 驚いた黄が、ポカンとしていると、

「九尾狐は千年狐。千年を生きれば、狐竜となり天に昇り神の末席に名を連ねるようになる」

白金が、長老狐が昇っていった天を見つめながら教えてくれた。
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