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怒り

6.

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「私が、間違っていました。ごめんね……」
「やめて真乃花。なにやってんだよ!」
「真乃花……やっぱりあなたは分かってくれたのね……!」

 私は謝るよ。
 何度だって謝るよ。
 でも、それは母に謝罪したいからじゃない。
 センセーを縛らないであげてほしいから。

「私はこの家にいます。ちゃんという事を聞く。
 でも……海木くんの事は許してあげて。
 この家に、おいてあげてほしい。これからも。海木くんが出ていく、その日まで」

「お前……」と歯を食いしばって言うセンセー。
 コロッと態度が変わり、嬉しさを前面に出す母。

「いーのよ、いーのよ。さっきの事は水に流しましょ。
 じゃあ、二人のカバンを持ってくるわね。
 これから学校に行かなくちゃね?」

 そうしてしばらくして戻ってきた母の手には、確かに私たちのカバンがあった。

「あ、ほのちゃーん?あなたも、もう行かなきゃ」
「う、うん……わかったぁ……」

 その時、どこか怯えたような穂乃花がリビングから顔を出した。
 その表情の意味が分からなくて、どこか不気味さを感じたけど……私とセンセーは家を後にした。

 もちろん――

「この馬鹿!!」
「へーへー……」

 家を出てから開口一番、センセーは声を荒げて私を咎めた。
 それは今まで見たこともない怒り具合だった。

「なんであんな事を言うんですか!
 言いなりになりますって言ったようなもんですよ!?」
「実際、そう言ったんだよ……」
「だから、なんで!」

 センセーがあまりに怒るもんだから、つい白状する。

「センセーが家から追い出されるのが嫌だったんだよ……。
 それに、センセーの身に何かあったら嫌だし」
「……何かって、」
「知らねーよ。でも、何でもしそうだろ。ウチの親。
 センセーが別の居住地を見つけたとしても、すぐに見つけそうだろ。ウチの親」

 すると「その通り」と思ったのか、センセーが「はあ」と深いため息をつく。

「振り出しに戻っちゃったじゃないですか。私、いつになったら成仏できるんです?
もう少しで、あなたをあの家から救出できると思ったのに」
「……へーへー」

 指を耳栓代わりにして、奥まで突っ込む。
 センセーにここまで怒られるのは意外だったけど、でも、これで良かったって思ってる。

 だって――

「なあセンセー。幽霊条約に書いてねーのか?」
「何をですか?」

「成仏できる方法は変更できる、とか」
「……怒りますよ」

「聞いてみてるだけだろ」

 口をとがらせて反省する気のない私を、センセーはため息をついて見た。

「言っておきますが、例え内容が変更できるとして、あなたを放っておいて私が成仏できると思いますか?気になって天国に行けれませんよ」
「(天国に行けると思ってるのか……なんか可愛いな)」

 そのポジティブさに、少しだけ笑いが出た。
 センセーは何となく察しているのか、咳ばらいを一度だけして「とにかく」と話を続ける。

「あなた一人だけ犠牲になって終わり――では、あまりにも後味が悪すぎます。
 大樹くんを見つけ、あなたはあの家から逃げる。それがあなたの望みである幸せです。
 さっきは、ちょっと私が先走り過ぎましたが……。
 だけど、この先のあなたには望みがある。幸せがある。
 その幸せを掴めない限り、私は成仏できないと思ってください」

「その言い方だと……成仏できる方法は変更出来る事もあるってわけ?」
「だから、怒りますよ?」

 ギロッと本当に睨まれて、思わずすごむ。
 私は力なく「はは」と笑った後に、下を見た。

 意味はない。
 ただ、前を向く気にはならなかったから、下を見ただけだ。

「はあ、仕方ないですね」
「センセー……?」

 その様子を、一部始終見ていたセンセー。
「今だけですから」と、私の手を優しく掴み、そしてガラスを扱うかのように、握ってくれた。

「(あったかいな……。
 センセー……せっかく私の傍にいてくれてるってのに、何も恩返しが出来ねーよ)」

 なあ、センセー。
 例え憑依しているとはいえ、この世に留まっている今だけでも、幸せに生きてくれよ。
 センセーが私の幸せを願ってくれていると同じように、私も、センセーの幸せを願ってんだよ。

――真乃花には真乃花の人生を歩む権利がある
――そこには親の干渉も、監督もいらない
――真乃花はあんたの操り人形じゃない

 センセーが母に言ってくれた言葉を思い出す。
 すると、目の奥がジンジンと熱くなってきた。

「(センセー、私の今の幸せは、全部センセーから貰ってんだぜ)」

 ポト

 地面に落ちたシミは、私が歩いた後に続く。
 雨ではない、私の目から涙が落ちたせいで出来たシミ。
 そのシミにセンセーが気づいているのか、違うのか――

「雨、今だけ降りませんかね」

 センセーはそんなことを、晴れ晴れとした青空に向かって呟いたのだった。
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