純愛

一宮 沙耶

文字の大きさ
5 / 18
第1章 秘密

4話 変わり果てた元カノ

しおりを挟む
莉菜が目の前にいる。結婚しようとしていた女性が。
2学期から担任が産休に入るため莉菜が新しい担任だと紹介される。
莉菜は、別の学校から、今日、赴任したらしい。

教頭先生が教壇に立ち、莉菜を紹介する。

「みんな聞いてください。佐々木先生は産休になり、今日から、担任として櫻井先生に来てもらうことになりました。櫻井先生は、帝都大学をご卒業され、その後、進学校で有名なあの有楽町高校でご活躍されていましたが、今回、私がこの学校にお呼びしました。櫻井先生、ご挨拶をお願いします。」
「今、ご紹介いただいた櫻井です。皆さんの1回しかない高校生活が、かけがえのない時間になるよう努力していくので、よろしくお願いいたします。この高校では英語を教えます。」

だいぶやつれ、暗い雰囲気だけど、あれは間違いなく莉菜。
この高校に呼んだという教頭先生が、心配そうに莉菜を見守る。

聞こえたのは、澄み渡り、遠くまで清らかに広がっていく、あの莉菜の声だった。
でも、今日の莉菜の声は小さく、わずかに震えている。

私が池袋の事故の前に買ったネックレスをつけていた。
私の遺品として受け取ったに違いない。
2年近く経った今でも大切にしてくれているとは思わなかった。

白のタンクトップに、ブラウンのワンショルダーのワンピース姿。
外見は、相変わらず清楚な雰囲気を装う。
ただ、どんよりした空気が莉菜の周りを漂っている。

あのいつも輝いていた目は、濁り、焦点が定まらない。
その目は、遠くを見つめ、心がここにないように見える。
艶やかだった肌は、いまは乾燥し、色つやが悪い。

目の下にははっきりとしたクマができている。
毎晩、眠れないのだと思う。
目の周りは赤く、毎晩、枕を涙で濡らしているのかもしれない。

不安で、自分に自信を持てず、罪悪感に押しつぶされそうな姿。
私の死を自分のせいだと勘違いしているのだろうか。
そんなことはない。事件に会ったのは、そこに出かけた私のせい。

手が小刻みに震え、立っているのがやっとの様子。
もう2年近くも経つのに、婚約者の死から立ち直っていないのだと思う。
そんな姿の莉菜を見たくなかった。

そして、こんな姿で、莉菜には会いたくなかった。
再会しても、もう男性として、莉菜を幸せにしてあげることができない。
だから、親には死んだと伝えて欲しいと言った。

でも、それが莉菜をこんな姿にするとは思っていなかった。
なんとひどいことをしてしまったのだろう。

莉菜とは、大学1年の時に駒場の駅で知り合い、しばらくして付き合い始める。
付き合い初めて2年目の記念日に、私達は、駒場の銀杏並木を並んで歩いていた。
銀杏の葉が道路を敷き詰め、一面、黄色の世界に染める。
あまりに素晴らしい風景の前に私達は立ちつくす。

銀杏の枝の隙間から陽の光が漏れ、黄色の世界が更にきらきらと輝く。
風が吹くたびに、葉がこすれた音が波のように響き渡る。
道路に落ちた葉が風に巻き上げられ、ダンスのように舞っていた。

そんな光景に見とれていたら、莉菜が、僕の手を握りしめる。
一面黄色の世界で、莉菜の顔が天使のように爽やかに透き通っている。
莉菜の髪の毛がたなびき、すがすがしい空気が周りを通り抜ける。

こんな素晴らしい光景の中で、私には、莉菜のことしか見えなかった。
莉菜の口から出る一言ひとことが私の心に突き刺さる。
目の奥には、永遠に続く、美しい青い海が広がっている。

私は、そのまま、莉菜と居酒屋に行った。
学生が行くところだから、安い居酒屋。授業が終わり、15時から開いているお店。
こんな時間だから、お客は少なく、学生ばかり。

莉菜とは、いつでも自然体で、安心して話せる。
いや、莉菜と出会ってから、人とも普通に話せるようになり、楽しい生活が続いている。
莉菜を守るためという口実で、剣道のサークルにも入り、最近は友達も増えている。

「あ、花咲がにの軍艦巻きがあるんだ。これは食べたいな。あとは、う~ん。任せる。あと、グレープフルーツサワーをお願い。」
「わかった。ところで、花咲がにってどこのカニ?」
「北海道の根室のあたりのカニ。私のおじいちゃんがいるところ。」
「そうなんだ。これまで聞いたことなかったけど、北海道で生まれたの?」

付き合ってから2年も経っているのに、今更に、莉菜のルーツを聞く。

「北海道の両親が東京の狛江にきて産んだ子供なのよ。陽翔は東京生まれだったよね。」
「とは言っても、神奈川とか言われている町田だけど。そういえば、今は荻窪に住んでいるけど、町田にずっといたら、小田急線で一緒に通えたのにね。」
「小田急線は混むから、好きじゃないわね。私も荻窪に行こうかしら。」
「来なよ。でも、莉菜の家は厳格だから、一人暮らしは難しいかもね。そういえば、この時期って就職活動とか大変だと思うけど、莉菜は、そんな感じじゃないよね。もう決まったの?」
「高校の先生になろうとしていて、就職活動はしていないの。陽翔はどうするの?」
「最近、就職活動を始めたところ。いろいろな会社のインターンに応募している。でも、莉菜とは会える時間は確保しているから、心配しなくていいよ。」

最近は、就職活動を始めて忙しい。
どうして2年先の活動を今から始めなければならないのか分からない。
しかも、この2年で、行きたい方向も変わるかもしれない。

でも、これが世の中なんだと諦めて活動している。
ただ、僕には、莉菜が1番なんだから、就職活動で莉菜と会えなくなるのは本末転倒。

「この時期だけなんだから、就職活動に専念しなよ。私は、ずっと陽翔を好きなんだから、そんなこと気にしなくていい。ね、分かった。」
「分かったよ。じゃあ、会える時間は少なくなるけど、ごめんね。」

莉菜の声は、水面を弾むボールのように、軽快に響き、周りを明るくする。
清楚で、僕には手が届かない存在なのに、今は僕と付き合ってくれている。
僕は、人付き合いが苦手だったのに、莉菜と出会ってから、自然体で飾らずにいられる。

今の自分があるのは莉菜のおかげ。
莉菜も飾らず、なんでも僕に言えるようだった。
莉菜と出会うまで、異性と、こんなに自然に過ごせるなんて考えたことがなかった。

「今日は陽翔と一緒にいられて本当に楽しい。」

そう言う莉菜の顔は眩しすぎて、見ているだけでも幸せな時間が過ぎていく。

「付き合い始めてもう2年だね。莉菜と最初に会った時、あんなにだらしない姿をみられてしまったのを後悔しているけど、あのことがあって莉菜と出会えた。莉菜が現れなかったら、今、僕は、生きていないかもしれない。」
「本当に、びっくりしたんだから。線路で、陽翔が、電車を見つめて立ち尽くしていたのよ。でも、実は、ホームのベンチに座っている陽翔を見て、誠実そうで、素敵な人だなと、しばらく見つめていたの。だから、ホームから落ちた陽翔をすぐに助けに行けた。というより、体が勝手に動いて、ホームに降りていた。あの時から、私には陽翔しか見えない。あら、私、酔っているのかしら。恥ずかしいこと言っちゃった。」

こんなことを無邪気に言ってしまう莉菜が可愛い。

「莉菜は天真爛漫で、そんな姿が素敵。他の女性と違って、いつも明るくて、周りを元気にさせるっていうか。そんな女性と一緒にいると、僕も楽しい。」
「ありがとう。ずっと、陽翔の横にいたいな。また、言っちゃった。恥ずかしい。でも、誤解してもらいたくないんだけど、男性なら誰にでもこんなに馴れ馴れしいわけじゃないのよ。」
「わかっているよ。莉菜は清楚だし。そうそう、今度、どこか行こうよ。江ノ島とかどう? 前から行ってみたかったんだ。」
「江ノ島か。私も行ったことないから楽しそう。行こう、行こう。でも、就職活動はサボらないでよ。」
「1日ぐらい大丈夫だよ。じゃあ、来週の土曜日にどう?」
「まあ、ずっと就職活動だと滅入ってしまうし、気晴らしにということで行こうか。楽しみ。」
「僕も。」

この時は、莉菜とずっと一緒にいると思っていた。
常に明るく、一緒にいると、私も前向きになれたから。
莉菜といると、悩みとかも、どうでもいいってという気になれた。

その後、私は、旅行代理店に入社し、莉菜は高校教師になる。
25歳の冬から婚約をして同棲を始める。

でも、1ヶ月後には、私は池袋の事件に巻き込まれた。
そして、莉菜は、私がその事件で死んだと思っている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

清掃員と僕の密やかな情状

MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。 青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。 肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。 44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...