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計画通りの婚約破棄
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「アーシア…僕との婚約を解消して欲しい。」
唐突に投げつけられた言葉に、私は言葉を失った。周りも一気に凍りついたようにシン…と静まり返る。
ここは私の家であり、今日は私の誕生日で、パーティーが開かれていた。
そんな場で、無責任な言葉を口にしたこの男は、私の婚約者でこの国―ルベルニアの第一王子だった。
「わ、悪いとは思っているんだ。」
私の誕生日パーティーで、色んな人がお祝いに来てくれている中、婚約解消を公言しておいて何を悪いと思っているんだ?と、突っ込みたくなるのを我慢して、私は婚約者であるウォルム殿下を見る。
おどおどとして頼りなさそうな容姿に、不似合いの無駄にギラギラとした装飾がイタイ。そんな私の婚約者は、私に睨まれてさらに動揺しているようすだった。
その彼の隣には、ピッタリとくっついて離れない女性がいる。彼女はリーシャ・ルベイン。伯爵家の長女で、私より5つ年下の幼さを残した少女。金糸の髪に碧眼を持つ、可愛らしい女性なのだが、今は私の方を悲しそうな哀れんだような、憎たらしい顔で見てくる。
「アーシア様のために、ちゃんと言って差し上げないと…ウォルム殿下。」
「…そ、そうだよね。…うん。」
リーシャに言われて、何やら覚悟を決めたのか、ウォルム殿下が意思のある瞳を、こちらに向けてくる。
「き、君はガサツ過ぎるんだ。ぼ、僕には合わない。」
はあ?コイツは何を言っているんだ?と、下品な言葉が出かかって私は飲み込む。
「このまま僕たちが結婚すれば、君は次期女王だ。き、君のようなガサツな人間には到底勤められない。君自身、辛い思いをすると思う。だ、だから、君のためにも婚約を解消して欲しい。」
私、二度も言われる程、ガサツだったかしら?首を捻るが思い当たる節はない。周りの人たちの反応を見ても、皆、私同様に首をかしげていた。他から見ても、ガサツではないようだと分かり、私は内心ホッとしてから、飛びきりの笑顔を二人に向ける。
「承知致しました。」
「だ、だからっ…へ?」
「婚約を解消しましょう。」
自分で言ったくせに、何を呆けているのか?ウォルム殿下は、虚を衝かれたような顔をしてこちらを見ている。
「で、でも…」
「婚約を解消したいのですよね?」
「う、うん。」
「だから、承諾します。」
「…。」
「正式な文書が必要になりますね。こちらで用意させていただきますので、サインをお願いします。」
「…分かった。」
リーシャに小突かれて、何とか返事をする男はとても情けなく見える。周りの者たちもそう感じているのだろう、ヒソヒソと何やら話をして、全員がウォルム殿下を冷たい眼差しで見ていた。
何だか可哀想にも見えるが、私の知ったことではないと、二人を残して部屋を出る。
「よっしゃー!!」
「アーシア様。」
部屋を出た私は自室に戻ると、ガッツポーズをして跳び跳ねる。そんな喜びに満ちた所に、呆れたような声で、はしたないと咎めるのは、私専属の騎士である男。名前はルイン。私より少し年上で、金糸の髪に紫色の瞳が印象的。
「気持ちは分かりますが…」
「良いじゃない。やっと念願が叶ったのよ。これ以上の喜びはないわっ!」
私は今まさに、自分の誕生日パーティーで婚約者であるウォルム殿下に、婚約解消を公言されて来たところだ。
こんなに、喜ばしいことはない。
私はこの日が来ることを願っていたのだ。
私が彼と婚約したのは、5歳の時。親同士が勝手に決めた婚約のせいで、妃教育に追われ、自分の時間などなく、何が楽しいのかと思う日々を過ごしていた。友達を作りたくても、皆、第一王子の婚約者である私を、利用しようとするか妬むかで、まともな友達が期待できなかった。
私はハンス・トルバレイン公爵を父に持つ、正真正銘の公爵令嬢。だから、殿下との婚約が決まったのも当然だし、妃教育も避けられないものだった。だけど、人生は一度きりなのだ。そんな大切な人生をあんなダメ男に捧げたくはない。
あの男、私と二人きりの時は、傲慢で自分の自慢話しかしない。さらに、王子としての公務は何もできず、全て私に押し付けてくるのだ。そのくせ、社交場では色んな女性に話しかけて、自分はいかに王子として相応しいのかを語り、キャーキャー言われて、モテると勘違いしているのだから、腹立たしさを通り越し哀れにすら感じていた。
そんな時、あのリーシャという伯爵令嬢が現れたのだ。身分は違えど、あの王子が熱を上げれば、あのバカのことだから、私との婚約解消をするのではないかと考え、こんなチャンスは二度と訪れないと、私はリーシゃを焚き付けたのだ。そして見事、私の思惑通りに話が進んだと言うわけだ。
「これで晴れて私も自由の身。はぁ…何て幸せなんでしょう。」
「お嬢様、幸せ絶好調のところ、水を差すようで申し訳ありませんが、今後はどうするおつもりなのですか?」
「どうって…謹慎食らうだろうから、謹慎先の別荘でのんびり過ごすわよ。」
「のんびりって…」
「大丈夫よ。私、王子の婚約者として、間違ったことはしてないから。」
「いえ、婚約破棄させるために、ご自身の婚約者にご令嬢を焚き付けているのですから、間違ったことしていますよね。」
「あら?そうだったかしら?」
何を言っても無駄だと判断したのだろう。ルインは諦めたように、それ以上は何も追及しなかった。
「ただ、私は悪いことをしてなくても、体裁があるからね。形だけ謹慎になると思うわ。もちろん、あなたもついて来てくれるわよね?」
「ええ、まぁ…貴女の騎士ですから。」
「なら良いわ。何も問題ない…計画通りよ。」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、こちらの話よ。」
そう言って私はニコリと微笑んだ。
―私はアーシア・トルバレイン様の専属騎士。彼女が生まれてから、ずっと彼女の騎士として勤めている。
アーシア様はいつも明るく、楽しげな姿が無邪気で、とても愛らしい女性だ。彼女の騎士となってから、退屈な日はなかったと言っても、過言ではないだろう。
彼女の婚約が決まるまでは…。
アーシア様が5歳になられた時、ウォルム殿下との婚約が決まった。そして、彼女の妃教育が本格的に始まったのだ。それからだ。彼女の笑顔に、疲れが見られるようになったのは…。明るく振る舞ってはいたが、前のような生き生きとした姿はなかった。品位を下げないようにと、感情を殺しているようにも見えた。彼女にとって、苦痛な日々だったに違いない。
そんな多忙で窮屈な日々を送るアーシア様だったが、ウォルム殿下のために刺繍した品をプレゼントしたり、着飾ってみたりと彼への努力は惜しまなかった。
それなのに、あの方は見向きもしなかったのだ。そればかりでなく、あろうことか、彼は婚約者がいるにも関わらず、他の女性をエスコートしてパーティーに参加したというのだ。
それを聞いた時のお嬢様は、とても悲しそうな微笑みを浮かべていた。
私はあの顔を、今でも忘れられないでいる。あの男を、顔が分からなくなるくらい、殴りたいと思った。あんなに人を憎いと思ったのは、初めてだろう。
どうしてそんな気持ちになるのかと考えて、私は自分の気持ちに気づいてしまった。彼女を…アーシア様を主ではなく、一人の女性として見ているのだと。しかし、身分違いの実らない恋は、彼女を困らせるだけだと、感情は心に閉じ込めてきた。
その後もウォルム殿下の良くない噂はなくならず、やり場のない気持ちに、一層のことアーシア様を連れ去ってしまおうかと、馬鹿なことを考えたこともあった。
そんなある日、アーシア様が昔のように楽しげなようすで、今回の計画を打ち明けてきたのだ。はじめは驚いたが、それで彼女の笑顔が戻るのならと、私もお手伝いさせていただいた。
そして念願叶って、今はアーシア様と郊外にあるトルバレイン家の所有する別荘に来ていた。別荘のテラスで夕日を眺めながら、静かな時間を過ごしている。
「ねぇ、ルイン。」
「何でしょうか?お嬢様。」
「いつもありがとうね。」
「急に、どうしたのですか?熱でも…」
「ないわよっ。失礼ね。」
「申し訳ございません。驚いたもので…」
「いつも無茶に付き合わせてるなぁって、思ったから。」
「とんでもございません。とても楽しいですよ。」
「…。」
「どうかなさいましたか?」
珍しく黙ってしまったアーシア様の顔を覗き込むと、何だか頬を染めてそっぽを向かれてしまう。
「あ、あのね…」
「はい、何でしょうか?」
「えっと…その…わ、私といて楽しい?」
「はい、それはもう毎日。」
「…それなら…わ、私と…」
ゴニョゴニョと、何かを呟くように言うので私の耳には届かなかった。
「申し訳ございません。アーシア様、風で声が聞こえません…」
「わ、私と結婚して!」
………
「わ、私、貴方が好きよ!ずっと好きだったの。だ、だから…」
見上げて来るのは、年相応に見える可愛らしい少女。いつもは大人びて見えるのに、今は頬を染めて恥ずかしそうにしているせいか、とても幼く見えた。
「な、何か反応して欲しいんだけど。」
「…」
「…そ、そうよね。私なんて貴方にとったら、子どもにしか見えないわよねっ。生まれたときから、私専属の騎士で…。ご、ごめんなさい。浮かれすぎていたわ。…実は私ね、今回の婚約が向こうの都合で破談になったら、ルインと結婚したいと両親に伝えていたのよ。」
「え?」
「両親もねウォルム殿下の噂は知っていたの。だから、向こうが何かをしでかして、婚約が破談になったら、私の好きなようにして良いって約束してくれていたの。だから、今回の計画が成功して、私、浮かれていたわ。肝心な貴方の気持ちを、考えていなかった。」
俯くアーシア様の瞳から涙が零れた。それで私は我に返る。
「ごめんなさい。今の話はなかったことに…」
「しません。」
「えっ?」
「なかったことにはしませんよ。」
私は涙を流すアーシア様を抱き締めた。
「る、ルイン?」
「アーシア様はずるいです。いつも勝手に決められて、一人進んで行ってしまう。」
抱き締める腕に力を込める。彼女を決して離さないようにと。
「私がどれ程、貴女を想い、その気持ちを殺してきたか…ご存じないでしょう?」
腕を解いて彼女の顔を覗き込むと、彼女は頬を真っ赤に染め上げていた。それがとても愛おしくて、額に口づけする。
「る、ルインっ…」
意地悪のつもりだったのに、反応があまりにも可愛くて、こちらまで頬が熱くなった気がした。
「アーシア様。」
「は、はいっ。」
「一つだけ譲れないことがございます。」
「な、なんでしょうか?」
身構えるアーシア様に、私は苦笑してから、その場に片膝をついた。彼女の手を取る。見た目通り、細くて華奢な白い手は頼りなく、私が守らなければと強く感じた。
「アーシア様、私と結婚して頂けませんか?」
「えっ…」
アーシア様は戸惑い、少しの時間沈黙が辺りを支配した。夕日は沈み、星が輝き始めている。
「やはり、プロポーズの言葉は私からと思ったのですが…」
「え、えっと…その…」
戸惑っている姿も可愛らしく、いつまでも見ていたかったが、返事がもらえないと言うのも辛い。
「お返事は頂けないのでしょうか?」
「…い、いいえ。お受けしますっ。」
少し頬を染めて言うのも、また可愛らしいなと思う。
「よ、よろしくお願いしますね。ルイン。」
「はい。こちらこそ、これからもよろしくお願いします。アーシア様。」
そう言って私は、彼女の唇にキスをした。
唐突に投げつけられた言葉に、私は言葉を失った。周りも一気に凍りついたようにシン…と静まり返る。
ここは私の家であり、今日は私の誕生日で、パーティーが開かれていた。
そんな場で、無責任な言葉を口にしたこの男は、私の婚約者でこの国―ルベルニアの第一王子だった。
「わ、悪いとは思っているんだ。」
私の誕生日パーティーで、色んな人がお祝いに来てくれている中、婚約解消を公言しておいて何を悪いと思っているんだ?と、突っ込みたくなるのを我慢して、私は婚約者であるウォルム殿下を見る。
おどおどとして頼りなさそうな容姿に、不似合いの無駄にギラギラとした装飾がイタイ。そんな私の婚約者は、私に睨まれてさらに動揺しているようすだった。
その彼の隣には、ピッタリとくっついて離れない女性がいる。彼女はリーシャ・ルベイン。伯爵家の長女で、私より5つ年下の幼さを残した少女。金糸の髪に碧眼を持つ、可愛らしい女性なのだが、今は私の方を悲しそうな哀れんだような、憎たらしい顔で見てくる。
「アーシア様のために、ちゃんと言って差し上げないと…ウォルム殿下。」
「…そ、そうだよね。…うん。」
リーシャに言われて、何やら覚悟を決めたのか、ウォルム殿下が意思のある瞳を、こちらに向けてくる。
「き、君はガサツ過ぎるんだ。ぼ、僕には合わない。」
はあ?コイツは何を言っているんだ?と、下品な言葉が出かかって私は飲み込む。
「このまま僕たちが結婚すれば、君は次期女王だ。き、君のようなガサツな人間には到底勤められない。君自身、辛い思いをすると思う。だ、だから、君のためにも婚約を解消して欲しい。」
私、二度も言われる程、ガサツだったかしら?首を捻るが思い当たる節はない。周りの人たちの反応を見ても、皆、私同様に首をかしげていた。他から見ても、ガサツではないようだと分かり、私は内心ホッとしてから、飛びきりの笑顔を二人に向ける。
「承知致しました。」
「だ、だからっ…へ?」
「婚約を解消しましょう。」
自分で言ったくせに、何を呆けているのか?ウォルム殿下は、虚を衝かれたような顔をしてこちらを見ている。
「で、でも…」
「婚約を解消したいのですよね?」
「う、うん。」
「だから、承諾します。」
「…。」
「正式な文書が必要になりますね。こちらで用意させていただきますので、サインをお願いします。」
「…分かった。」
リーシャに小突かれて、何とか返事をする男はとても情けなく見える。周りの者たちもそう感じているのだろう、ヒソヒソと何やら話をして、全員がウォルム殿下を冷たい眼差しで見ていた。
何だか可哀想にも見えるが、私の知ったことではないと、二人を残して部屋を出る。
「よっしゃー!!」
「アーシア様。」
部屋を出た私は自室に戻ると、ガッツポーズをして跳び跳ねる。そんな喜びに満ちた所に、呆れたような声で、はしたないと咎めるのは、私専属の騎士である男。名前はルイン。私より少し年上で、金糸の髪に紫色の瞳が印象的。
「気持ちは分かりますが…」
「良いじゃない。やっと念願が叶ったのよ。これ以上の喜びはないわっ!」
私は今まさに、自分の誕生日パーティーで婚約者であるウォルム殿下に、婚約解消を公言されて来たところだ。
こんなに、喜ばしいことはない。
私はこの日が来ることを願っていたのだ。
私が彼と婚約したのは、5歳の時。親同士が勝手に決めた婚約のせいで、妃教育に追われ、自分の時間などなく、何が楽しいのかと思う日々を過ごしていた。友達を作りたくても、皆、第一王子の婚約者である私を、利用しようとするか妬むかで、まともな友達が期待できなかった。
私はハンス・トルバレイン公爵を父に持つ、正真正銘の公爵令嬢。だから、殿下との婚約が決まったのも当然だし、妃教育も避けられないものだった。だけど、人生は一度きりなのだ。そんな大切な人生をあんなダメ男に捧げたくはない。
あの男、私と二人きりの時は、傲慢で自分の自慢話しかしない。さらに、王子としての公務は何もできず、全て私に押し付けてくるのだ。そのくせ、社交場では色んな女性に話しかけて、自分はいかに王子として相応しいのかを語り、キャーキャー言われて、モテると勘違いしているのだから、腹立たしさを通り越し哀れにすら感じていた。
そんな時、あのリーシャという伯爵令嬢が現れたのだ。身分は違えど、あの王子が熱を上げれば、あのバカのことだから、私との婚約解消をするのではないかと考え、こんなチャンスは二度と訪れないと、私はリーシゃを焚き付けたのだ。そして見事、私の思惑通りに話が進んだと言うわけだ。
「これで晴れて私も自由の身。はぁ…何て幸せなんでしょう。」
「お嬢様、幸せ絶好調のところ、水を差すようで申し訳ありませんが、今後はどうするおつもりなのですか?」
「どうって…謹慎食らうだろうから、謹慎先の別荘でのんびり過ごすわよ。」
「のんびりって…」
「大丈夫よ。私、王子の婚約者として、間違ったことはしてないから。」
「いえ、婚約破棄させるために、ご自身の婚約者にご令嬢を焚き付けているのですから、間違ったことしていますよね。」
「あら?そうだったかしら?」
何を言っても無駄だと判断したのだろう。ルインは諦めたように、それ以上は何も追及しなかった。
「ただ、私は悪いことをしてなくても、体裁があるからね。形だけ謹慎になると思うわ。もちろん、あなたもついて来てくれるわよね?」
「ええ、まぁ…貴女の騎士ですから。」
「なら良いわ。何も問題ない…計画通りよ。」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、こちらの話よ。」
そう言って私はニコリと微笑んだ。
―私はアーシア・トルバレイン様の専属騎士。彼女が生まれてから、ずっと彼女の騎士として勤めている。
アーシア様はいつも明るく、楽しげな姿が無邪気で、とても愛らしい女性だ。彼女の騎士となってから、退屈な日はなかったと言っても、過言ではないだろう。
彼女の婚約が決まるまでは…。
アーシア様が5歳になられた時、ウォルム殿下との婚約が決まった。そして、彼女の妃教育が本格的に始まったのだ。それからだ。彼女の笑顔に、疲れが見られるようになったのは…。明るく振る舞ってはいたが、前のような生き生きとした姿はなかった。品位を下げないようにと、感情を殺しているようにも見えた。彼女にとって、苦痛な日々だったに違いない。
そんな多忙で窮屈な日々を送るアーシア様だったが、ウォルム殿下のために刺繍した品をプレゼントしたり、着飾ってみたりと彼への努力は惜しまなかった。
それなのに、あの方は見向きもしなかったのだ。そればかりでなく、あろうことか、彼は婚約者がいるにも関わらず、他の女性をエスコートしてパーティーに参加したというのだ。
それを聞いた時のお嬢様は、とても悲しそうな微笑みを浮かべていた。
私はあの顔を、今でも忘れられないでいる。あの男を、顔が分からなくなるくらい、殴りたいと思った。あんなに人を憎いと思ったのは、初めてだろう。
どうしてそんな気持ちになるのかと考えて、私は自分の気持ちに気づいてしまった。彼女を…アーシア様を主ではなく、一人の女性として見ているのだと。しかし、身分違いの実らない恋は、彼女を困らせるだけだと、感情は心に閉じ込めてきた。
その後もウォルム殿下の良くない噂はなくならず、やり場のない気持ちに、一層のことアーシア様を連れ去ってしまおうかと、馬鹿なことを考えたこともあった。
そんなある日、アーシア様が昔のように楽しげなようすで、今回の計画を打ち明けてきたのだ。はじめは驚いたが、それで彼女の笑顔が戻るのならと、私もお手伝いさせていただいた。
そして念願叶って、今はアーシア様と郊外にあるトルバレイン家の所有する別荘に来ていた。別荘のテラスで夕日を眺めながら、静かな時間を過ごしている。
「ねぇ、ルイン。」
「何でしょうか?お嬢様。」
「いつもありがとうね。」
「急に、どうしたのですか?熱でも…」
「ないわよっ。失礼ね。」
「申し訳ございません。驚いたもので…」
「いつも無茶に付き合わせてるなぁって、思ったから。」
「とんでもございません。とても楽しいですよ。」
「…。」
「どうかなさいましたか?」
珍しく黙ってしまったアーシア様の顔を覗き込むと、何だか頬を染めてそっぽを向かれてしまう。
「あ、あのね…」
「はい、何でしょうか?」
「えっと…その…わ、私といて楽しい?」
「はい、それはもう毎日。」
「…それなら…わ、私と…」
ゴニョゴニョと、何かを呟くように言うので私の耳には届かなかった。
「申し訳ございません。アーシア様、風で声が聞こえません…」
「わ、私と結婚して!」
………
「わ、私、貴方が好きよ!ずっと好きだったの。だ、だから…」
見上げて来るのは、年相応に見える可愛らしい少女。いつもは大人びて見えるのに、今は頬を染めて恥ずかしそうにしているせいか、とても幼く見えた。
「な、何か反応して欲しいんだけど。」
「…」
「…そ、そうよね。私なんて貴方にとったら、子どもにしか見えないわよねっ。生まれたときから、私専属の騎士で…。ご、ごめんなさい。浮かれすぎていたわ。…実は私ね、今回の婚約が向こうの都合で破談になったら、ルインと結婚したいと両親に伝えていたのよ。」
「え?」
「両親もねウォルム殿下の噂は知っていたの。だから、向こうが何かをしでかして、婚約が破談になったら、私の好きなようにして良いって約束してくれていたの。だから、今回の計画が成功して、私、浮かれていたわ。肝心な貴方の気持ちを、考えていなかった。」
俯くアーシア様の瞳から涙が零れた。それで私は我に返る。
「ごめんなさい。今の話はなかったことに…」
「しません。」
「えっ?」
「なかったことにはしませんよ。」
私は涙を流すアーシア様を抱き締めた。
「る、ルイン?」
「アーシア様はずるいです。いつも勝手に決められて、一人進んで行ってしまう。」
抱き締める腕に力を込める。彼女を決して離さないようにと。
「私がどれ程、貴女を想い、その気持ちを殺してきたか…ご存じないでしょう?」
腕を解いて彼女の顔を覗き込むと、彼女は頬を真っ赤に染め上げていた。それがとても愛おしくて、額に口づけする。
「る、ルインっ…」
意地悪のつもりだったのに、反応があまりにも可愛くて、こちらまで頬が熱くなった気がした。
「アーシア様。」
「は、はいっ。」
「一つだけ譲れないことがございます。」
「な、なんでしょうか?」
身構えるアーシア様に、私は苦笑してから、その場に片膝をついた。彼女の手を取る。見た目通り、細くて華奢な白い手は頼りなく、私が守らなければと強く感じた。
「アーシア様、私と結婚して頂けませんか?」
「えっ…」
アーシア様は戸惑い、少しの時間沈黙が辺りを支配した。夕日は沈み、星が輝き始めている。
「やはり、プロポーズの言葉は私からと思ったのですが…」
「え、えっと…その…」
戸惑っている姿も可愛らしく、いつまでも見ていたかったが、返事がもらえないと言うのも辛い。
「お返事は頂けないのでしょうか?」
「…い、いいえ。お受けしますっ。」
少し頬を染めて言うのも、また可愛らしいなと思う。
「よ、よろしくお願いしますね。ルイン。」
「はい。こちらこそ、これからもよろしくお願いします。アーシア様。」
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