井戸茶碗

ひでとし

文字の大きさ
2 / 3
2 転売

井戸茶碗

しおりを挟む
 
2 転売

 
 だが、三月後に今井宗久はこの新物(あらもの)の朝鮮茶碗の一つを、武野紹鴎(たけのじょうおう)遺愛の井戸茶碗(いどちゃわん)だと偽って同じ堺の豪商で茶人の日比屋了珪(ひびやりょうけい)に、なんと五千貫文で売りつけたのだ。

 故・武野紹鴎は、堺の茶の湯界を率いた大先達(だいせんだつ)として著名であり、畿内では天下一の茶の湯の名人と称され並ぶ者がいなかった。
連歌を京の公家の三條西実隆(さんじょうにしさねたか)に師事して、
『詠歌大概(えいかたいがい)』を授けられた堺の町人としては異例の教養人でもある。

今井宗久はこの武野紹鴎の娘婿であり、今では武野家の財産と家業を相続している。

 「井戸茶碗」とはかつて奈良の井戸氏(いどし)が秘蔵した唐物(中国製)の茶碗で、窯の焼け具合から
釉が「びわ色」と呼ばれる赤みを帯びた黄色をしていたらしい。
「らしい」と言うのは、この井戸茶碗は武野紹鴎が入手した直後に京の武野屋敷の火事で焼失してしまったのだ。

火事はもう四十年以上も前のことで、堺の茶人たちは武野紹鴎秘蔵の井戸茶碗の伝えは聞いても、
実物を見た者はいなかった。井戸茶碗はその珍しい釉色から茶の湯の茶碗として名高いものであったが、
今井宗久は津田宗及が朝鮮で焼かせた新物の茶碗がその幻の井戸茶碗だと言い出したのである。
とんでもないペテンである。

 今井宗久は、武野紹鴎の娘婿として堺の武野屋敷を受け継いでいるが、昨年に今井宗久が屋敷の土蔵を片付けたところ、京の武野屋敷の火事で焼けたと言われていた井戸茶碗を発見したと言うのだ。

真っ赤なウソもいいところであるが、世間は今井宗久の商いの大きさと茶人としての力量からこの話を信じた。
今井宗久は何といっても武野紹鴎の娘婿であり後継者なのだ、世間には今井宗久が武野紹鴎について言う言葉を否定できる者などいない。


さらに今井宗久は、朝鮮国に遣いをやり、井戸茶碗と同手(どうて)の茶碗を探して買い付けてきた、
と嘘を重ねて津田宗及から買い占めた茶碗を高額で販売し始めた。

 津田宗及にしてみれば今井宗久が自分から買った茶碗をどう転売しようが口を挟むつもりはないが、
世間を騙す詐欺に使われるのは大いに好ましくない。
自分まで詐欺の片棒を担いだことになってしまう。

しかも本当はあの茶碗は自分が目利きして作らせたものなのだ。
その目利きの手柄を今井宗久に横取りされたのもこれまた面白くない。

以前に九百七十貫を儲けてやったと気分爽快だった自分が今は愚かに思えて来る。
いいように今井宗久に利用されたのが情けない。

どうにも腹に据えかねた津田宗及が今井宗久の所業を、堺を牛耳る会合衆(えごうしゅう)の評定(ひょうじょう)に 暴露してやろうと決めたその矢先、今井宗久はいきなり津田宗及の屋敷にやって来て土下座をした。
店先の土間に擦りつけた額には土が付いている。

驚いた津田宗及がまだ口を開かぬうちに、今井宗久はさんざん言い訳を並べ立てて               用意してきた八千貫文の手形を詫び料だといって押し付けた、つまり口止め料である。
これから儲かったらさらに分け前を出すとも言う。

 こうして津田宗及は今井宗久に押し切られてしまった。
なにより津田宗及は商人である。八千貫文もの金が入れば面子を捨てて妥協するのもやぶさかでない。
さらに今井宗久は千宗易にも金を握らせて「井戸茶碗」の正体を三人だけの秘密とした。

 永禄十二年(1569年)今井宗久はこの「井戸茶碗」の一つを天下人の織田信長に献上する。
信長からは見慣れぬ珍妙な茶碗と警戒されて、

「わしは好まぬ」

と突き返されたものの、明智光秀や、松屋久政など名高き教養人や茶人への売り込みには成功した。

そして井戸茶碗は彼らが茶会で使い喧伝(けんでん)したため、世に持て囃されて茶の湯の名物茶碗(めいぶつちゃわん)として定着していった。

さらに今井宗久は信長の茶堂(さどう)筆頭を勤めて権勢を振るい、その立場を利用して残りの井戸茶碗を高額で売って巨万の富を得た。

全ては今井宗久の目論見通り、いやそれ以上の運びとなったのだ。


  
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

処理中です...