大聖寺川の怪

ひでとし

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5 再び霧の向こうへ

大聖寺川の怪

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 5 再び霧の向こうへ

 私は、川北さんのナマズの横を泳ぎながら見守った。
川北さんの泳ぎはなんともぎこちなくて、泳ぎではなくて流されている、と言った方が正しい。
まさに本人が言うとおりだ。こんな泳ぎはとても魚とは思えない。

まあ、川北さんはほんとは人間で魚ではないから仕方ないが、もうちょっとなんとかならないのか?
本職の川漁師なのに!と思えてならない。

川北さんは水の中では思うように体が動かせず強い水流に遭うと、そのまま石にぶつかりそうになる。
その度に、私がサッと間に入って川北さんの魚体を守ってあげた。

「すまないな、こんなに泳ぐのが下手で」

「そんなこと気にしないでくださいよ。
この訳の分からない状況ですから、お互いに助け合わなきゃ、どうしようもありません。
川北さんに何かあったら私も参ってしまいますよ」

「ああ、そうだな、ありがとう。
実は、俺は川漁師だけど金槌なんだ。
あまりに恥ずかしいから人には言わずに来たんだが、子供の頃に川で泳ぎを練習したら溺れて死にかけたんだ。
それでそれから怖くなってしまってもう泳ぎはやらなかった。
だから川漁師になるつもりもなかったんだよ。

ところが爺さんに、大聖寺川は海とは違って、流されても浅瀬が多いから上手に流れて行けば溺れることはない、救命胴衣を着けていればなんともない。
と言われて救命胴衣を着けて川に落とされたんだ。

そのときは焦ったが、たしかに流されてみれば大聖寺川は大した急流でもないし、川底も足が付く所が多いんだ。
これなら泳げなくても大丈夫だと思ったら、逆に川を流れるのが好きになったんだ。

それからは救命胴衣着用で、手には竹竿を持ってそれで岩を避けながら川を流れるのが楽しくなった。
夏場は毎日のように爺さんにねだってそんな遊びをしていたよ。
それで川漁師になってもずっと絶対に救命胴衣着用さ。

それで人には、

「安全第一がほんとのプロの仕事です」

なんて言っているけどな。

だからナマズになっても泳げなくて川下りだけなのさ。

ああ、下らない話ですまんな」

「いえ、下らないことはないですよ。こうしてちゃんと川を下っていますし」

「ああ、確かにな」

「アハハハハ」

二人で笑ったそのときだった。

岩陰から大きな魚が川北さん目掛け襲って来た。

「危ない!」

私はとっさにそいつに体当たりを食らわせて尾びれに嚙み付いてやった。
桜鱒だ。

私の顎は思ったよりも強力で、気づかぬうちに相手の尾びれを噛み切っていた。
思いがけない私の攻撃に面食らった桜鱒は慌てて逃げて行った。

「大丈夫ですか!川北さん」

「ああ、大丈夫だ。なんともない。
あんたにはまた助けられたな、命の恩人だ。ありがとうよ」

「いえ、当然のことです。
でも、やはり気を付けていないといけませんね」

私たちは警戒しながら慎重に川下りを続けた。

 少しするとさっきの桜鱒がまた襲って来た。

自分よりの魚体の小さな岩魚の私に尾びれを食いちぎられたのがよほど悔しかったのだろう。
川北さんではなく真っすぐに私に向って来た。

桜鱒は魚体こそ大きいが、敏捷さでは岩魚の私が数段勝っている。
私は桜鱒の残った尾びれに攻撃を集中して相手を衰えさせる作戦に徹した。
私が何度も尾びれを食いちぎったために、桜鱒は出血して次第に泳ぎも鈍くなってきた。

これで勝敗が決まったと思ったその時だった。

巨大な魚が現れて桜鱒に噛みついた。
桜鱒の血の臭いに引き寄せられたのだろう。

見ればこいつは桜鱒の倍以上の魚体だ。
口がワニのように細長く伸びて鋭い牙がたくさん生えている。
こんな奴に噛まれたら私など真っ二つにされてしまう、恐ろしい相手だ。

とっさに私は岩陰に身を潜めて様子を伺った。
幸いなことにそこに川北さんも流れ込んできた。

「あの化け物はなんですか?ワニみたいですね」

「あれは外来魚のアリゲーターガーだよ。
アメリカ原産の古代魚でペットとして飼われていたのが手に負えなくなって捨てられんだろうよ。
今まで大聖寺川では確認されたことはないが、あんなやつがのさばったら川の生態系が壊れてしまう。
怪しからん魚だよ」

「夢中で桜鱒を食っていますね」

「ああ、早くこの場を立ち去ろう。
あいつが桜鱒で満腹にならなければ、次は俺たちの番だ」

背筋が凍る思いで、私は川北さんと下流に向った。
こうなると川北さんの動きが鈍いのがなんとも気になる。

それを察して川北さんは、

「泳ぎが遅くてすまんな。申し訳ない。
またアリゲーターガーが襲ってきたら、あんたはすぐに俺を捨てて逃げろ!
さっきの桜鱒と違ってガーにはどうやっても勝てない。
あんたがいくら立ち向かっても俺たち二人共に食われるだけだ。
だからあんただけでも助かってくれ!」

「川北さん・・・」

私は何も言えなかった。
だが、幸いなことにそれから、アリゲーターガーは襲ってこなかった。

しばらく川を下って行くと川北さんが、

「もうすぐだ。
前に俺が潜んでいた浅瀬の岩陰がある。
そこで危険を避けて体が元に戻るのを待とう」

と言った。

少し進むと、川北さんの言葉の通り、川の右岸に浅瀬があり、身を潜ませる岩陰があった。
ここならば岩の隙間から大きな魚が入れないから襲撃を避けることが出来る。
川北さんや私の魚体にはぴったりのサイズだ。

「川北さんは、前はここで体が元に戻るまでじっと待っていたんですよね」

「ああ、そうだ。
半日くらいはじっとしていたと思うな。
それとな、考えていて気づいたんだが、俺やあんたが魚に変身しちまうのは川の前に立ったときだ。
だから人間に戻ったらもう川には近付かないようにしよう。
川漁師の俺としては川に近付けないのはなんとも残念だが、魚になって食われちまっちゃあどうしようもない」

「ああ、そうですね。
私も岩魚になるのはもうたくさんです。
アリゲーターガーのあの口で真っ二つにされるのもご免ですよ。
でも、この岩場の入り口が、もっと小さいと安心ですね。
これだとあの桜鱒くらいの魚体なら岩の隙間から無理やりに入って来るかもしれません」

「そうだが、俺はここからもう動きたくない。
あんたも外を泳ぎ回ると、あのアリゲーターガーに見つかるかもしれんぞ。
ここで辛抱していたらどうだ」

「ええ、たしかにそうですが、ここではどうにも不安ですから、安心できる場所が欲しいんです。
これより下流には川北さんは行ってないから、どんな状態かは知らないんですよね」

「ああ、知らない。
この川は元の大聖寺川とはまるで違っているから、下流がどんな具合なのかは見当もつかない」

「そうですか。
私はここでじっとしているだけなのはどうにも性に合いません。
だから下流を探索してもっと安全な場所を見つけてきます」

「そうか。
あんたがそう言うんなら止めないが、くれぐれも気を付けてな」

「はい、ありがとうございます」

私はそう言うと、川底の石を咥えて岩場の入り口に積み上げた。
少しでも川北さんを外敵から隠そうと思ったのだ。

それを終えると、私は下流に向って泳ぎ始めた。
しばらく行くと川の流れがゆったりして川底が急に深くなった。

「ここは淵なのか?」

と思ったが、川幅も大きく広がってまるで海のようだ。
そうだ、ここは湖なのだろう。

「なんだか意外な場所に来たなあ。
これじゃあ隠れる場所もなさそうだ。もう戻ろうかなあ」

そう思ったときだった。
上流からあのアリゲーターガーがやってきた。
まずい、ここでは身を隠す場所もない。

「ああ、襲われる。バカなことをした。
川北さんの言うことをきいて、あの岩場でじっとしていればよかった。
自分から危険を冒してあんなお化け魚に食われることになるとは。
ああ、俺はもう終わりかあ・・・。
でも、これでこのおかしな世界から離れられるんだよな」

そう思ったが、アリゲーターガーは私を無視して通り過ぎて行った。
意外な成り行きに驚いて、ほっとした気持ちでアリゲーターガーを目で追えば、50mほど向こうの水中で何十匹ものアリゲーターガーが群れている。
なんと外来種のアリゲーターガーは一匹ではなかった。
多分、ここで繁殖しているのだろう。
環境が合っているのか、大きなやつの魚体は3mを超えている。

やつらは何かを争って食いちぎっている。
よく見れば1mほどの小型の仲間を襲って食い合っているのだ。

「なんという連中だ、共食いしてやがる。
ああ、こんなところに居てはいけない。俺まで食われてしまう、早く逃げよう」

私は全力で上流へ向かって泳いだ。
すると後ろから異様な音が響いてきた。
水中での大きな音の伝わり方というのは、体で感じる衝撃波といった感じだが、異様さが気になり振り返ってみればアリゲーターガーたちが逃げ惑っている。
巨大な何かがアリゲーターガーを次々に襲い食らっているのだ。

そいつはデカい、10mはありそうだ。
よく見ればそれは魚ではない、モササウルスだ。

モササウルスは中生代・白亜紀の海にいた爬虫類で海の食物連鎖の頂点に位置する恐るべき捕食者だ。
ギザギザの牙がぎっしり生えた巨大な口でどんな獲物でも噛み切り食らってしまう。
恐竜だろうともしもモササウルスに襲われればひとたまりもない。

私は恐怖と驚きで体が固まった。

「白亜紀のモササウルスがなんで大聖寺川の湖にいるのだ?
モササウルスは海のモンスターなのにここは淡水だぞ、それがなんで平気で泳いでいる?」

そんな疑問が頭をかすめたが、そんなことよりも自分まで食われるわけにはいかない。
とにかく必死で上流へ遡った。

 夢中で泳いで行くと川の底が浅くなり、これならもうモササウルスも追ってこれないと安心した。
だが、まだどこかにアリゲーターガーや桜鱒がいるかもしれない。
用心を怠るな、と自分に言い聞かせながら元の岩陰に戻ると、私が積み上げて行った石はそのままである。
ほっとしてそれを取り除けて岩の隙間から入れば川北さんのナマズが迎えてくれた。

「どうだった?
ここよりも安全な場所は見つかったかい?」

と川北さんは聞いてくる。

「いえ、ありませんでした。
それより恐ろしいものを見ました」

私は湖でのアリゲーターガーとモササウルスのことを話した。

「ああ、あんたの話には驚かされるばかりだよ。
大聖寺川の下流が湖で、そんな古代の怪物が泳いでいるなんて信じられない。
この世界は異常なことばかりだ、ムチャクチャだ」

「ほんとムチャクチャです。
とにかく、私たちは敵に襲われないようにここで大人しくして体が元に戻るのを待ちましょう」

「ああ、それしかないな」

 それから岩魚の私と、ナマズの川北さんはその岩陰でひたすら時間の過ぎ行くのを待った。
することもないので交代で眠ってみたが、魚というのはそもそも目を閉じることが出来ず、意識がボンヤリすることはあっても人間のように完全に眠ることは出来ないものらしい。

それで、二人でいろいろな話をした。
川北さんは大聖寺川と北陸の自然環境について語り、私は川北さんが何か尋ねると知識が次々に口を衝いて出て来る。
それは無限と言ってもいいほどで、川北さんは私の博学に感心していた。

しかし、それらは私が学だのではなくて、私の脳がインターネットに接続していて、検索したことが自分の意思に関係なく自動的に読み上げられている感じなのだ。
自分でもその違和感がなんとも気持ち悪い。

そんなふうにどんな知識でも出て来るのに自分のことになるとまるで分らない。
相変わらず、自分の名前も住所も職業も年齢さえも分からない。

川北さんは、

「あんたは三十代後半から四十代前半の男性ということは間違いなかろうが、それ以外のことはサッパリ分からんなあ。
あんたは俺と別れてから旅館の自分の部屋に戻って寝たんだろ。
そのときに自分の持ってきた荷物を改めなかったのか?
荷物の中に身元の分かるものはなかったのか?」

「ええ、私もそれを思ったんですが、部屋に戻っても私の荷物はありませんでした。
着替えすらないんです。
元々持っていなかったのか?紛失したのか?あるいは誰かに盗まれたのか?
いくら思いだそうとしても、それさえまるで分からないんです。
記憶が全くありません。
ズボンのポケットには財布が入っていましたが、現金以外は何も入っていなかったんです。
カードとか免許証とか身元に関連するものは何一つないんです」

岩魚の私は口をパクパクさせながら、頭の中でそう話した。
それが伝わって、川北さんはナマズのひげをピクピク動かしながら聞いてくれている。

「ほんとに不思議な話だよな。
でも、それならもう旅館の部屋に戻っても仕方ないんじゃないか?」

「そうですね。
また戻っても多分誰もいないでしょうし、誰もいなけりゃ食事も出ないでしょうから」

「そういえば、俺たちは霧立峠からこの世界に来てから何も食べていないよなあ。
それなのに空腹にならないし、食べたいとも思わない。
これも奇妙なことだ」

「ええ、お腹がちっとも空きませんね。
でも私はちょっとだけ食べましたよ」

「おや、何を食ったんだ?」

「桜鱒の尾びれですよ。
さっき戦った時に尾びれを食いちぎってうっかり飲み込んでしまいました」

「美味かったか?」

「いえ、生臭いのと血の味がして不味かったです」

「岩魚になっているから味覚が変わったかと思ったが、そうでもないんだな」

「ええ、そうみたいですね。
あ、川北さん、来ましたよ!」

「ええ!桜鱒か?アリゲーターガーか?」

「違いますよ、変身です。
きっと体が元に戻るんですよ。
この熱さ、痛み、むず痒さは岩魚になった時と同じです」

「そうか、俺にはまだ来ないなあ・・」

そう言っているうちに私の体は元の人間に戻った。

それで川岸に這い上がり、川北さんの変身を待ったが、川北さんに変化は起こらない。
人間になった私は川岸から岩陰の川北さんのナマズが襲われないように見守っている。

私が人間に戻ると川北さんとの意志疎通が出来なくなった。
魚同士のときはお互いの考えが頭の中に響いていたのに今は何も聞こえなくなってしまった。

「もしもこのまま川北さんが戻らなかったら、どこかで水槽を調達してその中で飼うしかないなあ」

と思いながら水中を見ると、ナマズの体が硬直して動かなくなっている。
どうやら始まったようだ、良かった。

少しして人間に戻った川北さんは、

「ああ、やれやれ、このまま俺だけナマズのままかと思ったぞ。
戻れてよかった」

「ほんと、良かったです。
安心しました」

私が涙ぐむと、川北さんは、

「それで、これからだが、あんたはもう旅館に戻る必要はないだろ。
だから旅館街に行くのはやめよう。
とにかくは田口邸の俺の車に戻ろう。それから俺の家に来ないか?

俺の家は大聖寺川の左岸にあって、田口邸より少しだけ上流のほうだ。
あんたもそこが一番落ち着けるだろう。
俺の家でゆっくり休んでそれからまた先のことを考えればいい。

多分、俺たちはかなり疲れているはずだ。異常なことばかり続いたからな。
今は精神が緊張してそれすら感じないが、こんなのは体に良くない。
ぐっすり寝て、それからちゃんと食べて体調を整えるべきだ」

「ええ、その通りですね。
遠慮なく川北さんのお宅にお邪魔させてもらいますよ」

「ああ、それじゃあそうしよう」

 私と川北さんは大聖寺川の右岸の河原を上流に向かって歩いた。
ここから左岸にある田口邸までは徒歩なら一時間以上は掛かるだろう。
途中にはあの空飛ぶ円盤や、巨大アンドロイド、大勢の人たちがいたあの広い砂の河原も通るはずだ。
あの場所は広々とした海岸の砂浜のようだったが、この辺りの河原は所々に大きな岩が転がり、様々な灌木が茂っていて、その間を細い道が川と並行して上流へ向かっている。

少し歩いて、川北さんが、

「前回はここを左に行って温泉街に向ったが、今度はそちらに行く必要はない。
真っすぐに川沿いの小道を行こう。
だが、小道があまり水面に近づいたら避けるようにしないとな。
折角、人間に戻れたのに、また魚にされちゃあ、かなわん」

「ええ、そうですね。そうしましょう」

私たちが10分ほど歩くと前方から音楽が聞こえて来る。
川から上がった時から川のせせらぎと鳥の声は聞こえていたが、人工音がしなかったので音楽は注意をひいた。

 さらに行くと灌木がひときわ大きく茂り、その向こうの空に前に見た巨大な円盤が浮かんでいる。
そして音楽もそこから聞こえて来る。

「川北さん、あれですよ。
前に見た米軍の最新兵器の円盤です」

「なんか、賑やかにしてるなあ。
この曲は昔流行ったマイケル・ジャクソンのスリラーじゃないか?」

「ああ、そうですね。
どこかで聞いたことがあると思いました」

 少し進むと、そこから先の河原は一面の砂浜になっていて、50人ほどの観光客たちが楽しそうにしている。
今度も6mの巨大アンドロイドが観光客を楽しませているが、前とは変わってマイケル・ジャクソンだ。
6mの巨大マイケル・ジャクソンが広い砂浜でスリラーを歌い踊っている。
その姿は大きささえ除けば生前のマイケル・ジャクソンと瓜二つだ。

私は川北さんに説明した。

「あのデカいのが、米軍の新兵器の戦闘用アンドロイドとのことです。
外見はどんなふうにも変えられるそうですよ。
前はエルビス・プレスリーでしたが、今度はマイケル・ジャクソンなんですね。
軍事用なのにあんなに観光客にサービスしてくれるとはねえ。
前のエルビス・プレスリーのときは歌もダンスもなかったですけど」

「あんたに6mのアンドロイドとは聞いてはいたが、こうして実物を見るとたしかに迫力があるな。
あんなデカいのと戦争で戦ったら勝ち目はないだろうな。
浮かんでいる円盤も巨大だなあ。とても人類が作ったとは思えん。

まあ、この世界は訳が分からんから、作ったのが人類なのかどうなのかもわからんが・・。
それにあのサイズの奴が踊ると凄いもんだな、砂埃がみんなこちらに飛んでくる」

「ほんとそうですね。
砂浜に出たらモロに被りますから、終わるまでこの岩陰でやり過ごしましょう」

私と川北さんは灌木の茂みの中の大きな岩の陰に座り込んだ。

 しばらくして、イベントは終わったようだ。
すると、

「今日は皆さんに特別に円盤の中をお見せしまーす。
今回だけの大サービスですよ。
さあ、二列にならんで順番をお待ちください」

とアナウンスがあった。

観光客たちは嬉々として言われたように並び、次々に円盤の中に入って行く。
入り口には巨大マイケル・ジャクソンがしゃがみ込んで、人々と右手の小指で握手しては円盤の中に誘っている。

ところが、行列の最後に並んでいた若い母親と男の子が急に列から離れて私たちのいる茂みの方に走って来た。
多分、子供が催したのだろう。
トイレ設備が無いので、茂みで済ますつもりなのだ。

すると、巨大マイケル・ジャクソンの表情が急に険しくなり、

「列に戻りなさい」

とそれまでとは変わって無機質な声で叫んだ。

 驚いた母親と男の子はどうしたら良いか分からず立ち止まっている。
すると巨大マイケル・ジャクソンは立ち上がって母親と男の子に近づき男の子を持ち上げた。
母親は意外な展開にオロオロしている。

と、巨大マイケル・ジャクソンの口が耳まで裂けて男の子を飲み込んでしまった。
続けて恐怖に震える母親を鷲掴みにするとかぶりついた。
嚙み切られた母親の体から鮮血が飛び散った。

そして巨大マイケル・ジャクソンは何事も無かったように、円盤に乗り込むと円盤は静かに空中に浮かびあがり、東の方角に飛び去った。

 私は川北さんと無言で見つめ合った。

「おい、見たよな」

「ええ、見ました」

「きっと円盤に乗った人たちはみんな食われるんだ。
だから山中温泉の観光組合が米軍に頼んで、最新兵器を世界初公開・・なんておかしな話で観光客たちを騙して拉致したんだ。
そういうことなら、その話にも納得がいく」

「これなら、あの円盤と巨大なアンドロイドの正体も分かりませんね。
人類によるものなのか、宇宙人か、それとも、もっと別の何者なのか?
全くなんということなんでしょう。
湖にはモササウルス、空には巨大円盤と人食いアンドロド、なんといういかれた世界なんでしょう」

「俺たちはあのマイケル・ジャクソンには見られていないよな?」

「ええ、あちらからは灌木と岩陰で見えなかったはずですよ。
もしも気付いてたら私たちもあのデカい手で持ち上げられて食われていたでしょうから」

「そうだな、たまたまのタイミングで命拾いしたな。
ああ、助かってよかった!
さあ、早くこんな恐ろしい場所からは立ち去ろう」

 私と川北さんは広い砂の河原を通り抜け、そこから右に折れて大聖寺川に掛かる橋を渡って左折し、川の左岸の歩道に入った。
ここは川の音と鳥のさえずりが聞こえるばかりで、先ほどの恐怖の光景で縮み上がった気持ちを少しリラックスさせてくれた。

 歩道の歩道を40分ほど行くと田口邸である。
そこには田口邸があるはずだが、何も無い、建物が消えている。
この場所に美しい数寄屋建築の屋敷があったはずなのだが、ただのサラ地になっている。
なんともゾッとする光景だ。

幸いに、駐車場に停めておいた川北さんの軽トラはそのままだった。

「ああ、これもおかしい。
わずかの間に屋敷が消え失せるなんてことがあるはずがない」

川北さんがそう言うと大聖寺川の下流方向から、

「ドーン、ドーン」

と大きなビルでも解体するかのような音が響いてきた。

何事かと思って、川の横に建てられた観光用の展望台に上って下流方向を見れば、大聖寺川の川幅が異常に広がって湖となり、その湖に大地がゆっくりと呑み込まれて行くのが見える。

湖の水面では巨大なモササウルスたちが喜んで魚のように飛び跳ねているのが遠くからも見える。
凄い数だ、あんな怪物が果たして何百頭いるのだろうか?

空を見ればあの円盤がその湖の上をこちらに向かってゆっくりと移動している。
円盤が重力の異常を起こして、モササウルスの湖を広げているらしい。

「これはダメだ。もうこの世界は崩壊だ。
ここからは逃げるしかない。車に乗れ!」

川北さんはそう叫ぶと私と展望台を転げ落ちるように下りて軽トラに乗り込み、国道に出て大聖寺川の上流方向に走った。

私が、

「えらいことになりましたね。
これでは山中温泉は湖の底ですね。
少しでも高い場所に避難しないと湖に呑まれてモササウルスに食われてしまうでしょう。
いや、どれだけ高い場所に逃げてもこの世界が崩壊するのならダメですね。
私たちも巻き沿いになってしまう」

「こうなったら霧立峠をもう一度超えるしかないな」

「そうですね。
次元のねじれを超えて他の世界に飛び込むしか助かる道はないでしょう」

 私と川北さんは顔を見合わせて覚悟を決めると、軽トラで霧立峠の山道を登って行った。









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