辺境伯に嫁いだので、可愛い義息子と楽しい辺境生活を送ります ~ついでに傷心辺境伯とのぐずぐずの恋物語を添えて~

空野 碧舟

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池と子猫と子供と木登り

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 自室にいて解決することなど何もないと思い立って、エメリーンはとりあえず屋敷内を歩いてみることにした。

 マーサがいないタイミングを狙ったわけではなかったが、思い立った瞬間が行動する時とばかりに、エメリーンは部屋を出た。部屋の外に兵士の一人でもいるかと思ったが、それもない。廊下を歩く使用人の姿もなく、どうやらエメリーンの部屋はずいぶん屋敷の端にあることに気が付いた。

 ――到着時は疲れていたから、どのくらい歩いたかとか、分からなかったものね……。

 エメリーンは広い廊下をどんどん進んでいくが誰にも出会わない。普通の令嬢であれば、そんな状況ではあまり動かずにいようと思うものかもしれないが、エメリーンは周りに人がいないことにあまりにも慣れていた。
 中庭に出る扉を見つけ、エメリーンは邸内の散策もまだまだなのに、ついそちらに心惹かれてしまった。辺境伯が領地にいないことは分かっているので、エメリーンは名前だけだろうと辺境伯夫人である自身がどこを歩いてもそんなに怒られることはないだろうと、珍しく大胆になっていた。

「確か、池があったのよね」

 自室の窓から少し遠くに見えた池を思い出し、エメリーンはくつりと笑う。王都のオルクス子爵邸にも小さな池があり、気持ちよさそうに泳ぐ魚を見るのがエメリーンは好きだった。

 ――ここにはどんな魚がいるかしら?

 オルクス子爵邸の池は小さくて、魚の種類も少なかった。王都から辺境伯領への移動中に見た川では、大きな魚やエビの姿に内心はしゃいでいたが、ここでもまだ見ぬ魚に出会えるかもしれないと思って、エメリーンは楽しくなってきた。

「……あら?」

 池が見えてきたと思ったら、水音ではなく、誰かの泣き声が聞こえてきた。激しいものではなく、小さなすすり泣きのような声だが、それが気になったエメリーンは声の方へ歩いていく。

「猫?」

 にゃあにゃあと子猫が木の上で鳴いている。そしてその木の下では、幼い子供も静かに泣いていた。

「ええ? どうしたの?」

 声を掛けられて弾かれたように顔を上げた男の子は、サラサラとした艶のある銀髪に澄んだ青い瞳をしていた。エメリーンはその青い色に見覚えがあった。

 ――旦那様と同じ色……。

 思わず息を呑んだエメリーンに気付かず、男の子は木の上を見上げた。今も鳴き続けている子猫を見つめる瞳から、綺麗な涙がこぼれている。

「……助けてあげたいのですか?」

「うん。でも木にのぼれなくて」

 確かヒューバートの子供は4歳だったはずだ。木に登れないのは仕方がないとして、どうしてこんなところに一人でいるのだろう。エメリーンは疑問に思いながらも、流れ続ける涙を止めるのが先だと、泣いている原因である猫を助けるためにするすると木に登った。

 捕まえた子猫が木肌に立てた爪をそっと外して抱きしめると、ふわりとした毛が気持ち良い。「わあ」と下で子供が喜ぶ声を聞きながら、エメリーンはふと木の上から辺境伯邸に視線を移した。

 ――あ、あの窓はあの木から中に入れそうね。尖塔の死角から邸内に入るとした場合は、あっちの方向から。あら、あの窓には壁から直接登れそうだわ。意外と不用心なのね…………って、ええ? 

 次々と頭の中に浮かんだその内容に、エメリーンは木の上で混乱した。

 ――あれ? そういえば、どうして私、木に登れたのかしら?

 一応と言わなければならないが、一応子爵令嬢として育ったエメリーンは木登りなど当然したことがない。その上、木の上で考えたこと――邸宅への侵入方法など、エメリーンには知りようがないことだ。

「あいてっ!」

 そして子猫に腕を引っかかれて思わず口から出た叫びは、一応ではあるが子爵令嬢の口から出るものではなかった。

「あ? あれ?? あっ!!」

 ――あ、あーっ!? お、思い出した! あたしは子爵令嬢なんかじゃないっ!

 エメリーンがその木から降りるまでは、ほんの数分のことだった。だがその数分の間に、エメリーンは25年分の記憶を取り戻していた。

「……はい。このまま渡して大丈夫、かしら」

「うん、ありがとう!」

 ぎこちないエメリーンの言葉に気が付かず、子供は満面の笑顔だ。その顔には「木に登れてすごい」とはっきり書いてある。尊敬の眼差しで見つめられて、エメリーンは少し困った顔をした。

 ――これは口止めをしておいた方がいいわよね、やっぱり。

「あの……、このことは秘密にしてくれる、かしら」

 エメリーンのお願いに子供は首を傾げた。

「どうして?」

 ――どうして?

 子供の発した素直で当然の疑問に、エメリーンは一瞬戸惑ったが、たくさんある理由の中から一番子供に分かりやすそうなものを伝えることにした。

「スカートで木に登るのは、とてもはしたない、こと、ですので」

「そっか、分かった。うん、そうだよね」

 うんうん、と素直に頷く子供を可愛いと思って、エメリーンはついその頭に手を置いて撫でていた。

「っ!?」

「えっ、びっくりした? ごめんなさい」

 驚いた顔をした子供につられて、エメリーンも驚いて手を引いた。遠くから使用人たちが走ってくるのに気が付いたのは、そのときだった。
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