烏木の使いと守護騎士の誓いを破るなんてとんでもない

時雨

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第9話

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 役場を出た所でなんだかグッタリとくたびれてしまったが、それは話を聞いていただけのヴィルヘルムも同じだったようで、広場の時計台がよく見えるベンチへ2人して腰掛けた。

 ちょうど野球観戦中に飲み物を売りに来るような大きな籠に色々な商品を背負った売り子さんが通り掛かり、ヴィルヘルムが冷たい飲み物を2つ買ってくれてその片方を渡してくれた。
 少し癖のある果物のジュースのようだがよく冷えていてとても美味しい。これも魔法で冷やされているそうで、氷などは入っていないがしばらく冷たいままだという。

 規則正しく動く時計台の針と鞄から取り出した懐中時計の時刻を確認して、1秒もズレずに動いている事が分かった。時間の進み方カウントの仕方は共通しているようだ。
 それにしても先程のサリウスさんとは2時間も話をしていたのかと思うとこの疲労感にも納得出来た。


 職業病というべきかどうしても目に入る時計台の時刻以外の表示や動力、文字盤に重なる文様について指を差しながらヴィルヘルムにアレは?コレは?と質問を重ねていると、少し遠くの木陰から現れた初老の男性が、ゆっくり歩み寄って来たかと思うと会釈をしてわざわざ同じベンチへ腰掛けた。

 身なりは小綺麗なシャツにチェックのベスト、お洒落な帽子を被った紳士風の背の曲がったご老人だ。
 髪は老人らしく綺麗なグレーだがこちらも綺麗に整えられていて、やや身構えたがそこまで変な人といった雰囲気はない。
「あの時計台にご興味がおありですか?」
「え、そうですね、立派だなぁと思って話していました」
 咄嗟に答えると帽子を脱いだ紳士はニコリと笑った。
「あれはもう長い事、私が管理を任されているのですよ」
「そうでしたか!管理と言いますと……点検までですか?」

「ええ、ええ、毎日の点検から解体修理も全てやっています。なにせこの町に技師は私1人しかおりませんから」
 にこやかに話す紳士に質問がありますと言うと快く“なんでも聞いてほしい”と言ってくれたので、ここぞとばかりに疑問に思っている部分を全て聞く事にした。

 文字盤を表示する為に補助的に使われている魔法や、文様について聞いてもまだ全ては理解出来ない部分も多かったが、時刻の概念や時計自体のシンプルなシステムについては大いに共通点があってかなり話が盛り上がった。
 特に時計の小型化・軽量化については大きな課題とされていて、現在でもこうして町の中心にある時計台や大きな施設にある時計に頼るのみだという事だった。

「大変詳しい知識をお持ちでいらっしゃる。失礼ですがもうどこかの工房へお勤めですか?」
 そう言いながら紳士がポケットから取り出した名刺のようなカードを渡してくれたので、内容を確認する。
 オレからお返し出来る名刺は無いので、自分の名前と現在は仕事を探している事を伝えた。
 名刺には名前よりも大きく“国選技術士”の文字と、恐らく国の紋章だろう文様が金の封蝋であしらわれている、王都にある工房の名前と最後にやっと小さくご本人の名前があった。

「バロン・ブランディ・ホルンさんですね。王都に工房があると書いてありますがこちらへは出張で……?」
 素直な疑問を口にすると紳士は肩を揺らして笑った、立派な口髭も一緒に揺れる。
「もうこんな老いぼれでは新しい発想も生まれますまい。そういった職人が地方の時計の管理に派遣されるのです」
 少し遠くを見るような目になって初めて、ホルンさんの薄茶色に見えていた瞳はやや紫色にも見える事に気が付いた。

「まぁ王都と比べれば小さな町ではありますが、なんといっても精霊の泉に近いのが良い。こんな歳になると旧友との手紙ぐらいしか楽しみがありませんからなぁ」
「そうですか」
 是非王都を訪れた際には自分の工房を訪ねてほしいと言うホルンさんに、それまで静かに話を聞いていたヴィルヘルムがオレの横手からやや身を乗り出して突然会話に入ってきた。

「お話の途中すみませんホルン殿。貴方が仰られた“精霊の泉”とは有名なお伽話に出てくるあの“精霊の泉”の事でしょうか?」
「如何にも。そうか……確かに今ではお伽話と信じる人間の方が多いかもしれんね」
 驚くヴィルヘルムと、また楽しそうに笑うホルンさんに挟まれて、そもそも何の話なのか……と会話の流れに置いていかれたオレにヴィルヘルムが簡単に説明してくれた。

 “精霊の泉”とはこの国の子どもなら誰しも子守唄代わりに聞かされる定番のお伽話だそうだ。
 なんでも将来を誓い合っていた仲の良い王子様とお姫様が、お互いの国の事情で離れ離れにされるも姫に会いたい気持ちから城を飛び出した王子は、精霊に導かれてある泉に辿り着く。

 宝石のように輝く泉にそれまでよりもハッキリと姿を現した精霊が、想い人へ薄い紙1枚なら届けてあげましょうと言う。
 迷わず手紙を書き上げた王子はその精霊にお願いして姫に1通の手紙を届けてもらった。
 無事に届いた手紙によって誰にも知られず再会出来たこの2人が、この国の王家の始まりだと言われているらしい。

「好きな相手に手紙を届けてくれる精霊と、その泉が本当に実在する……そういう事ですか?」

 なんともロマンチックな話だ。魔法もあれば肉眼で確認出来るらしい精霊もいてもう少々の“不思議”には驚かないかもしれない。

「ああ。多くの人間が通うと精霊様の力が弱まると心配した歴代の王から緘口令が布かれて、今ではお伽話となったが問題なく手紙は出せるよ」
「もしかして相手の住所とか書かなくても、精霊サマが届けてくれるとか……?」

「もちろん、そうでなければ王子と姫は出会えないのだからね」
 ユーモアのある紳士につられて笑っていると、真剣な顔をしたヴィルヘルムが尚も眉間の皺を増やした。

「では宛先人の安否も居場所も、国内にいるのかさえ分からない場合はどうなのでしょうか?」
 縋るような目でホルンさんを見詰めるヴィルヘルムに、やっとヴィルヘルムの捜し人の話と泉の話が繋がった。
 オレも一緒にホルンさんの言葉を固唾を呑んで見守った。

「手紙は相手がどんなに遠くにいてもきちんと届く、安否と言うと……既にこの世を去った人物に宛てた手紙は、泉に浮かべた途端に手紙は深く泉の底へ沈んでしまうだろう」


 それからホルンさんに何度もお礼を言いながら、泉の詳しい場所やその手紙の差出し方法を聞くヴィルヘルムと、彼の肩に手を置いて励ますように微笑む老人を見て、オレは思わぬ所で話が繋がるものだなぁと1人でうんうんと頷いていた。

「ただし精霊様は手助けをする人間を選ぶものだ。特に争いを好まない……フジシロ君キミが一緒なら問題無いがくれぐれも血の匂いなどさせて近寄るものではないよ」

「えっオレ……ですか?」
「精霊様は長い時間の中で随分退屈されていてなぁ、君のような珍しいお客さんなら面白がって喜んで迎えてくれることだろう」
 パチンッと音の鳴るようなウインクをされて思わず愛想笑いを浮かべたが、さり気無く帽子がちゃんと被れているか触って確認した。
「ここまで見事な黒はきっと泉の精霊様も見た事がないだろう」
 あっやはりハッキリ見えてしまっているようだ……。
 ホルンさんには魔法のかかりが少し甘いと言われ、帽子の上から頭の上に手を置いて一瞬で目くらましの魔法を重ね掛けしてくれた。



 2人して何度もお礼を言って、大きく手を振ってホルンさんと別れた。
 今日もまた陽が傾き始めてきて色の変わり始めた空の下、民宿へ戻るべく町を歩く。

 少し強くなってきた向かい風に帽子を深く被り直して、隣を歩くヴィルヘルムを見上げる。
 どことなく、なんとなくだが足取りが軽いような、表情の柔らかくなった彼にこちらまで嬉しくなった。彼の大切な人が無事でいて早く見付かれば良いなと思う。
 奥さんだろうか、距離感がある気もするから付き合っている彼女かもしれない。オレも行方不明なら捜してくれる人がいたかもしれないが、彼女にはこんなに心配してくれる人がいて幸せだなと思う。


 宿まで戻り表の木戸をノックすると、にこやかに女将さんが出迎えてくれた。
 早めに用意されていた夕食を受け取りそのまま部屋へ向かう。
 ヴィルヘルムが大きく開けてくれた扉から、朝方には無かった綺麗な花が部屋の中央に飾られているのが見えて、蜂蜜のような微かに甘い香りが部屋を満たしていた。
 花瓶に圧迫された小さなテーブルになんとか食事を全て並べて、ヴィルヘルムと向かい合って早速食事を始めた。

 この日はこちらの世界に来てから初めての魚料理だった。
 淡白な白身魚の香草焼きだったが久し振りの魚の味に心が解れる思いだった。朝食でも食べた質素なパンも噛めば噛むほど味があり、中々味わい深くクセになりそうな味だった。

 この魚はどんな魚かとか朝のサラダの材料はどんな野菜かといった話を、気になった事をうるさくならない程度に手当たり次第に質問すると、ヴィルヘルムはなんでも律儀に答えてくれる。
 料理はあまりした事がないようで、調理方法まで話が及ぶと逆にオレの方が“きっとこのように調理をしている”と説明をする事が多く、いたく感心されてしまった。

「イツキは料理も出来るのか?」
 やや尊敬の眼差しで見詰められて彼の背景に花が咲いて見える……いや実際に花が飾られているから幻覚ではない訳だが……。花が似合う男っているんだなぁ。

「簡単な物なら一人暮らしも長いから全部自分でやっていたよ」
 一体どんな料理を想像しているのかは分からないが、すごいなと素直に褒めてくれるヴィルヘルムにやや恥ずかしくなった。この世界では男性はあまり厨房に立たないのかもしれない。

「この花だけど……」
 オレは目の前の花に手を伸ばし指先でその白い花弁に触れた、その瞬間だけフワリと甘い香りが強く香った。
 すると向かいの彼はなんともいえない微妙な顔をしたので、あまりこの香りは好きではないのかもしれない、悪い事をしたかも。
「全部の部屋に飾ってくれたのかな?生花でこの量はなかなか大変だろうに」
 すごいサービス精神だと納得しているとヴィルヘルムが何か言いたそうにしているのが気になり始め、なにか気になる事があるなら言ってくれと伝えた。
「……その花だが普段あまり部屋に飾るものではなく、婚礼の儀式や特別な時にしか見ないものだ」

「へぇお祝い専用の花なんて縁起が良い!なにかこの宿にとって良い事でもあったのかなぁ」
 あの感じの良い女将さんか家族にでもなにかお祝い事があったのかもしれない。
 最初から分かっていれば“おめでとうございます”と伝えられたが明日の朝でも遅くないだろうか。そう思うと華やかな白い花がより綺麗に見えてきて、気持ちが和んだ。

「いや、そうではなくて恐らく“勘違い”をされている……」
 ヴィルヘルムが視線をあちらへこちらへ彷徨わせながら歯切れ悪く言うので、何をそんなに言いにくそうにしているのかと聞くと……。

「その……昨日君に浴槽で色々説明をしていただろう」
「ああ、ありがとう助かったよ。それが?」

「普通わざわざ浴室へ男性2人では行かないんだ」
 それはそうだろう。何故そんな覚悟を決めたような表情で言うのか全く分からないが。
 オレだって別にこちらでの入浴の仕方が分かっていれば、説明をしてもらわなくても問題無かったはずだ。黙って頷いた。

「あの時ここの主人がちょうど来て、その……見られただろう」
「そうそうせっかく持って来てくれたお湯がダメになって……こっちも服脱ぐ前だったから良かったけど、床を拭くのも手伝ったらえらく慌てていたっけ」

「……この花だが婚礼の儀式か、新婚の夫婦の部屋くらいにしか飾らない」
 腕を組み難しい顔で眉間に皺を寄せたヴィルヘルムに、オレはやっと状況を理解した。

「えっ!!!オレ達が“そういう仲”だって思われたって事!?」
 オレと!?よりによってこのイケメンを!?どうなったらそういう風に思うんだ!!?いやいや待てよ偏見は良くない……のか?というかこの世界では同性同士の恋愛も普通なのかも?

「いや聞かない話ではないが、少数派だろう」
 完全に顔に出ていたらしい疑問に簡潔に彼が答えを教えてくれた。

 部屋の中は微妙な空気になり束の間の沈黙が流れた。
 なんだか先程までただただ花を綺麗だと、素直に喜んでいたのも恥ずかしい。
 なにも知らないとはなんとも怖ろしい事だ。



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