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第22話
しおりを挟む「ちょっと父さん!もうわたしイレーネさん送って帰るからね」
いつの間にか部屋は職人さん達で満員で、応接間の入り口に立っていたらしいヘレナさんの姿は椅子に座っていたオレからは全く見えていなかった。
「おう初日から悪かったな、ヘレナすごいぞこのイレーネ君はなぁ」
上機嫌でまた話始めようとするダニーさんを制して、荷物をまとめたヘレナさんが職人さん達に声を掛けながらオレの腕を掴んで部屋から出ていく。
「ほら皆さん、明日からもイレーネさんは来てくれますからね、逃げませんからまた明日!」
「あっ皆さん、お先に失礼します」
なんとか頭を下げてヘレナさんの後を歩き、明日からの職場を後にした。
「残念……誤算だった。わたし貴方の事てっきり一緒に時計の装飾デザインについて、女性視点の意見を出し合えるって期待してたの」
工房から律儀に家まで送ってくれるらしいヘレナさんと歩きながら、彼女からこんな事を言われた。そういえば今日工房内では工房長の娘であるヘレナさん以外、女性は見掛けなかった気がする。
「装飾ですか?……内部設計の美しさではなくて?」
「それよそれ!もううちの父さんも職人さんも中身をいかに綺麗にするか、その内部を見てもらうかってそればっかりで!壁の完成品見たでしょ!?代り映えしないアレじゃ王都の工房とも差別化できないじゃない」
「そ……そういうものですか」
王都の工房とはきっとルイスさんの時計工房の事だろう、差別化という事は同業者らしくある程度のライバル関係にあるようだ。
時計に対する美的感覚で言うと、オレは断然時計の内部の見えるスケルトンタイプが好きなので、ヘレナさんの求める装飾がどういった物かは分からない事もあり安易に賛同も出来ない。
「魔石の値段も上がって、今時計を新しく注文してくれるのは余裕のある貴族くらいよ、装飾的にして鑑賞に堪えうる物でなければならないの!イレーネさんは分かってくれるわよね!?」
オレの両手を取ってキラキラと見詰めてくる彼女の距離の近さに驚くが、同性と思われているなら自然な距離感かもしれない。思わず1歩仰け反るがターゲット層を考えて商品開発に挑む彼女の姿勢はもっともなので、詳しく話を聞いてみたいとも思った。
「デザイン画とか具体的に提案してみた?また良ければ見せてよ」
なるべく角が立たないように返事をしたが、もうオレを味方につけたも同然だと意気込んだ彼女は、明日絶対に見てねと上機嫌で石畳の道を歩いて行く。
工房から今日から暮らす宿舎までは長閑な住宅地を歩いて10分も掛からない、それぞれの家の庭先からは洗濯物を取り込む人が見え、夕食の準備をしているのだろう煙が上がり始めた家々の煙突に目がいく。
「……騎士の奥様がわざわざ働きに来るなんて一体どんな道楽かと思ったけど、今日のイレーネさんの様子を見てわたしの誤解だって分かったわ」
立ち止まってこちらを振り返りそう言った彼女の言葉に、今のオレは周りからはそんな風に思われていたのかと認識を新たにした。
騎士の妻が働きに出るのは一般的ではなく、同じ平民であっても経済的格差も存在しているらしい。オレがヴィルヘルムと過ごす中で何気なく、この国の常識と感じている事も別の立場の人からすると普通ではないのかもしれないという事だ。言動にはより気を付けることにする。
「どうしてもまた時計に関わる仕事がしたくて無理言ったんだ、改めてよろしくヘレナさん」
手を差し出すと笑顔で握手してくれた、この町に滞在している間の一時的だけだとしても、新しい職場でなんとかやっていけそうだ。
午前中に出て来たばかりの鱗屋根の家の前まで戻って来た事を確認し、ヘレナさんにお礼を言って家の前で別れた。彼女は今来た道を戻るようで方向は同じと言いながら、やはりわざわざ送ってもらってしまった事を申し訳なく思いながら、その後ろ姿を見送った。
シュテファンさんから受け取った鍵で玄関を開け、早速夕食の支度をする為、居間を横切りキッチンへ向かう。邪魔っ気な大きな眼鏡を外してほっとしたが服を着替えている時間はなさそうなので、鬘だけ取る訳にもいかずそのまま椅子にかかっていたエプロンをしてキッチンに立った。
まだ人の家に勝手に上がり込んでいるような違和感は拭えないが、暗くなる頃には帰って来るらしいヴィルヘルムに夕食を用意するべく、まずは後方の食料棚を確認する。
小麦粉のような粉類と野菜や果物が籠や棚に納まっており、肉と魚が魔石を搭載した小さなクーラーボックスのような冷蔵庫擬きに納まっている。今日ダニーさんから魔石が高価と聞いたのでこの冷蔵庫のような物も多くの一般家庭には無いのかもしれないな、と考えながら牛肉に近そうな肉の包みを1つ取り出した。
宿で読んだ料理の本に書いてあったようなこちらの国の料理にも挑戦したい所だが、今日は時間もないので作り慣れた料理を、元の世界の食材に似た物を選り分けて再現する事にする。
調味料はある程度は店で見て把握したつもりだったが、壺や袋に入っている物は舐めてみて味を確認してみなければ分からない。食材を選んで切り分ける頃には窓から夕日が差し込んできてやや焦り始めるが、もし彼がすぐ帰って来てしまったら先に風呂にでも入ってもらおう。
火種を火起こしの石で起こしたが、ヴィルヘルムがいたらもっと楽なのになとつい考えてしまった、チャッカマン代わりにして申し訳ない。鍋やフライパンがサイズ違いでいくつも用意されていて中々使いやすいキッチンだ、この部屋の準備をしてくれたらしいシュテファンさんには改めてお礼を言いたかった。
牛肉らしき肉を野菜と共に煮立てて甘辛く味付けして最後に玉子を落とした、鍋でなど炊いた事もないが学校行事の林間学舎を思い出して、なんとか炊けたお米の上に乗せれば牛丼の完成だ。
鍋底で焦げ付いたらしい米の芳ばし過ぎる香りが漂っているが、この際気にしない事にしておく。軽く茹でた野菜のサラダを盛り付けていると、玄関の方から音がして間もなく扉の開く音とそのまま歩き回る足音がした為、玄関の見える居間までこちらから歩いて行く。
「イツキ!」
「おっ!おうビックリした、おかえり」
「どうして灯りをつけない?まだ帰宅していないのかと思い焦った」
「あっそうか灯り……」
オレが帰宅した時はまだ外は明るかったが、料理をしている間に次第に暗くなっていたようだ、確かに帰ってきた家が外から見て真っ暗だとビックリするよな。
「ごめん台所にいて気が付かなかった、オレ灯を入れてくるよ」
ちゃんと今朝シュテファンさんに、廊下の途中にあるランタンに火を入れれば家の全体の明かりがつくと習っていた、蝋燭のように減るような物ではなく火種さえ入れれば良いらしい、原理は全く分からないがとにかく便利だ。
「いい、私がやるよ」
連れ立って廊下まで移動すると、ヴィルヘルムが手早く魔法で指先に発生させた火をランタンの中に入れるのを見守る、次の瞬間には家全体が明るい蝋燭の火で均等に照らされたような明るさになった。電気の照明器具のような煌々とした灯りではないが中々明るい、この町の宿でも夜の消灯時刻の前までは普通に本も読めていた事をもっと不思議に思っても良かったが、あまり意識をしない程度にはこの便利さに慣らされていたらしい。
一瞬ぼんやりとランタンの灯りを見詰めていたが、仕事から帰って来たばかりのヴィルヘルムに着替えて手を洗うように言って、食事を温め直して食卓へ運んだ。
食器はコップや皿スプーンやフォークに至るまで全て、如何にもペアの新婚夫婦用の物ばかりで、シュテファンさんが一体どういう気持ちでこれらを用意してくれたのかと、首を捻りそうになる。オレも着替えたいとは思ったが、素早くラフな普段着に着替えてきたヴィルヘルムが居間に戻って来たので、このまま一緒に食卓につく事にする。
「お疲れさま、オレの国の料理で口に合うか分からないけど」
どうぞと言って自分も食事に手を付ける、箸はないので牛丼らしき料理をスプーンで豪快に掬って食べる、少し牛肉とは風味が違うがこれはこれで美味い。醤油の代用品が分からなかったので少し甘めの味付けになった、次回の要改善点としておこう。オレが食べる様子を見ていたヴィルヘルムが牛丼を一口食べると、パッと表情を明るくして勢いよく食べ始めた、そんな風にご飯をかき込むと喉に詰まらせそうだと思い、まだ沸かして粗熱の取れていないお茶を淹れて彼の前に置くと、案の定このお茶も勢いよく飲み干した。
「美味い!!はじめて食べるがなんという料理なんだ!?」
「いやそこまで褒められると照れるけど……牛丼って肉の名前と丼っていうのが米の上に乗せるって意味が合体した料理で、鳥とか肉の種類と野菜変えたりするとまた名前が変わるんだよ」
オレの好みとしてはもっと卵をトロトロに半生っぽく仕上げたいところだったが、衛星面とこの国では魚や卵にもしっかり火を通す料理が多いようなので、抵抗がないように完全に火は通した。あと刻み海苔もあれば最高だが……美味い美味いと食べるヴィルヘルムは仕事上がりで余程お腹が減っていたのか、多めに盛り付けた牛丼をすぐに完食してしまったので、慌てておかわりを用意した。
旅の道中は持ち歩ける食材の量も限られ、何かトラブルがあった場合の為に食材を食べ切る訳にもいかない為、オレも腹一杯食べたという感覚は無かったが、彼のこの見事な食べっぷりを見るに旅の途中は相当お腹を空かせていたのではないだろうか?考えてみれば身長もオレより頭1つ分は大きく、身体の厚みはもしかしたら倍はあるかもしれない彼とオレが、同じ食事量という時点でおかしかったのだ。それでも特に助けられてすぐの道中では、少ない携帯食料を律儀にちょうど半分ずつ分けてくれていた事に改めて感謝した。
「この国の料理も作ってみたいけど、ヴィルヘルムが気に入ってくれたならオレの国の料理も作ってみるよ」
「ああ!楽しみだな」
笑顔で3杯目の牛丼を食べ始めた彼に驚きながら、明日からはもっと量を多めに作らなければと思った。
ヴィルヘルムからは今日の詰め所での出来事や、団長さんが例の隣国のお姫様捜しで詰め所を何度も空けて忙しそうにしていたという話を聞き、オレからは時計工房でヴィルヘルムと別れた後に、工房長のダニーさんと早速面接という名の情報交換をした話と、明日からは夕刻の17時過ぎに仕事が終わる予定だと伝えた。
まさか毎日こんなに近い距離で送り迎えもなにもないだろうと思っていたが、彼は真剣に出所前にオレを工房に送り届けて、夕方には早めに上がらせてもらえるか聞いてみると言うので、道は覚えたし髪も瞳も隠せているからそんなに心配要らないと伝えたが、この件に関しては余り譲ってくれる気はなさそうだ。
「その服は窮屈ではないのか?」
「造りがかなりゆったりしてるから問題無いかな、スカートだったらどうしようかと思ったけど、そういえばこの国は性別でそんなに服装が変わらないんだな」
「そうだな……この町では特に女性は着飾ると、その分良い意味でも悪い意味でも目立つのも理由のひとつだ」
「あー……なるほど」
もっと治安の荒れたエリアでは人攫いもあるというこの町では、攫ってくださいとばかりに着飾る事は得策ではないらしい。
「服は当分シュテファンさんが何着も用意してくれてるから、組み合わせ変えて着るつもり」
楽なので鬘は取っても風呂に入るまではこの服のままで良いのだが、詰め物をしたタンクトップだけは脱ぎたい気がして、徐に立ち上がり鬘を外してソファーの上に置き、続いて被り物のチュニックを脱ぐと、食後のお茶を飲んでいた筈のヴィルヘルムが咽る声が聞こえてテーブルの方を見た。
「大丈夫か?」
「げほっごほっ……どうして突然脱いだんだ」
あっもしや着替えはちゃんと寝室でという苦言だろうか?食事中の余所見やだらけた体勢で本を読んでいると、度々なにか言いたそうな顔をしているのは多分、行儀が悪いと注意するのを我慢してくれているのだと思う。
「いや窮屈かどうか聞かれたから、下着だけ脱ぎたいなと思って」
そのままタンクトップを脱ぎチュニックを着直すと、なんとか納得したらしいヴィルヘルムがこちらに背中を向けてお茶を飲み干している。
あんなに焦って水分を摂るとは夕食の味が少し濃かったのかもしれない、改善の余地ありだ。
夕食の片付けが終わる頃にはすっかり眠くなってしまい、せっかくテレビやパソコンも無い夜は随分と自由な時間があるのに、明日の準備をして眠る準備を始めた。
久し振りの騎士としての仕事を熟した彼もかなり眠たそうで、珍しく目蓋がもう半分下りてしまっている。“寝室はもちろん1つだぞ”と笑っていたシュテファンさんの顔を思い出しながら恐る恐る開けた寝室は、落ち着いた普通のツインベッドルームで既に窓側のベッドの回りにヴィルヘルムの私物があったので、扉側のベッドをオレが使えば良いようだ。
「おやすみイツキ」
もう半分寝ているような声で言われた就寝の挨拶に、律儀だなぁと思わず笑いそうになった。
「うんおやすみ」
少し心配していたこの町での新生活は、こうしてスタートした。
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