8 / 28
第八話
しおりを挟むグランメリエ家にティナが嫁いで来て、そろそろ一カ月が経とうとしていた。
この一カ月、気づけば月が変わっていたというほどにティナの日常はひどく緩慢で、変わり映えのしないものだった。
どれほどかと言うと、まず朝起きて朝食を終えると、庭の植物に水やりをする。
それが終わると昼食で、午後は暇つぶしに刺繍や編み物などをしてやり過ごす。
夕食を終えると手紙を書いて、就寝。
以上のことを約三十一日間。寸分の変化もなく毎日毎日繰り返している。
実につまらない日々だ。
「せめてお茶くらい一緒に出来る友達がいればいいのに」
あまり文句や小言を口に出さないティナがぼやいても仕方ないほどに、毎日が暇だった。
せめてもとロザリーを何度かお茶に誘ったけれど、使用人なんかが主と席を共になど出来ないと断られてしまっている。
規律やマナーに厳しいしっかりとした育ちの女性なのだろう。
その証拠にロザリーは毎回とても丁寧に、心をこめてお茶を入れてくれて、ティナの身の回りのものにも気を使ってくれていた。
彼女のおかげでティナは何不自由のない生活を出来ている。
感謝してもしたりないほどだ。
お茶に付き合ってくれないのは少し寂しいが、こんなに尽くしてくれている彼女に不満など言えるはずもなかった。
――――誰一人知る人のいない王都での生活。
残念ながら、庭仕事は水やりくらいしか任せてもらえてない。
都会の令嬢は土で手を汚すなんてもっての他らしく、ティナはただこんなものを作ってほしいと指示を出すだけでいいらしい。
侯爵家の妻として正しい姿がこうなのだと諭されてしまえば、もう何も言えなかった。
野山をかけて育ったティナにとって、ここでの生活は思った以上に窮屈だ。
そして持てあました時間もどうにもならない。
ティナはため息を吐きながら、編み棒を動かす。
今やっているのはレース編みだ。細かいから時間がかかる分、暇つぶしにはちょうどいい。
「普通の奥さんなら、社交で忙しいのでしょうけど」
ティナにはそんな役割は求められていないらしい。
田舎に住む実家の母でも、もっといろんな場へ出かけて余所の貴族たちと交流を持っていたのに。
(ただ籍だけ入っていればいいって、楽な様でものすごくしんどいわ)
そんなことを考えながら、ティナは延々と編み針を動かす。
丸くまとめた白く細い糸の玉の減り具合、徐々に大きくなっていくレースストールだけが、時間の経過を教えてくれる。
「……はぁ。暇すぎる」
また、今日何度目かのため息を吐いてから、窓の外を見た。
青々とした晴天だ。実家にいたころならば外へ飛び出していたことだろう。
「そういえば、まだ外出したことがなかったわね」
実家のレジトール周辺は田畑や放牧地ばかりだったから、外出といっても散歩くらいだった。
ここでの散歩は広い庭でことたりてしまう。
だから思い付いたことはなかったけれど、考えてみればここは王都なのだ。
この国でもっとも栄えている場所。
きっと街に出るとたくさんの商店があふれ、笑顔の人々で賑わっているのだろう。
特に買いたいものや、行きたい場所があるわけでは無いけれど。
もしかすると暇つぶしには、なるかもしれない。
「どうせ他に何もないのだし。街がどんななのか、興味も出てきたかも」
引っ込み思案で自分から活発になるなどあり得ない性格のティナが、思わず外に出てみたいと思ってしまうほどに、彼女は時間を持てあましている。
ティナはテーブルの上に置いてある鈴を手に取り、二度ほど振った。
リンリンとなる音は高く響き、隣室で控えているロザリーにまで届くだろう。
* * * *
王宮近くにある通りには、比較的裕福なものたちが訪れる高級店が整然と並んでいる。
気飾った紳士淑女しか見かけない閑静な場所に、ティナとロザリーの乗った馬車は止められた。
実家ではなかった都会的な空気に少し戸惑いながらも、馬車を降りて綺麗に整備された石畳の道に足をつける。
王都では街の中心部に富裕層が集まる。
反対に、中心部から離れれば離れるほど治安の悪さも上がるらしい。
ティナわざわざ厄介ごとに巻き込まれに行くような冒険好きでもないので、大人しく一番平和的な一番中央にある商店通りのここを外出の先に決めたのだ。
「ティナ様、気になるお店はございますか? 何でもおっしゃって下さいませ」
「そう、ね……だったら可愛い髪飾りとか見たいかも。あとは本が欲しいわ」
「でしたらあちらの方に、おすすめの店がございますわ。ぜひ行ってみましょう」
「えぇ、ロザリーのおすすめならきっと間違いないわね。案内してちょうだ……?」
並ぶ看板に目を向けてながら店を見つくろっていたティナとロザリーの会話を中断したのは、背後からした大きな声だった。
「おおおっとと!! やってしまったぁー! 誰かー!」
驚いて振り向くと、何やら赤い球状のものがこちらへとコロコロ転がってきている。
「何?」
「……林檎ですわね」
「あぁ。そうね……林檎、ね」
赤い球体のものは、間違いなく林檎。
それが幾つも幾つもころころとこちらへ転がって来ていた。
今のいままで気づかなかったけれど、どうやらこの通りは僅かに坂道になっているらしい。
上の方で穴の開いた大きな紙袋を手に慌てている男の様子からすると、うっかり落としてしまったリンゴが勢いずいてしまい、下の方へ転がって止まらなくなっているのだろう。
「さすがに見て見ぬふりはできないわ。拾いましょう、ロザリー」
「え? ……ティナ様はお人よしですわね。かしこまりました」
ティナとロザリーは、一つ、二つ、三つ、と順々に足元に転がってくる林檎を順番に拾っていく。
傾斜はわずかなものだから間に会わないほどのスピードでもなく、幸いにも転がって来た八つ全部をせき止めることができた。
「すまない! 助かった!!」
そういって穴の開いた紙袋を手に走って来たのは、金髪の男性。
さらに後ろからは、彼の連れらしいもう少し年上に見える赤毛の男性も。
先にティナの前までたどり着いた金髪の青年、はかぶっていた帽子を脱いで胸元に置き、こちらへ向かって丁寧に腰を折る。
その間に、赤毛の男がティナとロザリーから林檎を回収していく。
実に統率のとれた二人の行動からして、おそらく長いこと共にいる主従の関係なのだろうと予想がついた。
「親切なお嬢さんたち。本当に有り難う」
「いいえ。お気になさらずに。でも、ずいぶん傷がついてしまいましたね。瑞々しい良い林檎ですのに」
「いやいや。焼き菓子に入れてもらうつもりだから形が崩れてもかまわない…な?」
金髪の男が赤毛の男に同意を求める。
「もしかしなくても作るのは私ですか?」
「嫌か? では私が作ろうか」
「……やめてください。厨房の者がひっくり返りますよ。私が作ります」
「そうかそうか。楽しみにしてるぞ! あっはっは」
場を離れるタイミングを見失ったティナとロザリーは、気軽い彼らのやりとりをぽかんと眺めていた。
1
あなたにおすすめの小説
真夏のリベリオン〜極道娘は御曹司の猛愛を振り切り、愛しの双子を守り抜く〜
専業プウタ
恋愛
極道一家の一人娘として生まれた冬城真夏はガソリンスタンドで働くライ君に恋をしていた。しかし、二十五歳の誕生日に京極組の跡取り清一郎とお見合いさせられる。真夏はお見合いから逃げ出し、想い人のライ君に告白し二人は結ばれる。堅気の男とのささやかな幸せを目指した真夏をあざ笑うように明かされるライ君の正体。ラブと策略が交錯する中、お腹に宿った命を守る為に真夏は戦う。
旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!
恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。
誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、
三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。
「キャ...ス...といっしょ?」
キャス……?
その名を知るはずのない我が子が、どうして?
胸騒ぎはやがて確信へと変わる。
夫が隠し続けていた“女の影”が、
じわりと家族の中に染み出していた。
だがそれは、いま目の前の裏切りではない。
学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。
その一夜の結果は、静かに、確実に、
フローレンスの家族を壊しはじめていた。
愛しているのに疑ってしまう。
信じたいのに、信じられない。
夫は嘘をつき続け、女は影のように
フローレンスの生活に忍び寄る。
──私は、この結婚を守れるの?
──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの?
秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。
真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!
傷跡の聖女~武術皆無な公爵様が、私を世界で一番美しいと言ってくれます~
紅葉山参
恋愛
長きにわたる戦乱で、私は全てを捧げてきた。帝国最強と謳われた女傑、ルイジアナ。
しかし、私の身体には、その栄光の裏側にある凄惨な傷跡が残った。特に顔に残った大きな傷は、戦線の離脱を余儀なくさせ、私の心を深く閉ざした。もう誰も、私のような傷だらけの女を愛してなどくれないだろうと。
そんな私に与えられた新たな任務は、内政と魔術に優れる一方で、武術の才能だけがまるでダメなロキサーニ公爵の護衛だった。
優雅で気品のある彼は、私を見るたび、私の傷跡を恐れるどころか、まるで星屑のように尊いものだと語る。
「あなたの傷は、あなたが世界を救った証。私にとって、これほど美しいものは他にありません」
初めは信じられなかった。偽りの愛ではないかと疑い続けた。でも、公爵様の真摯な眼差し、不器用なほどの愛情、そして彼自身の秘められた孤独に触れるにつれて、私の凍てついた心は溶け始めていく。
これは、傷だらけの彼女と、武術とは無縁のあなたが織りなす、壮大な愛の物語。
真の強さと、真実の愛を見つける、異世界ロマンス。
記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛
三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。
「……ここは?」
か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。
顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。
私は一体、誰なのだろう?
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
貴方なんて大嫌い
ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と
いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている
それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い
「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い
腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。
お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。
当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。
彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる