【完結】幼い頃からの婚約を破棄されて退学の危機に瀕している。

桧山 紗綺

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番外編 ~それぞれの未来~

今の願い <ダニエル視点>

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 新緑の眩しさに目を細め額の汗を拭う。
 隊を率いている人が大丈夫かと差し出す水をお礼を言って受け取る。
 荷運びの仕事は初めてで疲れはあるけれど、皆不慣れな俺を気遣いこうして声を掛けてくれたり身体を傷めない運び方を教えてくれる。
 子爵家の籍を抜け平民となり、兄さんの庇護を受けるようになってから色々な仕事を与えられた。
 実際に仕事の采配をしてくれるのは兄さんを養子に迎えた東侯が手配してくれた人だが、俺たちの希望を取り入れた仕事や教育を与えてくれる。
 俺には様々な仕事を体験させ、ミシェルには針の仕事を中心に関連する知識や平民として必要な知識などを、リリーナには広く一般的な教育を施しその後望んだ分野で深い内容を学んでいくことになった。

 ここに来て自分が今まで生きてきた世界がどれだけ狭かったのか思い知らされた。
 俺がいかに何も知らなかったかも。

 酷い形で傷つけた俺たちを許し後見人を引き受けてくれた兄さんには頭が上がらない。
 本来なら俺たちのような厄介事を抱え込む必要なんてなかったんだから。
 色々な人に働きかけ、無理をしたことが今なら理解できた。


 思い思いに休憩する皆を見つめながらぼんやりとする。
 初夏の明るい空にいつかのガーデンパーティの光景を思い出す。
 俺が最初に間違えた、兄さんへ負の感情を抱いた日のことを。





 ◇ ◇ ◇





 兄さんが家を出たのはまだ俺が7歳の時だった。
 事情を理解したのは少し後で、大きくなったら結婚する相手の家で暮らしてると聞き、もう帰ってこないんだと胸に穴が開いた気分になった。ミシェルが兄さんがいなくて寂しいと泣くのを見て、これが寂しいなのかと思ったのを覚えている。
 兄さんが家からいなくなってから、家の雰囲気はすごく悪くなった。
 怒りっぽい父親とは違い、いつも穏やかで優しくて何か間違ったことをしたときも静かに諭してくれるような人だった。

 その兄さんがいなくなれば雰囲気が悪くなるのは必然だ。
 怒り出した父親を止める人がいなくなり、みんな父親を恐れて黙りそれに父親はまた怒る。俺に話を振るから言葉を返せばそれが気に入らないのか怒鳴られることも増えて。
 兄さんが上手く父親と話をしていたからそれまではマシだったんだ。
 なんでいなくなってしまったのかとあの頃はよく思っていた。
 妹たちも怯えた顔や泣いてぐずることが増え、それにまた父親が苛立つ。悪循環だった。
 兄さんがいたらそんなことなかったのに。兄さんに帰ってきてほしかった。
 そんな俺の呟きを聞いた父親が「アイツはもらわれた先でいい生活をしてる、ここになんて戻ってきたくないだろうさ」と吐き捨てた。

 帰ってきてもらっても困ると言ったその意味はわからなかったけれど、戻ってきたくないと言った父親の言葉には反発が湧いた。
 戻ってきたくないなんてそんなことあるわけがない。ここには俺たちがいるのに。妹たちだって兄さんを探しているのに。俺じゃダメなのに。
 そんなことはないと反論する俺に父親が眉を吊り上げ、思い直したように笑みに変える。

『ならそのうち見せてやろう、アイツがどんな風に生活しているのか。
 お前たちを置いて一人幸せになってる姿を』

 そんなわけないと感情は反発を覚えているのに、父親の笑みによぎった不安を無視できなかった。


 それからどのくらい経ったのか……。
 そんな話も忘れた頃、男爵が兄さんを連れて参加するというお茶会に俺も連れていかれた。
 父親が顔を出すと相手に気を遣わせるからと、付き合いのある家の家族に混じって俺は一人参加していた。
 初めて参加する茶会や多くの人。父親の知り合いとはいえ俺は初対面だった相手に酷く緊張していて、気分が悪いほどだった。

 そんな時、兄さんの姿を遠くに見つけた。
 お腹の出た男の人の隣で綺麗に整えられた姿で人に囲まれている兄さんの姿に衝撃を受けた。
 穏やかな笑みはそのまま変わらないのに、健康的に赤い頬にツヤのある髪、兄さんの身体に合わせたのだろう服は折り目も綺麗で、手を掛けられているのがよくわかる。囲まれた人々に次から次に話しかけられても堂々と答える兄さんの姿。
 会場の隅でおさがりの大きな服を身に纏い、多くの人に圧倒され話しかけられないようにと目を伏せていた俺とは全く違う姿に、無性に苛立ちが湧いた。

 家にいたときよりも血色の良い頬、きっと良い物をたくさん食べているんだろう。
 自分のために仕立てられた服を着て、髪も崩れないように整えられていて。梳いたら軋む俺や妹たちの髪とは大違い。
 男爵に時折問いかけながら周囲の人と笑顔で交流する……。俺たちや妹が気分の上下の激しい父親の顔を窺い気を張っている間、あんな風に穏やかな笑顔を向けてくれる人のところで笑ってたんだ。
 俺たちのことなんて忘れて。

『お前たちを置いて一人幸せになっている』

 父親の言った言葉が頭で渦巻く。
 違うと幼い記憶は叫んでいるのに――、目の前の光景が全てに見えた。


 そのまま会場から離れてお茶会を過ごした俺は、戻った家で楽しそうな顔の父親に感想を聞かれた。

『どうだった? 幸せそうだっただろう』

 質問には答えず部屋に戻る。
 その時の父親はなぜか俺が無視をしても怒らず、楽しそうな目を向けていた。

 幸せそうな兄さんの笑顔が頭から離れない。

 俺たちがいなくても幸せそうだった。

 もうあの笑顔は俺たちだけに向けるものじゃない。

 俺たちにあの笑顔が向けられることはもうない。

 同じ会場にいても遠く離れた兄さんがこちらを見ることはなかった。気づきもされない距離、それが俺たちと兄さんの間にできた距離なんだ。

 じっと布団にくるまって感情を落ち着かせていた俺を、上の妹ミシェルが揺らす。
 兄さんに会ったことを聞きつけて様子はどうだったと弾んだ声で。
 脳天気に元気だった?と問いかけるミシェルに苛立ちが抑えられず言葉になって溢れた。

『うるさいっ! あんな人のことどうでもいいだろっ!』

 一瞬泣きそうな顔をしたミシェルだったけど、ぐっと拳を握って反論してきた。
 そんなこと言うなんて酷い、お兄ちゃんのこと気にならないのと。

『もう俺たちと会うことなんてないんだ!
 俺たちのことなんて忘れて楽しくやってるんだよ!』

 そう叫んだ俺にもわからなかった。
 遠く会えない人になったことが悲しいのか。
 自分たちよりもいい生活をしている兄さんが憎らしかったのか。
 気づいてもらえなかったことが悔しかったのか。
 持て余した感情の理由を把握できないまま苛立ちだけを募らせていった。





 ◇ ◇ ◇





 肩を叩かれ我に返る。
 休憩は終わりのようだ。
 あの時、ちゃんと自分の心に向き合えていたら何か変わっていただろうか。
 父親に何を言われても兄さんへ反発心を持つことはなく、傷ついた兄さんに寄り添えたのか。
 頭を振って動き出した皆と共に出発の準備をする。

 後悔はこれからも何度もするだろう。けれど、歩みを止めることはない。
 変えられない過去を振り返るのは止め、今見える現実に向き合う。
 返ればミシェルとリリーナが待っている。
 それぞれに自分の望む未来を考え向き合っている妹たちを支える。
 それが今の俺の望むことだ。
 まだそこには至らず、兄さんや周囲の大人に助けてもらっている。
 その環境に甘えず二人を支えられるようになりたい。
 そしていつか、助けてくれた人へ恩を返せるようになれたらと思う。
 侯爵子息にまでなった兄さんに俺が返せるものなんてきっとないに等しいけれど。
 そう願わずにはいられない。
 それまで自分にできることを増やし地に足をつけて歩いていく。
 俺が受けたように誰かを助けられるような人を目指して。
 先を歩く皆の後ろを歩きながら荷物を抱え直す。
 しっかりと大地を踏みしめながら今の一歩を踏み出した。


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