拝啓、聖女様

桧山 紗綺

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裏切りの火

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  朝から静まりかえっていた王都に轟音が鳴り響いた。
  突然の音に思わず窓を見る。
  音のした方向はアルノルトが手を回して大半の兵士を留めていた外庭の方から。
  多分無理やり門を破った音だろう。
 「やっぱり、和睦なんて結ぶつもりなかったんだ……」
  エニシアはここ数日でマヒしてきた恐怖感で呆然と呟くだけだった。
  戦争が避けられないものになったとはアルノルトから聞いていた。
  エリノアからも心構えをしておきなさいと言われている。
  父が結ぶつもりだった和睦は夢のようなものだ。
  グライフが来るという話は民衆にも伝わっていて、街に残っているのは避難要請に応えなかったわずかの人間だけだ。
  城内には使者を迎えるために多くの使用人がいたが、危険を感じて城を後にした者も少なくない。
 「エニシア様!」
  訪いもなく、いきなり扉が開け放たれる。側仕えの侍女ではなく、父の従者がやってきたことに驚いた。
  何故かを問う暇もなく、部屋から連れだされる。父の従者は酷く焦っているようでエニシアの問いに答える余裕はない。
  連れてこられたのはエリノアの部屋だった。
  部屋にはエリノアを中心としてアルノルト、そして父とわずかばかりの神官や従者がいる。
  落ち着いたエリノアとアルノルトに対して父親は酷く取り乱していて、今の状況なんて予想もしていなかったようだ。
 「エニシア、来たのね」
  神官たちに指示を出していたエリノアがエニシアの姿に気づいて手招きをする。
  姉の動きでエニシアに気づいた父は駆け寄りながら上ずった声で無事を喜んだ。
 「おお……! エニシア、よかった無事だったのだな……!」
 「お父様……」
 「すまないな、こんなことになって……。 グライフの不信心者のせいで……」
  言い訳のようにエニシアに謝る父の姿を神官たちは冷たい眼で見ていた。
  知っているからだ、このような結果になった原因が誰にあるのか。
  聖女たちの進言を取り下げ、現実から目を逸らした国王に冷眼を向け、口にできない怒りを抑えている。
 「もういいよ、そんなこと」
  周囲が見えていない父が哀れで言葉を遮った。
 「これからどうするの? 門はグライフの兵士が溢れてるみたいだけど」
  部屋からもわかるくらい、城門付近には見慣れない鎧の兵士たちが溢れていた。
 「大丈夫よ。 逃げる場所は城門だけじゃないから」
  冷静な声にそれまで不安そうに辺りを見回していた従者たちが姉を見る。
 「ヤン、アルマ。 扉までの道を確認してきてちょうだい」
 「少しでも時間稼ぎが出来るように、必要のない道は閉鎖しておけ」
  エリノアの指示にアルノルトの命令が続く。予め誰が動くか決めてあったんだろう、名を呼ばれた神官に続き、数人が駆け出していった。
 「扉……? 扉って―――」
  エニシアが尋ねようとしたとき更なる轟音が城中に響いた。
  ついに城に続く扉が破られたのかと、恐慌状態に陥った従者たちを、神官たちが宥めている。
 「あまり、時間はないようね……。」
  音の方向を確かめるために澄ましていた耳にエリノアの声が入る。
  思わず顔を見ると、エリノアは安心させるように微笑んでみせた。
 「大丈夫よ。 貴女が逃げる時間はあるから」
  その言葉に引っかかるものを感じた。
  エニシアが問う前にエリノアは国王の前に進み出る。
  そして、臣下がするように膝を折って礼をした。
  何をしているのかと呆然とするエニシアの前で口を開く。



 「お父様。 ……いいえ、国王陛下。 どうぞ扉より先へお逃げください」
  喧騒の中、エリノアの静かな声が響く。
 「そうか、やはり知っておったか………」
 「………」
  エリノアもアルノルトも黙って国王を見ている。
  エリノアは静かな諦めを―――。
  アルノルトは静かな怒りをもって―――。
 「お前が男子なら……」
 「それはエリノア様に役目を押し付けた貴方のいうことではない」
  国王の言葉を遮ってアルノルトの冷たい声が響いた。
 「アルノルト……」
  困ったようにエリノアがアルノルトを制す。
 「今は一刻を争います。 話は不要でしょう」
  この状況でもエリノアは落ち着き払って父に避難を促す。
 「さあ、早く――」
  エニシアだけが状況を理解できない。置いてきぼりにされる中で、たまらず声を上げる。
 「いったい何の話をしているの!」
  真っ先に逃げなきゃならないはずのエリノアが全く逃げようとしていない。動かずに、エニシアを見ている。
  恐ろしい予感と共に、言葉を待つと父が口を開いた。
 「お前の母には長らく子供ができなくてな。
  世継ぎを待つ臣下から王妃を廃して新しい妃を迎えるべきだという声があったのだ。わしにはそれができず、かといって臣下の要求を無視することもできなかった。
  ……そして王妃が子を宿したと嘘を吐いた」
  想像を絶する告白だった。父の言ったことは誰に対しても酷い裏切りだ。
 「私は陛下の血も、王妃様の血も継いでいないの」
  父の言葉を引き取ってエリノアが続けた。
 「聖女というのも偽りよ。 聖女エリノアの名は王家第一の姫が継ぐもの。 私にその資格はない」
  いつもと変わらぬ語り口の姉が理解できない。
 「陛下と王妃様の血を引く貴女が―――」
  本当の聖女なの―――。
  続けられた言葉は形容できない衝撃をもってエニシアを貫いた。
  わたしが聖女……?
  お姉ちゃんでなくて、わたしが……?
 「じゃあ、なに? 嘘を吐いてお姉ちゃんを養子に迎えたのに、その後にわたしが産まれちゃったってわけ?」
  あまりの衝撃に声が震える。
  おかしくもないのに、笑い出してしまいそうだ。
  酷い。何もかもが酷い。
 「なんで………。 なんでそんな酷いことができるの?」
  自分でもぞっとするほど低い声が出た。
  今まで感じていた妬みや劣等感が見当違いなものだったことに対する罪悪感や羞恥がそうさせていた。
  全部知っていて、それを演じていた……?
  なんて残酷なことをするんだろう。
  姉に対する申し訳なさがエニシアの胸に初めて湧いた。
  エリノアがいなければ、エニシアもこの世に生まれなかったことになる。
  そしてエニシアが負うはずの役目を引き受けて、自由のない生活を送って……。
  まるでエニシアの立場を守るために生きていたみたいだ。
  そして今もまた―――。
 「逃げよう。 お姉ちゃんも一緒に」
 「エニシア……」
  困った顔で笑う。その顔で逃げるつもりがないことがわかる。
 「私は、一緒には行けないわ」
  共には行けないと言うエリノアの手を掴む。
 「なんで! もう国もないし、聖教だってもう終わりじゃない!
  お姉ちゃんを縛るものなんてもうないでしょう!?」
  エリノアを縛る枷だった己を棚にあげて言いつのる。
  だったら逃げてもいいじゃない、と。
 「私がここで逃げたら何が起こると思う?」
  講義をするような落ち着いた声がエニシアの胸に刺さる。
 「一緒に逃げた貴女たちが危険なだけじゃない。
  グライフが聖女を探して国中を捜索したら? なんの罪もない民が犠牲になるかもしれない」
 「だからって……」
  だからって、お姉ちゃんはここで死ぬの?
  恐ろしすぎて口には出せなかったが、エリノアはすでに覚悟を決めている。だからこそこれほどに落ち着いているのだ。
  けれどエニシアはエリノアの犠牲に納得ができない。
 「ヤダ! お姉ちゃんが行かないなら、私も行かない!」
  首を振ってエリノアの手を引っ張る。
  どれだけ引いてもエリノアは頑として動かない。
  やがてエニシアの手から力が抜ける。
  手が離れると、諦めるのを待っていたように手が引かれた。
  誰が手を引いているのかもエニシアには見えない。涙で霞んだ視界には姉の姿も、父の姿も、見えない。ただ、アルノルトがエリノアに礼をしたのだけがわかった。
 「エニシアをお願いね、アルノルト」
  今生の別れとは思えない涼やかな声にまたも涙が溢れた。
  言うべき言葉が何も出てこずに、エニシアは部屋を後にした。
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