青の姫と海の女神

桧山 紗綺

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歌姫《セイレーヌ》

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 海に連れて来たのは正解だったな。
  こんなにはしゃいでいるセシリアは初めて見た。
  馬から下ろした後、いきなり走り出そうとして転びかけたのには驚いたけど。
  支えるのが間に合ってよかった。
  今もセシリアは裾を絡げて子供のように波に足を浸している。
  年よりも幼く見えるその様に思わず頬を緩めた。
  考えてみれば、セシリアをこの海で見つけてからまだ数ヶ月しか経っていない。
  当たり前だけれど、知らないことの方が多いんだな。
  それでも僕は、彼女が傷ついていても、不安でも笑おうとすることを知っている。
  さっきの話が与えたショックは大きいだろうに、無理に笑おうとするから放っておけない。
  今は自然に笑っている。少しでも心が軽くなればそれでいい。
  波と戯れていたセシリアが戻ってくる。ドレスの裾はすっかり濡れて肌に張り付いていた。
  黙って着けていたマントを外し、セシリアの肩にかける。
  陽は暖かいが、着ている内に乾くほど暑い季節ではない。濡れたままで居たら風邪を引くかもしれない。
  初めて触れたときの冷たさを思い出す。
  身体が冷える前に帰ろうとする僕をセシリアは「もう少し」と止める。
  こんなことを言うのは珍しい。
  何度も止めるセシリアに僕はただ黙って寄り添っていた。
 「日が、落ちましたね」
  見えなくとも肌に感じる暖かさで感じるのか、セシリアはそう言って身を離す。
  何をするつもりなのか問おうする僕に一言だけ囁くと、海に入っていった。
  止めようと踏み出しかけた足が止まる。
 『見ていてください』
  そう言われてしまったら、信じて見守るしかない。
  セシリアはすでに腰まで海に浸かっている。
  振り返って僕に向けた微笑みは今までで一番美しく、儚かった。
  信頼と不安がせめぎ合う。
  僕の心配をよそに彼女は落ち着き払って口を開く。
  セシリアのくちびるから旋律が零れると海が輝きだした。
  彼女を中心に波が揺らぎ、色を変えていく。
  蒼に、碧に、光る海。
  ありえない光景に息を飲む。
  あまりの幻想的な美しさに、これが現実なのか疑った。けれど、夢の中にもこれほど美しい光景はないだろう。
  今、目の前にあるものこそが現実。
  波紋から水の粒が生まれ、セシリアの周りを踊る。
  まるで海が彼女の歌に応えているように。
  水面は輝きを増しセシリアを照らす。
  銀色の髪に光が反射して海と一体になっているようだ。
  これが“セイレーヌ”海に祈り、神に謳う神聖な乙女。
  セシリアの歌に、輝く海に、触れてはいけないものだと言われているような気がした。
  ひときわ大きく波がうねったとき、言い知れぬ恐怖を感じた。
  セシリアが海に連れて行かれるような、そんな気がして―――。
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