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歪な夢
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手紙をめくる音が止んで、紙を裂く音がした。
テーブルの上にはいくつもの紙片が散らばっている。
細かくちぎられても美しいその紙には、恋文に使われるような精緻な模様が入っている。
紙をちぎっていく少女をリアムは黙って見ていた。
つまらなそうな顔ですべての手紙を破り終えると少女がぽつりと言った。
「飽きちゃった。 今度はもっと遊びの上手な人がいいわ。 子どもはダメね、欲しがるばかりでおもしろみに欠けるわ」
遊び相手だった少年を辛辣に批判しながら少女は笑みを浮かべる。
「そうだわ、今度は外国の人なんてどう? きっと、おもしろい話をたくさん知っているでしょうね」
もうすぐ聖祭が始まる。この国最大の祭りであり、旱魃が続いたときに湖に身を捧げて雨を呼んだとされる少女にちなみ、湖に花を捧げ降雨を願う。一年のうちで最も多くの観光客が集まる時期。きっと少女が期待する出会いも多くあるだろう。
「楽しみだわ。 とびっきりのドレスを仕立てなきゃ」
はしゃいだ声で新しいドレスについて話す彼女はもう破り捨てた恋文など忘れていた。
「リアム、後でラナを呼んでちょうだい」
「はい」
「もう、反応薄いんだから。 ドレスを着るのはあなたもなんだから、もっと楽しみなさいよ」
「はい、お嬢様」
「まあいいわ、本番でしっかりやってくれるなら」
お嬢様―――エレミア様はにっこりとリアムに微笑む。
「あなたはいつも完璧よ」
だから決して期待を裏切らないでね、言外に告げる。
そういう笑みをみせる時のお嬢様が少し恐ろしく、しかし哀れだとリアムは思っていた。
「ラナ、お嬢様がお呼びなの。 後でお部屋に行ってちょうだい」
屋敷の一角にある衣装部屋にラナはいた。
まだ十四歳のお針子はその年齢に見合った幼い容姿をしている。
肩より少し長い髪を二つに結んだ姿や表情のよく動く大きな目などは少女らしく愛らしい。
「わかりました。 きっと今度の聖祭用のドレスですね」
お嬢様の着るドレスは基本的にすべてラナがひとりで仕立てていた。
この屋敷でお嬢様に仕えてからまだ半年だが、すでに何着ものドレスを仕立て上げて、その技術の確かさと速さがエレミアに気に入られている。
「今度はどんなデザインをご希望なのか聞いてませんか? 次のお相手のこととか」
お嬢様が新しいドレスを仕立てるときは新しい恋を始めるとき。
それをわかっているラナはどんな人に向けたドレスかを必ず確認する。
「でも、おしいですねー。 この間の男の子かっこよかったのに」
確かにお嬢様よりラナのほうがアルフレッドと並んでお似合いの恋人になったことだろう。
「それにしても早かったですよー、リアムさんも大変ですね。 …しばらくは街には出ないほうがいいですよ。 お嬢様がもう終わったと思っていらっしゃっても、あの子の方は終わってないと思いますから。 リアムさんが見つかったらまずいですよ」
用事があったら、代わりに街まで行ってきますから、と言ってラナは部屋を出て行った。
ラナはリアムの身を心配してくれている。それがリアムには心苦しい。
部屋に残ったリアムは掛けられたドレスを見ていた。
この部屋にある全てが恋人と遊ぶために作られたもので、全て二着ずつある。
ドレスを見ているとどうしようもない感情に気持ちが沈んでしまう。
「リアム、こんなところにいたのか」
ドアを少し開いて執事見習いのトレイズが声を掛けてくる。
見習いといってもこの屋敷には執事がいるわけではないので、肩書きこそ見習いでも実質はこの屋敷の雑事を司る責任者と言って差し支えない。
『こんなところ』という声に出る嫌悪感を隠そうともしないトレイズに苦笑する。
「どうしたの、何かありました?」
トレイズがこの部屋を嫌っていることを知っていたリアムは、彼がわざわざ呼びにきたことが不思議だった。
「これを…」
差し出した封筒は先ほど細切れにされた物と同じ意匠。
直接屋敷に届けられたのか封筒には押印がなかった。
「お嬢様はもう、お受け取りにならないでしょうね」
お嬢様の興味はもう聖祭とそこで見つける新しい恋人のことに移っている。
「私が預かっておきます。 ありがとう」
手紙を受け取りエプロンにしまう。
用事が終わったのにトレイズは立ち去ろうとしない。
「どうしました、まだ、何か?」
リアムの問いかけにトレイズは、首を振る。
「いや、何も。君もここに用事があるわけじゃないだろう。一緒に行こう」
リアムをここから離したい、言わなくてもその心がわかってしまう。
気遣いを無にするのも気が引けてリアムは一緒に階下に降りることにした。
「アルフレッドのことは聞いた。 しばらく街に出るなら俺も付きあおう」
トレイズも手紙に押印のないことに気づいたようだ。
「ありがとうございます、トレイズ。 でも大丈夫です、街に出る用事はラナが代わりに行ってくれるそうですから」
「リアム」
急に声音が変わった。
避ける間も与えられず腕を掴まれ、物陰に押し付けられる。
触れた手のひらが熱く、伝わる熱にびくりと震える。
「また、やるつもりなのか」
何を、をとは言わなかった。
「お嬢様がお望みなら、それを叶えるのが私の仕事です」
「リアム」
腕を押さえる力が強くなる。
「君がなぜそんなことをしなければならないんだ」
「やめてください」
その先の言葉を止めようと強い口調で告げる。
「それ以上は言わないでください」
撥ねつけるつもりの言葉は懇願するような色を持って届いた。
震えてしまいそうな声の代わりに瞳に力を入れる。トレイズを見る目は強く、言葉を拒むように光る。
ややあってふっと肩にかかる力が消えた。
トレイズの瞳は怒りと諦めの、両方を漂わせていた。
「俺の言葉は君に届かないか?」
私はただ口を引き結んで瞳を見返す。
こぼれそうな感情を必死に押さえる、堅くなだと言われてもそれ以外できない。
睨み合うように視線がぶつかり――、先にトレイズが目を逸らした。
ごめん、と小さな声で告げて離れていった。
立ち去る背中、掛けたい言葉を胸に閉じ込めて目を逸らす。
謝りたいのは私の方で、でもそれを認めてしまったら全てが壊れてしまう。
「私はそれでも守りたいんです…」
聞こえないように小さな声で呟く、
守りたいものがお嬢様なのか、自分なのかわからない、それでもどうしようもなかった。
「リアムさん」
遠慮がちな声が聞こえた。
ラナが申し訳なさそうな顔で立っている。
「どうしました?ラナ」
努めて落ち着いた声を出す。
「あ、いえ…」
ラナは言葉を探すようにしていたが、率直な言葉をぶつけてきた。
「わたしも、トレイズさんの言うとおりだと思います」
いつもは踏み込まない領域に入ってきたことに少なからず驚いた。
「お嬢様のしていることはよくないことだとは思います。 でもそれは自己責任って言うか…、お互い様だと思うんです。 でも、リアムさんがそれをするのは違うっていうか…、いくらそっくりでもリアムさんはリアムさんで、お嬢様とは違います。 お嬢様の望むように演じたって、それはお嬢様じゃないんですよ」
同じ顔のリアムを身代わりに、次々に恋人を作って捨てる、現実逃避―――。
自由に歩け、誰とでも出会うことができる、現実とは違う夢の世界。
自分の部屋の中さえも満足に歩けず、政略結婚の道具としての自由なき未来、夢とはあまりに違う現実。
そして夢さえもリアムが手助けをしている歪いびつさ。
「そうね」
リアムにはラナの言葉を否定することはできない。
「でも、私の仕事はお嬢様をお助けすることよ」
幼い頃に決めたその思いは、今となっては理由も思い出せず、ただ従っている。
リアムとエレミアの顔が似ているのは偶然ではなく、二人の母は父親の違う姉妹だった。
そしてエレミアとリアムは同じ父親の血を引いている。
何を思って父が母にまで近づいたのかリアムは知らない。
ただこの屋敷に隠されるように暮らすエレミアが、自分と似ていると思った。
本邸から遠く離れたこの場所にふたりとも捨てられたようなものだ。
捨てられた子供たち――ある意味、ここにいる者はみんな同じかもしれない。
エレミアたちだけでなく、ラナもトレイズも…、リアムは時折世界から切り離されているような気持ちになることがあった。
テーブルの上にはいくつもの紙片が散らばっている。
細かくちぎられても美しいその紙には、恋文に使われるような精緻な模様が入っている。
紙をちぎっていく少女をリアムは黙って見ていた。
つまらなそうな顔ですべての手紙を破り終えると少女がぽつりと言った。
「飽きちゃった。 今度はもっと遊びの上手な人がいいわ。 子どもはダメね、欲しがるばかりでおもしろみに欠けるわ」
遊び相手だった少年を辛辣に批判しながら少女は笑みを浮かべる。
「そうだわ、今度は外国の人なんてどう? きっと、おもしろい話をたくさん知っているでしょうね」
もうすぐ聖祭が始まる。この国最大の祭りであり、旱魃が続いたときに湖に身を捧げて雨を呼んだとされる少女にちなみ、湖に花を捧げ降雨を願う。一年のうちで最も多くの観光客が集まる時期。きっと少女が期待する出会いも多くあるだろう。
「楽しみだわ。 とびっきりのドレスを仕立てなきゃ」
はしゃいだ声で新しいドレスについて話す彼女はもう破り捨てた恋文など忘れていた。
「リアム、後でラナを呼んでちょうだい」
「はい」
「もう、反応薄いんだから。 ドレスを着るのはあなたもなんだから、もっと楽しみなさいよ」
「はい、お嬢様」
「まあいいわ、本番でしっかりやってくれるなら」
お嬢様―――エレミア様はにっこりとリアムに微笑む。
「あなたはいつも完璧よ」
だから決して期待を裏切らないでね、言外に告げる。
そういう笑みをみせる時のお嬢様が少し恐ろしく、しかし哀れだとリアムは思っていた。
「ラナ、お嬢様がお呼びなの。 後でお部屋に行ってちょうだい」
屋敷の一角にある衣装部屋にラナはいた。
まだ十四歳のお針子はその年齢に見合った幼い容姿をしている。
肩より少し長い髪を二つに結んだ姿や表情のよく動く大きな目などは少女らしく愛らしい。
「わかりました。 きっと今度の聖祭用のドレスですね」
お嬢様の着るドレスは基本的にすべてラナがひとりで仕立てていた。
この屋敷でお嬢様に仕えてからまだ半年だが、すでに何着ものドレスを仕立て上げて、その技術の確かさと速さがエレミアに気に入られている。
「今度はどんなデザインをご希望なのか聞いてませんか? 次のお相手のこととか」
お嬢様が新しいドレスを仕立てるときは新しい恋を始めるとき。
それをわかっているラナはどんな人に向けたドレスかを必ず確認する。
「でも、おしいですねー。 この間の男の子かっこよかったのに」
確かにお嬢様よりラナのほうがアルフレッドと並んでお似合いの恋人になったことだろう。
「それにしても早かったですよー、リアムさんも大変ですね。 …しばらくは街には出ないほうがいいですよ。 お嬢様がもう終わったと思っていらっしゃっても、あの子の方は終わってないと思いますから。 リアムさんが見つかったらまずいですよ」
用事があったら、代わりに街まで行ってきますから、と言ってラナは部屋を出て行った。
ラナはリアムの身を心配してくれている。それがリアムには心苦しい。
部屋に残ったリアムは掛けられたドレスを見ていた。
この部屋にある全てが恋人と遊ぶために作られたもので、全て二着ずつある。
ドレスを見ているとどうしようもない感情に気持ちが沈んでしまう。
「リアム、こんなところにいたのか」
ドアを少し開いて執事見習いのトレイズが声を掛けてくる。
見習いといってもこの屋敷には執事がいるわけではないので、肩書きこそ見習いでも実質はこの屋敷の雑事を司る責任者と言って差し支えない。
『こんなところ』という声に出る嫌悪感を隠そうともしないトレイズに苦笑する。
「どうしたの、何かありました?」
トレイズがこの部屋を嫌っていることを知っていたリアムは、彼がわざわざ呼びにきたことが不思議だった。
「これを…」
差し出した封筒は先ほど細切れにされた物と同じ意匠。
直接屋敷に届けられたのか封筒には押印がなかった。
「お嬢様はもう、お受け取りにならないでしょうね」
お嬢様の興味はもう聖祭とそこで見つける新しい恋人のことに移っている。
「私が預かっておきます。 ありがとう」
手紙を受け取りエプロンにしまう。
用事が終わったのにトレイズは立ち去ろうとしない。
「どうしました、まだ、何か?」
リアムの問いかけにトレイズは、首を振る。
「いや、何も。君もここに用事があるわけじゃないだろう。一緒に行こう」
リアムをここから離したい、言わなくてもその心がわかってしまう。
気遣いを無にするのも気が引けてリアムは一緒に階下に降りることにした。
「アルフレッドのことは聞いた。 しばらく街に出るなら俺も付きあおう」
トレイズも手紙に押印のないことに気づいたようだ。
「ありがとうございます、トレイズ。 でも大丈夫です、街に出る用事はラナが代わりに行ってくれるそうですから」
「リアム」
急に声音が変わった。
避ける間も与えられず腕を掴まれ、物陰に押し付けられる。
触れた手のひらが熱く、伝わる熱にびくりと震える。
「また、やるつもりなのか」
何を、をとは言わなかった。
「お嬢様がお望みなら、それを叶えるのが私の仕事です」
「リアム」
腕を押さえる力が強くなる。
「君がなぜそんなことをしなければならないんだ」
「やめてください」
その先の言葉を止めようと強い口調で告げる。
「それ以上は言わないでください」
撥ねつけるつもりの言葉は懇願するような色を持って届いた。
震えてしまいそうな声の代わりに瞳に力を入れる。トレイズを見る目は強く、言葉を拒むように光る。
ややあってふっと肩にかかる力が消えた。
トレイズの瞳は怒りと諦めの、両方を漂わせていた。
「俺の言葉は君に届かないか?」
私はただ口を引き結んで瞳を見返す。
こぼれそうな感情を必死に押さえる、堅くなだと言われてもそれ以外できない。
睨み合うように視線がぶつかり――、先にトレイズが目を逸らした。
ごめん、と小さな声で告げて離れていった。
立ち去る背中、掛けたい言葉を胸に閉じ込めて目を逸らす。
謝りたいのは私の方で、でもそれを認めてしまったら全てが壊れてしまう。
「私はそれでも守りたいんです…」
聞こえないように小さな声で呟く、
守りたいものがお嬢様なのか、自分なのかわからない、それでもどうしようもなかった。
「リアムさん」
遠慮がちな声が聞こえた。
ラナが申し訳なさそうな顔で立っている。
「どうしました?ラナ」
努めて落ち着いた声を出す。
「あ、いえ…」
ラナは言葉を探すようにしていたが、率直な言葉をぶつけてきた。
「わたしも、トレイズさんの言うとおりだと思います」
いつもは踏み込まない領域に入ってきたことに少なからず驚いた。
「お嬢様のしていることはよくないことだとは思います。 でもそれは自己責任って言うか…、お互い様だと思うんです。 でも、リアムさんがそれをするのは違うっていうか…、いくらそっくりでもリアムさんはリアムさんで、お嬢様とは違います。 お嬢様の望むように演じたって、それはお嬢様じゃないんですよ」
同じ顔のリアムを身代わりに、次々に恋人を作って捨てる、現実逃避―――。
自由に歩け、誰とでも出会うことができる、現実とは違う夢の世界。
自分の部屋の中さえも満足に歩けず、政略結婚の道具としての自由なき未来、夢とはあまりに違う現実。
そして夢さえもリアムが手助けをしている歪いびつさ。
「そうね」
リアムにはラナの言葉を否定することはできない。
「でも、私の仕事はお嬢様をお助けすることよ」
幼い頃に決めたその思いは、今となっては理由も思い出せず、ただ従っている。
リアムとエレミアの顔が似ているのは偶然ではなく、二人の母は父親の違う姉妹だった。
そしてエレミアとリアムは同じ父親の血を引いている。
何を思って父が母にまで近づいたのかリアムは知らない。
ただこの屋敷に隠されるように暮らすエレミアが、自分と似ていると思った。
本邸から遠く離れたこの場所にふたりとも捨てられたようなものだ。
捨てられた子供たち――ある意味、ここにいる者はみんな同じかもしれない。
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