『少女、始めました。』

葵依幸

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【3】旅行で少女。

3-2

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「おー、ごくろうさまですんっ」

 全身汗だくで登場したご主人サマに私は労いの言葉を掛ける。

「いやはや汗だくですねぇー、一体全体どうしたんですかそんなに大慌てでッ……、」

 ゴツンっと頭に鈍い痛みが走ると光の粒が宙を舞った。

「ぃったぁ~いですよぉ……なにするんですかぁ……」
「シツケだアホ」

 ご主人の額から流れた汗は頬を伝ってホームに落ちる。長い前髪の中から鋭い目に睨まれては自然と肩身も狭くなると言う物だ。どうにかこうにかこの空気を取り持とうとして――、

「ありゃありゃ殴る蹴るがシツケだと思っているのなら、教育委員会の厳しい指導を受ける事をお勧め致しますよっ?」

 っと呆れてみせるとまた頭を叩かれた。今度はグーではなくパーで。少し優しめだったけど……。

「バカ言ってないで早く行くぞ」

 それだけ言い残してその背中は改札へと向かってしまった。

「あ、ちょっ、ちょっと待って下さいよー! 乗り越し分の清算しなきゃっ……!」

 私はいま、ご主人サマの故郷へとやって来ている。都心から遠く離れ、電車を乗り継いだ先は自然が多く残ったザ・田舎って感じの風景で、山沿いに民家が並んでいるのが見えた。改札を抜けるとなんて事の無い、小さなバスロータリーがありそこに市営バスが停車していた。

 当然ながらそこに書かれた地名に見覚えは無く、また、時刻表に書かれている時間の少なさに目眩がして来る。一本乗り過ごしたらすんごい待たされそうだ。っていうか、待つにしても時間潰せそうな場所無さそうだし。ここで暮らしてる人は大変そうだなぁー。

「あり? バスに乗るんじゃないんですか?」

 ご主人サマはバスには目もくれず、一台だけ待っていたタクシーに向かって歩いていく。

「この駅からだとバスでてねぇーんだよ」
「なるほど」

 その原因は私か。そこまで考えて余計な事を言うのは止めておいた。グー、パーと来て最後はチョキだなんてちょっぴりゾッとする。

 何となく目つぶしって言うよりも、鼻フックのイメージが湧いたのはきっと昨日見たお笑い番組のせいだろう。

「ねーねー、こっからだとどれぐらいなんです?」
「……小一時間って所だな」

 そう告げるご主人の面持ちはいつもよりも静かで、落ち着いていた。

 確か奥さんの一周忌だそうだ。この前倒されていたフォトフレームをこっそり拝見させてもらったけど、なかなかの美人さんで、少しヤンキーがかった感じが素敵だった。

「…………」

 ジッと流れていく景色を見つめるご主人サマはやっぱりいつもとは違って見える。

 ――奥さんの事、まだ引きずってるんだろうなぁ。

 自堕落な生活、生気のない目、ボサボサの髪。
 なんとなく生活からもその様子は伺えたのだけど、今日それは確信に変わった。
 きっとまだ奥さんの事を忘れられていない。ずっと何かを抱え込んで生きてるワケだ。ふむふむ。

「ねぇ、ご主人サマ?」
「ん?」

 だったら、ハートフルパートナーである私のすべき事はたった一つだ。

「私の事、奥さんだと思って良いですからね!」

 満面の笑みで彼の心を包み込んであげる。そうする事で心を癒し、傷を塞いであげる。それが私の唯一出来る仕事であり、きっと、ご主人サマもそれを望んでる事だろう。

 ――優しい、心の抱擁を。

 だから私は満面の笑みで受け入れて上げよう、ご主人サマの事を。
 優しく包み込んであげよう、傷ついてしまった心を。ご主人サマの過去を――。


 ――とまぁ、意気込んだものの……まぁ……想像していたよりも、鼻フックは痛かったのですが……。
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