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【6】少女、終わりました。
6-3
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一度話し始めてしまえばなんて安い話で、どういう事の無い物だと思った。
先輩を巡る荒太との三角関係。俺は荒太を裏切って先輩と結婚した。そして荒太と先輩は事故に遭い、先輩だけ逝ってしまった。俺は荒太に本当の事を話すかどうか悩んでいる。本当の事を話し、荒太との関係が壊れるのを恐れている。実に簡単な話だ。見方を変えれば俺と荒太の関係なんて、最初からいつかぶつかるはずの物だった。それこそ先輩と付き合い始めた頃にはヒビが入り始めていんだろう。あいつはずっと先輩の事を想っていた。それでも「撮影」という関係において2人は俺と先輩よりも深く結びつき、荒太自身その関係に満足したいる物だと俺は思っていた、いや、思い込もうとしていた。俺と先輩は恋人同士で、荒太と先輩はビジネスパートナーなのだと。
しかし本当は違った。荒太は「女優」としての先輩を求める以上に「女性」としての先輩も求め続けていた。「監督」である以前にあいつも「男」だったんだ。そうして、「男」である以前に俺の「友人」だった。もしくは「親友」だった。俺と先輩が付き合っている事を知ったあいつは自分の気持ちを押さえ込み続けていた。俺達を祝福してくれていた。なのに――、
「――子供、出来ちゃったかも――」
あの日、荒太はどうしてあんな事を言ったんだ……?
直後荒太は「冗談だよ、じょーだん」と茶化したがそうでない事位俺にだって分かる。冗談でも荒太はあんな事を言わない。
「ご主人サマ……!」
「っ…………?」
見上げれば手に持ったマグカップを強く握りすぎて手が赤くなっていた。
「……ああ、悪い。ちょっと考えすぎた」
そっとそれをテーブルに戻し、続きを話し始める。その間もバカは真剣な目で俺を見つめ、いまにも泣き出しそうになりながらそれに堪え続けていた。一体俺の話をどんな気持ちで聞いているのかは分からないが、そんな目で見られるとこっちまで話し辛くなってくる。
――俺は、ちっとも。本当にこれっぽっちも気にしてないつもりなんだがな……。
荒太は2年間の記憶を失っている。二年前、先輩が子供を妊娠していたなんて事は無い。先輩の事なら誰よりも知っているつもりだったし、俺達が一緒にいる間そんな素振りは無かった。
――とはいっても、荒太との関係に気付けなかった今となっては何とも言えないが。ただ、妊娠していなかった事だけは確かだ。心は見えないが身体の変化は隠し様が無い。先輩は生理がキツい方だったので、その都度タバコの本数が増え、不機嫌になっていたのをよく覚えている。
だからその件について最初から「そんな訳が無い」と自分の中で否定していた。荒太のついたくだらない冗談だったと。俺は最初からその事実を取り合おうとは思っていない。先輩が俺に黙ってそんな事をするはずが無い。間違っても荒太と一晩を共にする訳が無いと――、そう信じていた。
だけどそれと同時に荒太が嘘を付くはずが無い。
先輩と俺が通じ合っていたように、俺と荒太もまた通じ合っていたはずだから。
……青臭い事を考えてるってことぐらい分かってる。互いに先輩への気持ちを騙し合っていたのだから今更そんな事を言った所で何の証明にも、根拠にもならない事ぐらい分かってる。けど、だけど――。
「っ……」
俺は荒太の事を信じたいんだろうな、きっと――。
確かに俺は荒太の事を裏切った。荒太を傷付けてしまったかも知れない。
けど、俺達の関係は――笑っちまいそうになるけど、俺達の友情はそんな物じゃ絶対に壊れないと信じたい。
「ご主人サマはそこまで朽木様の事を大切に思っていらっしゃるんですね」
バカが静かにそう言った。
「……そうらしいな」
言って、どこか他人事のように感じた。
「いつもいつも俺の事を巻き込みやがって鬱陶しいだけだと思ってたんだがな――、意識が戻ったアイツを見て……なんとなく、な」
その存在の大きさに、自分があいつの存在に、どれほど依存していたのかを思い知った。
あいつの居ない世界は味気なく、つまらない。
元々そんな世界に住んでいたのにあいつが俺をそこから連れ出してくれた。外の世界を教えてくれたのが荒太だった。
「……ですが、先輩の事はこのままで良いんですか? 最後の言葉も聞かないままで良いんですか?」
「――良い分けないだろッ……!!」
叫んだ言葉にハッとする。
見つめる先に悲しそうに顔を伏せるバカの姿が有った。
「そうです……このままで良い分けないんです……」
言って申し訳無さそうに小さくなる。
まるで自分がそうさせているかのように、いや、俺をその事実に気付かせてしまった事を後悔するように。
「このままでも何とかなるのかもしれません……、そのままでもお二人の関係は続くのかもしれません……。でも、ご主人サマにとっても、朽木様にとっても、ご主人サマの奥さま――……ミサト様の存在は余りにも大きすぎると思うんです」
「だから荒太と話せって言うのか……? あの日何があったのか、問いただせっていうのかッ……?」
無理矢理あの日の記憶を――、あの日有った事を……!
荒太が先輩と共に命を絶とうとした時の事を思い出させろって言うのか――!?
「……はい」
今にも泣き出しそうな瞳が、静かに俺を見据える。
「そうしないときっと前に進めません……。ご主人サマも……、朽木様も」
「っ……」
そんな事分かってる。十分分かってる。だが荒太が記憶を取り戻したとして、話を聞けたとしてもそこからは片割れの事実しか見えてこないだろう。荒太の見た事、感じた事、それらを俺は信じるしか無い。信じる他、無い――。
「辛いですね」
バカが零した。
「こんな事ってあんまりだと思います」
俺は荒太の事を信じたい、信じたいと思ってる。
だがそれは同時に先輩の事を疑う事にも繋がる。
荒太がもし、本当に「先輩と寝た」のだとしたら――?
俺よりも先に、そうだ、あの撮影の間に先輩と荒太との間で何かが有ったのだとしたら――?
俺は、その事をどう受け止めれば良いんだろう……?
先輩は荒太との間に付いて何も言ってくれてない。確かに2人の関係に嫉妬した時も有った。だがそんなとき先輩は「あほぅ」といって額に口づけをした。自分の愛しているのはお前だけだと、お前以外を抱きしめるつもりは無いと。
信じていた、信じているんだ――2人の事を。
暴こうとすれば矛盾が明らかになる。真実が、嘘か本当かも分からない真実が浮かび上がってくる。だから、悩むべきじゃないんだ。考え無い方が良いんだ。「どうでも良い事だ」と割り切り、いま目の前にある問題に目を向けるべきなんだ。残された俺達――、生きている俺達が少なくとも幸せになれるような問題に――。
「本当にそれで良いんですね……?」
バカは悔しそうに呟く。
「ご主人サマは、本当にそれで良いのですね……?」
何度も、何度も何度も。そう聞いてくる。答えなんて分かってるくせに、聞いてきやがる。
「――……良いも何も、そうするしか無いだろ」
答えは永遠に失われたままだ。確認する術は無い。なら仕舞い込むしか無い。
荒太に何を言われても「そうか」と許してやるしか出来ない。荒太と先輩の間に何があったとしても、いまはそれを受け入れるしか無い。過去を暴かず、偽りで塗り固められようとも今この時を守る。ただもうこれ以上失わない為に。
――だけど、人生なんてそんな物だろ?
見たくない現実からは目を背け、都合の良い様に解釈して、互いに曖昧にして妥協し合う。本当の幸せって奴がなんなのかは分からないが、隠し事があったとして全てを明確にしなきゃいけない訳じゃない。時には闇に葬り去って、掘り返しなんてしない方が良い事だってある。きっと今回の件だって同じじゃないか?
言い聞かせるように呟き、すっかり冷えきったマグカップに口をつけた。
苦くも、甘くも無い。味覚なんて物を何処かに忘れて来てしまったかのように冷たく、味気なかった。
「……だから、この件については余計な事はしなくていい。昨日みたいな真似はしばらく控えろ」
結果的に圭介とミコノの仲を取り持ったとはいえ、それは偶然だ。
俺と荒太の関係に付いてこれ以上掻き回して欲しくは無かった。
「ではミサトさんについてはずっと伏せておくんですか?」
「ずっとは無理だろうが、しばらくはな」
「しばらくっていつまでです?」
「荒太が落ち着くまでだよ」
「落ち着いたら話せるんですか? 荒太さんの具合がよくなり、退院なされたら全てお話しになれるんですか?」
「それは――……、」
「ご主人サマ、誤摩化すの止めましょうよ」
いつになく鋭い口ぶりだった。
「出過ぎたマネだって事ぐらい分かってます――……、でもご主人サマがこのままだなんて私は嫌ですっ」
「……ああ、俺も散々だとは思うよ」
いつか爆発するかもしれない爆弾に怯えながらも抱え続ける。その事は少なくとも、だが確実に俺の神経をすり減らして行く。
「俺は、どうすりゃいいのか分からん。このままの関係が続けられるのならそれで良い。先輩の事については自分の中では一応折り合いをつけられてるつもりだ――……だが、荒太にその事を迫られて堪えられる自信は無い……」
言って自分の弱さに情けなくなる。あんな夢を見てしまう位だ。気にしていない訳が無い。自分自身の限界が先か、嘘がバレるのが先か、いずれにしても先は長く無いんだろう。
「…………」
どちらにしても破滅しかこの先には無い。
いつか荒太とぶつかって、あの日何があったのかを――それが本当であるのか、嘘であるのかも分からぬままに求め、また何かを失う事になる。
「っ……」
ただ、その事が怖かったんだろう。
「悪いな……」
俺が謝る必要なんて何処にも無いんだろうが自然と口に出していた。
きっとこんな身体の小さな餓鬼に愚痴ってしまったことが情けなかったんだろう。
――だが、本当の俺なんてもっと情けない……。
「――いえ、私の方こそごめんなさいです」
顔を見上げるとバカは困ったように微笑んでいた。
「意地悪な事を言っている自覚はあるんです、すみません」
両手でそっとカップを持ち上げ、口をつけて一息ついてから軽く頭を下げて「話してくれてありがとうございます」と告げた。
「……ああ――」
腰を、背中を椅子に預け。身を沈ませる。
とてもじゃないが何処かにいける気分じゃなかった。
コーヒーを口に運ぶ、不味い。味がしない。
机においてその事にすら情けなくなってくる。
何もかも、このまま時間が流れて行っても何も変わらない。変わらないくせにいつか終わりはやってくる。――いや、最初から終ってたのかもな。
無理矢理消えてしまう物をかき集めて、囲って、守って。意地になってるのかも知れない。
まるで子供のように、過去にすがりついているだけなんだろう。
「――少し、散歩しませんか?」
気が付けばバカがすぐ傍に立っていた。
「こんなにお天気がいいのに、部屋の中にいちゃ勿体ないですっ! ほら、はやく早くっ!」
力なく、抵抗する事も出来無いままにバカに引っ張られて行く。
――一体、何考えてんだコイツ――?
外に出ると、秋の気候にしては少しばかり温か過ぎる風が吹き抜けて行った。
先輩を巡る荒太との三角関係。俺は荒太を裏切って先輩と結婚した。そして荒太と先輩は事故に遭い、先輩だけ逝ってしまった。俺は荒太に本当の事を話すかどうか悩んでいる。本当の事を話し、荒太との関係が壊れるのを恐れている。実に簡単な話だ。見方を変えれば俺と荒太の関係なんて、最初からいつかぶつかるはずの物だった。それこそ先輩と付き合い始めた頃にはヒビが入り始めていんだろう。あいつはずっと先輩の事を想っていた。それでも「撮影」という関係において2人は俺と先輩よりも深く結びつき、荒太自身その関係に満足したいる物だと俺は思っていた、いや、思い込もうとしていた。俺と先輩は恋人同士で、荒太と先輩はビジネスパートナーなのだと。
しかし本当は違った。荒太は「女優」としての先輩を求める以上に「女性」としての先輩も求め続けていた。「監督」である以前にあいつも「男」だったんだ。そうして、「男」である以前に俺の「友人」だった。もしくは「親友」だった。俺と先輩が付き合っている事を知ったあいつは自分の気持ちを押さえ込み続けていた。俺達を祝福してくれていた。なのに――、
「――子供、出来ちゃったかも――」
あの日、荒太はどうしてあんな事を言ったんだ……?
直後荒太は「冗談だよ、じょーだん」と茶化したがそうでない事位俺にだって分かる。冗談でも荒太はあんな事を言わない。
「ご主人サマ……!」
「っ…………?」
見上げれば手に持ったマグカップを強く握りすぎて手が赤くなっていた。
「……ああ、悪い。ちょっと考えすぎた」
そっとそれをテーブルに戻し、続きを話し始める。その間もバカは真剣な目で俺を見つめ、いまにも泣き出しそうになりながらそれに堪え続けていた。一体俺の話をどんな気持ちで聞いているのかは分からないが、そんな目で見られるとこっちまで話し辛くなってくる。
――俺は、ちっとも。本当にこれっぽっちも気にしてないつもりなんだがな……。
荒太は2年間の記憶を失っている。二年前、先輩が子供を妊娠していたなんて事は無い。先輩の事なら誰よりも知っているつもりだったし、俺達が一緒にいる間そんな素振りは無かった。
――とはいっても、荒太との関係に気付けなかった今となっては何とも言えないが。ただ、妊娠していなかった事だけは確かだ。心は見えないが身体の変化は隠し様が無い。先輩は生理がキツい方だったので、その都度タバコの本数が増え、不機嫌になっていたのをよく覚えている。
だからその件について最初から「そんな訳が無い」と自分の中で否定していた。荒太のついたくだらない冗談だったと。俺は最初からその事実を取り合おうとは思っていない。先輩が俺に黙ってそんな事をするはずが無い。間違っても荒太と一晩を共にする訳が無いと――、そう信じていた。
だけどそれと同時に荒太が嘘を付くはずが無い。
先輩と俺が通じ合っていたように、俺と荒太もまた通じ合っていたはずだから。
……青臭い事を考えてるってことぐらい分かってる。互いに先輩への気持ちを騙し合っていたのだから今更そんな事を言った所で何の証明にも、根拠にもならない事ぐらい分かってる。けど、だけど――。
「っ……」
俺は荒太の事を信じたいんだろうな、きっと――。
確かに俺は荒太の事を裏切った。荒太を傷付けてしまったかも知れない。
けど、俺達の関係は――笑っちまいそうになるけど、俺達の友情はそんな物じゃ絶対に壊れないと信じたい。
「ご主人サマはそこまで朽木様の事を大切に思っていらっしゃるんですね」
バカが静かにそう言った。
「……そうらしいな」
言って、どこか他人事のように感じた。
「いつもいつも俺の事を巻き込みやがって鬱陶しいだけだと思ってたんだがな――、意識が戻ったアイツを見て……なんとなく、な」
その存在の大きさに、自分があいつの存在に、どれほど依存していたのかを思い知った。
あいつの居ない世界は味気なく、つまらない。
元々そんな世界に住んでいたのにあいつが俺をそこから連れ出してくれた。外の世界を教えてくれたのが荒太だった。
「……ですが、先輩の事はこのままで良いんですか? 最後の言葉も聞かないままで良いんですか?」
「――良い分けないだろッ……!!」
叫んだ言葉にハッとする。
見つめる先に悲しそうに顔を伏せるバカの姿が有った。
「そうです……このままで良い分けないんです……」
言って申し訳無さそうに小さくなる。
まるで自分がそうさせているかのように、いや、俺をその事実に気付かせてしまった事を後悔するように。
「このままでも何とかなるのかもしれません……、そのままでもお二人の関係は続くのかもしれません……。でも、ご主人サマにとっても、朽木様にとっても、ご主人サマの奥さま――……ミサト様の存在は余りにも大きすぎると思うんです」
「だから荒太と話せって言うのか……? あの日何があったのか、問いただせっていうのかッ……?」
無理矢理あの日の記憶を――、あの日有った事を……!
荒太が先輩と共に命を絶とうとした時の事を思い出させろって言うのか――!?
「……はい」
今にも泣き出しそうな瞳が、静かに俺を見据える。
「そうしないときっと前に進めません……。ご主人サマも……、朽木様も」
「っ……」
そんな事分かってる。十分分かってる。だが荒太が記憶を取り戻したとして、話を聞けたとしてもそこからは片割れの事実しか見えてこないだろう。荒太の見た事、感じた事、それらを俺は信じるしか無い。信じる他、無い――。
「辛いですね」
バカが零した。
「こんな事ってあんまりだと思います」
俺は荒太の事を信じたい、信じたいと思ってる。
だがそれは同時に先輩の事を疑う事にも繋がる。
荒太がもし、本当に「先輩と寝た」のだとしたら――?
俺よりも先に、そうだ、あの撮影の間に先輩と荒太との間で何かが有ったのだとしたら――?
俺は、その事をどう受け止めれば良いんだろう……?
先輩は荒太との間に付いて何も言ってくれてない。確かに2人の関係に嫉妬した時も有った。だがそんなとき先輩は「あほぅ」といって額に口づけをした。自分の愛しているのはお前だけだと、お前以外を抱きしめるつもりは無いと。
信じていた、信じているんだ――2人の事を。
暴こうとすれば矛盾が明らかになる。真実が、嘘か本当かも分からない真実が浮かび上がってくる。だから、悩むべきじゃないんだ。考え無い方が良いんだ。「どうでも良い事だ」と割り切り、いま目の前にある問題に目を向けるべきなんだ。残された俺達――、生きている俺達が少なくとも幸せになれるような問題に――。
「本当にそれで良いんですね……?」
バカは悔しそうに呟く。
「ご主人サマは、本当にそれで良いのですね……?」
何度も、何度も何度も。そう聞いてくる。答えなんて分かってるくせに、聞いてきやがる。
「――……良いも何も、そうするしか無いだろ」
答えは永遠に失われたままだ。確認する術は無い。なら仕舞い込むしか無い。
荒太に何を言われても「そうか」と許してやるしか出来ない。荒太と先輩の間に何があったとしても、いまはそれを受け入れるしか無い。過去を暴かず、偽りで塗り固められようとも今この時を守る。ただもうこれ以上失わない為に。
――だけど、人生なんてそんな物だろ?
見たくない現実からは目を背け、都合の良い様に解釈して、互いに曖昧にして妥協し合う。本当の幸せって奴がなんなのかは分からないが、隠し事があったとして全てを明確にしなきゃいけない訳じゃない。時には闇に葬り去って、掘り返しなんてしない方が良い事だってある。きっと今回の件だって同じじゃないか?
言い聞かせるように呟き、すっかり冷えきったマグカップに口をつけた。
苦くも、甘くも無い。味覚なんて物を何処かに忘れて来てしまったかのように冷たく、味気なかった。
「……だから、この件については余計な事はしなくていい。昨日みたいな真似はしばらく控えろ」
結果的に圭介とミコノの仲を取り持ったとはいえ、それは偶然だ。
俺と荒太の関係に付いてこれ以上掻き回して欲しくは無かった。
「ではミサトさんについてはずっと伏せておくんですか?」
「ずっとは無理だろうが、しばらくはな」
「しばらくっていつまでです?」
「荒太が落ち着くまでだよ」
「落ち着いたら話せるんですか? 荒太さんの具合がよくなり、退院なされたら全てお話しになれるんですか?」
「それは――……、」
「ご主人サマ、誤摩化すの止めましょうよ」
いつになく鋭い口ぶりだった。
「出過ぎたマネだって事ぐらい分かってます――……、でもご主人サマがこのままだなんて私は嫌ですっ」
「……ああ、俺も散々だとは思うよ」
いつか爆発するかもしれない爆弾に怯えながらも抱え続ける。その事は少なくとも、だが確実に俺の神経をすり減らして行く。
「俺は、どうすりゃいいのか分からん。このままの関係が続けられるのならそれで良い。先輩の事については自分の中では一応折り合いをつけられてるつもりだ――……だが、荒太にその事を迫られて堪えられる自信は無い……」
言って自分の弱さに情けなくなる。あんな夢を見てしまう位だ。気にしていない訳が無い。自分自身の限界が先か、嘘がバレるのが先か、いずれにしても先は長く無いんだろう。
「…………」
どちらにしても破滅しかこの先には無い。
いつか荒太とぶつかって、あの日何があったのかを――それが本当であるのか、嘘であるのかも分からぬままに求め、また何かを失う事になる。
「っ……」
ただ、その事が怖かったんだろう。
「悪いな……」
俺が謝る必要なんて何処にも無いんだろうが自然と口に出していた。
きっとこんな身体の小さな餓鬼に愚痴ってしまったことが情けなかったんだろう。
――だが、本当の俺なんてもっと情けない……。
「――いえ、私の方こそごめんなさいです」
顔を見上げるとバカは困ったように微笑んでいた。
「意地悪な事を言っている自覚はあるんです、すみません」
両手でそっとカップを持ち上げ、口をつけて一息ついてから軽く頭を下げて「話してくれてありがとうございます」と告げた。
「……ああ――」
腰を、背中を椅子に預け。身を沈ませる。
とてもじゃないが何処かにいける気分じゃなかった。
コーヒーを口に運ぶ、不味い。味がしない。
机においてその事にすら情けなくなってくる。
何もかも、このまま時間が流れて行っても何も変わらない。変わらないくせにいつか終わりはやってくる。――いや、最初から終ってたのかもな。
無理矢理消えてしまう物をかき集めて、囲って、守って。意地になってるのかも知れない。
まるで子供のように、過去にすがりついているだけなんだろう。
「――少し、散歩しませんか?」
気が付けばバカがすぐ傍に立っていた。
「こんなにお天気がいいのに、部屋の中にいちゃ勿体ないですっ! ほら、はやく早くっ!」
力なく、抵抗する事も出来無いままにバカに引っ張られて行く。
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