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【6】少女、終わりました。
6-6
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「はぁーっ、いい天気だねーっ」
屋上に上がった荒太は開口早々伸びをし、誰もいない空間を一人歩いて行く。朝干されたであろうシーツやタオルが風に吹かれ、心地よくなびいていた。
「退院の日、決まったんだってな?」
「あー、うん。明後日。一応通院は必要だけど、身体の方は問題ないって。体力的な問題は山積みだけどね」
端まで歩くと柵に手をのせ、遠くまで広がる景色を眺め始める。
少し高い丘の上に作られているせいか、街が一望出来る。それほど高い建築物は無いから俺たちがさっきまで歩いていた河も見つける事が出来た。――その事が少しだけ俺の背中を押しているように感じた。
「大学に復学するのって、やっぱ大変かな?」
暖かい秋風に目を細めながら荒太が呟く。
「ブランクあるってつらいよねぇー」
「さーな、やる気さえあればどうにでもなるんじゃないのか?」
「んぅー大学自体には興味ないからなー」
青空のもと苦笑する姿は2年前の姿そのものだった。
「晋也は卒業しちゃったんだろ?」
「……いや」
「え?」
荒太が振り向き、驚いてみせた。
「ありゃありゃ、やっぱ僕が居なくなって寂しかったのかいっ?」
「まーな」
「ふーん。勿体ない事したね――、ぁ。だからプー太郎?」
「うっせ。――つか、俺が働いてないこと気付いてたのか」
「そりゃそうだろ。僕が気付かないとでも?」
「そりゃそうも」
他愛無ない、いつもの会話だった。
「――で、どしたのさ。まさか本当に寂しかったからなんて言わないよね?」
下らない笑みを浮かべる荒太に風は優しく吹き付けて行く。微笑んで細くなった目はより一層細くなり、「ん?」と軽く首を傾げては微笑む。――変わらない、何も、あの頃と変わっていなかった。
懐かしさすら込み上げてくる屋上で俺は、息を吐き出す。
秋の空は透き通っていて、見上げた先に気持ちのやり場は無かった。
「まぁ、なんだ――……、先輩が死んだからな」
まるでタバコをそうしていたように。いつの間にかごく自然にその言葉を吐き出していた。
荒太の目が大きく見開かれる。言葉を失ったかのように口を半分開けたまま固まり、バタバタと風にあおられたシーツが音を立てては、伸びた前髪が目にかかる。
空を流れて行く雲は静かにその形を変え、太陽を覆い隠しては流れ、地上に薄い影を作り続けていた。
「……ご主人サマ」
いつの間にか屋上にやって来ていたバカが近づいて来て、そっと俺の裾を掴んだ。
心配そうな目で俺を見上げる。まるで俺の気持ちを映し出すかのようだった。
辛くて、悲しくて、それでいて苦くて。いつまでたってもその言葉を突き付けられる時はどうしようも無い気持ちが蘇ってくる。込み上げて来る感情に叫び出しそうになり、つい涙がこぼれそうにもなる。
だが――、そんな様子を少しでも和らげたくて軽く笑みを作り、頷いてやる。
自分に、これで良かったのだと言い聞かせるかのように。力強く、頷いてやる。
「一年前、交通事故で死んだんだ」
視線を言葉を失っている荒太に戻し、もう一度告げる。
「車ごと崖から落ちて即死だった」
荒太はただ俺を見つめ、固まっていた。
「……もう、先輩は――何処にも居ない」
ズキリと胸の奥が痛んだ。バカが服の裾を強く握り直した。
ただそれだけの事で少しだけ、痛みが和らいだようにも感じる。
「……そっか……、そうだったんだ……」
荒太は俯き、静かに呟く。
「そうだったんだね……?」
今にも泣き出しそうな顔で顔を上げ、それと同時に吹き抜けていた風が音を潜めた。
「……気にはなってたんだ。ずっと、気にしてたんだ。でも、怖くて聞けなかった」
「荒太……?」
ふらふらと柵に寄りかかり、それに身を預けて崩れ落ちる。その視線は地上に注がれていて、その背中は酷く小さく言えた。
「晋也も先輩の話をしようとしないから、薄々そんな気はしてたんだけどさ。やっぱ、そうだったんだね……」
ぶつぶつと言葉を繰り返し、微笑んでみせる。
「じゃないとあんな反応しないよね?」
その笑顔は少しぎこちなかった。
「なぁ、晋也。僕とミサトさんと、おまえ、三人で映画を撮って賞を貰って、お前はどう思った……?」
「どうって、俺は別に……」
「僕はこの先もずっとミサトさんとコンビを組んで、映画を撮って行くもんだと思ってた。晋也は映画には興味が無さそうだったけど、僕はのめり込んでたからさ。ミサトさんも、普段はあんな風だし、絶対口には出さないけどカメラの前で芝居をするのは嫌いじゃないって思ってたんだ」
「……ああ」
俺も、そうだと思ってた。先輩は何度も何度も脚本がぼろぼろになるまで読み込んで、書き込みをして、人知れず一人で芝居の練習をしていた。言われれば否定するが、俺の知っている誰よりも真摯に、情熱を持って映画作りに取り組んでいた。夜遅くまで一人公園で芝居の練習を繰り返していたのを俺も知ってる。――そして俺はそんな先輩の事が好きだった。気だるそうに煙草をくわえ、脚本に視線を落とす姿が堪らなく好きだった。
「――けど、違ってたんだよ。ミサトさんの思い描いていた物は僕らとは違った――……、いや違うな……最初から僕らはバラバラだった。全員違うものを見ていたんだ」
「なにいってんだよ、おまえと先輩は――……、」
言いかけて、その瞳に映る感情に思わず言葉を失った。
「本当に、そう思ってるのか、シンヤ……?」
いまにも噛み付きそうな程に俺を睨み、全てはお前が悪いんだと責め続けていた。
「なぁ……あの日、先輩は電話越しに何を言おうとしてたんだと思う……?」
「……あの日?」
「ああ、ボクらが映画祭に出かけて行ったあの日だ」
「――――おまえ、まさか記憶が――、」
「良いから答えろよッ……!! あの日、笠井先輩は――、ミサトさんは何を言おうとしてたのか言ってみろよ!?」
「――――、」
荒太の言葉に浮かんで来たのは電話越しの波の音。そうしてカモメの甲高い泣き声だった。
嬉しそうに笑う先輩はいつもよりもはしゃいでいて、それをらしくないと俺は笑っていた。
何か口ごもる先輩、そして沈黙が続き、俺が不思議思い始め、先輩が何かを言い出そうとした直後――、
「――いや、俺は最後まで聞けなかったからな……」
それ以上、思い出したくは無かった。
後に続くのは無惨な鉄の奏でる悲鳴だけだ。
「……でも、僕はそれを聞いてる。嬉しそうに教えてくれた」
「あらた……?」
皺を刻んでいた顔が、それまでよりも更に表情が歪んでゆく。
「ミサトさんは嬉しそうに教えてくれたよ……」
憎々しく、歯を食い締め、俺を睨みつけながら荒太は歯をむき出しにした。
「子供が出来たんだッテ?」
「ッ――――」
一瞬にして体中から熱を奪われたように感じた。背筋を冷たい物がゾクリと走り抜け、身体を縛る。ドクンドクンと心臓が高鳴り、額に汗が滲んだ。
「なぁ、シンヤ――、子供が出来ちゃったんだってサ――?」
言葉の意味を、言葉に込められた想いが濁らせ黒く染め上げていた。
荒太の言っている意味が分からなかった。言葉の意味を奪い取っていた。
「っ…………、」
目の前に立っているのは俺の知っている荒太じゃない。どす黒く、重々しい空気は俺の知ってる荒太じゃなかった――、
「――ま、また冗談か……? 笑えないぞ……?」
どうにか絞り出した言葉は震えていて、その言葉に荒太は嘲笑う。
「冗談? ははっ、冗談なワケ無いだろっ」
嗤い、呻き、荒太は吠えた。
「冗談でもこんな事言いたくない――、だって冗談ならずっと良かった。それがおまえの子供じゃなくて、僕の事もだったら随分と良かった。だってそうだとしたらきっと僕はミサトさんを止められる。いまは時期じゃない、もう少し後にしよう。そんな風に言ってその命に涙を流す事だって出来たはずだ。でもッ――、でも! 僕の子じゃないッ……! あの日、あの時ミサトさんのお腹の中にいたのはお前の子供だッ! おまえと、あの人の――お前らの子供だったんだよ! 僕にはどうにも出来無くて、僕にはどうする資格も無かった……! ただ、“そうなんですか”って驚いて、"それはオメデトウございます。きっと元気な子ですよ”なんて笑う事しか出来無かった!
――なぁ、あの日先輩はなんて言ったか分かるか? お前に、あの人が何を望んでいたか分かってるのか……!?」
荒太の視線に自然と足が後ろに下がっていた。荒太の事を恐ろしく感じていた。
「――答えろよ! 一度ならず二度までも俺からあの人を奪おうとしたお前なら分かるはずだろッ!?」
吠えるように叫び、荒くなった息を押さえようともせず敵意を剥き出しにして睨み続ける二つの目。額を冷たい汗は流れ落ち、暗闇の中で色褪せつつあった記憶は溢れ出すかのように思い返されて行く。
――……先輩が、なにを望んでいたか……?
部室で煙草を吹かしながら窓辺で脚本を読んでいた先輩、夜中の公園で一人台詞の練習をしていた先輩、バイト先で上司を殴り、酔いつぶれて俺にもたれ掛かって来た先輩、腕の中で恥ずかしそうに頷く先輩、ウエディングドレスを「柄じゃない」と文句を言いつつも嬉しそうにはにかむ先輩――、あの人がなにを望んでいたかなんて、俺には――、
「分からないなんて言わせないぞッ……! 僕から二度も先輩を奪っておいて分からないなんて――!!」
「っ――――、」
包み込まれ、押しつぶされそうになる目に思わず後ずさる。
「せ、先輩が望んでいた事なんてっ――、」
「いい加減にしろよ!!」
「――――っ……!!」
思わず足がもつれ尻餅を着く。
「そうやってミサトさんの事を“先輩“だなんて呼んで、僕に気を使って――白々しいんだよ!! だったら最初からミサトさんに近づかないでくれれば良かったじゃないかッ!!?」
見下し、突き刺さる視線に釘付けにされ、言葉も、息も吐き出せなくなって――、指先が震えた。
「お、おれは……俺は――、」
睨む瞳に、発せられるオーラに身動き一つ取れなかった。
そうじゃないと、そんなつもりじゃなかったと弁解しなきゃ行けないのに言葉が続かない。
無言で睨み続ける視線に、吐き出される言葉に、荒太の放つ空気に、俺は言葉を失っていた。
「――――全部、全部お前が悪いんだ、シンヤ」
全身を寒気が貫いた。息が出来無くなった。
「お前が、ミサトさんを――、僕等を殺したんだ――」
「ぉ……、おれ、が……?」
先輩を殺した……?
俺が荒太を裏切ったから……?
俺が先輩と結婚したから……?
俺が荒太を傷付けたから……?
全部俺が悪いってのか……?
俺があの人を、あの人の手を掴んだから行けなかったって言うのか――?
「――――、」
冷たい目が、俺を見下ろしていた。
――そうだ、と告げるかのように。
「ぁ、ァっ…………、、、」
「――それは違いますッ……!」
その重圧にそのまま押しつぶされてしまいそうになった時、その小さな影は目の前に飛び出して来ていた。
「ご主人サマは貴方に責められるような事をしていません!」
その小さな背中は必死に、その影の前に立ちふさがった。
「マ、キ……?」
「――大丈夫です、私に任せて下さいッ……」
余裕ぶって微笑むくせにその手足は震えてる。いまにも逃げ出してしまいそうな程に震えながらも俺と荒太の間に立ち、必死に両手を広げていた。
「……君には関係ないだろ、黙ってくれよ」
言葉は丁寧だがいまにも噛み付きそうだった。それに気圧され、少し少したじろぐ――、だが広げた両手により一層力をいれ、足を踏ん張ってはその場からは動かなかった。
「関係あります……! 私は、晋也さんのハートフルパートナーですからッ……!!」
必死に言葉を振り絞ったようだった。
自分を奮い立たせようと、小さな体で必死に叫んでいた。
それまで音を潜めていた風が再び吹き抜けて行く。荒太と俺達の間に新しい風を運び込んで行く――。一体荒太がその言葉をどう受け取ったのかは分からなかった。だが歪んでいた顔は徐々に崩れ、代わりに込み上げて来たのは狂ったような笑い声だった。
「あははははッ! アハハハハっ!!! しんやぁっ! こんな小さな子供にまで守られて恥ずかしくないのかぃ……? 知らない間に随分情けなくなったじゃないかぁっ?」
「笑われたって構いません、私はご主人サマを守ります!」
「……ならマキちゃん、君が答えてくれるのかい……? 後ろの、ご主人サマの代わりに」
小さな背中越しに鋭い視線が再び注がれる。
――怖い、ただひたすらに恐ろしかった。
やっぱり俺の知っている荒太じゃない、こんな荒太は見た事が無い――。
毛が逆立つような寒さと、突き刺すような痛みが全身を包み込んでいる。
地に着く手に自然と力が入り、全身にびっしょりと汗をかいていた。
「ご主人サマは、きっと、きっとッ……!」
俺の前ではバカが必死になんとか言い返そうと必死になっているが、強く開かれた腕が小刻みに震え、今にもバラバラになってしまいそうだった。
「ご主人サマはっ、あのッ……!」
「っ……」
だから、身体を起こし、膝に手をついた。歯を食いしばり、逃げようとする足を必死に押さえ込む。
「――ご主人サマ……?」
「……どいてろ、バカ」
その小さな肩に手をおき、前へと出る。
冷たく、突き刺さるような視線を受けつつもバカの前に。
「……先輩が、ミサトがなにを言おうとしていたかなんて俺はわかんねぇよ。その言葉の続きを引きずって、一年間ひきニートしてたぐらいだ。まぁ、いまもニートにはかわらねぇけどよ――」
ジッと、荒太は俺を見つめ続けている。震える声で、自分に歯向かおうとする俺を睨み続けている。
「俺と先輩はお前が思ってる程通じ合ってねぇよ、分かり合ってねぇよ。そりゃお互いの事を信用してたし、必要としてた。けどなぁ、タバコを辞める辞めないだで喧嘩するわ、これ以上酒は飲むなっつってんの飲もうとして殴り飛ばされるわ、意外と譲れねぇ部分でぶつかって一方的に殴られて、一人夜中の街をふらつく事だってあったんだよッ……!」
「――で、なにさ。惚気話なんて聞きたく無いんだけど――?」
「……ああ、惚気だよ。お惚気話だ! けどその一点、俺とあの人との間には確かにそれが有った! 良いか荒太!! お前が何を言おうが、どう叫ぼうが、先輩と付き合ったのは俺だッ……! 先輩が好きになってくれたのは俺なんだよ!! お前じゃねぇ!!」
「ッ……!!」
荒太がその細い腕を伸ばし、胸ぐらを掴む。
だが、構わない。殴られたってどうってことは無い。
構うもんかッ――、散々いままで騙し騙しやってきた友情ゴッコだ。青春の1ページが殴り合いに成るって言うならそれをなぞってやるッ――!
「確かに俺はあの人の事を何も分かってなかったのかもしれねぇッ! 何を言うかなんてちっとも分かってなかったかもしれねェッ……! だが、だけどなッ! 俺はあの人が譲れねぇって言う所はちゃんと受け入れて来たんだよ。酒もタバコも――あの人が俺の気持ちを知った上で続けるって言うなら全部認めて来たんだッ! だから、俺は、きっとあの日だって、必ずッ、あの人がなにを言おうが俺は受け入れた、受け止められたッ……!!」
だってその言葉はきっと、俺の事を思った上で――互いの事を考えた上で吐き出した想いに違い無いから。
「……なんだよ、それ……なんだよそれ……! そんなに答えになってないだろ! あの人の気持ちも知らないで、何にも知らないで、おまえはボクからあの人を奪って行ったんじゃないかッ!」
ガンッと視界がぶれ、殴られたのだと気付く。だが、もう何も怖く無かった。幾ら叫ぼうが、幾ら吠えようが、怖く無い――。開き直っちまえば――、お前のことなんてどうなったって構いやしないんだって思っちまえばもう、どうって事は無かった――。
「お前に黙って先輩と付き合ってたのは謝る。けど、先輩の事なら俺は何でも受け入れる。例えお前が先輩と寝たって言うんなら、その先輩ごと受け止めてやる。もしあの人が映画に専念したいって言うなら俺はそれを応援する――!! 俺はッ……、俺はそんなあの人の事を愛していたんだからなッ……!!」
嘘じゃない、全部本当の事だ。
もしこれで先輩が――ミサトが俺に何かを隠していたとしても、後悔なんてしない。そんな先輩を否定したり嫌いになったりなんてしない。出来る訳が無い。そう言う所も引っ括めて彼女の事を愛していたのだから。それにそんな事出来るぐらいならとっくの昔に俺は――、
「ボクだって……、僕だってミサトさんの事が好きだったのにッ……、」
――コイツに、譲っていただろうから。
「どうしてッ……、どうしてお前なんだよ……!! 映画作りだって僕とミサトさんの方が息が合ってた……! おまえはただ機材を運んで、カメラを回してただけじゃないかッ……!! なのにどうして……!!」
そこにいたのは、いつもの子供みたいな表情を浮かべるあの荒太だった。
ただ、あの人の事を――ミサトの事を好きになっていた、友人の姿だった。
「……悪いな」
「……ほんとだよ……、ほんとに……勝手だよ……」
いつの間にか秋の乾いた風は空に浮かんでいた雲を一通り流しきってしまっていて、空一面に夕焼け空が広がり始めていた。
俺のシャツから手を離し、柵に手を掛け、荒太はうな垂れた。
「ミサトさんはさ、“もう映画には出演しない”って言ったんだよ。"あの作品でおしまいだ”って」
何処か諦めた様に――、泣きつかれた子供の様にボソボソと話し始める。
「"女優になるのも面白いかもしれないけど、コイツの母親として生きるのも悪くないと思うんだ”って、お腹を摩りながらさ。いつになく真剣に話してくれたんだ。お前が父親に成る姿を想像して恥ずかしそうに笑ってたけどね」
浮かべる笑顔は何処か幼く、まるで子供が叱られつつも自分の悪戯を褒めて欲しいと言っているようだった。
「……そうか」
そんな姿を直視出来ず、静かに頷く。
「まだお前に伝えてないっていうからさ、僕が提案したんだよ。"きっと驚くからしばらく留守するこのタイミングで打ち明けてみたらどうです?”って、"家に帰ったとき、子供用品を買いあさってたりしたら面白いですね”って。軽い冗談だった。でも、あの人は真っ赤な顔で"うん”ってさ。その時何かが壊れちゃったんだよね。必死に押さえ込んで来た色んな感情がドバーって流れ出しちゃってさ。ミサトさんが話そうとした瞬間、アクセルを踏み込んでた。その先は聞きたくなかったんだよ、きっと」
「……じゃあ、やっぱりあの事故はお前が――、」
「――ごめんね、しんや? ほんとにごめん」
そうしていつものように悪戯っぽく笑い。その頬を一筋の涙が零れ落ちて行った。
しばらくして荒太は病院を抜け出し、自分の足で警察へと向かって行った。
一瞬止めようと思ったが、あいつはあいつで自分の過去と向き合おうとしているのだと思うと声をかけられなかった。傍で俺のシャツの裾を握るバカが心細そうに寄り添って来て、そっと肩を抱いてやった。思っていたよりも小さな身体に胸の奥がちくりと痛んだ。
屋上に上がった荒太は開口早々伸びをし、誰もいない空間を一人歩いて行く。朝干されたであろうシーツやタオルが風に吹かれ、心地よくなびいていた。
「退院の日、決まったんだってな?」
「あー、うん。明後日。一応通院は必要だけど、身体の方は問題ないって。体力的な問題は山積みだけどね」
端まで歩くと柵に手をのせ、遠くまで広がる景色を眺め始める。
少し高い丘の上に作られているせいか、街が一望出来る。それほど高い建築物は無いから俺たちがさっきまで歩いていた河も見つける事が出来た。――その事が少しだけ俺の背中を押しているように感じた。
「大学に復学するのって、やっぱ大変かな?」
暖かい秋風に目を細めながら荒太が呟く。
「ブランクあるってつらいよねぇー」
「さーな、やる気さえあればどうにでもなるんじゃないのか?」
「んぅー大学自体には興味ないからなー」
青空のもと苦笑する姿は2年前の姿そのものだった。
「晋也は卒業しちゃったんだろ?」
「……いや」
「え?」
荒太が振り向き、驚いてみせた。
「ありゃありゃ、やっぱ僕が居なくなって寂しかったのかいっ?」
「まーな」
「ふーん。勿体ない事したね――、ぁ。だからプー太郎?」
「うっせ。――つか、俺が働いてないこと気付いてたのか」
「そりゃそうだろ。僕が気付かないとでも?」
「そりゃそうも」
他愛無ない、いつもの会話だった。
「――で、どしたのさ。まさか本当に寂しかったからなんて言わないよね?」
下らない笑みを浮かべる荒太に風は優しく吹き付けて行く。微笑んで細くなった目はより一層細くなり、「ん?」と軽く首を傾げては微笑む。――変わらない、何も、あの頃と変わっていなかった。
懐かしさすら込み上げてくる屋上で俺は、息を吐き出す。
秋の空は透き通っていて、見上げた先に気持ちのやり場は無かった。
「まぁ、なんだ――……、先輩が死んだからな」
まるでタバコをそうしていたように。いつの間にかごく自然にその言葉を吐き出していた。
荒太の目が大きく見開かれる。言葉を失ったかのように口を半分開けたまま固まり、バタバタと風にあおられたシーツが音を立てては、伸びた前髪が目にかかる。
空を流れて行く雲は静かにその形を変え、太陽を覆い隠しては流れ、地上に薄い影を作り続けていた。
「……ご主人サマ」
いつの間にか屋上にやって来ていたバカが近づいて来て、そっと俺の裾を掴んだ。
心配そうな目で俺を見上げる。まるで俺の気持ちを映し出すかのようだった。
辛くて、悲しくて、それでいて苦くて。いつまでたってもその言葉を突き付けられる時はどうしようも無い気持ちが蘇ってくる。込み上げて来る感情に叫び出しそうになり、つい涙がこぼれそうにもなる。
だが――、そんな様子を少しでも和らげたくて軽く笑みを作り、頷いてやる。
自分に、これで良かったのだと言い聞かせるかのように。力強く、頷いてやる。
「一年前、交通事故で死んだんだ」
視線を言葉を失っている荒太に戻し、もう一度告げる。
「車ごと崖から落ちて即死だった」
荒太はただ俺を見つめ、固まっていた。
「……もう、先輩は――何処にも居ない」
ズキリと胸の奥が痛んだ。バカが服の裾を強く握り直した。
ただそれだけの事で少しだけ、痛みが和らいだようにも感じる。
「……そっか……、そうだったんだ……」
荒太は俯き、静かに呟く。
「そうだったんだね……?」
今にも泣き出しそうな顔で顔を上げ、それと同時に吹き抜けていた風が音を潜めた。
「……気にはなってたんだ。ずっと、気にしてたんだ。でも、怖くて聞けなかった」
「荒太……?」
ふらふらと柵に寄りかかり、それに身を預けて崩れ落ちる。その視線は地上に注がれていて、その背中は酷く小さく言えた。
「晋也も先輩の話をしようとしないから、薄々そんな気はしてたんだけどさ。やっぱ、そうだったんだね……」
ぶつぶつと言葉を繰り返し、微笑んでみせる。
「じゃないとあんな反応しないよね?」
その笑顔は少しぎこちなかった。
「なぁ、晋也。僕とミサトさんと、おまえ、三人で映画を撮って賞を貰って、お前はどう思った……?」
「どうって、俺は別に……」
「僕はこの先もずっとミサトさんとコンビを組んで、映画を撮って行くもんだと思ってた。晋也は映画には興味が無さそうだったけど、僕はのめり込んでたからさ。ミサトさんも、普段はあんな風だし、絶対口には出さないけどカメラの前で芝居をするのは嫌いじゃないって思ってたんだ」
「……ああ」
俺も、そうだと思ってた。先輩は何度も何度も脚本がぼろぼろになるまで読み込んで、書き込みをして、人知れず一人で芝居の練習をしていた。言われれば否定するが、俺の知っている誰よりも真摯に、情熱を持って映画作りに取り組んでいた。夜遅くまで一人公園で芝居の練習を繰り返していたのを俺も知ってる。――そして俺はそんな先輩の事が好きだった。気だるそうに煙草をくわえ、脚本に視線を落とす姿が堪らなく好きだった。
「――けど、違ってたんだよ。ミサトさんの思い描いていた物は僕らとは違った――……、いや違うな……最初から僕らはバラバラだった。全員違うものを見ていたんだ」
「なにいってんだよ、おまえと先輩は――……、」
言いかけて、その瞳に映る感情に思わず言葉を失った。
「本当に、そう思ってるのか、シンヤ……?」
いまにも噛み付きそうな程に俺を睨み、全てはお前が悪いんだと責め続けていた。
「なぁ……あの日、先輩は電話越しに何を言おうとしてたんだと思う……?」
「……あの日?」
「ああ、ボクらが映画祭に出かけて行ったあの日だ」
「――――おまえ、まさか記憶が――、」
「良いから答えろよッ……!! あの日、笠井先輩は――、ミサトさんは何を言おうとしてたのか言ってみろよ!?」
「――――、」
荒太の言葉に浮かんで来たのは電話越しの波の音。そうしてカモメの甲高い泣き声だった。
嬉しそうに笑う先輩はいつもよりもはしゃいでいて、それをらしくないと俺は笑っていた。
何か口ごもる先輩、そして沈黙が続き、俺が不思議思い始め、先輩が何かを言い出そうとした直後――、
「――いや、俺は最後まで聞けなかったからな……」
それ以上、思い出したくは無かった。
後に続くのは無惨な鉄の奏でる悲鳴だけだ。
「……でも、僕はそれを聞いてる。嬉しそうに教えてくれた」
「あらた……?」
皺を刻んでいた顔が、それまでよりも更に表情が歪んでゆく。
「ミサトさんは嬉しそうに教えてくれたよ……」
憎々しく、歯を食い締め、俺を睨みつけながら荒太は歯をむき出しにした。
「子供が出来たんだッテ?」
「ッ――――」
一瞬にして体中から熱を奪われたように感じた。背筋を冷たい物がゾクリと走り抜け、身体を縛る。ドクンドクンと心臓が高鳴り、額に汗が滲んだ。
「なぁ、シンヤ――、子供が出来ちゃったんだってサ――?」
言葉の意味を、言葉に込められた想いが濁らせ黒く染め上げていた。
荒太の言っている意味が分からなかった。言葉の意味を奪い取っていた。
「っ…………、」
目の前に立っているのは俺の知っている荒太じゃない。どす黒く、重々しい空気は俺の知ってる荒太じゃなかった――、
「――ま、また冗談か……? 笑えないぞ……?」
どうにか絞り出した言葉は震えていて、その言葉に荒太は嘲笑う。
「冗談? ははっ、冗談なワケ無いだろっ」
嗤い、呻き、荒太は吠えた。
「冗談でもこんな事言いたくない――、だって冗談ならずっと良かった。それがおまえの子供じゃなくて、僕の事もだったら随分と良かった。だってそうだとしたらきっと僕はミサトさんを止められる。いまは時期じゃない、もう少し後にしよう。そんな風に言ってその命に涙を流す事だって出来たはずだ。でもッ――、でも! 僕の子じゃないッ……! あの日、あの時ミサトさんのお腹の中にいたのはお前の子供だッ! おまえと、あの人の――お前らの子供だったんだよ! 僕にはどうにも出来無くて、僕にはどうする資格も無かった……! ただ、“そうなんですか”って驚いて、"それはオメデトウございます。きっと元気な子ですよ”なんて笑う事しか出来無かった!
――なぁ、あの日先輩はなんて言ったか分かるか? お前に、あの人が何を望んでいたか分かってるのか……!?」
荒太の視線に自然と足が後ろに下がっていた。荒太の事を恐ろしく感じていた。
「――答えろよ! 一度ならず二度までも俺からあの人を奪おうとしたお前なら分かるはずだろッ!?」
吠えるように叫び、荒くなった息を押さえようともせず敵意を剥き出しにして睨み続ける二つの目。額を冷たい汗は流れ落ち、暗闇の中で色褪せつつあった記憶は溢れ出すかのように思い返されて行く。
――……先輩が、なにを望んでいたか……?
部室で煙草を吹かしながら窓辺で脚本を読んでいた先輩、夜中の公園で一人台詞の練習をしていた先輩、バイト先で上司を殴り、酔いつぶれて俺にもたれ掛かって来た先輩、腕の中で恥ずかしそうに頷く先輩、ウエディングドレスを「柄じゃない」と文句を言いつつも嬉しそうにはにかむ先輩――、あの人がなにを望んでいたかなんて、俺には――、
「分からないなんて言わせないぞッ……! 僕から二度も先輩を奪っておいて分からないなんて――!!」
「っ――――、」
包み込まれ、押しつぶされそうになる目に思わず後ずさる。
「せ、先輩が望んでいた事なんてっ――、」
「いい加減にしろよ!!」
「――――っ……!!」
思わず足がもつれ尻餅を着く。
「そうやってミサトさんの事を“先輩“だなんて呼んで、僕に気を使って――白々しいんだよ!! だったら最初からミサトさんに近づかないでくれれば良かったじゃないかッ!!?」
見下し、突き刺さる視線に釘付けにされ、言葉も、息も吐き出せなくなって――、指先が震えた。
「お、おれは……俺は――、」
睨む瞳に、発せられるオーラに身動き一つ取れなかった。
そうじゃないと、そんなつもりじゃなかったと弁解しなきゃ行けないのに言葉が続かない。
無言で睨み続ける視線に、吐き出される言葉に、荒太の放つ空気に、俺は言葉を失っていた。
「――――全部、全部お前が悪いんだ、シンヤ」
全身を寒気が貫いた。息が出来無くなった。
「お前が、ミサトさんを――、僕等を殺したんだ――」
「ぉ……、おれ、が……?」
先輩を殺した……?
俺が荒太を裏切ったから……?
俺が先輩と結婚したから……?
俺が荒太を傷付けたから……?
全部俺が悪いってのか……?
俺があの人を、あの人の手を掴んだから行けなかったって言うのか――?
「――――、」
冷たい目が、俺を見下ろしていた。
――そうだ、と告げるかのように。
「ぁ、ァっ…………、、、」
「――それは違いますッ……!」
その重圧にそのまま押しつぶされてしまいそうになった時、その小さな影は目の前に飛び出して来ていた。
「ご主人サマは貴方に責められるような事をしていません!」
その小さな背中は必死に、その影の前に立ちふさがった。
「マ、キ……?」
「――大丈夫です、私に任せて下さいッ……」
余裕ぶって微笑むくせにその手足は震えてる。いまにも逃げ出してしまいそうな程に震えながらも俺と荒太の間に立ち、必死に両手を広げていた。
「……君には関係ないだろ、黙ってくれよ」
言葉は丁寧だがいまにも噛み付きそうだった。それに気圧され、少し少したじろぐ――、だが広げた両手により一層力をいれ、足を踏ん張ってはその場からは動かなかった。
「関係あります……! 私は、晋也さんのハートフルパートナーですからッ……!!」
必死に言葉を振り絞ったようだった。
自分を奮い立たせようと、小さな体で必死に叫んでいた。
それまで音を潜めていた風が再び吹き抜けて行く。荒太と俺達の間に新しい風を運び込んで行く――。一体荒太がその言葉をどう受け取ったのかは分からなかった。だが歪んでいた顔は徐々に崩れ、代わりに込み上げて来たのは狂ったような笑い声だった。
「あははははッ! アハハハハっ!!! しんやぁっ! こんな小さな子供にまで守られて恥ずかしくないのかぃ……? 知らない間に随分情けなくなったじゃないかぁっ?」
「笑われたって構いません、私はご主人サマを守ります!」
「……ならマキちゃん、君が答えてくれるのかい……? 後ろの、ご主人サマの代わりに」
小さな背中越しに鋭い視線が再び注がれる。
――怖い、ただひたすらに恐ろしかった。
やっぱり俺の知っている荒太じゃない、こんな荒太は見た事が無い――。
毛が逆立つような寒さと、突き刺すような痛みが全身を包み込んでいる。
地に着く手に自然と力が入り、全身にびっしょりと汗をかいていた。
「ご主人サマは、きっと、きっとッ……!」
俺の前ではバカが必死になんとか言い返そうと必死になっているが、強く開かれた腕が小刻みに震え、今にもバラバラになってしまいそうだった。
「ご主人サマはっ、あのッ……!」
「っ……」
だから、身体を起こし、膝に手をついた。歯を食いしばり、逃げようとする足を必死に押さえ込む。
「――ご主人サマ……?」
「……どいてろ、バカ」
その小さな肩に手をおき、前へと出る。
冷たく、突き刺さるような視線を受けつつもバカの前に。
「……先輩が、ミサトがなにを言おうとしていたかなんて俺はわかんねぇよ。その言葉の続きを引きずって、一年間ひきニートしてたぐらいだ。まぁ、いまもニートにはかわらねぇけどよ――」
ジッと、荒太は俺を見つめ続けている。震える声で、自分に歯向かおうとする俺を睨み続けている。
「俺と先輩はお前が思ってる程通じ合ってねぇよ、分かり合ってねぇよ。そりゃお互いの事を信用してたし、必要としてた。けどなぁ、タバコを辞める辞めないだで喧嘩するわ、これ以上酒は飲むなっつってんの飲もうとして殴り飛ばされるわ、意外と譲れねぇ部分でぶつかって一方的に殴られて、一人夜中の街をふらつく事だってあったんだよッ……!」
「――で、なにさ。惚気話なんて聞きたく無いんだけど――?」
「……ああ、惚気だよ。お惚気話だ! けどその一点、俺とあの人との間には確かにそれが有った! 良いか荒太!! お前が何を言おうが、どう叫ぼうが、先輩と付き合ったのは俺だッ……! 先輩が好きになってくれたのは俺なんだよ!! お前じゃねぇ!!」
「ッ……!!」
荒太がその細い腕を伸ばし、胸ぐらを掴む。
だが、構わない。殴られたってどうってことは無い。
構うもんかッ――、散々いままで騙し騙しやってきた友情ゴッコだ。青春の1ページが殴り合いに成るって言うならそれをなぞってやるッ――!
「確かに俺はあの人の事を何も分かってなかったのかもしれねぇッ! 何を言うかなんてちっとも分かってなかったかもしれねェッ……! だが、だけどなッ! 俺はあの人が譲れねぇって言う所はちゃんと受け入れて来たんだよ。酒もタバコも――あの人が俺の気持ちを知った上で続けるって言うなら全部認めて来たんだッ! だから、俺は、きっとあの日だって、必ずッ、あの人がなにを言おうが俺は受け入れた、受け止められたッ……!!」
だってその言葉はきっと、俺の事を思った上で――互いの事を考えた上で吐き出した想いに違い無いから。
「……なんだよ、それ……なんだよそれ……! そんなに答えになってないだろ! あの人の気持ちも知らないで、何にも知らないで、おまえはボクからあの人を奪って行ったんじゃないかッ!」
ガンッと視界がぶれ、殴られたのだと気付く。だが、もう何も怖く無かった。幾ら叫ぼうが、幾ら吠えようが、怖く無い――。開き直っちまえば――、お前のことなんてどうなったって構いやしないんだって思っちまえばもう、どうって事は無かった――。
「お前に黙って先輩と付き合ってたのは謝る。けど、先輩の事なら俺は何でも受け入れる。例えお前が先輩と寝たって言うんなら、その先輩ごと受け止めてやる。もしあの人が映画に専念したいって言うなら俺はそれを応援する――!! 俺はッ……、俺はそんなあの人の事を愛していたんだからなッ……!!」
嘘じゃない、全部本当の事だ。
もしこれで先輩が――ミサトが俺に何かを隠していたとしても、後悔なんてしない。そんな先輩を否定したり嫌いになったりなんてしない。出来る訳が無い。そう言う所も引っ括めて彼女の事を愛していたのだから。それにそんな事出来るぐらいならとっくの昔に俺は――、
「ボクだって……、僕だってミサトさんの事が好きだったのにッ……、」
――コイツに、譲っていただろうから。
「どうしてッ……、どうしてお前なんだよ……!! 映画作りだって僕とミサトさんの方が息が合ってた……! おまえはただ機材を運んで、カメラを回してただけじゃないかッ……!! なのにどうして……!!」
そこにいたのは、いつもの子供みたいな表情を浮かべるあの荒太だった。
ただ、あの人の事を――ミサトの事を好きになっていた、友人の姿だった。
「……悪いな」
「……ほんとだよ……、ほんとに……勝手だよ……」
いつの間にか秋の乾いた風は空に浮かんでいた雲を一通り流しきってしまっていて、空一面に夕焼け空が広がり始めていた。
俺のシャツから手を離し、柵に手を掛け、荒太はうな垂れた。
「ミサトさんはさ、“もう映画には出演しない”って言ったんだよ。"あの作品でおしまいだ”って」
何処か諦めた様に――、泣きつかれた子供の様にボソボソと話し始める。
「"女優になるのも面白いかもしれないけど、コイツの母親として生きるのも悪くないと思うんだ”って、お腹を摩りながらさ。いつになく真剣に話してくれたんだ。お前が父親に成る姿を想像して恥ずかしそうに笑ってたけどね」
浮かべる笑顔は何処か幼く、まるで子供が叱られつつも自分の悪戯を褒めて欲しいと言っているようだった。
「……そうか」
そんな姿を直視出来ず、静かに頷く。
「まだお前に伝えてないっていうからさ、僕が提案したんだよ。"きっと驚くからしばらく留守するこのタイミングで打ち明けてみたらどうです?”って、"家に帰ったとき、子供用品を買いあさってたりしたら面白いですね”って。軽い冗談だった。でも、あの人は真っ赤な顔で"うん”ってさ。その時何かが壊れちゃったんだよね。必死に押さえ込んで来た色んな感情がドバーって流れ出しちゃってさ。ミサトさんが話そうとした瞬間、アクセルを踏み込んでた。その先は聞きたくなかったんだよ、きっと」
「……じゃあ、やっぱりあの事故はお前が――、」
「――ごめんね、しんや? ほんとにごめん」
そうしていつものように悪戯っぽく笑い。その頬を一筋の涙が零れ落ちて行った。
しばらくして荒太は病院を抜け出し、自分の足で警察へと向かって行った。
一瞬止めようと思ったが、あいつはあいつで自分の過去と向き合おうとしているのだと思うと声をかけられなかった。傍で俺のシャツの裾を握るバカが心細そうに寄り添って来て、そっと肩を抱いてやった。思っていたよりも小さな身体に胸の奥がちくりと痛んだ。
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