55 / 63
夜の逢瀬 その1
しおりを挟むふと真夜中に目が覚めた。
あれから、棗ちゃんが持ってきてくれたホットミルクを飲んだら急に眠気が襲ってきて、わたしは崩れるようにベッドに横になった。
睡眠薬とまではいかないけれど、鎮静剤か何かがホットミルクに入っていたのかもしれない。だけどその事を怖いとか嫌だとかは思わなかった。きっとそれはわたしを休ませようとしてとった行為だろうから。
ひんやりとした夜の空気を大きく吸い込み、わたしは起きあがった。真っ暗な部屋の中、月の光が微かにカーテンの隙間から差し込んでいる。
窓辺に行き、カーテンを開けると半月より少し膨らんだお月様がぽっかりと浮かんでいた。
そのお月様に誘われるようにわたしはふらりと部屋を出た。幸い服のまま眠っていたから着替える手間はいらなかった。
みんな熟睡している時間なんだろう、隣の部屋にいる棗ちゃんも、透見も他のみんなもわたしが起き出して屋敷を抜け出した事に気がつかないようだった。
ふらふらと人気のない暗い夜道を歩いて行く。
どこへ、という明確な目的地はなかった。なかったんだけど、気がつくとわたしは神社の階段をゆっくりと登っていた。
約束をしたわけではなかった。そもそも約束が出来る程、言葉も交わしていない。
だけど予感はあった。階段を一段一段登る度に予感は強くなっていく。
きっと会える。あの、懐かしい景色の見える場所で。
初詣やお祭りのある夜ならば灯りに照らされているだろう境内も、何の行事もない今夜はほとんど月明かりが頼り。それでもあの場所へと行き、街を見下ろす。
誰もが寝静まるこの時間は明かりの着いてる家なんてほとんどなくて、見えるのは信号機や街灯の明かりがほとんどだ。
「悪い子みーっけ。こんな夜中にフラフラひとりで出歩いてると、こわーい空鬼さんに見つかって襲われちゃうよ」
頭上からそんな軽い口調で言葉をかけられる。わたしは彼を見上げ、微笑んだ。
「貴方はわたしを襲ったりなんてしないよ」
月を背にして空からわたしを見下ろす彼。逆光のせいで表情はよく見えないけれど、きっと困ったように笑ってる。
「……本当に、覚えてるんだね」
彼の言葉にほんの少し悲しくなる。
「全部は…思い出してないよ。思い出したのは、ほんの少しのこと」
わたしが彼を好きだという事。〈唯一の人〉を選ばなければ彼はわたしの前に姿を現さないという事。わたしと〈唯一の人〉とで、彼を倒さなくちゃいけないという事。そして彼も、たぶんわたしを好きでいてくれるという事。
どうして彼を倒さなければならないのか、何故彼もそれを望んでいるのか。……彼の名前さえ思い出せていない。
現実での彼の出てくるゲームのタイトルやヒロイン、他の攻略対象の名前は思い出せるのに、どうしても彼の名前だけが出てこない。まるで封印されてしまっているかのように思い出せない。
だからわたしは彼の名前を呼ぶことさえ出来ない。
「それでも、覚えてるんでしょ」
トン、と彼は地上に降りてわたしの隣りへとやって来た。
その気配にああ、と納得する。以前戒夜とここへ来た時に感じた誰かとここからのこの景色を見たというのは彼の事だ。
「わたし、ここから見下ろすこの街の景色、好きだわ」
言いながら思い出す。この夢を見るのはこれが初めてじゃない。目覚めた時には忘れてしまっていたけど、何度もこの夢を見ている。
彼とここから街を見下ろしたのは何度目の夢だったんだろうか。
「キミはこの島を愛してるからね」
囁く彼の声は、とても優しい。
それはここなら貴方に会えるからだわ。
気づいた、というか思い出した、真実。だけどわたしはそれを声に出せない。
肩を並べ、一緒に夜景を見下ろしてくれる彼。だけど以前のようにわたしの肩を抱いてはくれない。
「どうして。どうしてわたしは貴方を倒さなくてはならないの?」
疑問をぶつけてみる。答えてくれるかどうかは分からないけれど、訊かずにはいられなかった。
「どうして? キミは〈救いの姫〉でボクは空鬼だからさ」
当たり前のように彼は言う。でもわたしはそれじゃ納得出来ない。
「伝承で言われているように貴方がこの街やわたしを襲うなんて思えないし、わたしは貴方が……」
「襲うよ?」
真面目な声で彼がキッパリと告げる。
「覚えてるなら、キミも知ってるでしょ? ボクは目的の為ならキミを襲う事だって躊躇わないよ」
彼を見上げる。彼はうっすらと笑みを浮かべ、月を見上げている。
確かにわたしは知っている。彼はただ優しいだけの人じゃない。喩え自分が嫌われる事になってもヒロインの為に行動する。それが彼以外の攻略キャラのルートであっても。
だからこそ、この夢の中ではヒロインの位置にいるわたしの為に彼は動いてくれている。それをわたしは確信している。
だけどそれが何なのかが分からない。彼はわたしの為に何をしようとしているんだろう。その為にどうして彼を倒さなければならないんだろう。
「わたしは貴方と敵対なんてしたくない」
切実な思い。こんな近くにいるのに、彼の事がとても遠く感じる。わたしは彼が好きなのに。きっと彼も、わたしが好きなのに。
不意に美術館で見た絵が思い浮かぶ。あの絵は〈救いの姫〉と空鬼の邂逅を描いたものだったのだろうか。わたし達の想いに気づいた誰かが絵に描き留めてくれていたのだろうか……。
「それは出来ない相談だなぁ。キミはちゃんとキミの役割を果たさないと」
困ったように笑い、わたしを見る。
わたしの役割。〈救いの姫〉の役割。
どうしてこれまでの夢の中でわたしは彼を倒すなんて事してきたんだろう。記憶が無かったから? 彼がそれを望んでいたから?
分からないし分かりたくないし、嫌だ。
「貴方の……貴方の、目的は何?」
幾度なぜと問いかけても彼は誤魔化し、話を逸らす。だから今度こそちゃんと訊かないと。
案の定彼はおどけた様子でこう告げる。
「何って、キミも知ってるでしょ? ボクはボクの役割を果たし、キミと〈唯一の人〉に倒される事だよ」
「嘘。それは手段であって目的じゃあないでしょう?」
彼が倒される事によって果たされるもの。それはいったい何?
「……どうして? 何故、そう思うのかな」
彼の瞳に悲しみの影が落ちる。彼を悲しませたいわけじゃないのに。だけどちゃんと訊いておかなきゃ。
「分かるよ、それくらい。わたしは貴方を倒したくなんてない。なのに貴方はわたしに倒させようとしている。何の目的もなく自分を倒せなんて言う人、いないもの」
わたしの問いかけに、彼は迷っているようだった。わたしがそれを思い出せていないのを知って、教えるべきかどうか。
「……キミは、この世界の人じゃないでしょ?」
彼の言葉に胸がズキリと痛む。
「キミは、自分の世界に帰らなくちゃ、ね」
悲しそうな瞳のまま、彼は微笑む。
そうだ。そうだった。空鬼を倒し島の平和を守り、〈救いの姫〉は自分の世界へと帰って行く。それがこの世界の設定。それがこの夢に課せられたルール。
彼はわたしを元の世界に帰すために、倒されたがってるんだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる