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わんわんまかろん

最初の悪夢

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――ここは、どこだ。この知らない世界で俺は……置き去りにでもされたのだろうか……?

 体は硬直して動かない。よって、移動することも逃げることもできない。

 一人の少女が歩いてきた。制服も顔も見覚えがなかった。

 悲しい目をした少女はコンビニの前に設置されてあるガチャに近づいていく。

 ――あの子は、一体……。

 ミコトはその悲しい目をした少女の存在がわからず、誰なのか何故か気になって歩み寄りたくて仕方がなかった。しかし、少女はガチャに近づく途中、誰かに呼び出されたようだ。

「マドカちゃん、こんにちは」

 スーツを着た謎の男が少女の名前を呼んだ。少女はマドカという。

「……こん、にちは、あなたは……誰?」

 名前を呼ばれ、きょとんとした目で男を見るマドカ。

「私は、マドカちゃんのお父さんの友人だ。どうやら、お父さんの行方がやっと分かったみたいなんだ。ついてきてくれないか」

「本当!?」

 マドカの表情は一瞬にして明るくなる。

 そこで、世界がひっくり返ったかのようにミコトの見る景色が変わった。

 何処か遠い森の奥の景色だ。

 そこにはマドカと謎の男が居て、ミコトもそこにいるような気がした。

 ――くっ……動かない……なんだよこれ……!

 何者かに押さえつけられてるかのように、体が硬直して痛い。 

 よく目を凝らしてみると、一本の木にマドカが縛り付けられているのが見えた。

「いやっ、来ないで!」

 マドカが悲鳴を上げる。

 謎の男は小さく舌打ちをして……鞄から鋭利なナイフを取り出す。

 ――……やめろぉぉ‼

 気が付けば必死になって叫んでいた。しかし、言葉は届かない。

 雲がかかったようなもやもやとした世界が一瞬真っ暗になった。

 そして、硬直したミコトの足元に赤い液体が流れてきた。

 ――これは何の液体だ?赤く鉄のニオイ……嫌な予感しかしない。

 纏わりつくド嫌な予感と共に視線を向ける。

 ドプッ。謎の男がマドカにナイフを突き立てた。

 ――え、あの子、こ……殺されっ、いや、そんなことない、動け俺、動け。

 焦燥感と冷や汗が酷く全身が震えた。

 気が付けば、地面には赤く染まったマドカの姿があった。ものすごく悲惨で残酷で、とてつもないやるせなさを感じてしまった。

 夢であることにミコトが気付くのは遅かった。それまでずっとマドカが殺される情景をエンドレスで見ていた気がする。

 ここが夢であると気が付いてからは、何度も夢の中から目覚めようと必死になった。藻掻いて、抗って……しかし、気が付くと、この世界の景色が当たり前だったかのような錯覚をしては長い間、夢の中を彷徨っていった。

 ――そう、これは夢だ……夢だ夢だ。

 必死になって唱えた。汗が噴き出て体中がとても熱くなり、背後から何かに押しつぶされそうな気分だった。

 ――目覚めろよ、俺。おい、目覚めろ。

 言葉の出ない喉に必死に力を籠めた。

 七月二十日朝、カーテンから漏れた太陽は、全てのものを溶かしてしまいそうだ。



 目を覚ましたミコトの背中はびっしょりと濡れていた。

「はあ、はあ……」

 心臓があり得ないくらい早く動いている。暖かな朝日が眩しくて、ベッドの上でミコトはゆっくりずつ、呼吸を整えていく。  

「夢、か……」

 現実とは何かと自室の景色を必死に思い出し、ようやく夢から目を覚ましたことに実感したミコト。夢から覚めたミコトは荒い呼吸と共に、暫く起き上がれずにいた。

「お兄ちゃん!起きるの遅い!」

 ミコトの部屋のドアをドンドンと叩くリンカ。

 湿ったシーツを見てミコトは、もらしたのではないかと一瞬焦ったがアンモニア臭が一切しなかったのでただの寝汗とわかった。ベッドから体を起こし、足を床につけた。ゆっくりと立ち上がると目が眩んで、リンカへの応答が遅くなった。

「おはよう。今、行くよ」

 扉を開ける前に一旦、ドアの前に立つと再び立ち眩みをしてしまった。

 ――ああ、目覚めが悪い。

 ミコトがドアを開けると目の前にはリンカが仁王立ちしていた。

「お兄ちゃん!遅刻です!」

 リンカの幼く甲高い大きな声が響き渡る。

「ごめん。今行くよ」

 疲れた顔をしたミコトはそう言うと、リンカの頭を軽く撫でて階段を下りた。

「んもぅ……、お兄ちゃん……」

 ブラコンと言っても可笑しくなく、不服にも嬉しく思ったリンカは喜びを我慢して、ミコトの後を追った。

「さて、今日は何ちゃん風味かな」

 食卓に着くミコトが尋ねた。

「今日は、ウルトラノノちゃん風味のスクランブルエッグです!」

 リンカは堂々と伝えた。

 どうやらノノちゃん風味はまだまだ続くようだ。ウルトラが付いたノノちゃんは大層美味しいのだろう。食卓にスクランブルエッグが置かれ、ミコトは愛ある少々の皮肉を込めた。

「いただきます」

 ミコトは言うと、スクランブルエッグを口にした。

 ――絶品だ!これなら何ちゃん風味でも良い!

 料理の上手さだけは取り柄のリンカ。何ちゃん風味でも味が変わることはないとその時ミコトは確信した。

 その後、「ごちそうさま」と食事を終えたミコトは、リンカの中学校へ向かう姿を見送って、高校へと向かった。
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