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第2話 契約と断罪と、空の秩序
第4節 支配される悦楽
しおりを挟む総督府の政庁舎、その最上階にある専用執務室は、沈黙を“制度”とする空間である。
執務机の上に広がる書類群は、すべて“未決済”ではなく“意図的に保留された処理案件”だった。
その中央に座すのは、レティシア・クロード――帝国東方交易省第七環の総督、すなわち空域支配の象徴にして、制度による意志の端末。
深紅の外套が肩から垂れ下がる。その内側に見えるのは、黒の正装軍装。
褐色のシャツに黒いタイ、銀細工の留め具は律儀に規定位置を守っており、開襟の装いすら“許された範囲の逸脱”でしかない。
腰を包む革製ベルトは、装飾ではなく秩序の拘束具であり、膝まで続くスカート丈は動作の制約を強いる制度的演出。
だが――そのすべてが、彼女にとっては“演技装置”にすぎなかった。
(私はこの身体を、制度の道具として扱っている)
女であるという形。
肉体の曲線、声帯の高さ、髪質と肌の触感、すべてが“女性”という分類へと自動的に誘導する構造物である。
だがそれを受け入れるのは、感情ではなく、制度における必要性である。
(誰が私を“女”にした? ――違う。“女という属性”が、制度において効率的だっただけだ)
机の上、手元に置かれた一通の文書に目を通す。
そこには、「帝都高位貴族より婚姻適齢に関する推薦意見」が記されていた。内容は丁寧で、儀礼的で、しかし制度的だった。
彼らが求めているのは、“女”ではなく、“制度上の女”だった。
(滑稽なことに、この肉体を持って以降、私は幾度となく“制度の中で女として扱われる”ことを体験した)
それは侮辱ではなかった。むしろ利用価値に過ぎない。
あの婚約破棄――帝都貴族の無言の拒絶は、彼女に制度の真実を教えた。
女であることを“過剰に制度化”すれば、制度そのものを手玉に取れるという事実を。
「女であるがゆえに制度に従え」という通達。
ならば彼女は、“女であるがゆえに制度を支配する”という矛盾を抱えこむことで、生存戦略を選択した。
(この身体に“悦楽”を感じているのかと? ――否)
(私はただ、“支配される構造”に、快楽を覚えているだけだ)
快楽とは、制度に従うことではない。制度の中で“従っていると錯覚させること”だ。
彼女が女であることを武器とする時、それは支配の一形態となる。
彼女が黒服の制服を着用する時、それは抑圧される記号でありながら、同時に“制度から許可された権威”でもある。
その矛盾が、奇妙な愉悦を生む。
支配されることに興奮し、支配することで陶酔する――制度の虜でありながら、制度の女帝であるという構造的自己矛盾。
「……補佐官」
静かに声をかければ、扉の向こうから補佐官《カティア》が入室してくる。
整った制服姿。無言で指示を待つ姿勢。個人の意志を消したようなその動作は、まさに“完璧な制度の器官”である。
「次の通達は“中央の意志”に沿って処理する。だが、我々の“解釈”で調整を加えろ」
「了解しました。解釈範囲は“命令の含意”までとしますか?」
「それで良い。“明記されていない命令”ほど、制度にとっては価値がある」
カティアは頷き、資料を持って退出する。
その背を見送りながら、レティシアは改めて思う。
(私は制度という檻の中で、女という装置を纏い、通達という名の支配に耽溺している)
だがそれは、決して自分自身を失うことではない。
むしろ、制度を徹底して“演じきる”ことで、自我を守っているのだ。
――レティシア・クロードとは、制度と肉体を支配契約として結んだ、ひとつの“行政装置”にすぎない。
その証明は、快楽の言葉ではなく、朱印と通達。
女という檻を、支配の形式に変えることこそが、彼女の愉悦であった。
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