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第2話 契約と断罪と、空の秩序
第5節 取引なき排除
しおりを挟む“制度外の存在”とは、往々にして制度の副産物である。
総督府第七環庁舎――帝国東方交易省の中でも最前線に位置するこの浮遊行政区において、制度外の者とはすなわち“通達と署名を伴わない意志”を指す。
それが誰であろうと、どれほど立派な肩書を有していようと、署名と承認印がなければ、存在としての正当性は否定される。
元帝国軍将校であろうが、かつて貴族籍を有していようが、現制度における位置づけがなければ“空気より軽い”。
レティシア・クロードは、机上に広げられた報告書の一枚に目を留めると、わずかに眉をひそめた。
「……名前は?」
補佐官《カティア》が淡々と答える。
「元帝国陸軍中佐、アダルベルト・シュタインフェルト。退役後、商務局外郭団体に一時籍を置いていた記録あり。現在は“自由交易圏経済振興組合”名義の特別顧問として西部空域に滞在」
「制度上の所属は?」
「なし。顧問職は任意団体による私的委嘱。帝国中央登録では『商業関与による政治活動』とのみ記録あり。公的地位は存在しません」
つまり“いない”ということだ。
帝国法体系下において、政治的存在であっても制度上の地位を欠く場合、それは「行政にとって認識不能な変数」である。
もとより帝国は、命令と通達によって世界を再編する体制である以上、“命令が届かない者”は、存在そのものが無意味とされる。
レティシアは椅子に深く沈み込み、スカートの皺を整えるようにしてゆっくりと指を動かした。
黒の軍装の袖が静かに揺れ、革のベルトが金具の音をわずかに鳴らす。
「本来なら、反逆罪の容疑で帝都への移送が順当だが……それも“制度”に基づく立件があればの話」
「はい。しかし、現状ではどの省庁も“関知していない”という姿勢を取っています」
つまりは、“誰も責任を持ちたくない”ということである。
中央官僚の誰かが、かつての縁故で旧将校に便宜を図り、その結果、自由商会を通じて空賊へと利が流れた。
政治的スキャンダルの火種でありながら、制度上の痕跡が薄い以上、処理は“黙殺”か“排除”の二択になる。
レティシアは書類の束を脇へ除け、乾いた声で告げた。
「――抹消処理を。接触は不要、交渉も不可。制度に属さぬ者に対して、我々は命令すら発しない」
この言葉に、カティアはほんのわずかに視線を動かした。
だが、それ以上の反応は示さない。補佐官とは、制度の翻訳装置であり、感情の緩衝材ではない。
「了解しました。“事故”として処理し、後続調査は報告義務なしの項に格納いたします」
「加えて、関係する帝都官僚の名義調査は保留とする。明確な証拠が出た時点で、初めて制度上の介入を正当化できる。……現段階では“触れない”のが最適解だ」
「では、“制度外”の論理で処理を?」
「そう。“制度外”とは、“制度を語らずに行使する命令”だ」
カティアは短く頷き、手元の記録端末に処理内容を入力していく。
アダルベルト・シュタインフェルト――その名は、かつて帝国の軍務に忠誠を誓った将校であったかもしれない。
だが今、彼は制度外の人間であり、空賊という“敵”に情報と金を供与した“非正規存在”である。
“正規の記録”がない以上、“制度の剣”によって裁かれることもない。
だからこそ――排除は“記録に残らない形式”で実行される。
命令も、署名も、通達も、存在しない。
ただ、“その男が存在しなくなった”という事実だけが、翌日の報告書にひっそりと付記される。
その時点で、彼は「制度上、最初から存在しなかった」ことになる。
――制度とは記録であり、記録とは世界そのものである。
ゆえに、“記録されない者”は、世界から見て最初から存在しないのだ。
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