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第1話
第11節 平時調整、始動す
しおりを挟む「……では、まず人事配置票の第6版、再修正分を確認します」
魔王軍本部・人事部、第一記録室。
午前0時を過ぎた頃、明かりの灯る唯一の部屋には、紙と魔力計算機が積まれたデスクと、そこに座るひとりの影があった。
カナス・アスカルト。
主任という肩書きを持ちながら、実際には“清掃員の配置換え”から“軍規改定案の法的精査”までを一手に抱える魔王軍最過重労働者の一人である。
「記録ミス:重複者7名、異常転属4件、未処理配置13件。……この票に“誰か”の意図が混じっている」
彼女の目は、赤く充血していた。
しかし、疲労の色はなかった。
いや、正確に言えば“疲労を処理する感情回路”を切っているのだ。
まさに、社会人時代の生存本能そのもの。
ペンを走らせる指先が微かに震える。
だがその震えを押し込めるように、彼女は言葉を紡いだ。
「――平時調整、実行開始」
その瞬間、彼女の内なるスキル《平時調整》が作動した。
これは戦闘スキルでも、補助魔法でもない。
“業務の異常を検知し、最適な手段で修正を指示する”という、常識的な意味での“ホワイト化”に特化したスキルだ。
具体的には以下の通り:
• 人的配置の最適化(過不足、特性適正、定着率補正)
• 命令系統の簡素化(報告の一元化、承認経路の整備)
• 情報伝達の効率化(紙媒体→光筆通信への統一)
• “誰がやったか分からない業務”の棚卸しと可視化
• “今は問題ない”を根絶するための仮想シミュレーション
無害なようでいて、組織の“抵抗力”を根底から揺るがす――制度の毒である。
カナスは魔力を集中しながら、票の束を順に処理していく。
一件ごとに内容を読み取り、配置図に落とし込み、既存の人員配置と照合。
「この戦場には、衛生兵がいない。原因は“派遣ミス”。記録上は“派遣済”になっているが……誰も現場を見ていない」
誰かが、意図的に“存在したこと”にしていた。
つまり、偽装派遣だ。
「じゃあこれは……?」
次の票を見て、彼女は苦く笑う。
「“人事部長の命令で、転属拒否を認めた”? ……うちの部長、先月で辞めてる」
古い権限を“死者の名”で使っていた者がいる。
あまりに杜撰で、あまりに無法。
だが、それがこの組織の現実。
「ここまで来たら、もう“改革”じゃない。“再編”よ……」
そのとき、記録室の扉がノックされた。
「夜分に失礼します、カナス様」
現れたのは、VII課の連絡官。
黒衣の男は、封印された魔力通信票を差し出した。
「先程、玉座より通達がありました。“統一記録制度案”、条件付きで施行に入るとのこと」
「……条件?」
「“現場混乱が最小限であること”、“報告義務違反の摘発は行わないこと”、“魔王の名を出さないこと”。それが条件です」
カナスは目を細めた。
まるで、“試されている”ような条件。
「つまり、“私一人でやれ”と?」
「ええ。ですが――」
男は言葉を濁し、静かに小箱を差し出した。
「この中に、特殊階級印がございます。“仮設調整官”の権限印です。正式ではありませんが……これで、かなりの範囲に命令を出せます」
開けると、中には黒銀の印章がひとつ。
それは、“制度外”でしか機能しない、特例中の特例。
カナスは黙って箱を閉じた。
「――ありがたいけど、使うのは最終手段ね」
そして、再び机に向かう。
“スキル”に頼らずに済むのなら、それが最善。
だが、必要とあらば、“全力で使う”。
《平時調整》は、彼女自身が“ブラック企業”で研ぎ澄ませた“生存の知恵”だ。
――必要なのは、根気、判断、そして“見捨てない”こと。
だからこそ、今夜も彼女はペンを走らせる。
魔王軍の奥底に巣食う、“見えざる崩壊”を、ひとつずつ拾い上げるために。
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