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第四話 ただいま
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「僕は君に恋した記憶も引き継いでいる」
波打ち際を眺めながら、彼はそう言った。
「でもね、勘違いしないでくれ、ベラ。僕は確かにトト・メリーニだけど、オリジナルの彼とは別人だ」
グラスを傾け、喉を鳴らしてソーダを飲む彼の喉仏から、わたしは視線をそらすことができない。
「もちろん最大の関心は、君について研究することだよ。でもそれは、恋愛をしたいという気持ちではないんだ。今の僕にとってはね」
暑い夏の浜辺で、こうしてパラソルを広げて、下で休みながら、彼はお気に入りの炭酸水を飲む。
わたしはそれを、黙って見つめるのが好きだった。
この人の身体は、どこだって好きだった。
喉仏でさえ愛しいと思った。
この人は、確かにわたしの愛した男だった。
「ま、ほっといたらまた好きになるのかもしれないけどね。君は美人だから」
「……あなたイタリア人なのに、本当に口説き文句の語彙が少ないわね」
「辞書を引く暇があったら君のことを考えるさ。君のことしか考えない人生を何十回もやってるんだ、気持ちは本物だよ。ただし、この愛は僕のものじゃない」
悔しくて、わたしが叩いた憎まれ口は、軽くかわされてしまった。
この人は、いつだって同じ顔をして、同じ言葉で、わたしを口説く。
それなのに。
「クローンは完全に同じ人物じゃないよ。記憶は受け継いでもね。根拠はいくつかあるけど、多分そういうのを説明する必要はないだろう。実際に何人もの僕と会った君なら。彼は確かに僕の中に生きているし、君との思い出は今でも美しいままだ。でも、僕はあのトトじゃない。はっきりわかるんだ。確かにあのトトは、君に恋をした。でもそれは、僕じゃないんだ。最初のトトなんだよ」
彼がわたしの方を向いた。
「本当に帰ってくるかもわからない君にもう一度会うために、こうやって僕みたいなクローンに記憶を引き継いで、最初のトトは生き続けようとした。未来永劫、君がいつの時代に現れても、ずっと君を待てるように。でもね、ダメなんだ」
淡いグリーンの瞳の色も、彼と同じだった。
「きっとどの時代の僕に会っても、同じことをいうよ。トト・メリーニは、ずっと君の帰りを待っている。ただし、最初に出会った、あの時代で。僕たちクローンも確かに君を待っていたけれど、そんなのは全部気にしなくていい。君が帰る場所は決まっているんだよ。君は帰るべきなんだ。トト・メリーニが生きて、そして死んだ、あの時代へ」
わたしが出会った『このトト』は、オリジナルから数えて、十何代目だかのクローンだそうだ。
死に至る遺伝的疾患が見つかったトトの治療法を求めて、わたしは何度も未来へと飛んだ。
こうして何人ものトトと会った。
正確には、トトが遺したクローンと。
トトの記憶は少しずつ、代を経るごとに薄れているようだった。
治療法を求めて未来へ飛べば飛ぶほど、そこで会うトトは、わたしとの記憶を失っていった。
恋人と同じ顔をした男が、会う度に少しずつ、わたしのことを知らない男になっていく。
それでも、わたしはトトのクローンたちと会うのをやめなかった。
トトの遺伝的疾患に治療法があるとすれば、未来のトト自身が見つけている、と予想していたからだ。
彼は必ず自分の病気のことを研究する。なぜなら、わたしが未来に飛んだ目的を知っているから。
わたしだって、そう都合よく治療法が未来で見つけられるとは思っていない。そもそもどこで治療法を調べるのか。図書館か。病院か。名医を探して回るのか。トトの病気はかなり珍しいものだ。発症している例自体が少ない。当てがあるかと言われれば、正直なかった。
だから、『治療法をつくる』ことを考えた。
わたしがつくるのではない。
トト自身に研究してもらう。
ハオランの計算では、10年以内に治療法が見つかる可能性は限りなくゼロに近い。
しかし、20年なら。
30年なら。40年なら。たとえ100年かかったっていい。
トトなら研究を続けられる。
自分自身という被験体が、発症例が、何体でもいるのだから。
このアイデアはトトに手紙を残して伝えてあった。
何度かクローンたちと会って、彼が言う通りに自分の病気を研究してくれていることは確認済みだ。
何代目かはわからないが、いずれ治療法が見つかるだろう。
我ながら悪魔的な思いつきだった。
なんてひどい女だろう。
一体何人の彼が、トトの治療のために死ぬのだろうか。
わたしはたった一人の恋人を助けるために、彼を何十人も見殺しにすることを選んだ。
もし治療法が見つかっても、最初のトトを治療すれば、トトはそもそもクローンをつくるサイクルを始めない。
未来が変わる。
生まれたはずのトトのクローンたちが、みんな消える。
過去を変えるとはそういうことだ。
治療法を見つけるために、死ななくてもよかったかもしれないトトたちが死に、治療をすることで、生まれることすらなくなるのだ。
何が天使だ。
神の使いを名乗るには、わたしはあまりにも罪深い。
「ごめんなさい」
わたしは言った。
「もうやめるわけにはいかないの」
「誰に謝っているんだい」
彼は笑っていた。
「……あなたと、トトに」
「じゃあ直接言うことだ。わかるね」
「……うん。絶対に治療法を見つけるから。そしたら帰るから。いつだってトトの居場所はわかる」
「嬉しいよ。いや、やっぱり嬉しくないな」
彼は気づいていたと思う。
わたしが彼を通して、元の時代のトトに言っていることに。
「ひどい女だよ、君は」
「鳥だもの。きっと人ですらないわ」
「いいよ。そういうところが好きだったんだ」
彼は微笑んだまま、それから何も言わなかった。
わたしは彼に背を向け、地面を蹴った。
翼を広げ、もう少し先の未来へと飛ぶ。
待っててトト。
渡り鳥は、必ず巣に帰るから。
ベラにそれを告げられたとき、僕とアンナはしばし沈黙した。
「……ごめんなさい。わたしは本当にふたりのことが大切なんだって今やっとわかった。それなのに……もう、どうしようもなく選んでしまっている自分がいるの」
「ベラ。こっちに来て」
今にも泣き出しそうなベラを、アンナが抱き締めた。
「わかってる。わかってるから。大丈夫よ。それでいいの。あなたがやりたいことをして」
「ベラ」
ベラに告げられたことは正直ショックだったけれど、まるで最初からこうなるとわかっていたような、そんな不思議な気持ちだった。
「僕たちのことは気にしないで。君はやるべきことをするんだ。僕たちは平気さ。だって」
僕はいっそ清々しいような気持ちで笑った。
「僕たち、友達だろ?」
僕はこの言葉を口にできて、なんだかとても誇らしい気持ちになった。
どうして誰もいない研究所に生まれて、機械いじりや暗号解読に熱を注いできたのかがわかった気がした。
友達の力になるために、僕はこの日まで研究所を守ってきたのかもしれないと思えたから。
「……ありがとう。ごめんなさい。わたしもう行くね」
ベラは泣いていた。
僕とアンナは、どちらともなく笑って彼女を見送ることにした。
「ねえタツヨシ。ベラって本当に天使だと思う?」
「どうだろう。生物学的には、人間と鳥の遺伝子を両方持ってる生き物ってことなんだろうけど」
「そうじゃなくて……まあ、タツヨシらしい答えね。私はね、ベラは本物の天使だと思う」
「どうして?」
「だって死ぬときに迎えに来たでしょう?」
「……ああ。そうだね。うん。本物だ」
二人で見る最後の夕日を、僕たちは浜辺でいつまでも手を繋いで眺めていた。
過去、始まりの時へと飛んだわたしは、未来で得た知識を元に治療の設備を組み上げた。
大掛かりな治療機械だったが、メカニックが得意なタツヨシにアドバイスをもらっていたのでなんとか完成させることができた。
トトはベッドで眠っていた。頬は少し痩せ、顔色があまり良くない。
「お待たせ。これで全部、終わるから」
装置の電源を入れると、トトの唇にそっとキスをした。
行かなければ。もう時間がない。
「さようなら。わたしの愛しい止まり木」
わたしはトトに背を向け、最後の行き先へと飛び立った。
わたしが飛んだ先は、もう少し前の過去だった。
トトとわたしが一年にも満たない時を過ごした、研究所のある島。
その島の小さな入江、今ではアンナが居場所にしている入江を、わたしは木陰から見ていた。
そこには、わたしとトトが居た。
「君は誰?」
「わたし。わたしは……誰って、何?」
トトとわたしが初めて出会った場所。
生涯で見る最後の光景は、この場面が良かった。だってわたしの記憶にある、最も嬉しい瞬間だから。
間に合ってよかった。消えてしまう前にこの光景が見られて本当に嬉しい。
ベラはもう、存在しなくなる。
過去に行ってトトを治した以上、この先トトのクローンは一人も生まれない。トトがクローンをつくる理由がなくなるからだ。
それはつまり、未来でトトがわたしを再現しようとした研究も、真祖鳥を発見したことも、なかったことになるということだ。
だからわたしはいなくなる。
だってわたしをつくったのは、記憶を失った未来のトトなのだから。
トトが合成生物の研究をし尽くし、ついに人間と真祖鳥を掛け合わせたとき、わたしが生まれた。
ある程度大人の体で生み出されたわたしは、真祖鳥の力を無意識に使い、生まれた瞬間いつかのどこかへ飛んだ。
それがこの入江だった。
そして、まだわたしをつくる前のトトと出会った。
もしここでわたしと出会っていなかったら、トトは未来でわたしをつくらなかった。どちらが先かを問うことに意味はない。歴史はそんなパラドックスすら飲み込んで、ただそこにある。
どうして生まれたばかりのわたしがトトのところに飛んだのかはわからない。
まるで——この人に恋することを知っていたみたいだ。
「名前がないの? じゃあ、そうだな。ベラなんてどうかな。ラテン語で“美しい”って意味だよ」
ありがとう。わたしに名前をくれて。
あなたがくれたこの名前が、わたしにとって一番美しくて大切なもの。
わたしは今、過去のわたしを迎えに来た。
天使とは、死ぬときに迎えに来るものだから。
こんなに頑張って、わたしは……わたしの存在を殺した。
わたしの物語は始めから最後まで、天使が自殺する話だったな。
でもこれで、満足だ。
わたしはもうひとりのわたしとトトを最後にもう一度見て、目を閉じた。
大きく翼をはためかせ、歴史の彼方に消えてしまう前に、どこかへ飛んだ。
波打ち際を眺めながら、彼はそう言った。
「でもね、勘違いしないでくれ、ベラ。僕は確かにトト・メリーニだけど、オリジナルの彼とは別人だ」
グラスを傾け、喉を鳴らしてソーダを飲む彼の喉仏から、わたしは視線をそらすことができない。
「もちろん最大の関心は、君について研究することだよ。でもそれは、恋愛をしたいという気持ちではないんだ。今の僕にとってはね」
暑い夏の浜辺で、こうしてパラソルを広げて、下で休みながら、彼はお気に入りの炭酸水を飲む。
わたしはそれを、黙って見つめるのが好きだった。
この人の身体は、どこだって好きだった。
喉仏でさえ愛しいと思った。
この人は、確かにわたしの愛した男だった。
「ま、ほっといたらまた好きになるのかもしれないけどね。君は美人だから」
「……あなたイタリア人なのに、本当に口説き文句の語彙が少ないわね」
「辞書を引く暇があったら君のことを考えるさ。君のことしか考えない人生を何十回もやってるんだ、気持ちは本物だよ。ただし、この愛は僕のものじゃない」
悔しくて、わたしが叩いた憎まれ口は、軽くかわされてしまった。
この人は、いつだって同じ顔をして、同じ言葉で、わたしを口説く。
それなのに。
「クローンは完全に同じ人物じゃないよ。記憶は受け継いでもね。根拠はいくつかあるけど、多分そういうのを説明する必要はないだろう。実際に何人もの僕と会った君なら。彼は確かに僕の中に生きているし、君との思い出は今でも美しいままだ。でも、僕はあのトトじゃない。はっきりわかるんだ。確かにあのトトは、君に恋をした。でもそれは、僕じゃないんだ。最初のトトなんだよ」
彼がわたしの方を向いた。
「本当に帰ってくるかもわからない君にもう一度会うために、こうやって僕みたいなクローンに記憶を引き継いで、最初のトトは生き続けようとした。未来永劫、君がいつの時代に現れても、ずっと君を待てるように。でもね、ダメなんだ」
淡いグリーンの瞳の色も、彼と同じだった。
「きっとどの時代の僕に会っても、同じことをいうよ。トト・メリーニは、ずっと君の帰りを待っている。ただし、最初に出会った、あの時代で。僕たちクローンも確かに君を待っていたけれど、そんなのは全部気にしなくていい。君が帰る場所は決まっているんだよ。君は帰るべきなんだ。トト・メリーニが生きて、そして死んだ、あの時代へ」
わたしが出会った『このトト』は、オリジナルから数えて、十何代目だかのクローンだそうだ。
死に至る遺伝的疾患が見つかったトトの治療法を求めて、わたしは何度も未来へと飛んだ。
こうして何人ものトトと会った。
正確には、トトが遺したクローンと。
トトの記憶は少しずつ、代を経るごとに薄れているようだった。
治療法を求めて未来へ飛べば飛ぶほど、そこで会うトトは、わたしとの記憶を失っていった。
恋人と同じ顔をした男が、会う度に少しずつ、わたしのことを知らない男になっていく。
それでも、わたしはトトのクローンたちと会うのをやめなかった。
トトの遺伝的疾患に治療法があるとすれば、未来のトト自身が見つけている、と予想していたからだ。
彼は必ず自分の病気のことを研究する。なぜなら、わたしが未来に飛んだ目的を知っているから。
わたしだって、そう都合よく治療法が未来で見つけられるとは思っていない。そもそもどこで治療法を調べるのか。図書館か。病院か。名医を探して回るのか。トトの病気はかなり珍しいものだ。発症している例自体が少ない。当てがあるかと言われれば、正直なかった。
だから、『治療法をつくる』ことを考えた。
わたしがつくるのではない。
トト自身に研究してもらう。
ハオランの計算では、10年以内に治療法が見つかる可能性は限りなくゼロに近い。
しかし、20年なら。
30年なら。40年なら。たとえ100年かかったっていい。
トトなら研究を続けられる。
自分自身という被験体が、発症例が、何体でもいるのだから。
このアイデアはトトに手紙を残して伝えてあった。
何度かクローンたちと会って、彼が言う通りに自分の病気を研究してくれていることは確認済みだ。
何代目かはわからないが、いずれ治療法が見つかるだろう。
我ながら悪魔的な思いつきだった。
なんてひどい女だろう。
一体何人の彼が、トトの治療のために死ぬのだろうか。
わたしはたった一人の恋人を助けるために、彼を何十人も見殺しにすることを選んだ。
もし治療法が見つかっても、最初のトトを治療すれば、トトはそもそもクローンをつくるサイクルを始めない。
未来が変わる。
生まれたはずのトトのクローンたちが、みんな消える。
過去を変えるとはそういうことだ。
治療法を見つけるために、死ななくてもよかったかもしれないトトたちが死に、治療をすることで、生まれることすらなくなるのだ。
何が天使だ。
神の使いを名乗るには、わたしはあまりにも罪深い。
「ごめんなさい」
わたしは言った。
「もうやめるわけにはいかないの」
「誰に謝っているんだい」
彼は笑っていた。
「……あなたと、トトに」
「じゃあ直接言うことだ。わかるね」
「……うん。絶対に治療法を見つけるから。そしたら帰るから。いつだってトトの居場所はわかる」
「嬉しいよ。いや、やっぱり嬉しくないな」
彼は気づいていたと思う。
わたしが彼を通して、元の時代のトトに言っていることに。
「ひどい女だよ、君は」
「鳥だもの。きっと人ですらないわ」
「いいよ。そういうところが好きだったんだ」
彼は微笑んだまま、それから何も言わなかった。
わたしは彼に背を向け、地面を蹴った。
翼を広げ、もう少し先の未来へと飛ぶ。
待っててトト。
渡り鳥は、必ず巣に帰るから。
ベラにそれを告げられたとき、僕とアンナはしばし沈黙した。
「……ごめんなさい。わたしは本当にふたりのことが大切なんだって今やっとわかった。それなのに……もう、どうしようもなく選んでしまっている自分がいるの」
「ベラ。こっちに来て」
今にも泣き出しそうなベラを、アンナが抱き締めた。
「わかってる。わかってるから。大丈夫よ。それでいいの。あなたがやりたいことをして」
「ベラ」
ベラに告げられたことは正直ショックだったけれど、まるで最初からこうなるとわかっていたような、そんな不思議な気持ちだった。
「僕たちのことは気にしないで。君はやるべきことをするんだ。僕たちは平気さ。だって」
僕はいっそ清々しいような気持ちで笑った。
「僕たち、友達だろ?」
僕はこの言葉を口にできて、なんだかとても誇らしい気持ちになった。
どうして誰もいない研究所に生まれて、機械いじりや暗号解読に熱を注いできたのかがわかった気がした。
友達の力になるために、僕はこの日まで研究所を守ってきたのかもしれないと思えたから。
「……ありがとう。ごめんなさい。わたしもう行くね」
ベラは泣いていた。
僕とアンナは、どちらともなく笑って彼女を見送ることにした。
「ねえタツヨシ。ベラって本当に天使だと思う?」
「どうだろう。生物学的には、人間と鳥の遺伝子を両方持ってる生き物ってことなんだろうけど」
「そうじゃなくて……まあ、タツヨシらしい答えね。私はね、ベラは本物の天使だと思う」
「どうして?」
「だって死ぬときに迎えに来たでしょう?」
「……ああ。そうだね。うん。本物だ」
二人で見る最後の夕日を、僕たちは浜辺でいつまでも手を繋いで眺めていた。
過去、始まりの時へと飛んだわたしは、未来で得た知識を元に治療の設備を組み上げた。
大掛かりな治療機械だったが、メカニックが得意なタツヨシにアドバイスをもらっていたのでなんとか完成させることができた。
トトはベッドで眠っていた。頬は少し痩せ、顔色があまり良くない。
「お待たせ。これで全部、終わるから」
装置の電源を入れると、トトの唇にそっとキスをした。
行かなければ。もう時間がない。
「さようなら。わたしの愛しい止まり木」
わたしはトトに背を向け、最後の行き先へと飛び立った。
わたしが飛んだ先は、もう少し前の過去だった。
トトとわたしが一年にも満たない時を過ごした、研究所のある島。
その島の小さな入江、今ではアンナが居場所にしている入江を、わたしは木陰から見ていた。
そこには、わたしとトトが居た。
「君は誰?」
「わたし。わたしは……誰って、何?」
トトとわたしが初めて出会った場所。
生涯で見る最後の光景は、この場面が良かった。だってわたしの記憶にある、最も嬉しい瞬間だから。
間に合ってよかった。消えてしまう前にこの光景が見られて本当に嬉しい。
ベラはもう、存在しなくなる。
過去に行ってトトを治した以上、この先トトのクローンは一人も生まれない。トトがクローンをつくる理由がなくなるからだ。
それはつまり、未来でトトがわたしを再現しようとした研究も、真祖鳥を発見したことも、なかったことになるということだ。
だからわたしはいなくなる。
だってわたしをつくったのは、記憶を失った未来のトトなのだから。
トトが合成生物の研究をし尽くし、ついに人間と真祖鳥を掛け合わせたとき、わたしが生まれた。
ある程度大人の体で生み出されたわたしは、真祖鳥の力を無意識に使い、生まれた瞬間いつかのどこかへ飛んだ。
それがこの入江だった。
そして、まだわたしをつくる前のトトと出会った。
もしここでわたしと出会っていなかったら、トトは未来でわたしをつくらなかった。どちらが先かを問うことに意味はない。歴史はそんなパラドックスすら飲み込んで、ただそこにある。
どうして生まれたばかりのわたしがトトのところに飛んだのかはわからない。
まるで——この人に恋することを知っていたみたいだ。
「名前がないの? じゃあ、そうだな。ベラなんてどうかな。ラテン語で“美しい”って意味だよ」
ありがとう。わたしに名前をくれて。
あなたがくれたこの名前が、わたしにとって一番美しくて大切なもの。
わたしは今、過去のわたしを迎えに来た。
天使とは、死ぬときに迎えに来るものだから。
こんなに頑張って、わたしは……わたしの存在を殺した。
わたしの物語は始めから最後まで、天使が自殺する話だったな。
でもこれで、満足だ。
わたしはもうひとりのわたしとトトを最後にもう一度見て、目を閉じた。
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