血染物語〜汐原兄弟と吸血鬼〜

寝袋未経験

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影の刃編

禊の番外編 晴天に映える黒衣

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 青い海、白い砂浜、ヤシっぽい木に、燦々と輝く太陽。
 俺は何故かビーチに居る。
 だが理解している。
 これは夢だ。

 日付は9月12日。
 つい先程まで俺は有栖さんにボコボコにされ、シャワーを浴びることなくベッドに倒れて、目を閉じたら此処にいた。
 本格的なドッキリでもない限り、これは夢だ。
 そして目の前に立つレイアさんも俺の妄想に過ぎない。
 任務中の黒のジャケットや白いシャツ、ショートパンツやタイツは水着に置き換わっており、白い肌と水着のコントラストが彼女の魅力を引き立てる。
 そして普段は見ることが出来ない引き締まったお腹や脚が日の下に晒されていた。

「輝さ~ん!」
 日焼け止めクリームの容器を右手に持ったレイアさんが俺を手招きした。
「輝さん…その…日焼け止めを塗りたいんですが、背中に手が─」
「お任せください。」
 やましい気持ちは一切ない。
 手が届かないと主が困っているなら、全身全霊で答えるのが眷属って物だ。

 カラフルなパラソルの下、ビニールシートの上でレイアさんの背中に日焼け止めを塗っていく。
 さざ波の心地良い音と懐かしさを感じさせる潮風、気を緩めると現実と勘違いしそうになる。
 周囲に人影は無く、俺とレイアさん二人っきり。
 いっそ現実ならいいのにと思ってしまうシチュエーションだ。

 邪魔する者は誰も─ニュル…
「ひッ!?」
 冷たくヌメヌメとした触感が俺の右脚を襲った。
 驚いて足元を見ると、海から伸びる吸盤の付いた赤い触手が俺の脚を掴んでいた。
「え?なにこ─」
        ドスン!!
 気付いた瞬間、解く暇も無く俺は脚を持ち上げられ背中を打った。
      ガリガリガリガリ…
「れえええええええええ!?!?!?」
「輝さんッ!?」
       ボチャン!!!
 そのまま背中を砂浜の小石に削られながら、俺の身体は海に引きずり込まれた。

「ッ!!!」
 苦しい。
 十分に息を吸えずに海中に入ったせいで、呼吸が出来ない。

 息が続かず酸素を求めて藻掻いていると、海の奥、触手の先に黒い影が見えた。
「ゴポッ!?」
 巨大な影の主は俺を掴んだまま、突如猛スピードで海上へと浮上した。

 細いスリット状の輝く瞳孔と丸い頭部、計8本の吸盤の付いた赤い触手が日の光に照らされて顕になる。
「でかいタコォ!?」
「これがクラーケンッ!!」
「なんでクラーケンッ!?」
 ニュルニュルの触手に振り回される俺の悲痛な叫びに、ファイティングポーズを取っていたレイアさんは首を傾げる。

「え?海で遊んでたら…クラーケンが出るのでは…?それで巨大なタコ焼きを─」
「そういう作品あるけどッ!!現実ではありえないですよッ!!」
「……そうなんだ…」
        ポフン!!
 レイアさんが肩を落とすのと同時に、クラーケンがモヤになって消えた。
「え?」
 そうなれば当然、クラーケンに持ち上げられていた俺の身体は宙に放り出され、頭から海へ落下した。

       バチャン!!!
 入水直後、空を向いていた鼻の穴から海水が入って溺れかけながらも、どうにか自力で浮上する。
 夢なのに、リアルな痛みまで再現してどうする。

 鼻の中に入った海水を出そうと奮闘していると、青と白の縞々の浮き輪を纏ったレイアさんがプカプカとこちらへ泳いできた。
「しょっぱい!海水って本当に塩の味なんですね!!」
 その顔には縁がピンクでレンズが黒いゴーグルが装着されていた。
 その見た目は可愛らしいが、今気になる事を言っていた。
「レイアさん…海、初めてなんですか?」
「はい!あ、輝さんの分のゴーグルもありますよ!」
 俺の質問を流すように答えながら、彼女が手渡してきたのは、縁が緑色のシュノーケリング用の水中マスクだった。
 ぼんやりと去年使った記憶があるので、私物の筈だ。
 クラーケンの件を除けば、この夢は何処までリアルに作られているんだろう。
   
        パチャン!

 浮き輪を装備したまま海面に頭半分を沈めたレイアさんを見て、俺も続けて水中へ潜る。
 コポコポと心地の良い気泡の音が耳元で聞こえる。
 水中マスク一つで先が見えない青い奈落が、色鮮やかな魚達の泳ぐ楽園へ早変わりだ。
「ンッ!!」
 レイアさんが海中で勢い良く指を差した。
 その先には色鮮やかな珊瑚礁とイソギンチャク、これらを住処とする魚の姿が見えた。
「プハッ!!あれ!あの魚なんですか!?」
「確か…カクレクマノミ?」
「その隣に居た青い魚は!?」
「ハギですね。正式名称は分かりませんが─」
 妄想の中のレイアさんは、海にとてもはしゃいでいた。
 普段俺と接する時は吸血鬼化の件に対してまだ申し訳なく思っているのか、常に遠慮しがちなので、こういう子供っぽい姿は新鮮だ。

 再び顔を沈めて海の中を見ていたレイアさんはもう一度俺に尋ねてくる。
「輝さん!あそこの大きいのは!?」
「え~とですね~」
 俺は再度潜り、レイアさんの差した方へと視線をやる。
 かなり距離があったが、そこには灰色の流線形の身体に巨大な背鰭を持つ、よく映画の題材にされているあの魚がいた。
 俺は真顔で浮上してレイアさんに伝える。
「鮫です。」
「サメ…噂に聞く凶暴な?」
「はい……ん?」
 レイアさんからの質問に答えながら違和感を覚えた。
 あの鮫とは数百m程距離があると思う。
 なのに輪郭まではっきりと分かるほどの大きさ。

 鮫ってそんなに大きいっけ?
        バチャン…
 海上に人間1人分ぐらいの背鰭が静かに出現した。
 予感が確信に変わる。
「あれは鮫じゃなくて─」
「メガロドンですか!?」
「なんで嬉しそうなんですか!?逃げますよ!!」
 俺は全速力で浜辺へ泳ごうとして、レイアさんが浮き輪を装着している事に気付く。
 多分、というか確実に泳げない。
 俺は浮き輪についている紐を掴んで片腕クロールで泳ぎ始める。

 ここは夢の中だから現実で死ぬ事は無いのに何を焦ってるんだ、とお思いだろう。
 だがクラーケンの件で、この夢は色々リアルだと分かっている。
 つまりメガロドンの歯で噛まれて身体をバラバラになる感覚を味わいながら、死んだ瞬間に現実で目覚める可能性が高い。

 それは悪夢だ。
 現実ですら辛いのに、夢でも苦痛を味わうなんて真っ平御免だ。
 2人分の体重を引き続けた事で足の筋肉が攣りそうになり、余裕も無いので息継ぎを省略して殆ど無呼吸で泳ぎ続ける。
「ハァ…ハァッ!」(ダメだッ!!!)
 だが俺達が1m進む間に、メガロドンの背鰭が10m以上距離を詰めてくる。

       逃げきれない─

 そう諦めかけた時、さっき起きたことを思い出す。

 これはクラーケンと同じで、彼女の『メガロドンに会いたい』という願望が具現化されている。
 つまり彼女の幻想をブチ壊せば…
 俺は泳ぎを止め、日の下へ晒されたレイアさんの肩を掴んで真実を叫んだ。
「レイアさんッ!!メガロドンはッ!!絶滅してますッ!!!」
「あ……そうなんですね…」
       ボフン!!
 露骨にテンションを下げるレイアさんと俺の目の前に迫ったメガロドンの巨大な口が、一瞬にして霧散した。
 メガロドン霧散後も、俺は浜辺に泳ぎ続けた。
 今止まったら、海からもう戻れない気がした。

「ハァ…ハァ…あああ…」
 レイアさんを足が届く浅瀬まで引っ張ったところで俺は海面に倒れた。
 顔の半分が海水に浸された状態で動けないでいると、小さな波が押し寄せて口に入ってきた。
「ペッ!ペッ!しょっぱッ!!!」
 口の中に塩の辛さが充満し、俺は反射的に吹き出しながら気を取り戻す。
 同じ目に遭わないよう仰向けになると、視界の上の方に、レイアさんが寂しげな表情で波打ち際に体育座りする様子が映った。
「メガロドンもクラーケンも居ない…じゃあ、本当の海ってどんな物なんですか?」
「え?あ~…もっと沢山人が居て、色んな出店があって…」
 彼女の質問に雲の動きを見ながら何気なく答えた。
 焼きそばや焼きとうもろこしなどの食べ物を想像すると、空腹感が俺を襲う。
 不思議と香りも─
        ガヤガヤ…
「え?」
 本当に焼きそばや焼きとうもろこしの香りがする。
 何より先程まで二人きりだったビーチには、大量のパラソルが立ち並び、沢山の水着を着た人間が訪れていた。

 レイアさんはそれを見て驚愕し、そして目を輝かせた。
「……他には、何かありますか?」
「えと…バナナボートにシュノーケリング…あとウミガメの産卵?」
「ウミガメ…」
 ウミガメは欲張り過ぎたかもしれないが、俺が口にした物が続々と出現し、そこら辺にある普通のビーチに変わってしまった。
 二人きりがよかった俺の理想郷は、波の音と共に、人々の騒々しい声によって掻き消された。

「これが…」
 だが後悔はなかった。
 俺が作り出したビーチを見て、感嘆の溜息を漏らすレイアさんを見て、本気でそう思った。
「レイアさん。なんか食べ物買いに行きませんか?」
「……え?いいんですか!?」
「好きなの選んでください。」
 重たい体を持ち上げ、俺はレイアさんとお店に入り、水平線が見渡せる席に座った。
 彼女が選んだのは紙のパックに入れられた焼きそばと、ブルーハワイのかき氷だ。
 彼女が焼きそばを恐る恐る口に入れると、目を見開いて、一口さらに一口と5分もせずに平らげた。
 そして俺がまだ焼きとうもろこしを食べている間に、かき氷も一気に頬張り始める。
「いッ!?」
 程なくして全人類が経験済みであろう側頭部の痛みに悶え始めた。
「あるあるです。」
「ひうぅ…」
 彼女が机の上に突っ伏している間に、俺は焼きとうもろこしを平らげる。

 そして追加注文して届いたソフトクリームを食べていると、かき氷を完食したレイアさんが頬杖をついて海を眺めながら俺に話しかけてきた。
「輝さん…」
「はい?」
 手に持っていたバニラアイスクリームが、太陽の熱で溶け、白い雫を俺の水着に垂らした。

「いつか…本物も見せてくださいね。」
「………はい?」
──────────────────────
        バサッ!!!
 勢い良く身体を起こしたことで、掛け布団がベッドの上から落ちた。

 時計に視線をやると、16:00PMを示している。
あと1時間で朝ご飯だ。
 俺は色褪せる前に夢の事を思い出していく。
 特に、最後のレイアさんの言葉を。
「夢なん…だよな?」
 彼女の言葉は、あそこが夢の中だと理解している様だった。
 俺の都合の良い妄想か、それとも眷属の特性なのか…後でドクターに聞くのも良いかもしれない。
        ヌチャ…
「ん?」
 ふと違和感を覚えた。
 下半身が湿っている。
 クラーケンの触手はもう無いのに、何故─
「………」 
 恐らく、レイアさんの背中に日焼け止めを塗ったタイミングだろうか?
 彼女が純粋に海を楽しんでいただけに、より深い罪悪感を覚える。
 そして、目下の課題は1つ。
 洗濯する人にどう伝えよう。
──────────────────────
『なんかレイア氏機嫌良さげ?』
「ふふっ分かりますか?久しぶりにいい夢を見たんですッ!」
『お。いいねぇ~』
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