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第一話 貴方の言葉に

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 今日は、4月に入って初めての雨の日だ。こんな日には、いつも通り喫茶店で読書にかぎる。その上、今日は午後から仕事がなかったので、午後休をもらって喫茶店「彼岸花」へ行った。
カランッ カランッ
「いらっしゃいませ、空いている席にどうぞ」
と言われ、空いていたテーブルへ座った。俺は、いつも通り珈琲を頼んで本を読み始めた。
『今日の雨は、優しい音で集中できるな~』
と思いながら、読書に集中した。すると、
「は~、急に雨が降り始めるなんてついてないな。」
と言いながら、二十代の女性が店に入ってきた。しかも、あの女性は、同じ部署で働いている七草という俺の部下だ。あいつは、新卒でありながらも、一度教えたことを忘れないほど記憶力がいい。たが、1つ難点なのは、
「あれ?主任じゃないですか。奇遇ですね~」
「お前、もう少し場所をわきまえろ。いつも言ってるだろう。」
「は~い、すいません~」
そうこいつは、時と場所をわきまえない所がある。それが無くなれば、もう少しマシになるのだが…
「すいませ~ん。メロンソーダとアップルパイをお願いします。」
こいつは、全く直す気もなければ気付いてすらない。七草は、自分の顔を見て、
「そういえば、なんで主任は、午後休取ったんです?まさか、ここでゆっくりするためですか?」
と質問された。俺は、
『早く、どこか行かないかなぁ。』
と思いながら、いやいや答えた。
「そうだが、なにか悪いか?仕事も全て終わらせたし」
「そうですけどね。あの仕事に取り憑かれているように残業しまくっている主任がですよ。」
「残業するのは、お前らの仕事のスピードが遅いからだし、仕事に取り憑かれてない。あと、なんだかんだいって失礼だぞ。」
と何気ない会話をしていた。
 しばらくして、七草が注文していたメロンソーダとアップルパイがきた。
「美味しそう~」
と目を輝かせながら言った。そして、フォークとナイフを持って食べ始めた。その姿を見て、
『旨そうに食うやつだなぁ』
と思いながら、珈琲を飲んだ。すると、七草が、
「主任、何を読んでるんですか?」
と唐突に聞いてきた。なので俺は、こう返した。
「こことは別の喫茶店で、店の人が俺にくれた小説だ。」
「そうなんですね。でも変わってますね。作品名がないなんて、しかも著者名も」
「そうだな…」
と気のない返答をした。この本の秘密を知るのは、俺と佐武さんだけだ。

        一週間程前
 俺は、この本を読み切った時に、
「この本になんで作品名がないんですか?」
と聞いてみた。佐武さんは、新しい珈琲を淹れるために珈琲豆を挽きながら教えてくれた。
「それはですね。その本を読んだ方ならわかるはずですよ。」
「この本につけるに相応しい作品名がないからですか?」
「その通りです。この本は、喜怒哀楽の転換の仕方、人物の描き方が素晴らしい。それが故に、作品名が付けれなかったのです。」
その話を聞いて納得した。確かにこの本は、隙がないくらい文章構成が美しかった。だからだろな。すると佐武さんが、
「その本は、差し上げますよ。」
「いいんですか?こんなにもいい本を」
「私は、老い先短い人生なのでね。それよりかは、あなたのような人が持っていたほうがその本も幸せでしょう。」
佐武さんは、微笑みながら俺にそう言った。俺は、軽く頷いて持ってきていた鞄に入れた。

 ということがあった。だからこの本の秘密は誰にも話す気がなかった。
「主任?しゅ~に~ん」
「どうかしたか?」
「いやいや、全く反応してくれなかったから。それでその本の秘密って…」
「読んだらわかるが…俺は貸す気はないぞ。」
「主任のケチ」
と頬を膨らませて言った。俺はそれを無視して、珈琲を飲み干した。
 七草が、会計をして店を出た頃、俺はまだ店でくつろいでいた。
「ようやく、落ち着けるな。」
と独り言をつぶやいた。それから、佐武さんから貰った本を再び読み始めた。
『この短い期間で、もう十回以上読んでしまった。本当に中毒性が高いな、しかし、なぜこんなに素晴らしい本を出版社は取り上げなかった?それに、その本をなぜ佐武さんは持っていたんだ?』
と少し疑問が上がってきた。その疑問について考えていると、
「本お好きなんですか?」
後ろから、大学生ぐらいの男性が声をかけてきた。男は、俺より身長が低いくらいで眼鏡をかけていた。その男は、俺と向かい合うように座った。
「……」
「あぁ、すいません。自分隅田大学ニ年生の藤原六瀬といいます。」
「俺は、水場商事に勤めている住田雨季といいます。」
「はじめまして、それで本お好きなんですか?」
「まぁ、唯一の趣味だからな。」
「そうだったんですね。自分も本が好きで…その…家になりたくて……」
と途中からモゴモゴ言っててなんて言ってるのか分からなかった。なので、
「結局なんのようだ?」
と聞いてみた。藤原は深呼吸をして、
「じ…自分の書いた小説を採点していただけませんか?」
「どうして俺なんだよ。学部の友人に頼めばいいだろう。」
「そうなんですけどね……友人は自分の小説で忙しいですし、贔屓してしまうかもしれないじゃないですか?それなら、第三者に意見して頂いたほうが参考になると思って」
と言われて納得してしまった。確かに、友人に頼めば快く了承を得られるが、変に気を使ってしまう可能性がある。それなら、赤の他人に聞いたほうがいいだろう。しかし、
『なんて面倒なんだ。しかもまだまだ、小説家の卵の小説を読む以上にストレスのかかることはないだろう。』
と思っていた。しかし、藤原の目は揺るぎ無いものだったので、溜息をついて、
「わかった。小説を見せてみろ。」
「ありがとうございます。どうぞ!!」
と元気よく俺に小説を渡した。

     二時間後
俺は一通り読み終わって、珈琲を一口飲んで、
「この小説に名をつけるなら、なんとつけるつもりなんだ?」
「それが……」
「まだ考えてないんだな。」
「はい…」
と気のない返事をした。俺は、少し間を空けて、
「ならそのままでいい。この小説に作品名がつくと価値がなくなる。」
「どういう意味ですか?」
「藤原君、君はこの本のことを知ってるか?」
俺は、さっきまで読んでいた本を藤原君に見せた。藤原君は、首を傾げて「わからない」という顔をした。俺は、説明を始めた。
「この本も、作品名も著者名もない。これほど素晴らしい本だとゆうのにだ。」
と藤原君に本を渡して、「読んでみろ」という素振りをした。藤原君は、何とも知らずに読み始めた。すると小さい声で、「なるほど」と言った。
「君の本も全く同じ状態なんだ。君の小説も素晴らしいし、登場人物一人一人にストーリーを感じる。それが故に、作品名がつけれないんだ。」
「理解はしました。でもそれでは、出版できないじゃないですか。」
「確かにそうだな。だけど、そうしなくては、この本のすべてが壊れる。」
俺はそう言った。そして少し間を空けて、
「俺からは以上だ。あとは自分がどうしたいかを考えろ。お代は、払っとくよ。じゃあな」
と言ってから、会計を済ませて店を出た。すると、店の扉が勢いよく開いて、
「待ってください!!」
と藤原君が雨に濡れながら俺に言った。
「あなたは自分に嘘をついた。」
「何のことだ?」
「自分の小説とあなたが渡した小説には、天と地ほどのいや、それ以上の差があった。それなのに貴方は、あんな嘘を…どうしてです?」
俺は、確かに嘘をついた。あの作品は、どの作品に勝るとも劣らない程ひどい作品だった。それなのに、俺が嘘をついた理由は、
「簡単だ。それは、君に才能はない。言葉を知っているのと使いこなすは違う。君は前者のほうだ。知っているだけで、使いこなせていなかったからだ。」
「それと嘘をついた理由との関係はなんですか?」
「まだわからんのか?お前はただ言葉を並べてるだけだ。それの才能がないと言わずしてなんと言うんだ。それをオブラートに包んで言っただけだ。」
とハッキリ言ってやった。すると藤原君は、情けなくもその場で膝から崩れ落ちた。
「自分には、才能がないんだ…」
「……」
俺は無言で去ろうとした。だが、どうしてか足を止めて、
「ただ、知識だけで言ったら、お前以上にあるやつはいないだろう。また小説ができたら見せに来い。まだなりたいと思うんならな。」
とだけ言って、俺は駅に向かった。

「ただ…い…ま」
「おかえ…りってどうしてこんなに濡れてるの!早くシャワー浴びてきなさい。」
と言われ、自分は風呂場に行った。
 自分は、シャワーを浴びていると、あの人の言葉が何度も響いてきた。
『お前はただ言葉を並べてるだけだ。』
「はぁ~、やはり自分には才能がないのか…」
『ただ、知識だけで言ったらお前以上にあるやつはいないだろう。』
「どこからそんなのがわかったんだ?あの小説を読んだだけで…」
と何度も考えた。自分ではわからなかったことがよくわかった。それに、あの人の言葉からは、どうしてか優しさが伝わってきた。
『また小説ができたら見せに来い。まだなりたいと思うんならな』
あの人が去り際にはいた言葉だ。もし、本当にあの人が自分に小説家になるなと言うならあの場で言ったはずだ。
「だったら、何度でも書いてやる。そして自分だけの小説を完成させてみせる。それに挫折がなければ、面白くないしな。」
自分は、独り言をはいて、机に座って紙とペンを持った。
 
 少し時間を遡り、俺は、佐武さんの経営している「つばき」へと赴いた。
カランッ カランッ
「いらっしゃいませ。空いてる席にどうぞ」
と佐武さんは言った。
「珈琲とチーズタルトを」
「畏まりました。」
と注文をした。俺は、どう切り出すべきか迷っていた。しかし、佐武さんは、そんな俺を察したのか、
「何か御用があって来られたのでしょう。」
俺は少し間を空けて、
「実は、少し気づいたことがあったんです。それと気になる点も」
「そうですか、答えられることならなんなりと」
「まず気づいたことから。この小説は、信じられないことかもしれないが、実話なのでは?」
「なぜそう思ったんですか?」
佐武さんは、優しい声で尋ねてきた。俺は、
「それは、この小説を読みながら感じたことです。この本には、何故か生きている実感とこの本が語ってくる感じ、そして親近感があった。例えば、フィクションであれば、憧れを登場人物に湧いてくる。でも、この小説にはなかった。だから…」
「それで実話だと考えたわけですね。」
「はい、次になぜそんな本を佐武さんが持っているのか?さらに、作品名だけでなく作家名までないのか?それが気になって来ました。勿論答えたくないなら答えなくて構いません。」
そう言い切ったあと、佐武さんは、
「珈琲とチーズタルトです。」
と俺に品を出した。そして、佐武さんは俺の隣に座り、
「まず、住田様の気付いたことは合っています。これは、私の遠い親戚の実話です。」
その答えを聞いて、一瞬息ができなかった。佐武さんは、俺の方を向いて言葉を続けた。
「なぜ私が持っているのかは、親戚の中で一番信頼されているから預かりました。この本は、どこの誰にも渡してはならない。という掟みたいなものがあったのです。」
「ならなぜ、掟に背くようなことを…」
「簡単な話です。その掟自体に意味がなくなったんです。私の一族は、もう私以外いないので意味なんてないでしょ。」
「……」
俺は、何も言えなかった。ここまで壮大な問題にどうすればよいのかわからなかった。佐武さんは、
「住田様がおきになさる必要はありませんよ。話を戻しますが、この本に作者名がないのは、大切な人への「手紙」の役割を果たしているからです。これは私の考えなのですが、手紙に題名を書かないようにこの本も題名を書かなかったのではないかと思います。」
俺は、その話を聞いて少し考えた。そして、
「佐武さん、この本はお返しします。」
「な…なぜですか?貴方に与えてももう問題にならないんですよ?」
「関係ありません。それに、あなたが一族最後の一人なら、最後までその本を持っているべきです。それに…」
「どうかなさいましたか?」
「その作者を超えるだろう作家が近々出てきますから。その小説には、劣るでしょうからね。」
「そうですか。でも、私が死んだあとは、貰っていただくと幸いです。」
「その時はその時で考えさせていもらいますよ。」
と話も一段落し、珈琲を飲んだ。
『あの子の小説が楽しみになるとはな…』
俺は知らない内に、笑っていたらしい。

        二ヶ月後
 今日は定休日で、最高なことに雨だった。
「いらっしゃいませ、空いている席にどうぞ」
と言われ、俺は空いてたテーブル席に座った。
そして、珈琲を頼んだ。
 俺は、いつも通り本を読み始めた。
『やはり、この時間と音は最高だな。』
と思っていた。すると、
「ご相席よろしいですか?」
と聴いたことのある声がしたので、振り返って
「久しぶりだね。てっきり小説家を諦めたのかと思ったよ。」
「やはり、手厳しい方ですね。」
藤原君は、前とは違って緊張している素振りなく堂々としていた。藤原君は、俺の前に座り、
「自分の小説を採点していただけませんか?」
「わかった。」
と俺は、読んでいた本にしおりを挟んだ。それと同時に、
「お待たせしました。コーヒーになります。」
「ありがとうございます。」
俺は、淹れたての珈琲を飲みながら藤原君の小説を読んだ。どのくらい時間が経ったかを忘れて、
       二時間後
「前よりマシになったな。だがまだまだだけどな」
「やっぱり、そうですか。」
と前の藤原くんだったら、動揺していただろう。けど、今の藤原くんにはない。どちらかというと、この評価されるのが分かっていたかのようだ。
『前とは違うというのはわかったな。まだまだ伸びるだろうな。』
と俺は思いながら、小説を返した。
「君は、小説ってなんだと思う?」
「読むものじゃないんですか?」
「違うぞ。小説は生き物だ。」
「え…」
藤原君は驚いていた。多分この考えがなかったのだろう。
「小説は、言葉によって姿かたちが変わる。そして、人にイメージを与える。違うか?」
「確かにそうですけど…」
「人は、書いてあることしかわからない。だが本は、今まで見てきたものを知っている。そして今尚進化をし続けている。それを、生き物でなくてなんと呼べるかな?」
藤原君は、ずっと驚いていた。俺がずっと感じていたことを今伝えたのだから。理解できないのは当然だ。
「藤原君」
「はい、何でしょうか。」
「これから、俺より辛口の人達が君を評価する。それでも挫けずに書き続けるんだぞ。君はまだ成長できるから。頑張れよ。」
「はい、頑張ります。いつか、あなたの手に自分の小説を取らせてみせますよ。」
藤原君の顔を見ずに、俺は会計を済ませて店を出た。
 「ふぅ~、別の喫茶店で珈琲を飲むか。」
と少し顔が綻んだ。

       半年後
 俺はデスクに向かって、資料を作成していた。
「主任、この資料のチェックお願いします。」
「わかった。置いといてくれ、後で目を通しておく。」
と七草に言い、俺は資料作成に集中した。すると、
「住田様お届け物です。」
「えっ…俺は何も頼んでないんだが…」
「でも、住所はここになってますから。」
「わかりました。有難うございます。」
と俺は荷物を受け取った。
 デスクに戻り中身を確認した。その中に入っていたのは、手紙と『あの日の言葉と決意』と書かれていた小説があった。すると周りがざわめき出した。
「どうしたんだ?」
「いやいや、主任知らないんですか?その本、新人賞を受賞をして、今その本を知らない人はいないんですよ。しかも、なかなか手に入らないからオークションでも高値で売られてるぐらいですよ。」
と社員の一人がそう言った。その本には、藤原君の名前が書いてあった。その社員は、さらに、
「しかもこの作品、作者さんの実体験なんじゃないかって考察されたりしてるんですよ。」
「どうでもいいから、さっさと仕事に戻れ!道草」
「なんで自分だけ…」
「お前だけ提出書類が出てないからだよ。」
と言い、仕事に戻らせた。
 昼休みになり、俺はデスクの上で少し藤原君の事を調べてみた。
『へぇ~あの後何度か小説を書いては、出版社に持ち込んでいたのか。』
それと同時に藤原君の出ている動画があったので、動画を再生した。
「それでは、新人作家大賞の最優秀賞は…藤原六瀬作の『あの日の言葉と決意』です!!」
その発表と同時に、大きな拍手が会場を包み込んだ。そして、藤原君が涙を流しながらも登壇した。
「藤原先生今の気持ちはいかがですか?」
「まだ信じられないです。自分が選ばれたことに…」
「そうですか。では、これほどまでに素晴らしい作品を生み出すことができたと思いますか?」
「そうですね。やはり、僕が初めて採点してもらった人の言葉ですかね。」
「ほぅ、具体的に教えていただけますか?」
「その人に、僕は、才能がないと言われて、凄くショックで『立ち直ることができるのか。』と不安になりました。でもその人は、『また小説ができたら見せに来い。まだなりたいと思うんならな。』と言って、去っていったんです。その時に、この世界の厳しさと本に向き合う姿勢ができたと考えています。もしあの時に、その言葉がなかったら、今頃路頭に迷っていたでしょう。その人には、感謝の言葉しかありません。」
と言った所で動画を止めた。時計を見ると、もう12時半になっていた。俺は、昼ご飯を食べ始めた。それと同時に、七草が、
「主任、まだ食べてなかったんですか?」
「まぁ、少し調べ物があったからな。お前はもう食べたのか?」
「はい、中田先輩と一緒に食べました。ところで、何を調べてたんですか?」
「お前には、関係のないことだ。」
「も~、少しくらい教えてくれたって良いじゃないですか!」
と言っている七草を無視して、昼ご飯を食べた。
 
 俺は帰宅して、小説と一緒にあった手紙を読んだ。
 住田さんへ
お久しぶりです。自分のこと覚えていますか?藤原です。あなたに初めて会ったときは、すごい怖い人なのかと思いましたが、勇気を出して声を掛けてよかったと思いました。あなたに会っていなかったら、今でも小説家を目指そうとは思えなかったでしょう。あの時の自分は、本気で本と向き合っていなかった。でも貴方の言葉で何度も書いてやると意識が変わりました。その結果で、新人賞を受賞しました。本当は、直接渡しかったのですが、新たな小説のネタ探しで忙しくて、できませんでした。なので、この言葉だけ言わせてください。貴方の言葉にありがとう。
               藤原六瀬より
 『全く、そんな必要なかったのに』
と思いながら、珈琲を淹れて小説を読み始めた。時間を忘れて…
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