焼けたモスリンビークの森から

takataka

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三日目

再会

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10年前のモスリンビークの森。木漏れ日がちらちらと差す中、僕は6日後の狼獲祭にむけてクロスボウの手入れをしていた。

「お兄ちゃん!!」
幼い妹、ルキの声がした。おもむろに立ち上がり、その声がする方を見やる。……なぜかルキは女に肩車されている。

「……この人は?」

「この人はお姉ちゃんよ!さっきそこで知り合ったの!」
ルキの声が上からする。その下で肩車している、お姉ちゃんと呼ばれた女。
風になびく銀の髪が、木漏れ日に反射して煌めいていた。

「あはは……そっか。よろしく、お姉ちゃん。」
そう冗談めかして言うと、その女は苦笑いをする。

「あんたもお兄ちゃんって言うんでしょ?ルキちゃんからさっき聞いたわ。」
女もまた冗談めかして言う。
そして疲れたのか、彼女は肩車をやめてルキを下ろした。

「それで、そのお姉ちゃんとやらの名前は?」
そう言うと女は逡巡する。見たところ貴族だろうか。

「……ええと、お姉ちゃんでいいわよ。それよりあんたの名前を教えなさいよ。」

「はぁ?名乗れもしないのか。誰が言うか。褪せ髪貴族女。」

「あ……あ、あんた生意気!このチビクソ貧民!」
女は怒り、こちらにつかみかかってきた。

「ああー、お兄ちゃん、お姉ちゃん、ケンカしないでぇ!」

しばらく生意気な女と取っ組み合いをする。しかしそれは時間と共に終息し、すぐに仲直りした。

「……そうだ、ちょうど6日後にお祭りがあるの!お兄ちゃんが狼をやっつけるんだよ!お姉ちゃんも一緒に見ようよ?」
ルキは黒い瞳を輝かせる。

「へぇ……面白そう。いいわよ。じゃあそれまでモスリンの事いっぱい教えてよ?」

「もちろん!お祭りまでに一緒に衣装作ろうよ!」

「じゃあ俺は釣りを教えてやるよ。それに狩りも得意なんだ。楽しいぞ?……それでお姉ちゃんこそ何か無いのか?」

「私?ううん……そうだ!写真撮ってあげる。最新式のフィルム写真機があるのよ?……大きいけど、今度こっそり持ってきてあげる。」

銀色の髪の女と出会い過ごした一週間はすぐに過ぎ去っていったものの、記憶の一ページの中に確かに刻み込まれていた。

そして今ようやく、その鮮明なページを見つけ出すことが出来た。


◾️1番車両

視界が白黒とする。そしてぼんやりと、徐々に正常な視界へと回復した。

「はぁ……はぁ……」
気が付けば、両腕を床につけてひざまずいている。この自身の腕は、人間のものだ。
そのまま横向きに流れ、仰向けになる。天井が見えた。

「アキ!……よかった!」
視線の上から、銀髪の女が駆け寄ってくる。
……頭がぼんやりとする中、少しずつ記憶が戻ってきた。彼の者、サリに逃げられて兵士達を殺したんだ。

「……はぁ、世話が焼ける。」
コジロウの声だ。ぼんやりと目線を動かす。すると彼は別の方向を向いていた。
彼と同じ方を見ると、そこにはアンが立ち尽くしている。

「……なんで、なんで私が知らない、彼の真名を知っているの……しかもこの女ガ……」
アンは顔を抑えてぶつぶつと言っている。その不審さに警戒して、ゆっくりと体を起こした。

「口惜シイ、口惜シイ……殺シテヤル。」

「殺シテヤル殺シテヤル殺シテヤル殺シテヤル殺シテヤル殺シテヤル――」

「殺シテヤラァァァァァァアアアアアアアア!!!!」
金切声の咆哮と共に怪物が彼女へ飛び掛かる。その凄まじい音波が窓や鏡、グラス等を震わせ、それらを次々と割っていった。
意識が持っていかれそうになる程の轟音が絶え間なく鳴り響く中、コジロウが怪物の爪を刀で受け止めた。しかしあっけなく力負けして部屋の奥まで吹き飛ばされる。そして棚にぶつかり、それが崩れるとともに調度品の下敷きになった。

「ぐぅ……」
コジロウの方を見ると彼は動けなくなっている。まずい。

「お姉ちゃん!」
記憶の中の銀髪の女を呼び、カチューシャの手を掴む。
そして必死の想いで怪物の前に立ちはだかる。すると怪物はひるんだ。

「ドイテヨ!アナタヲ傷ツケタクナイ!!アノ女ヲ差シ出シテ!!!!庇ワナイデ!!!」

怪物はどうにかこちらを傷つけないように、彼女を攻撃しようとたじろいでいる。ただ、このまま制止し続けられるとは思えない。
周囲を見渡す。割れた窓が目についた。

「ごめん!」
とっさにその窓から列車の外へ飛び降りる。カチューシャも手を引かれ、それに続いた。

少し宙に浮いた後、思い切り雪原に叩きつけられる。しかしそのまま勢いは止まらない。

「きゃぁああああああ!!」
彼女の悲鳴と共に雪原の坂から勢いよく転がり落ち、谷のほうまで滑っていく。その勢いは増すばかりだ。
やがて平地の部分に到達し、徐々に勢いが殺されていく。
そしてようやく止まった。
見渡せば、幸か不幸か浅い谷底の、針葉樹林の中に迷い込んだようだ。


■吹雪の針葉樹林

「大丈夫か?」
吹雪で彼女の様子が少し確認しづらい。

「いっ痛……無茶するわねホント。」
カチューシャはひざまずいたまま答える。

「よかった、元気そうで何より。走れるか?」

「痛っ……ごめん。ちょっとまって。足を挫いたかも……。」

「おいおい、平気か?」
彼女の背中に手を回し、体重を支えながら立ち上がった。

この視界の狭い樹林の中では、すぐに迷ってしまいそうだ。道しるべとなる列車の線路を探すべきか。それがあるはずの尾根を目指して、谷を登り続ける。
寒い……。吹雪が体温を奪っていく。彼女と肩を貸す形で身を寄せ合っているが、それも気休めにしかならなかった。
風が吹き荒び、視界はおぼろげだ。そんな渦中、荒くなった彼女の呼吸音がしてくる。

「行けそうか?ゆっくりでもいいから上を目指して歩こう。」

「ごめん……足を引っ張ってるわね……。」

ふいに遠くで金切り声の咆哮が聞こえた。それが山彦となり、木々が大きく揺れ動く。吹雪の風までもがその音に怯え、静かに止んだ。

「……あの子が怒ってる。……もうダメかも、私。」

彼女は立ち止まる。そして再び吹雪がわめき始めた。

「……もうあたしなんか見捨てて、あの子と仲良くする道もあるわ。……あなたには。」
カチューシャは弱気になっている。

「何言ってんだよ、ここまで来て。ほら!諦めるな!」
彼女を無理矢理抱きかかえて、歩き始めた。こんな所でじっと話をしている場合ではない。

しかし吹雪が想像以上にきつい……。どこかに身を隠し、風を防げるような場所は無いのだろうか。
この霧のような視界の中、ただ彷徨う。その景色はまるで1年半前、妹のルキと霧に包まれたモスリンの森で雨宿りしていた時のようだった。
大樹のうろの中に入っていた、赤獅子の死体を喰っていたルキの姿がぼうっと浮かぶ。青白い燐光を励起させていたあの瞳が。その幻影が今、鬼火のようにゆらゆらと浮かび上がり、こちらを誘った。
その燐光をただ闇雲に追い続けているとやがて……目の前にぼうっと、巨大な樹木が姿を現した。
これも幻覚だろうか、こんなところに広葉樹がある。雪冠の針葉樹林の中、それだけは緑の葉を優美に見せびらかしていた。更には巨大な口のようなうろが空いていて、幸い中には誰もいない。
吸い寄せられるようにその中へ入った。


■大樹のうろ

樹木の胎内は二人ならば余裕で入る位の広さがあり、わずかに暖かい。カチューシャを座らせ、その隣に自分も座る。そして体温を逃さないように二人身を寄せ合った。

「とにかく吹雪が去るまではここでじっとしていよう。」

「ありがとう……ここなら少し落ち着けそう。」
彼女は肩で呼吸をしながら、周囲を見渡す。

なぜかここは故郷のモスリンを想起させる程に安心感があり、心が妙に落ち着いた。
彼女も同様に落ち着いたのか、やがて遠い目を浮かべる。

「……不思議とここは懐かしい雰囲気ね。10年前の事を思い出すわ。」

「……10年前?」

「そう。……少しお話しない?どうせ吹雪が止むまで何もできない。最期かもしれないし……。」
そういって彼女はため息をつく。

「最期かどうかはまだ分からないよ。それで話って?」

「実は私ね、モスリンビークへ視察で訪れた事があるのよ?まぁ、あの日はそれがつまらなくて森の中へ逃げたんだけど。」
彼女は首を傾げ、こちらの肩に預ける。

「……そうしたらそこで出会った幼い女の子に肩車をせがまれてね。お姉ちゃんお姉ちゃんとよく懐いてくれたわ。そこでその子のお兄ちゃんとも出会ったの。小生意気で、名前も教えてくれなかったけどね。だから私も彼のことをお兄ちゃんと呼んでたと思う。」
彼女は流し目でこちらを見る。

「へぇ……俺も似たような経験があるな……。確か幼い妹を肩車した女の人と出会った。妹がお姉ちゃんお姉ちゃんと呼ぶその人は銀色の髪に、白い肌、薄赤い瞳をしていた。小生意気で、名前を教えてくれなかったから、俺も彼女の事をお姉ちゃんと呼んでたと思う。」

「ふうん、奇妙な話ね。そのお兄ちゃんと呼んでいた彼が川釣りを教えてくれて、狼獲祭の時には大会で優勝したのよ。クロスボウで狼を一撃にして。」

「確かそのあとお姉ちゃんと呼んだ彼女が、下手な踊りを披露していたような気がする。それに写真も撮ってくれたけど、フィルムをほとんど感光させて台無しにしてたよな?妹の写真だけがかろうじて残った。」

「ちょ、ちょっと!初めてだったんだから仕方ないじゃない!」

「ははは……確かそんな感じで怒ってたな。」
二人静かに笑う。

「……それで、妹の名前。ルキちゃんでしょ?」

「ああ。俺の妹の名前はルキ。」

「そう。……久しぶり、あの時のお兄ちゃん。」

「こちらこそ、久しぶり。……あの時のお姉ちゃん。」

「よかった……また会えて……。」

掠れ声の彼女はそっと目を閉じる。涙が一滴こぼれ、頬を伝った。
こちらもそっと目を閉じ、彼女の肩に手を添える。


「みぃつけたー。」
ふいにうろの外から女の声がした。
とっさにその方を見ると、人影が青い瞳を励起させてこちらを覗き込んでいた。

その人影の主がうろの中に入ってくる。……アンだった。驚いて声が出ない。
そして二人の真正面に、彼女はぺたんと座り込む。
人の姿をしたその様子は、意外にもさっきと比べて随分と落ち着いているように見えた。

「……彼女は傷つけないでやって欲しい。」
そう言うとアンは笑いだす。しかしやけに物悲しげだ。

「なーにやってたの、二人ともー?こんな吹雪の中なのに、お熱いようでうらやましいー。」
怒り出すかと身構えるも、むしろ彼女は泣きそうな顔をしていた。

「ははは……もう怒らない。吹雪の中あなた達を探していると、気持ちが少し落ち着いてきたの……。」
アンは伏し目がちにゆっくりと告げる。
奇妙だがさっきの行為を反省しているようだった。どこかで謙虚さでも身につけてきたのか。

「窓から二人で飛び降りたのを見た時に、私フラれたのかなって。でもその事に怒ってあなたを悲しませるのって良くないよねって。……結局、何が私に足りなかったかな?」
彼女はこちらをじっと見つめる。しかし下手な嘘で取り繕うつもりもない。そっと語り始めた。

「……俺は赤獅子を憎んでいる。怪物であろうと無かろうと無差別に人間を殺した奴らだからな。そして奴らへの復讐を誓ってこの列車に乗ったモスリンの人間は、全員怪物になるか、なり切れず死んだ。……それら全ての元凶はアンだろう?無関係のユリすら死んでしまった。彼女はまだ未来があるはずの無垢な子供だった。アンにとっては人間なんて所詮家畜程度にしか思っていないんだろうけど、俺にとっては同胞、憎むべき宿敵であり、想うべき仲間なんだよ。お前とは一緒じゃない。」

そう伝えると、アンは目に涙を溜めてしまった。今にも溢れそうだ。

「そっか……あなたの心はまだ人間なのね……。私はもう……とっくの昔に怪物よ。寂しかったんだけどなぁ……。」
そう言った後、アンは何かに少し逡巡する。しかし意を決したようにこちらを見る。

「ねぇ……――アキ――。私の本当の名前を呼んで、私に対する本当の気持ちを教えて。」
アキ。その名前を呼ばれると逆らえなかった。
至って尋常に、アンに抱いている本心を言うために、口を開く。

「――アナスタシア――」
その言葉にアン、いやアナスタシアは固唾を飲む。

「……俺の視界から消えて……死んでくれ。」

カチューシャが動揺して身体を揺らす。逆上させるのではないかと思ったのだろう。

「……分かった……さようなら、ルキくん。」

アナスタシアは目線を落とす。その目から大粒の涙が零れた。
そして彼女は立ち上がった。大樹の外へ力なく歩いていき、そのままゆっくりと雪原を上がっていく。……嗚咽を漏らしながら。
やがて吹雪でその姿が見えなくなると、ふと歌声が聞こえ始めた。モスリンの讃美歌だ。
美しくも儚げな声色で、空気をピン――と張り詰めさせ、聞いてる者の鼓膜を激しく震わせた。
長い時間をかけて、その歌声の発生源は尾根の方まで上がっていく。そしてそれはある一点で止まった。
いまだその歌声は谷底の方にまでこだまして。

吹雪が止んだ。空には満月。
どれほどの時間が経ったか分からないが、ずっと歌は続いている。しかしその声はもはや掠れていて、さながら咽び泣いているようだった。
そしてある時、その歌声のそばで列車の警笛音が轟いた。
その轟きは急速に歌声の発生源へと近づいていき、間も無くそれと重なった。

歌声は消えた。
そのまま列車の汽笛が遠くへと消えていく。

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