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四
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兄のスマホを持ち出したのは、好奇心から亡き人間のプライバシーを探りたいなんて邪な欲望故ではない。自分が善い人間だとは思ってはいないが、そこまで腐ってはいないつもりである。
兄の思いを知りたかった、兄の死ぬまでの経験を、それまでの抱えてきたものを見付けたかった。それが下卑た欲望からくる好奇心と呼ぶのなら、もうそれで構わない。兄の死が理解も納得もゆかないわたしはこの儘喪に服すなんて出来やしない。
親しい人がが亡くなる、という経験、わたしにとってはほぼ初めてのもだ。どんなルールで動けば良いのか、さっぱり見当がつかない。
幼稚園児の頃に母方の祖父が亡くなり、勿論わたしは葬儀の際にその場にいた筈が、記憶は胡乱で実に頼りがいなどなかった。仮に記憶があったとして、当時四歳のわたしが何をしていたかといえば、何もしていなかっただろうからどのみち役に立つ記憶でもない。
ぼんやりと思い出せる微かな記憶といえば、雨の降る中暗い場所で兄に手を引かれていた。その程度だ。
思い返せば暗いというのは空や周りの空間の色ではなく、大人達やわたし自身が身に着けていた服の色だったような気もする。思うに、当時のわたしは視界に入る誰も彼もが黒尽くめなのがとても奇異なものと見えて、記憶にこびり付いたのではないかと思う。
幼き日の記憶を思い返したところで、役に立ちそうな情報などは得られずじまいだ。しかし、こんな風に自身の現状を顧みる余裕があるのも、それはそれで複雑だ。
内心余裕なんじゃねえのか、と自分で自分に問い質したくなる。実は、悲しい気持ちになった気がしているだけなんじゃないか。肉親の死を目の前にして嘆き悲しむのがあるべき姿だ、とわたしの常識に従っているだけじゃないのか。わたしはわたしに言い訳をしているのかもしれない。自分は人間らしい、兄を慕う可愛い妹なのだと。
本当のわたしは肉親の死にも動揺していない、冷血漢なのかもしれない。
喧嘩した時に常のように怒鳴り散らさず、どちらかといえば静かにブチギレたわたしに恐れをなしたか、母親はあれからわたしの方を見向きもしないし、父親は何やらずっと慌ただしく動いている。わたしの事など頭にはなさそうだ。この儘わたしは永遠に自分の身のおきどころに付いて、脳内会議を繰り広げて日々が過ぎていくような気すらしていた。本物の悲しみなのか、自信の持てない悲しみを抱えて。
「穂香ちゃん……大丈夫?」
大丈夫な訳が無い。
そう喉元まで出かかったものの、両親ともに放置されているわたしに話しかけてきてくれる人間の存在は貴重である。わたしは嘘だが、肯定する為に頷いて見せた。
相手は先程の叔母だった。
わたしを見下ろしているのだが、どんな感情がそこにあるのかはわたしにはいまいち想像出来ない。無表情というには、少しばかり暗い気がする。
「ごめんね。大丈夫な訳が無いよね……あなた達兄妹、仲が良かったものね」
自身の発言が軽率だったと謝罪すると、叔母はわたしの肩に手を置いた。あまり他人に触れられるのが得意ではない。若干、ほんの少しだけ止めて欲しいなあなどと思ったが、なんとなくそれを言ったらこの人を傷付ける気がした。親ならまだしも、あまり会わない親族を不快にさせてこちらも落ち込みたくはない。
「悲しい時は悲しいって言って良いよ。誰かに言って、泣いて、それで少しでも気が紛れるなら全然良い」
「……」
言って楽になるとも気が紛れるとも思えなくて、わたしは何とも返す言葉が思い付かないで黙った。
気を遣ってくれるのは有り難いが、わたしは兄と友達以外の人間が本当に苦手だ。苦手な人には本音を訴えるにも、先ずは言葉の選択から始めねばならない。嫌がらないだろう言葉のチョイスと、気にいるだろう悲しみ方も、わたしは他人に披露できるような綺麗な涙も持たない。
「有難うございます」
やっとの事でそれだけを言うが、叔母はわたしから離れる気配はなく、わたしの顔を覗き込んですらきたので、思わずを逸らした。
無理をしていると思われたのかもしれないが親しくない人間に、自分の感情の何を語れと言うのかとも思う。
「ねえ、辛いなら自分の部屋に戻っていても良いよ? 学校はお休みしなくちゃいけないし、その前に」
「良いんですか? 母は、遊ぶなって言いませんか」
わたしの返事に叔母は一瞬とんでもなく不愉快そうに眉を顰めたものの、直ぐに取り繕うように笑顔を見せた。貼り付けの笑顔だと、わたしのような子供でもわかった。
「そんな事を言う筈がないでしょう? 雪也くんの事を大事に思う家族が、悲しんでいて何が悪いの」
叔母の言葉は先程わたしが母に訴えた事と、そう変わらない内容だった。わたしがブチギレた時に、この人はわたしの言葉を聞いていたのかもしれない。姉の非を、遠回しに取り繕うとしているのか。
「……じゃあ。部屋に戻ります」
スカートのポケットを抑えながら、立ち上がった。ここで兄のスマホが発見されたら何もかもがおじゃんだ。
相変わらず他の親戚や両親は動き回ったり、電話をかけたりしている。不甲斐ない姿を娘に晒した割には、今は何か精力的に動いているのが気持ち悪いなと思った。わたしはわたしの気持ちを正直に自分に理解、納得させたいと常々思っているのに、この親の姿を見て気持ち悪いと思った理由と理屈と心理状態が、後に考えてもどうしてもわからない。
相変わらずどいつもこいつもわたしに一瞥すらも寄越さないので、もう良いかと開き直って堂々と二階へと上がる。急な階段を一歩踏み締める。ぎし、となる古いお家は悲鳴だろうか。もう引退させてくれとでも、言ってるのだろうか。
自分の部屋に入る前に、ちらりと隣の兄の部屋に視線をやる。誰も出て来ない部屋。主を失った部屋。
先程入った兄の部屋は、とても冷えていた。静かだった。
スマホを取りに入った時、兄の眠るベッドを見るのを意識して避けた。どういった心理だったのか、それもわからない。兄の死を直視したくなかったのか。既に病院で一度相対したのに。
わたしは兄の死体を、死体というものを見るのに嫌悪感があったのだと思う。何も高尚な理由ではない。ただただ死体が怖かった。動かないし喋らない。しかも、慕う人間の形をしているのに怖がった。
「ごめんね、兄ちゃん」
怖いと思ってごめん。
悲しい筈なのに、お通夜とか葬式で役立たずになりそうだからどうしよう、とか考えてごめん。くだんねえ妹でごめん。
兄の思いを知りたかった、兄の死ぬまでの経験を、それまでの抱えてきたものを見付けたかった。それが下卑た欲望からくる好奇心と呼ぶのなら、もうそれで構わない。兄の死が理解も納得もゆかないわたしはこの儘喪に服すなんて出来やしない。
親しい人がが亡くなる、という経験、わたしにとってはほぼ初めてのもだ。どんなルールで動けば良いのか、さっぱり見当がつかない。
幼稚園児の頃に母方の祖父が亡くなり、勿論わたしは葬儀の際にその場にいた筈が、記憶は胡乱で実に頼りがいなどなかった。仮に記憶があったとして、当時四歳のわたしが何をしていたかといえば、何もしていなかっただろうからどのみち役に立つ記憶でもない。
ぼんやりと思い出せる微かな記憶といえば、雨の降る中暗い場所で兄に手を引かれていた。その程度だ。
思い返せば暗いというのは空や周りの空間の色ではなく、大人達やわたし自身が身に着けていた服の色だったような気もする。思うに、当時のわたしは視界に入る誰も彼もが黒尽くめなのがとても奇異なものと見えて、記憶にこびり付いたのではないかと思う。
幼き日の記憶を思い返したところで、役に立ちそうな情報などは得られずじまいだ。しかし、こんな風に自身の現状を顧みる余裕があるのも、それはそれで複雑だ。
内心余裕なんじゃねえのか、と自分で自分に問い質したくなる。実は、悲しい気持ちになった気がしているだけなんじゃないか。肉親の死を目の前にして嘆き悲しむのがあるべき姿だ、とわたしの常識に従っているだけじゃないのか。わたしはわたしに言い訳をしているのかもしれない。自分は人間らしい、兄を慕う可愛い妹なのだと。
本当のわたしは肉親の死にも動揺していない、冷血漢なのかもしれない。
喧嘩した時に常のように怒鳴り散らさず、どちらかといえば静かにブチギレたわたしに恐れをなしたか、母親はあれからわたしの方を見向きもしないし、父親は何やらずっと慌ただしく動いている。わたしの事など頭にはなさそうだ。この儘わたしは永遠に自分の身のおきどころに付いて、脳内会議を繰り広げて日々が過ぎていくような気すらしていた。本物の悲しみなのか、自信の持てない悲しみを抱えて。
「穂香ちゃん……大丈夫?」
大丈夫な訳が無い。
そう喉元まで出かかったものの、両親ともに放置されているわたしに話しかけてきてくれる人間の存在は貴重である。わたしは嘘だが、肯定する為に頷いて見せた。
相手は先程の叔母だった。
わたしを見下ろしているのだが、どんな感情がそこにあるのかはわたしにはいまいち想像出来ない。無表情というには、少しばかり暗い気がする。
「ごめんね。大丈夫な訳が無いよね……あなた達兄妹、仲が良かったものね」
自身の発言が軽率だったと謝罪すると、叔母はわたしの肩に手を置いた。あまり他人に触れられるのが得意ではない。若干、ほんの少しだけ止めて欲しいなあなどと思ったが、なんとなくそれを言ったらこの人を傷付ける気がした。親ならまだしも、あまり会わない親族を不快にさせてこちらも落ち込みたくはない。
「悲しい時は悲しいって言って良いよ。誰かに言って、泣いて、それで少しでも気が紛れるなら全然良い」
「……」
言って楽になるとも気が紛れるとも思えなくて、わたしは何とも返す言葉が思い付かないで黙った。
気を遣ってくれるのは有り難いが、わたしは兄と友達以外の人間が本当に苦手だ。苦手な人には本音を訴えるにも、先ずは言葉の選択から始めねばならない。嫌がらないだろう言葉のチョイスと、気にいるだろう悲しみ方も、わたしは他人に披露できるような綺麗な涙も持たない。
「有難うございます」
やっとの事でそれだけを言うが、叔母はわたしから離れる気配はなく、わたしの顔を覗き込んですらきたので、思わずを逸らした。
無理をしていると思われたのかもしれないが親しくない人間に、自分の感情の何を語れと言うのかとも思う。
「ねえ、辛いなら自分の部屋に戻っていても良いよ? 学校はお休みしなくちゃいけないし、その前に」
「良いんですか? 母は、遊ぶなって言いませんか」
わたしの返事に叔母は一瞬とんでもなく不愉快そうに眉を顰めたものの、直ぐに取り繕うように笑顔を見せた。貼り付けの笑顔だと、わたしのような子供でもわかった。
「そんな事を言う筈がないでしょう? 雪也くんの事を大事に思う家族が、悲しんでいて何が悪いの」
叔母の言葉は先程わたしが母に訴えた事と、そう変わらない内容だった。わたしがブチギレた時に、この人はわたしの言葉を聞いていたのかもしれない。姉の非を、遠回しに取り繕うとしているのか。
「……じゃあ。部屋に戻ります」
スカートのポケットを抑えながら、立ち上がった。ここで兄のスマホが発見されたら何もかもがおじゃんだ。
相変わらず他の親戚や両親は動き回ったり、電話をかけたりしている。不甲斐ない姿を娘に晒した割には、今は何か精力的に動いているのが気持ち悪いなと思った。わたしはわたしの気持ちを正直に自分に理解、納得させたいと常々思っているのに、この親の姿を見て気持ち悪いと思った理由と理屈と心理状態が、後に考えてもどうしてもわからない。
相変わらずどいつもこいつもわたしに一瞥すらも寄越さないので、もう良いかと開き直って堂々と二階へと上がる。急な階段を一歩踏み締める。ぎし、となる古いお家は悲鳴だろうか。もう引退させてくれとでも、言ってるのだろうか。
自分の部屋に入る前に、ちらりと隣の兄の部屋に視線をやる。誰も出て来ない部屋。主を失った部屋。
先程入った兄の部屋は、とても冷えていた。静かだった。
スマホを取りに入った時、兄の眠るベッドを見るのを意識して避けた。どういった心理だったのか、それもわからない。兄の死を直視したくなかったのか。既に病院で一度相対したのに。
わたしは兄の死体を、死体というものを見るのに嫌悪感があったのだと思う。何も高尚な理由ではない。ただただ死体が怖かった。動かないし喋らない。しかも、慕う人間の形をしているのに怖がった。
「ごめんね、兄ちゃん」
怖いと思ってごめん。
悲しい筈なのに、お通夜とか葬式で役立たずになりそうだからどうしよう、とか考えてごめん。くだんねえ妹でごめん。
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