恋煩い

nishina

文字の大きさ
4 / 6

しおりを挟む
 兄のスマホを持ち出したのは、好奇心から亡き人間のプライバシーを探りたいなんて邪な欲望故ではない。自分が善い人間だとは思ってはいないが、そこまで腐ってはいないつもりである。
 兄の思いを知りたかった、兄の死ぬまでの経験を、それまでの抱えてきたものを見付けたかった。それが下卑た欲望からくる好奇心と呼ぶのなら、もうそれで構わない。兄の死が理解も納得もゆかないわたしはこの儘喪に服すなんて出来やしない。
 親しい人がが亡くなる、という経験、わたしにとってはほぼ初めてのもだ。どんなルールで動けば良いのか、さっぱり見当がつかない。
 幼稚園児の頃に母方の祖父が亡くなり、勿論わたしは葬儀の際にその場にいた筈が、記憶は胡乱で実に頼りがいなどなかった。仮に記憶があったとして、当時四歳のわたしが何をしていたかといえば、何もしていなかっただろうからどのみち役に立つ記憶でもない。
 ぼんやりと思い出せる微かな記憶といえば、雨の降る中暗い場所で兄に手を引かれていた。その程度だ。
 思い返せば暗いというのは空や周りの空間の色ではなく、大人達やわたし自身が身に着けていた服の色だったような気もする。思うに、当時のわたしは視界に入る誰も彼もが黒尽くめなのがとても奇異なものと見えて、記憶にこびり付いたのではないかと思う。
 幼き日の記憶を思い返したところで、役に立ちそうな情報などは得られずじまいだ。しかし、こんな風に自身の現状を顧みる余裕があるのも、それはそれで複雑だ。
 内心余裕なんじゃねえのか、と自分で自分に問い質したくなる。実は、悲しい気持ちになった気がしているだけなんじゃないか。肉親の死を目の前にして嘆き悲しむのがあるべき姿だ、とわたしの常識に従っているだけじゃないのか。わたしはわたしに言い訳をしているのかもしれない。自分は人間らしい、兄を慕う可愛い妹なのだと。
 本当のわたしは肉親の死にも動揺していない、冷血漢なのかもしれない。
 喧嘩した時に常のように怒鳴り散らさず、どちらかといえば静かにブチギレたわたしに恐れをなしたか、母親はあれからわたしの方を見向きもしないし、父親は何やらずっと慌ただしく動いている。わたしの事など頭にはなさそうだ。この儘わたしは永遠に自分の身のおきどころに付いて、脳内会議を繰り広げて日々が過ぎていくような気すらしていた。本物の悲しみなのか、自信の持てない悲しみを抱えて。
「穂香ちゃん……大丈夫?」
 大丈夫な訳が無い。
 そう喉元まで出かかったものの、両親ともに放置されているわたしに話しかけてきてくれる人間の存在は貴重である。わたしは嘘だが、肯定する為に頷いて見せた。
 相手は先程の叔母だった。
 わたしを見下ろしているのだが、どんな感情がそこにあるのかはわたしにはいまいち想像出来ない。無表情というには、少しばかり暗い気がする。
「ごめんね。大丈夫な訳が無いよね……あなた達兄妹、仲が良かったものね」
 自身の発言が軽率だったと謝罪すると、叔母はわたしの肩に手を置いた。あまり他人に触れられるのが得意ではない。若干、ほんの少しだけ止めて欲しいなあなどと思ったが、なんとなくそれを言ったらこの人を傷付ける気がした。親ならまだしも、あまり会わない親族を不快にさせてこちらも落ち込みたくはない。
「悲しい時は悲しいって言って良いよ。誰かに言って、泣いて、それで少しでも気が紛れるなら全然良い」
「……」
 言って楽になるとも気が紛れるとも思えなくて、わたしは何とも返す言葉が思い付かないで黙った。
 気を遣ってくれるのは有り難いが、わたしは兄と友達以外の人間が本当に苦手だ。苦手な人には本音を訴えるにも、先ずは言葉の選択から始めねばならない。嫌がらないだろう言葉のチョイスと、気にいるだろう悲しみ方も、わたしは他人に披露できるような綺麗な涙も持たない。
「有難うございます」
 やっとの事でそれだけを言うが、叔母はわたしから離れる気配はなく、わたしの顔を覗き込んですらきたので、思わずを逸らした。
 無理をしていると思われたのかもしれないが親しくない人間に、自分の感情の何を語れと言うのかとも思う。
「ねえ、辛いなら自分の部屋に戻っていても良いよ? 学校はお休みしなくちゃいけないし、その前に」
「良いんですか? 母は、遊ぶなって言いませんか」
 わたしの返事に叔母は一瞬とんでもなく不愉快そうに眉を顰めたものの、直ぐに取り繕うように笑顔を見せた。貼り付けの笑顔だと、わたしのような子供でもわかった。
「そんな事を言う筈がないでしょう? 雪也くんの事を大事に思う家族が、悲しんでいて何が悪いの」
 叔母の言葉は先程わたしが母に訴えた事と、そう変わらない内容だった。わたしがブチギレた時に、この人はわたしの言葉を聞いていたのかもしれない。姉の非を、遠回しに取り繕うとしているのか。
「……じゃあ。部屋に戻ります」
 スカートのポケットを抑えながら、立ち上がった。ここで兄のスマホが発見されたら何もかもがおじゃんだ。
 相変わらず他の親戚や両親は動き回ったり、電話をかけたりしている。不甲斐ない姿を娘に晒した割には、今は何か精力的に動いているのが気持ち悪いなと思った。わたしはわたしの気持ちを正直に自分に理解、納得させたいと常々思っているのに、この親の姿を見て気持ち悪いと思った理由と理屈と心理状態が、後に考えてもどうしてもわからない。
 相変わらずどいつもこいつもわたしに一瞥すらも寄越さないので、もう良いかと開き直って堂々と二階へと上がる。急な階段を一歩踏み締める。ぎし、となる古いお家は悲鳴だろうか。もう引退させてくれとでも、言ってるのだろうか。
 自分の部屋に入る前に、ちらりと隣の兄の部屋に視線をやる。誰も出て来ない部屋。主を失った部屋。
 先程入った兄の部屋は、とても冷えていた。静かだった。
 スマホを取りに入った時、兄の眠るベッドを見るのを意識して避けた。どういった心理だったのか、それもわからない。兄の死を直視したくなかったのか。既に病院で一度相対したのに。
 わたしは兄の死体を、死体というものを見るのに嫌悪感があったのだと思う。何も高尚な理由ではない。ただただ死体が怖かった。動かないし喋らない。しかも、慕う人間の形をしているのに怖がった。
「ごめんね、兄ちゃん」
 怖いと思ってごめん。
 悲しい筈なのに、お通夜とか葬式で役立たずになりそうだからどうしよう、とか考えてごめん。くだんねえ妹でごめん。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王太子殿下との思い出は、泡雪のように消えていく

木風
恋愛
王太子殿下の生誕を祝う夜会。 侯爵令嬢にとって、それは一生に一度の夢。 震える手で差し出された御手を取り、ほんの数分だけ踊った奇跡。 二度目に誘われたとき、心は淡い期待に揺れる。 けれど、その瞳は一度も自分を映さなかった。 殿下の視線の先にいるのは誰よりも美しい、公爵令嬢。 「ご一緒いただき感謝します。この後も楽しんで」 優しくも残酷なその言葉に、胸の奥で夢が泡雪のように消えていくのを感じた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」「エブリスタ」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎泡雪 / 木風 雪乃

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】 積み上がった伏線の回収目前!! 夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。 長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。 待っていたのは、凍てつく絶望。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。 「夫は愛人と生きればいい。  今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」 それでも私は誓う―― 「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」 歪で、完全な幸福――それとも、破滅。 “石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

『お前を愛する事はない』なんて言ってないでしょうね?

あんど もあ
ファンタジー
政略結婚で妻を娶った息子に、母親は穏やかに、だが厳しく訊ねる。 「『お前を愛する事は無い』なんて言ってないでしょうね?」

処理中です...