恋煩い

nishina

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 なんとなく電気を点けてしまうと、兄に対する哀悼の気持ちがわたしの中には存在していないような気がした。ただ単にわたしが勝手にそう思い込んでいるだけであって、根拠やそのような風習があるかどうかも知らない。
 しかし部屋の明かりがないとなると、カーテンも閉め切っている所為で室内は真っ暗で、何にも見えない。
 割の入口に近い場所にあるタンスを適当に引っ張って、部屋着になりそうな衣服を引っ張り出す。黒のシャツとデニムに着替える。脱いだ制服をハンガーに引っ掛けなければならないが、未だに視界は闇に慣れてないらしく何処に何があるかがわかりにくい。
 仕方がない。スマホを操作して、ライトを起動させると少しだけ部屋の内部がわかるようになる。机とか椅子を避けながら、部屋の隅っこにあるハンガーラックの前に辿り着いたので、スマホは机に置く。こうすると光がこちらから遮断されてやりにくくて仕方がないが、なんとか制服をハンガーに引っ掛けた。
「あ……そうだ」
 兄のスマホがスカートの中に入った儘だ。手を突っ込んで取り出す。太腿にポケット部分の薄い布越しに触れ続けていたスマートフォンは、ほんのり嫌な温かさを纏っていて兄ちゃんすまんと胸中にて謝罪を送る。妹の人肌で自分のスマホ温められるのは、彼にとっても本意ではなかったろうに。
 ライト代わりの自分のスマホを再び手に取ると、わたしは机と椅子を迂回しながらベッドまで辿り着いてごろんと寝転がりながら兄のスマホを操作した。
 幸いロック機能は使用していなかったようで、容易に兄のスマホは起動した。
 兄の死因が恋の病だとしたら、恋人に振られたか兄が他に好きな人が出来たがそちらからは拒絶を受けたとか、そんなところではないだろうか。メッセージアプリを起動してみた。恋人の名前は、兄から聞いている。
 兄の話ではかの人はとても可愛らしいだけではなく、実に見目麗しい美貌の持ち主であり、兄としても太刀打ち出来ない程の完璧なお人柄なのだという。お勉強も得意なだけではなく、運動神経も抜群でそのうえ料理の腕も高校生とは思えぬ実力を持っており、毎日彼氏の分も作ってきてくれるとかなんとか。わたしが兄でも、きっとそのような女性が恋人になったら夢中になっていたと思う。
 かの人物の名前を必死に思い出しながら、メッセージアプリの名前欄をスクロールするまでもなく一番上にあったそれを発見する。名前は……そうだ。田中美果子単語たなかみかこだ。間違いない。
 彼女からのメッセージを開いて、わたしは拍子抜けをした。てっきり別れ話や兄の嫌いなところを徹底的に口汚く攻撃でもしてきて、結果兄の心がずたずたに切り裂かれたのだろうと思ったのだ。
 しかし田中さん相手のメッセージは、至って平和なものだった。寧ろ年頃の恋人同士でここまで長閑なものなのだろうか、と疑う程だ。
 恋人どころか恋の一つの経験のないわたしが恋を語るのも無粋かもしれないが、それにつけても彼らのやり取りには卑猥さや性欲など、下心じみたものが一切見当たらない。
 例えば昨日二人はデートの約束をしていて、事実確かに兄は外出していたのだが……約束を取り付ける時も、先方は勉強をお兄さんが勉強見てくれるからあなたもどうか、と兄を誘っている。どうやら田中さんにも兄がいるらしい。
 兄も兄で、折角自宅にお招きいただいたのだから二人きりになれないのか? と不満の一つもこぼしそうなものだというのに、迷惑にならないのなら是非とか返している。是非じゃねえよ二人きりの世界を求めろよ、いちゃつきたくはないんか、恋人じゃねえのかお前ら。
 過去のメッセージも、あまりにも健全なお付き合いしかしてないのだろうな、というやりとりしか見受けられない。しつこいようだが、恋をした事のないわたしが恋を語るのはナンセンスかもしれない。しかし、彼らの会話は素っ気さ過ぎると思う。恋人どころか、友達にしてもちょっと親しみが足らんような印象を受けるのだ。
「……いや、最近の恋愛というものはこんなもんなんか?」
 わたし自身が若人の恋愛事情や、流行りについていけていない可能性はじゅうぶんにある。今時はさっぱりからっとした、他人行儀なお付き合いがトレンドなのやも。
 もしくは、兄にしても田中さんにしても、そういった事に興味関心がないという淡白なカップルの可能性もある……と考えかけて、いや違うなと考え直した。だって、兄の部屋にはエロ本があったのだ。彼の部屋でこっそり盗み読みしたわたしが断言するのだ、間違いない。年頃の欲望が、少なくとも兄にはある。
「何か……何か、他には」
 ムキになって彼らのお付き合いの進行状況を把握しようと、メッセージを更に深堀りしようとしてはたとわたしは我に返った。
 今となっては兄カップルが何処まで進んだお付き合いをしていたのかなど、わたしには無関係な話だ。間違えてはいけない。兄カップルのあれやこれやを探る為に、わたしはこのスマホを拝借した訳ではないのだ。兄の死因を、恋の病に苦しむ原因を見付けるのが目的だった。
 幾らメッセージの応酬を遡ったところで、清廉潔白なご関係なのだろうなという文面しかなさそうだ。わたし自身これ以上故人のプライベートを探ったところで、良心の呵責に苛むに終わるだけだ。
「せめて……なんか、なんかないかな」
 画像フォルダを開いてみる。それこそ兄の個人情報の吹き溜まりであって、兄の魂がそこにあったならきっと彼は怒り狂いわたしを呪っただろう。
「すまん。兄ちゃん許して」
 とはいえ、変なもの……少なくとも妹に見られて困るような画像や動画はないだろうな、という確信はあった。
 自分で言うのもなんだが、わたしは鬱陶しい人間である。自覚しているとおりブラコンでもある。こんな構われたがりな面倒臭い妹がいたら、自身の情報管理に厳しくなるのが普通だと思う。
 それなのに、兄のスマートフォンにはロックはかかっていなかった。妹を信用しているなんて有り得ない。悲しいが、自分は信用に足る人間ではない。
 こんな信用ならぬ人間が傍にいるのにも関わらず、個人情報の塊を無防備に扱っているという事は、兄にとってはこのスマートフォンの中身は、無害な情報しか存在しないという事だ。わたしはそう考えた。

 画像フォルダを開いて直ぐ、わたしはそれを見付けた。
 兄と一人の女性が川の前で、自撮りをしている。公園を流れている人工的に造られた小川のようで、背景には川遊びをするお子様達も写っていた。
 この人が田中美果子嬢で間違いないのだろう。成る程、美しい女性だ。
 兄もなかなか長身であるが、彼女も背は高いようで兄の鼻あたりに頭がある。二人並んだ立ち姿はすらりとしていて、絵に描いたように様になっていた。
 ストレートパーマでもかけたのか疑う程に、真っ直ぐな長い髪に軽やかな茶髪が眩しい。眉は整えているのだろうが、化粧っ気もなさそうなのに顔立ちは実にはっきりしていて、幼少時代にお気に入りだったお人形さんみたいだ。
 わたしは田中さんの顔を食い入るように見つめた。彼女の顔を覚えて、訊くしかないと思った。
 兄は恋の病を患って、逝きました。あなたは兄を何故振ったのか、と。
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